5話
「 ...........これで良いか?」彼は疲れ切ったような声を出す。
かれこれ2時間と30分、彼はソフィアから怒涛のように流れる質問に答え続けていた。
「ふーん、まあ今回聞くのはこれだけでいいかしら」ソフィアは、さもまだまだ質問があると言わんばかりの声だった。
それを聞いた彼は辟易したように息を吐く。
「それよりも、レダリア以外のことは良いのか?」
「ベルさん以外のこと...........か」彼女は腕を組み空を見上げながら考える。
「いやそこで悩むのか?少しは自分の事でも...........」
「今」彼女は彼の言葉を遮るように少し大きな声で言う。
「今の私はどういう状態?魔法で楽にはなったけど、まだ違和感は残ってるし」
思わぬ質問に彼は少々戸惑い、数秒言葉を発することができなかった。
「どうしたのよ」そんな彼に対し疑問を投げかけるソフィア。
「い...........いや、お前はベルと似て自分の事は一番後回しだったからな...........驚いただけだ」
「何よ、さっき他に質問は無いかって言ったのはあんたじゃない」
「ま、まあそうなんだが...........お前は今魔法による治療中だ。体力は実際削られていってるし、傷の癒着も不完全だ。だから少なくとも夜が明けるまではこのままでいた方がいい」
「夜が明けるまで...........ね」彼女はそう呟くと空を仰ぎみる。まだ藍色の空は星の弱々しい小さな光を目立たせ強調し、色とりどりに飾っている。
「それまで返してくれないって事よね、つまるところ」
「......................」彼は沈黙を返す。
彼女はすでに彼が怪我を理由に彼女を島に返したくないという意図を察しているようだった。
「まあいいわ、別に今すぐ帰りたいわけじゃないから」
「......................葬って....」彼はソフィアの言葉に戸惑ったような、意外そうな声を出す。「葬ってやらないのか?...........」
「葬るって...........誰を?」
「誰とは...........レダリアのことだが」彼は遠慮がちにいう。彼が今まで彼女を見てきてわかったことは、彼女は殆どベルに依存していることだ。他方から見れば慕うという意味かも知れないし、家族愛であれば誰にでもあるのだろうとは彼も思う。
だが彼女には、ソフィアにはベルしかいなかった。
普通の思春期のように反抗期も無ければ、自立心はあってもベルから離れていくということが一切ない。それだけならただ家族が好きというだけで片付けられるかもしれない。
だが彼女はベル以外の者と親しくなろうとしなかった。それこそベル1人がいる世界にいたいかのように。
それが依存であり、言い換えれば束縛でもあった。
そんな彼の思いとは裏腹に彼女の答えはなんとも単純なのだった。
「別にいいわよ、だって悲しくないもん」彼女はまるで子供のように当たり前の事を言うようにいう。
「な...........本気で言ってるのか?」彼は怒ったように語気を強めていう。
「本気も何も...........そもそも死んだら悲しむっていう発想がおかしいのよ」彼女は当たり前のことを言うかのいうに、諭すように言う。
「見損なったぞ...........お前はベルがどれだけ...........」
「ベルさんがどう言おうと、どう思おうと、どう考えようと、結局は私にとっては同じなのよ」
「お前は何を言って...........」
「死んだらその後どうするべきか知ってる?悲しむ?泣く?それとも慰め合う?違うわよ」
彼女は平気な顔で、ついさっき大切なたった一人の家族を失ったとは思えないほど冷たい口調だった。
「恨むのよ、死んだ原因を元凶を。恨んで恨んで恨んで、呆れるほど恨んで、それでやっと死んだ人を弔える。そうする資格が与えられる」
彼女はそう言うと彼の返事を待つように口を閉じる。
しばらくして彼は重い口をゆっくりと開ける。
「それがお前の望みなら、それを叶えるのに尽力はするつもりだ...........元々そうするつもりだった」彼は言いにくそうにそれだけ言う。
「そう、じゃあ取り敢えずあんたは味方ってことでいいかしら」彼女は取り敢えずというところをことさら強調して言う。
「ああ、それで構わない。それでな」
そうして彼と彼女は同盟を結んだ。もとい元々ベルラリアの手によって結ばされていたものだったのだが。
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誰もいない真っ白な何もない空間。地平は果てしなく続いているであろうが靄によって何一つ見えることのないその先。空は白く淀んだ空気を持ち、光源はあっても太陽が顔を見せることはない。
そんな空間に1人佇む長身の青年。銀色の透き通るような硬めの髪、それと同じ銀色の目を持つがどこか生気のない瞳。
バヴェルギヌス=ミタラディアはたった一人ここにいた。
「全く、ヒヤヒヤさせてくれて」彼はホッと安心したようにため息をつく。
先程の一部始終は彼女の心から伝わってくる思いを汲み取り見ることができた。
彼は普段は宿主であるソフィアの心を見ることはできない。できるとしたら間接的に、幸せや苦しみ、悲しみといった抽象的で曖昧なことがわかるぐらいだ。
しかしソフィアの感情が異常を示した時、心に映像がリアルに投影されそれを彼は見ることができる。
「なんとも遠回しで、周到なもんだな。なあお前もそう思わないか?ベルラリア」彼は独り言のように呟く。だがそれに返事を返すものが1人。
「ソフィアちゃんが選んだ道よ。私達老兵が出る幕じゃないわ」彼女は1人悲しそうに言う。
「何が出る幕じゃないだよ。よくもまあここまで準備ができるもんだ。尊敬はしないが凄いとは正直思うぞ」
「それかなり失礼だよ」彼女は非難の声を上げるが、どこか楽しそうな口調だった。
「そうか?まあそうなのかもな」彼もどこか楽しげだった。
「...........これからもよろしくね。彼女のこと」しばらく間を置いた後ベルは静かに言う。
「お前は会ってやらないのか?」
「ええ、あっても彼女が悲しむだけだし」
「悲しむ?嬉しいの間違いじゃないのか?」
「違うわ。今彼女には目標があるのよ。それを今更潰すことなんてできない」
「それがお前の為の復讐であってもか」
「ええ、だってそうなんだもん」
「ならお前の望みは」
「餅のロンでソフィアちゃんの幸せに決まってるじゃない」彼女は当たり前のように言う。
だがそれでは復讐をすることが彼女の幸せであると言っているようなものだ。
「違うだろ」そう思った彼は突然彼女の目の前まで行くと面と向かって目を見て言う。
「何が違うの?私の望みは...........」
突然目の前に現れた彼に少々戸惑いながらも彼女は言い返す。
「違う」だが彼は彼女の言葉など意に返さないように言葉を続ける。
「お前...........結局はソフィアに自分を重ねてるだけじゃないのか?
と言うよりソフィアに自分の目的を達成させたいだけじゃないのか?」
「ち...........違うよそんなこと」
「だが実際に」彼は彼女の弁明など一切聞かない。
「ソフィアは復讐に向かってる。それがお前の望みなんだろう?」
「違う!そういう意味じゃない。私はソフィアちゃんに目標を作ってあげたくて...........」彼女は目に涙を浮かべながら言う。そして言いたくないことを、心の中に止めておきたいことを表に出すように言葉を続ける。
「あの子には...........あの子には目標が必要なの!どんな事でもいい、たとえ復讐であっても強い大きな目標が必要なの!」
彼女はそう言うと怒ったように彼に背を向ける。
そして彼の視線を振り切るように走り出し靄の中へやがて消えていった。
一人残された彼はやれやれとこめかみに手を当て頭を振る。
「これじゃあどっちが依存してるかわかったもんじゃない」
彼は霧がかったようにぼやけて見えない空を見上げる。
「昔の彼女はこんなんじゃなかったのに...........どうして」
たとえ願ったとしてもそれが返ってくることなど永久にありはしないのだった。
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「~~~~~~~~~~ああああ、疲れる」彼女はそう言うと空を見上げる。濃い藍色だった空はだんだんと薄まり始めていた。
「5分23秒か...........集中力がないな」彼は冷静に事実を言う。
彼女が今やってることは魔法の知識を彼女自身が理解するということだった。
バヴェルギヌスが渡した魔方陣魔法の知識は確かに今のソフィアにも使えることは使える。
しかしそれはバヴェルギヌスが知識を解釈し理解したものであってソフィアが理解したものではない。
例えるならば知識という材料を解釈という調理をし理解という料理にするということだ。
バヴェルギヌスが渡したのはあくまで料理であり、それは彼好みの味付けだ。ソフィアもそれを食べることはできるが、相性の良い味付けとは言い切れない。
だから彼の料理から材料を逆算し自分だけの料理を作る必要があった。
(てゆーか、変な気分ね。自分の頭の中にあるはずなのに自分のものじゃないなんて)
彼女はこめかみを抑えながら少し考えてみる。
「どうだ、これで合計1時間ほどだが。理解できているか?」
「うーんそう言われてもねぇ。その理解って表現が曖昧でよくわかんねーね」
「そうだな。確かによくわからん」
「ちょっと、あんたがわからないんじゃ私は一生わからないと思うんですけど」
彼女は当然のことを口にする。そもそもソフィアは理解という事をしなくても一応は魔法を使用することができた。だから言ってしまえばこのようなことしなくても良いということになる。
「理解すれば魔法に意味を持たせられる。そうなれば魔法はより安定し強力になる」彼は辛抱強く言いかける。
「そもそも魔法の知識はお前が持っているんだからお前にしかわからないに決まっているだろう」
だがソフィアは彼が最後に言ったことよりも途中に言った言葉の方が気になった。
「あの長身の銀髪も言っていたけどその《意味》っていうのはどういうこと?」彼女は身を乗り出し彼の顔になんとか近づきながら問いかける。
「ああ」彼は不思議な相槌を打つ。余り触れないほうがいい話題なのかもしれない。
「あの馬鹿は話していなかったのか...........」そうため息をつきながら言うと彼はしばらく考えるように押し黙る。
ソフィアも彼が思考に入ったことを感じ取ったのか元の位置に戻りまた空を見上げる。
(...........空を見上げるって一体何回しただろうこの数時間の間に(倒置))
空はさらに薄い青色になっていく。既に進行方向右側はほとんど白くまた所々がオレンジ色に霞み始めていた。
(もう夜明け。遺体はどうなったかなぁ)
既に誰かに発見されているだろうか、それとも火葬...........はないか。
ならもしかしたらあのまま小鳥の羽とともに空へと飛んで行っているのかも...........
彼女はそこまで考えて馬鹿らしくなってくる。
こんな事を考えても意味がない。それこそ知識を理解する方が大切だと思える。
それに島にもう戻らないというわけでもない。
現に空は既に明るく霞み始め............................................
「え?」彼女は唐突にあることに気づく。
彼女の見つめる先、そこにあるのは北斗七星だった。もう空が明るくなり始めているというのに未だ周りの光に負けることなくその独特の形を保ち続けている。
(あれが北斗七星なら、北極星は、あれ......................)
北極星がさす方角、それは不変に北だ。
そして北がわかれば他の方角も自ずとわかる。
(なら、あっちが西...........)彼女は北極星から左の方向に視線を移動させそれを見る。そこは明らかに、今この天球の中で最も光度が大きい方向だった。
「なあソフィア」
「ちょっと小鳥さん!」
二人の声が重なる。しかし声量から言っても圧倒的にソフィアの方が大きかった。
「今明るくなってる方向、あそこって何がある方向?」あっちが西かどうかは聞かなかった。それはもう彼女の中で決定事項だったからだ。
「明るくなってる方向だと...........」彼は今気づいたかのようにそちらを見る。
白色の中にオレンジ色が点滅している。
「!!島の方角...........だと」
彼は信じられないと言った口調で言う。
それを聞いたソフィアは心臓がひっくり返るような感覚を覚える。
島で何か起こったのか、オレンジ色の点滅は何なのか、そして目を凝らせば墨を垂らしたように漆黒が白色を分断している。
「戻って...........」彼女は呆然としながら、静かな、しかし強い、何処までも深い強さを持つ声で言う。
「早く...........」
だが彼の返事は否定だった。
「ダメだ」彼の声も相当緊張していた。
「わかるだろ、今お前が見ている映像が島の状況だとしたら、規模がどれだけ大きいことになっているか」
彼は既に3時間以上飛行を続けている。つまり一直線に島から離れるように飛んだわけではないが島との距離は相当なもののはずだ。にも関わらず朝日と見間違うほどの光量が細かいところまで見えるということは、下手をすれば島全体が異常に覆われていると言える。
そんなところにソフィアをみすみす連れて行くわけにはいかない。
「いみじくもお前は言った。復讐を終えるまでは弔う資格はないと。なら復讐を遂げるまでは生き残ることが何よりも先決しなければならないことじゃないのか」
彼は幼い子供を諭すように言う。しかし彼自身も何かの葛藤と戦っているような、少しぎこちない声だった。
「そんな事でいちいち動揺するような子供なら復讐何て言葉を安易に使うものじゃない」
彼はきつい口調でそう言う。元々彼は彼女に復讐なんてして欲しくなかった。彼女には1人の女性としての幸せをつかんで欲しかった。
父性愛とでも言うのだろうか、彼には彼女に危険なことはして欲しくなかった。
彼がそんな思いを乗せた言葉を放つと彼女は押し黙ってしまう。
ほんの一瞬の刹那の沈黙。しかし永遠とも思えるほど長い静かな時間の後、彼女は呟く。
「わかったわ」
それは理解したという言葉。彼の言葉を聞き入れたという意味。
ようやく彼はホッと息を吐く。できるならこのまま彼女の復讐を止められれば、と希望的観測でさえ彼は持つことができた。
「なら...........」
「ああ、このまま近くの島に降りてそこから大陸を目指そう」彼は急いで次の目標を言う。とにかく彼女の気が変わらない内に移動しようと思った。
「......................」だが彼女は黙ったままだ。
それを不審に思ったのか、彼が問いかける。
「どうした?何かあるのか?」
「なら...........」彼女は右手に持ったペンを彼の背中に突きつける。
「小鳥さんは今ここで海に落ちてもいいってことよね」
彼女は抑揚のない声で刺すような視線を彼に突きつける。
彼女には今、彼を脅すことができるだけの力があった。