10話
真っ白な精神世界。ソフィアも何度か入り込んだ何もない世界。
しかしそこは夜に入ったかのように暗く澱んでいた。
「ふう、本当にヒヤヒヤさせる」
精神世界に寄生中の存在 バヴェルギヌス=ミタラディアは長くなってしまっていた銀髪を目にかからないようにかきあげている。
「まあ、初陣にしてはいいんじゃない?ぶっちゃけあのオリガが本気を出すわけないとは踏んでたんだけど」
そしてもう一人、ソフィアが認知していない寄生中の存在、ベルラリア=レダリアも、先程のソフィアの行動を見て感想を述べる。
しかしその声を聞いたバヴェルギヌスはあからさまに嫌そうな顔をする。
「お前には言ってない。どこかに消えてくれないか?」彼は辛辣な声で言う。
「あらやだ、心外だわ。私もあなたと同じように彼女を心配してるじゃない。心の底からね」彼女は嬉しそうにそう言うと彼に近づいていく。
「信じない。今のお前の事は信じれる要素がない」
彼は冷たい態度を崩さず答える。
「ふふ、今の私が本当の私よ?あいつは勝手にできちゃった邪魔者。
それとも何?偽物が可愛く赤面してる方が好きだった?」
彼女はそう言うと狂ったように笑い始める。
「てゆうか、あんたもあんたでよくもまああんなまどろっこしい奥手な奴に恋心を抱くもんだわ。
ホント、男って馬鹿ばっかり」
ベルラリアはそう言うと少し寂しげに彼の目の前で彼を上目遣いに見上げる。
彼はそれをチラリと見るが、直ぐに目を離し集中するように彼女の向こうを見つめる。
「心配?」彼女は主語も目的語も抜けた言葉で問いかける。
「まさか《アパーション》まででてくるなんて思ってなかったからもっと強い魔法を教えといた方が良かったとか思ってるんでしょう?」
だが彼は僅かに目を泳がせただけで彼女の言葉を相変わらず無視し続けている。
「無理しちゃって。いつも通りに女心をわかってないわね」
そんな人を馬鹿にしたような口調に流石にカチンときたのか彼女の方を見ずに言う。
「アパーションは確かに予想外だった。あんなものを教皇が研究していたとするとソフィアにはもっと魔法を理解してもらう必要がある」
だがそんな彼の言葉に何を思ったのか頬を膨らませて怒ったように目を細める。
「だからあなたはそうなのよ。何にもどんなことも一つも理解してない」
そう言うと彼女は両手で彼の頰に優しく包み込むように触れる。
彼も驚いたように彼女を見る。そして口を開き言葉を紡ごうとする。
「何を...........」
そうして彼が口を開いた瞬間だった。
彼の唇は優しく、しかし獲物を捕らえる時の蛇のような素早さで、柔らかい、ピンク色の、彼女の唇によって塞がれる。
彼は驚きながらも彼女から離れようとするが、ベルラリアは両手で彼の顔を固定し離さない。
甘い、人の唾液の特に味のない或いは少し辛い味がするだけなはずなのに、とても甘い。
そうして数秒、しかし彼にとってはもっと長く感じたかもしれないが彼女はほんの一瞬だけ力を弱める。
彼はそれにホッとしたように強張った唇を少しだけ緩める。
しかし彼女はその瞬間を待っていた。
油断した彼の唇をこじ開けるように舌を彼の口内に侵入させる。
そして彼の舌を獲物を絞め殺す蛇のようになぞり、巻きつくように、締め付けるように、強張って硬くなった彼の舌を溶かし解すように、あらゆる場所に絡ませていく。
もう彼に味がどうこう考える暇はなかった。ただただされるがままに従うほかなかった。
真っ白な世界に二人の舌が触れ合う艶かしい音が響く。
二人の唇と唇の間からは激しさを表すように銀色の液体が筋を作りながら垂れていく。
やがて彼女は舌を絡ませることに飽きたのか、今度は上顎や下顎の歯茎の部分を舐め始める。
彼女の顔はすっかり上気し首筋や額からは汗も滲み出ていた。
しかし彼女は彼の口内を夢中になって舐めまわし続ける。この時間を永遠に、自分に、彼に、刻み残すように彼を求め彼の全てを欲するようにただただ彼を求め続けた。
それは、自分でありながら自分でないものに、自分が欲しかった、自分が求め続け奪われたそれを取り返すため。彼を自分のモノにするためだった。
どれくらいの時間が経っただろうか。彼と彼女の間には銀色の液体が雫を作っていた。
彼女は自分の頰に伝う液体をペロリと舌で舐めとる。
「私が教えてあげるよ。何もかもね」
そう言う彼女に彼はなんの言葉も発することができなかった。
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優しい光が目に入る。少しオレンジ色がかった暗めの灯台の明かり。
この時点で彼女は自分がベッドの上にいるのだと気付いた。暖かくて心地よくて、前までずっと寝ていた教会と同じ少し硬めの掛け布団の薄い、懐かしい感触。鼻腔につく匂いはどこかツンとした消臭剤のような強目の匂いだった。
そして自分の衣服にも変化があることに気付いた。さっきまで少し厚めの修道服を着ていたはずだった。
しかし今は水色の薄いロングTーシャツのようなものと同じく薄い水色の長めのズボンだった。
「これでもう5日...........大丈夫なんでしょうか」
すぐ側から男の心配そうな声が聞こえる。
するとそれに反応する男にしては高く女にしては低い声。
「心配しすぎだ副団長君。それでは騎士団全体の士気に関わるぞ」嗜めるような少しきつめの言葉。
「と言うかこの騎士団の医者担当は君だろ?それに君は私が今まで見てきた回復魔法使いの中で一番優秀だ。だから君が最善で最高の方法をしてると言うのなら私はそれを信じる」
そう断固として言う。部下を心の底から信用したリーダーとしての姿だった。
すると副団長は、恥ずかしくなるかと思いきや、腹を抱えて笑いだす。
「おいおい、そこは笑う所じゃなくてだな」そんな彼に恥ずかしくなってきたのかだんだんと赤面し始める。
「だって、面と向かって...........『私はそれを信じる』って...........」
口真似をしたのだろうか、全く似ていないツボにはまった言葉を自分で言うとさらに彼は笑い出してしまう。
「おいこら、怪我人の前で...........」
ベッドで寝ているソフィアを挙げて彼を止めようとする。
するとその言い合いに乱入する一つの声。
「私もちょっとそのセリフは許容できないってゆうか聴いていて恥ずかしいですね」
その声は怪我人が寝ているベッドから聞こえてくる。全ての団員が男しかいないむさ苦しい騎士団の船に響く若い女性の高い声。
「だろう?」彼もその声に反応する。
「団長はいつもこんなこっぱずかしい言葉を言うんだよ。団員も笑いをこらえるのに必死で...........って...........あれ?」
彼はここで異変に気付く。この船に女性はいないはず。少なくとも完璧に女性と言い切れる人間はいないはず。
「おお、目が覚めたのか。良かった良かった」動揺する副団長を他所に団長は彼女に嬉しそうに声をかける。
するとソフィアはその声に何か気付いたようだ。
「あなたが...........あの変なのから助けてくれた人ですか?」
するとその言葉に手を振って否定の意を示す。
「いやいや、あの白い人のようなのを倒したのは確かに私だが、君を助けたのは彼だよ」
そう言うと地面に根が生えたように突っ立ている彼を見る。
するとソフィアも彼を正面からしっかり目線を合わせる。
たったそれだけで顔を赤くして、目を逸らしてしまう彼に少し微笑みながら、「助けていただいてありがとうございます」と礼儀正しく言う。
「ほら、こんなに可愛い女の子が礼を言ってるんだぞ」いつの間にかソフィアの隣に椅子を持ってきて座っていた団長は楽しげに言う。「君も騎士団らしく礼を返したらどうなんだ」
副団長は団長の馬鹿にしたような口調に少しムッとした表情を見せる。
そして自分でもこれぐらいはできると言いたげに素早くほぼ90度に腰を曲げて「いえ、騎士団として当然の事をしたまでです」と部屋中に響き渡るような大声で言う。
しかしこれではまるでソフィアが犠牲になったように見えてしまう。
なので礼を言われた彼女は戸惑いながらどうしたらよいかわからず助けを求めるように団長の方を向く。
「うんまあ」団長は必死で笑いを堪えながら何とか声を出す。「良いんじゃないかな。副団長君の女性苦手症候群を治すのにはな」
そう言うと自分の言葉に吹き出し始める。
ゲラゲラと笑い続ける団長にどう反応したらいいかわからず苦笑いを浮かべるソフィア。
そして「団長がやれって言ったんでしょうが!!」と子供の喧嘩のように叫ぶ副団長。
そうして始まった二人の口喧嘩はこの後ソフィアがお腹を鳴らすまでずっと続いた。