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一話








昔々あるところに一人の魔法使いがいました。

魔法使いは強い力を持ちそれは強者をより強くし弱者を助けることができました。



魔法使いは成長し大人になりました。

彼は結婚しませんでしたがその生活は暖かく充実したものでした。


しかしそれも 長くは続きませんでした。


ある日突然真っ黒な世界から怪物が現れました。


怪物は人々を襲い殺しました。攫われる者もいました。泣き叫んでも許してくれませんでした。話しかけても声が返ってくることはありませんでした。


村は滅びました。街も滅びました。都が攻め落とされました。


人々は逃げ惑い魔法使いに助けを求めました。


魔法使いはその光景を見て魔界に行くことを決意しました。


彼は誰も知らない秘密の場所からたった一人で魔界へ行きました。


誰も彼について行こうとはしませんでした。誰一人彼に協力しようとしませんでした。

魔法使いは魔界で旅をしました。

孤独に旅をしました。


見つけた怪物は全て殺しました。


そして彼は魔王と出会いました。


魔法使いは魔王と戦いました。


幾日もの戦いの末魔法使いは魔王を破りました。


魔王は命乞いしました。けれど魔法使いは許しませんでした。

魔王の魔力を奪い追放しました。


そしてついに魔界から怪物はいなくなりました。


魔法使いはその生涯を孤独に戦いに捧げました。


それは伝説となり各地で崇められました。
















「眠ったようね」

彼女はそっと膝の上に乗せた本を閉じる。

『魔王と魔法使いと 』

分厚く古びたその本は、世界中で読まれている童話集。

彼女も幼い頃はこれを読んでもらい夢の世界へと飛び込んだ。


「こうやって寝てる時は可愛いんだけど」

彼女は微笑みながらベッドの上の小さな吐息を見つめる。

「どこが似たんだろうね。私に似て生意気になって...........」

そっと、柔らかい絹のような前髪を持ち上げる。サラサラと指をくすぐるような感触。

「おやすみ」

そう言って彼女はおでこにそっと口付けをする。

するとむずむずと眉間にしわを寄せおでこに手を当て動かしている。

子供にとっては違和感でしかないのだろう。


それを見るだけで彼女の顔は優しい眼差しに変わる。

「彼にも見せたかったなぁ」

慈しむように?に触れる。

「こんな可愛い子が家族だってことを」

小さな丸っこい手が彼女の指を掴む。

手のひらいっぱいに指を握り子供とは思えない強さで訴えかけてくる。


「...........魔法は...........出て欲しいのかな?」

思い出すように我が子を見つめる。何時間も何日も何年も、永久に見続けても飽きないほどに、貪るように見つめる。


「また明日が来ますように、そしてそれがあなたの一日でありますように」

彼女はただ空気だけの声でそう囁く。

それが彼女の幸福であり、幸せであると知っているから。

















第1話


「おうおうおう!てメェいい加減にしろよ!」

街中の人通りの多い商店街。眩しい太陽が燦々と照りつける中。そこで彼女はガラの悪い男どもに囲まれていた。


「こちとら急いでんだよ!」

「さっさと慰謝料払ってくれませんかねぇ」

「早くしなければお前に我が蠢く右手が天罰を下すであろう」


異口同音を並べ立て金を求める威圧感のある男達。周りには買い物客や商売人がいるが皆見て見ぬ振りをしている。

世界が統一され戦争がなくなったと言っても小さないざこざはどこにでも発生していた。


「いやぁその通していたただきたいのですが...........」

一方の彼女は若干戸惑いながらも自分の意思を発する。小柄な彼女と大柄な男達、それはまさに壁とアリのようだった。

「私ちょっと急いでいるんで」そう言って微笑みかける。自分の身が危ないと言うのに全く恐れているように見えなかった。


「ふざけてんじゃねーぞ!いい加減にしやがれ!」

禿げたリーダーらしき男が頭のテッペンまで真っ赤にして叫ぶ。

しかし彼女はその丸っこい目をキョトンとした感じにし首を傾ける。フワフワとしたベージュ色の癖毛がマリーゴールドの花のように揺れる。


「いやぁ通していたただきたいので...........」


「だからいい加減にしろって!」

男たちは今度はため息混じりの怒鳴り声を上げる。


実はこのやり取りこれで6回目に昇る。

いくら何を言おうとも

「いやぁ通していたただきたいのですが」

が返ってくるので不良もいい加減イラつきがマックスになってきている。


トドのつまり彼女は別に怖くないから恐れていない訳ではないのだろう。すなわちそれは今現在置かれている、どこにでもいる若い女性が数人のガラの悪い男どもに囲まれて脅されている、という状況がどういう事かわかっていないということだった。


「あ!、そうだ!」突然彼女は何かを思いついたようにポンと手を叩く。黒い大きな目を爛々と輝かせ禿げた男を見つめる。


「お、おうどうしたんだ」先程までのやり取りとは一転彼女が別の言葉を発してきた。そのことが意外過ぎて若干迫力に欠ける声が出る。


「あの、あなたに聞きたいことがあるんです」彼女は腰を曲げ上目遣いに禿げた男をまっすぐ見つめる。

白地に深い青紫色が肩から袖まで入っている清楚な修道服。そんな厳かな服を着ていても彼女は恋話をする時の女子高生のような雰囲気を漂わせる。


「お、おうなんでも聞きやがれ」そんな彼女を可愛いと思ってしまった自分を隠すように大きな声を出す。胸を拳で叩き、如何にも男らしいとはこんな感じだろうという表情を作る。


「あなたみたいな人って...........」

彼女は指先で彼の顔を指差す。


「頭洗う時ってシャンプーですか?それとも石鹸ですか?」



沈黙が訪れる。彼女の方は興味津々に答えが返ってくるのを待っている。一方のガラの悪い男達は唖然とした表情で何も言えない。


「ずっと気になってたんですよ」そんな空気を物ともせず彼女は明るい表情のまま続ける。「そりゃまぁある程度禿げた人って見たことはあるんですけど、」彼女は指先をほんの少しだけ上に修正する。「あなたみたいな毛根が全滅して毛穴が閉じてる人って...........」

すると彼女は喋るのをやめる。


「この...........あまが...........」

体を小刻みに震わせながらだんだん男の顔が赤いどころか紫色になっていく。

両横にいる二人の男は真ん中の禿げた男を見つめながら少しずつ後ずさっていく。


「あ...........その...........」流石の彼女も彼の状態に異変を感じたようだった。

両横の男に習い少しずつ後退りする。


「おい...........」

だが紫色に紅潮した禿げた男が彼女に詰め寄る。先ほどよりも距離が近くなり男の息が直接彼女の髪を触る。


(うわ、臭い)

彼女は心の中で表情を歪める。


「あんまこんなことはしたくなかったんだがなぁ」男は低いドスの効いた声で言う。


それを聞いた両横の男達が身震いする。こうなったら禿げた男は何をするかわからない。


止めた方が良いのでは、と考えた時二人の目に光が映る。


(あれは...........?)

太陽の光を反射し鋭く光る。それがものすごいスピードでこっちに近づいてくる。

それが人であり、反射したのは髪の毛だったとは直ぐに気づいた。白銀の、透き通るような髪をたなびかせ、髪の色と対比されるような優しい乳白色の服を纏っている人。

しかしそれが信じられない程、当たり前の事が受け入れられない程、それは人間離れした姿に思えた。


「あの...........その...........何しようって言うんでしょうか」

彼女は自分の背後から近づくそれに気づかないまま後退りし続ける。


「ああ?」男は聞いていない。ただこの場の雰囲気から何を聞かれたかは理解できた。「ああそれはな、こうするんだよ!」

男は彼女に向かって手を伸ばす。抵抗することもできず目を閉じる。


その瞬間、


「この屑野郎がぁぁ!」

白銀の髪を風に揺らし白い修道服が宙を舞う。助走をつけたまま全力の跳躍、そしてその勢いのままただ脚を曲げ膝を出す。


するとまるで板を粉々に粉砕した時のような痛々しい音が響きわたる。


禿げた男は一瞬何が起こったか訳が分からなかった。


そして男がそれを理解した数瞬後、彼は地面に後ろ向きに倒れ気を失う。

唇からは血を流し、右前歯が折れ歯茎と血管だけで宙ぶらりんにゆらゆらと振れている。



「ソ、ソフィアちゃん?」

彼女は同じ修道服を着た銀髪の女性に抱きつく。首に手を回すが幾分背が低く子供が母親にじゃれているようにしか見えなかった。


「べ、ベルさん離してよ...........」ソフィアは苦しそうにまた、恥ずかしそうに回された彼女の腕を掴む。「それからあんまりくっつかないで...........」


ソフィアは目の前にまだ立っている二人の男を見て油断なく警戒する。回された腕は未だ外されていなかった。しかしベルもできるうる最大限の理解力で空気を読む。そして選択した行動は黙るということだった。



「あなた方もこうなりたいですか?」ソフィアは警戒しながらも余裕の笑みを浮かべ、地面に倒れている男を足で指して言う。


二人の男は先程までどうしたらよいかまごまごしていたがソフィアの声を聞き急に背筋を伸ばす。特に抵抗しようとする素振りも見せず冷や汗を垂らしながらソフィアを直視している。


「ベルさんに何をしようとしていたんですか?」完全に支配権を自分が取ったことを理解した彼女は警戒を僅かに解く。そして気絶したハゲ頭に足を乗せる。


二人の男はお互いを見合わせる。その目はどうにか逃れられないかと相談していた。


「もう一度言いましょうか?」ソフィアは皮肉げな言葉で続ける。

「こうなりたくなかったら」そう言いながらハゲ頭をグリグリと踏みつける。「なんでベルさんに殴りかかろうとしてたのか言えって言ってんだよこの屑童貞社会のゴミクズさん達」


ベルは腕をソフィアの首元から離す。

引きつった顔に笑みは無い。

(不良より不良だよ、ソフィアちゃん...........)


「あ...........あんまり乱暴には...........」


「ベルさんは黙ってて」


「はい」

ピシャリと言われ俯くベル。


ソフィアは今度はハゲ頭から足を除け彼の口元に降ろす。


「い、いや俺たちは金を取ろうと...........ヒィ!」


ソフィアはツルツルの光沢ある頭をサッカーボールのように蹴る。


「金を取ろう...........へぇいい度胸してんじゃない」


ソフィアはこめかみに血管が浮かび上がるほど怒っていた。ベルに手を出そうとする行為。それはソフィアが決して許さない事柄の一つだった。


一歩一歩まるで最強の悪魔がか弱い子猫を襲うようだった。


「す...........すまなかった、本当に、この通り」そう言って片方の男が背中を90度に曲げ深々と頭を下げる。片方の男も若干不本意そうだったが頭を下げる。

そんな二人を彼女は冷徹な目で見つめこう言う。

「そう、じゃあこれと」そう言って通り際に一発頭を蹴飛ばす。「同じ様になるまでで許してあげる」


若干の笑みを浮かべ首を鳴らし悪魔、いや魔王の形相でゆっくりと距離を詰めていく。


「ソフィアちゃん!」

ベルの必死の声がソフィアの脳内に響き渡る。

その瞬間ソフィアの歩みが止まる。


「あ、あんまり乱暴には...........というかもうやめてあげようよ!」

本当に心配している、正直な言葉。いや彼女の言葉はいつも正直だった。


ソフィアは振り返り抗議の目を送る。自分を恐喝したんだぞ、それを心配するなんて正気か?と。

だが彼女は心配そうな目でソフィアに懇願している。母性本能をくすぐる可愛らしい目。


するとソフィアから悪魔の形相が徐々に引いていく。


「...........わかりましたよ」少しイラついているが素直に従うソフィア。


そして二人の男に向かうと「もういいから。さっさとこいつ持って消えて」と抑揚のない声で言う。


男達は救われたように顔を見合わせるとハゲた男を担ぎソフィア達の前を通り過ぎようとする。


だがその時、「う、うーん」担がれているハゲ頭が目を覚ます。

ボヤける視界の中彼が認識したのは、銀髪の自分を吹き飛ばした女が、なんといいことに無防備に目の前に立っているということだった。


男は歯をくいしばる。何本か取れかけの歯から血が流れ出す。


男は肩を担いでくれている二人を振り払う。突然の事に二人は対応できない。


「このクソ女がぁぁぁ」

ハゲ頭は真っ直ぐ、拳をソフィアの真っ白な肌の顔に向かって放つ。



「え?」そう言ったのは禿げた男だった。


ソフィアは特に何もしなかった。強いて言えばほんの僅かだけ頭を下げ拳を避けること、そして脚を僅かにあげただけ。

するとその後聞こえたのは、果てしない男の悶絶。


「hdsjsfgsdhvhjffbm!fjn?!)\).:(\'j(/&?!&&&」声にならない悲鳴を上げお腹を押さえうずくまる。顔からは涙と鼻水とヨダレと出血が流れ出ていた。



「ソ...........ソフィアちゃん...........流石にそれは...........」ベルが引きつった笑いを浮かべながら禿げた男を見つめる。


一方ソフィアは自分の膝をさすりながら「最悪の感触...........」とか言っていた。



二人の男は禿げた男に寄り添い背中をさすっていた。流石に吐きはしないだろうと思いながらも意外と心配そうな、と言うより自分が同じ立場だったらどうなっていただろうかと想像してしまっただけだったのかもしれない。



「いこうベルさん」ソフィアは嫌悪の表情で一瞥するとベルを誘って商店街の郊外へと足を進める。









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ミクロス区第三の島、ソレイム島。

活動を休止した火山島のこの島はかつて最西の国として貿易の拠点となっていた島だった。しかし今は転送魔法が一般化、とは言っても限られた人間しか使うことはできないが、普及した結果徐々に活気が弱まってきている離島となっていた。



その島の最も大きな港。未だ衰えをうかがわせない程人の活気に満ち溢れたカナレ港だったが、今日この時間は普段の数十倍に活気があった。


人々は口々にその話題を出しては、それを指差し驚く。いつもは漁の水揚げ高や貿易商の摩訶不思議な話が主な話題だったが今は完全に取って代わられていた。


人々が指差す先。

そこには城と見間違えてしまうほどの巨大な船が堂々と鎮座していた。


スラリと先が尖った流線型の船体。木で組み上げられ、三本の鉄製のラインが入っていた。甲板まではざっと20メートルほど。そしてその上にはさらに大きな建物が堂々とあった。

そして最も目を引くのは両横と正面に描かれた紋章。


深いパープルグリーンに真紅のユニコーンが描かれている。

それはまさしく猛々しいという言葉がふさわしかった。


そんな誰も一般人は近づくことのできない船から二人の緑翠のローブを纏った人間が降りてくる。


一人は細身で長身の男性だった。きりりと引き締まった唇。厳しそうな雰囲気を漂わせる青い目。そして太陽のような金色の髪を波風に揺らせている。

一番目を引くのは彼が背中に背負う金色の巨大な槌矛だろう。身の丈程もある長い持ち手。重量を支えるためなのかそれは非常に太く堅牢で拳銃の引き金のような持ち手があった。

そして天辺には、包帯でグルグル巻きにされて姿は見えないが、それでも溢れ出る雰囲気を抑えられない巨大な柄頭が摩訶不思議な、魔力を伴って存在していた。



彼は尊大な態度で船から降りていく。観衆の興味の目も彼にとっては栄光の証だった。


その後ろからは彼の3分の2程の身長の女性がついていく。

雪のように真っ白な髪。冷たく無関心な、病的な赤い目。そしてまるで自分の素肌を隠すように手には手袋をし、首元はバンダナのような布で隠されていた。

唯一見える顔の肌は黄色く前を歩く彼とは違う人種を思わせる。

彼女の左手には50センチ程の杖が握られている。何かの木材をそのまま使ったような無骨な、しかしどこか高貴な雰囲気を漂わせる柄。先には水色の結晶が埋め込まれた石が布のような留め具で無理矢理に固定されていた。



すると二人を迎え入れるように一人の太った男がぺこぺこと媚びへつらうようにやってくる。

彼はこの島を統治するサレイア=サラテイル。傲慢な態度で自分の保身を第一に考える男としてこの島では有名だった。


サレイアは金髪の男と歩きながら会話を始める。

内容は定かでは無いが、ニヤニヤと気持ち悪い...........もとい気味の悪い笑みを浮かべ話すサレイアには嫌悪感を持たない方がおかしいだろう。金髪の男も少々気分を害しながらも尊大な態度は崩さずに話す。

その後ろでは白髪の女性が厳しい目で二人を見据えていた。






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爽やかな新緑の風。ポカポカと太陽の匂いが香る一面緑色と色とりどりの花が咲いた草原。生き物も日を嗅ぎにきたのかざわざわとひしめきあい、その間を小川が駆け抜ける。

西に目を向ければ、どこまでも蒼く、空と同じ色に映える広大な海が広がっている。手前には陸と海を隔てるように薄茶色の砂浜が境界の役目をしている。そこには番人のように子蟹が身の丈に合わないハサミを振り回していた。



そんなのどかでどこか不思議な命溢れる大地に佇む一軒の教会。

決して大きいとは言えないただの平屋に鐘をつけただけのような不恰好な建物。しかしそこに祀られている女神は常に微笑んでいた。




ここに住む者は二人の女性だった。


一人はこの教会の主であり、誰からも慕われる明るい性格の、どこか人と感性がズレている優しい女性。


そしてもう一人は強気で勝気なケンカがめっぽう強い、しかし決して驕らずさりげなく優しい、実は可愛いものが大好きな一人の女の子だった。




今二人は教会の一室。実際はここと祈りの場しかないので必然的に二人の寝室になっているこの部屋にいた。


そして何をしているかというと、一方は立ち上がり顔を鬼のように怖い形相で一時間ぶっ通しでしゃべり続け、もう一方は正座し聞いている振りをしながらうつらうつらと船を漕いでいる。


「だいたいベルさんはいつもいつもいつもいつもお人好しすぎるんですよ!そりゃ周りの人からの評価は大事ですよ。でもそのせいでここの教会はなんか若者のサークル会場になったり、子供の遊び場になったり、老人の井戸端会議場になったりするのよ!不良みたいな奴に絡まれたときだってさっさと逃げれば良かったのになんで話の相手なんか...........って寝るなコラァァァ!」


しかしその最後の怒鳴り声が彼女を押したのか、ベルはコテンと床に倒れ、仰向けになりスヤスヤと寝息を立て始める。


そんな姿を見て一瞬本気で殴りかかろうかという欲求に満たされるソフィア。



「...........あーもう疲れた」しかし紡ぎ出された言葉はどこまでも優しく穏やかなものだった。


ソフィアは、ベルの背中と足を持ち、持ち上げる。それは所謂お姫様抱っこ。相当な筋力がないとできないそれをベルが軽いというのもあるだろうが、楽々とこなしていた。

そして隣にあるベッドの上にそっと寝させる。気温は高めだったので掛け布団は必要ないかな、と思ったが一応タオルケットはかけておいた。



「あ、これ私のベッドだ」

彼女はいつもベルが抱き枕にしている魚の解体ぬいぐるみが無いことから間違えていることに気づく。


「...........まあいいか」

昔、ソフィアが小さい頃はここには一つのベッドしかなかった。と言うよりそれがソフィアにとっては普通だった。


ソフィアは隣にある、ぬいぐるみが置いてあるベッドに腰掛けうーんと背伸びをする。いつもはこの後祈りを捧げないといけないのだが、彼女はそのまま寝転んでしまう。


「あーめんどくさ」そう呟くともう一度大きく伸びをする。


横を見ると赤と青と銀色のぬいぐるみが目に入ってくる。

青魚の解体を模ったぬいぐるみのようで、なんか怪しいおじさんからソフィアが小さい時に貰ってきたものだった。はっきり言ってどうしてこんな物を持って帰ってきてしまったのだろうかと思う。幼い時の自分はどうかしていたようだ。しかもそれを本人よりも気に入り抱き枕にするなんて。

ソフィアはどうしてこんな物を好きになるのか理解できなかった。


この部屋の装飾もそうだった。

なぜか至る所にマリーゴールドの花が置いてある。大げさに言ってるわけでなく本当に訳の分からない程マリーゴールドがある。目を向けるたび赤とオレンジが目に入る。


彼女は天井を見上げる。

流石に天井は普通だった。木製のどこにでもある装飾など一切無いただの天井。しかしそれこそが普通ではない。この教会は空き家を無理矢理にリフォームした結果できたもの。なのにソフィアがここに住んで早14年、改修や修理、果ては雨漏りもシロアリも塩害も一度も起きたことがなかった。


ソフィアはそんなことを考えながらそのまま眠気の中に誘われていく。最近やたらと眠いのは心労でもあるのだろうか。こんなに若いのに、まだピッチピチの10代なのに、やだなぁとそんな事を考えながらゆっくりと瞼を閉じる。





「見てみて!ベル!こんなにいっぱい花が咲いた!」

少女はまだ丸っこい指で赤とオレンジの花が波風に揺られ楽しく会話しているのを指差す。

「すごいねーソフィアちゃん!まだ私も一回も出来てないのにこんなに咲かせるなんて、やっぱりソフィアちゃんは天才だよ!」

まるで自分のことのようにうさぎのようにぴょんぴょんと飛び跳ね満面の笑みを浮かべる。


その姿はマリーゴールドの花と同じフワフワとそしてたくさんの笑顔が膨らんでいた。



場面が変わる。



巨大な扉。

その前に立つ一人の人間。彼か彼女か、その人間が扉に手をかざすと、何かの歯車が合致したように錆び付いた音を響かせながら、ゆっくりと開いていく。


そこにあったのは闇だった。悪も正義もない。存在しないと言う名の闇だった。だが存在しないはずのそこから、存在しないはずの空気を震わせ、この世のものとは思えない禍々しき声が聞こえる。


その声は人間には理解できない。理解できないのに求める。それは人間も闇も同じだった。





また場面が変わる。今度は一番ハッキリとした映像。

そこは夕暮れの時間だった。




「全く、いい加減に立ち退いてくれないか」太った高級そうな服を着た中年の男がベルに問い詰めている。

「こんな教会ではこの島の評判が下がるんだ。だったらこの土地を工場にしてしまった方が効率がいい。幸いにも需要はあるんだからな」


「その本当にそれだけはやめて頂きたくて」いつもならのほほんと微笑みながら返す彼女も、彼が相手の時は怯えているようだった。


「いいか?私はここの領主だ。この土地は私の物、好きに使っていいのは私なんだ」男はそう言ってうんざりしたように首を振る。そして背を向けこう続ける。

「明後日には取り壊し屋が来るからな。それまでには荷造りをしておくんだぞ」


「ま、待って」ベルは慌てて追いかけ彼の服の袖を掴む。

どうしても彼女は譲れなかった。この場所とこの教会とそして今教会にいる少女の為にも。


しかしその瞬間、切り裂くような鋭い音が鳴る。

ベルは?を押さえ地面に座り込んでいた。


「私にその汚らしい手で触るな!」顔まで真っ赤にして彼は唾を飛ばしながらしゃべる。手には取っ手がついた木の板のような物が握られていた。


ベルの?がだんだんと腫れていく。血が滲みジクジクとした痛みが彼女の顔を歪ませる。


「この奴隷出身の」そう言って再び彼は彼女を叩く。「穢らわしい」今度は脚を「化け物が」また?を「私の土地に」髪の毛を掴み自分の息を吹きかける「存在することこそが罪なんだよ」そう言って髪を離し彼女をじっと見つめる。


涙を滲ませ?を押さえる。なめらかな四肢は叩かれ真っ赤に腫れ上がっていた。息は上がり顔は上気し髪の毛は乱れ草原の草にダラリと垂れていた。


そんな彼女を彼は今度は全く違う目で見つめる。

まるで獣のような、野生に本能に帰ったかのような目。それの目で彼はベルの姿をゆっくりと舐め味わうように下から上へ見つめる。


ベルもその変化に気づいたのか身体を震わせ見上げる。太陽はほとんどが沈み、辺りは薄暗く、そして星が光り出していた。

彼の姿が星空を隠す影となって目に入る。








ケーンケーンケーンケーン!


突然響く鳥の声。

目を開けるとそこはオレンジ色のベルと共同の部屋だった。明るい日差しは消え、生き物達が入れ替わる時間帯。

窓からは夕日が差し込み部屋をオレンジ色に染め上げている。


そんな中響く激しい息遣い。ソフィアは気づくと服は汗でびっしょりで、肌着が皮膚に吸い付いていた。


「最悪...........の気分」彼女は着ていたローブを脱ぎ肌着を着替え始める。

「何か...........嫌な夢でも見たのかな」


夕日が差し込む中柔らかな肢体をあらわにする彼女はまるで妖精のように儚く不思議で妖艶な雰囲気を纏っていた。


ふと彼女は目の前にあるベッドにベルがいないことに気づく。


太陽の色からして数時間は寝ていたのだろう。それだけ経っていたらベルも起きて仕事をしていたとしても不思議ではなかった。


それなのに。それが分かっているのに、彼女の心は揺れ動く。内臓がひっくり返るような気持ち悪い感覚。身体のどこかが悲鳴をあげ、悲しみを脳に伝えている。


「...........なに...........これ」ソフィアは胸に手を当てる。モヤモヤと葛藤に似た何かが揺れ動いている。解放されたいと願う何かと抑え込もうとする何かがぶつかる、そんな感覚だった。


差し込むオレンジの光が一瞬陰る。今まで見えていた物が僅かに暗くなり、目に入る情報が僅かに少なくなる。


「ーーーーーー」


「え?」ソフィアは周囲を見渡す。


(今何か...........気のせい?)


すぐにオレンジ色の光が部屋を満たす。


「...........」


ソフィアは気のせいだと思ったのだろう、新しい清潔な肌着を取り出し身につける。そしてローブを羽織り部屋を出る。


ドアを開けると香ばしい匂いが鼻腔を刺激する。今夜は焼き魚かな、と思いながら、またいつもの日常を享受するため彼女は部屋を後にする。





-------------------------------------------------


太陽はすっかりその姿を隠し月がその代わりを務める時間帯。

生き物達もすっかり入れ替わり夜の音色が合唱曲のように壮大な音楽を奏でていた。


そんな中一人の男がそれを嫌悪の表情で聞き見つめながら、教会を訪れる。


コンコン、コンコン

「ベルラリア=レダリア!いるのか!さっさと出てこい!」


扉の向こうからネットリとした尊大な声が聞こえる。


彼はサレイア=サラテイル。この島の領主である男だ。


「何ですか?」しばらくして出てきたのはソフィアだった。面倒くさそうにそして彼を嫌悪の眼差しで見据えながら応答する。

ソフィアはどうしてもこの男が好きになれなかった。でっぷりとした腹も、ネットリとした声も、テカテカと光沢のある肌も何もかも。その理由はよくわからないがとにかくこの男を構成する物資全てと行動様式全てが嫌いだった。


サレイアは彼女の姿を見ると左肩を押さえる。

そして嫌悪の目と言うより恐怖の目で彼女を見つめる。


だから彼女はまともにこの男に取り合わない。

「...........この教会にダイエット効果のある祈りは用意しておりませんので」


そう言って扉を閉めようとする。


「ま、待て」しかしサレイアは閉じる扉に手を入れ隙間から顔を出す。


(キモいんだよ)サレイアの息が顔にあたり顔を歪めるソフィア。

このまま無理に扉を閉めて指をへし折ってやろうかとも思ったがやめることにした。そんなことをしたら困るのはベルだからだ。


「何の用ですか?」再び、さっきよりもぶっきらぼうに尋ねる。


「...........ベルさんは今不在ですけど」


「本当か?ベルラリア=レダリアはいないのか?」サレイアは少し焦りの色を出しながら再度尋ねる。


「ええ。そう言ったじゃないですか」

ソフィアはさらにイラついたのか目の下をヒクヒクと引きつらせながら言う。(こんな奴がベルさんの名前を呼ぶ価値なんてない)


「仕方がない。ならお前が応待するんだ」サレイアは早口で言う。


一体何の話なのか、ソフィアにはわからない。目的語が抜けているのだから。

「何の...........」ソフィアが尋ねようとした時。


「ベレビア教の教会か。なかなかボロボロだな」

冷たい口調なのに尊大な態度が否定できない声がサレイアの隣から聞こえる。太陽のような金髪。冷たい青い目。背中には巨大な槌矛を背負っている長身の男性。


「...........誰ですか」ソフィアはまたぶっきらぼうに尋ねる。


男はソフィアをまるで値踏みするように見つめる。

そんな男がソフィアはたまらなく気持ち悪かった。


「オリガ=マナフェクスだ。首都で政務についている」彼は簡潔に答える。「職務上ベレビア教への祈りは欠かせなくてな、入らせてもらう」


そう言って彼はソフィアを押しのけ中に入る。


「あ、お待ちください、このような汚い場所に...........」サレイアが慌ててオリガについていく。金魚のフンという言葉が似合いそうだ。


ソフィアはしばらく驚きで動けなかった。

政務を首都で行っている。それはつまり、上級魔法使い。その中でもさらに上位の存在ということ。


「おい、そこのうすのろ!さっさとこい!」サレイアの怒鳴り声が響く。その声で我に帰ったソフィアは慌てて教会の中に入る。







-------------------------------------------------



風が揺れる。激しい波が岸壁に打ち付け岩を穿ち少しずつ形を変えていく。満月の光がまるで地上に降り立った霜のように白く草木を照らしている。

草原と森林、そして荒波が押し寄せる岸壁、孤独にたったひとつ、広大な海に取り残された島。

しかしそこは生き物の溢れる命の島だった。


「...........みんなもう寝ちゃったか」女性の声が島にこだまする。月光に照らされベージュ色の髪が不可思議な色に光っていた。


「仕方ないだろう、レダリア」不思議な声だった。確かに聞こえているのに響かない。まるで心に話しかけているかのような声。


しかしそれに反応する声はない。ただただ波が打ち付ける音が聞こえるだけだった。


「聞こえているのか?」声は少し不安そうに尋ねる。それにつられたのか草むらからウサギやイタチが顔を出す。

皆心配そうに彼女を見つめる。銀色に輝く儚い少女。かつての姿と同じ。彼らの記憶にあるのと同じだった。


「ええ。多分...........」彼女は答える。悲しそうに後悔と懺悔の色を含めた声。


「そんな声を出さないでくれ」彼は声の調子を変えない。しかし風の向きは確実に変わっていた。


「ねぇタキ」彼女は彼の名を呼ぶ。


「久しいな名前を呼んでくれるのは」


「あなたもここに連れて来てくれるのは久しぶりね」


そう言って彼女は漆黒に包まれた彼に近づいていく。

そっと手を伸ばし彼のくちばしを撫でる。彼もそのままくちばしを彼女の肩に乗せる。


「懐かしいね」彼女は彼の頭を撫でながら言う。


彼は何も言わなかった。生き物達もその言葉が聞こえた瞬間ぴたりと動きを止める。島が本当の静寂に包まれる。


彼はしばらくの間沈黙していた。


すると沈黙に耐えられなくなった波風が突風を吹かす。

「きゃ!」

マフラーが飛んでいく。風に乗ってどこまでも遠くへ。

彼女はゆらゆらと揺れながら宙に舞う不思議な羽衣を見つめる。

そっと手を髪に当て、もう片方で再び彼の頭を撫でる。


もう取り返すことのできないただの布。そうね、それはまるで私の命。


「レダリア」彼はようやく口を開く。


「なに?」


「死ぬなよ」


「やだ、私が死のうとした事なんてあった?」

そう言って彼女は彼から離れ、空を仰ぐ。


「見て、綺麗な月」彼女は指を指す。

彼も、それを見るために彼女から目を離す。


(...........何年一緒にいたと思ってるんだ。バレバレだというのに)

彼はさして興味もなかったが月を見続ける。波飛沫の音の中、水滴が落ちる音が妙に耳をつく。


「そう言えば」しばらくしてから彼が喋り出す。「...........」


「?どうしたの?」彼女は首をかしげまた彼に近づく。


「...........この月をきっと彼も見てるんだろうなー」彼はさっきまでの重々しい雰囲気とは一転おちゃらけた感じでいう。


「は、は?!なな、何言ってるのよ!別にあいつのことなんか」


「誰もあいつのことなんて言ってないがな」ニヤニヤと、実際はニヤニヤできないのだがニヤニヤして言う。


「あいつはレダリアの大好きなフィアンセだからな」そう言ってちらりと彼女を見る。


「フィフィフィフィアンセななんて、そんなわけ無いのに...........」

彼女は顔を真っ赤にしたまま俯く。白銀の光と真紅の肌が、ベージュ色の髪で混ぜ合わさっていく。


(おい、あの写真持ってこい)彼は近くのカモメにそう伝える。


「私がいくらアプローチしたってあの鈍感は気づいてくれなかったし...........」彼女は俯きながらブツブツとしゃべる。

(まあそりゃいつもの天然のせいだと思われてたしな)


「バレンタインでチョコあげたら鳥のエサと勘違いするし」


(そりゃ出来栄えの問題だったな)


「しかも、しかも私の裸を見ても無反応だったのよ!」


(いや、その時多分あいつ心の中で爆発してたぞ)


心の中でツッコミを入れていく。そんな昔に戻ったかのような感じが彼はたまらなく好きだった。


「おい、レダリア」そう言って写真をくちばしにくわえヒラヒラと見せる。

「これなーんだ」


その写真は彼女とあいつが夕日の中k...........

「うわああああ地の文黙れーー!」


「はは、これは傑作だったな」そう言って彼は波風に写真を委ねる。

この島は全てが彼女の味方だった。比喩ではなく本当にこの空間は全てが彼女のために作られたものだった。


彼女は風に揺られる写真を追いかけウサギのようにぴょんぴょんと飛び回る。それにつられて生き物達も一緒に駆け回る。それはどこにでもある少女が楽しく遊び回る光景だった。


彼は願う。どこまでもこの光景が続いて欲しいと。そしていつかはあの白銀の髪を持つ少女も。


だがそう思った瞬間彼の脳裏に電流のような痛みが走る。

彼は何かを悟ったかのように彼女を見る。


「レダリア...........」彼の声は一転緊急事態を告げていた。


「偵察鳥が4羽やられた...........」

振り向いた彼女に前置きなく事実を伝える。

「ソフィアが危ない」




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「我が智、我が知、我が血の全てをあなたに捧げ我が名をここに誓い...........」


長い長い祈りの言葉。オリガがここで祈り始めてから早1時間が経過していた。

その様子をサレイアは尊敬の眼差しで、それとは対照的に、ソフィアはつまらなそうな顔で見つめる。


ベレビア教は原則、偶像崇拝を禁止している。その理由は定かではないが、その為に教会は殺風景なものだった。そして祈りの際は首都にある、女神ベレビアを表した銅像に向かって祈りの言葉を捧げる。


それでもソフィアは他の教会よりは綺麗だと思う。奥に飾られたマリーゴールドの花。赤とオレンジが鮮やかな朱色を作り出し、月光がその色を鮮やかに洗練させていく。


「我の力を、我の知力を、我の...........」

まだ続く祈りの言葉。


(ベルさんはこんなことしない)

ソフィアは欠伸をしながらそう思う。


ベルはいつも祈りは手早く済ませてしまう。だいたい5分、長くても10分くらい、それも理由は、「本当に祈りに来た人に対して何もできないって恥ずかしいからね」だった。

それでいいのか、とツッコミを入れたがベルは笑って、

「ベレビア様はね、もう私達を十分守ってくれてるの。だからそれ以上望む者には、あんまり御加護を与えたくないんだって」

まるで聞いてきたかのような言葉。そうベルに言うと

「ふふ、実はあってきたことがあるんだ。内緒だよ。またいつかソフィアちゃんにも合わせてあげるよ」

そう言われたのはかなり幼い頃だった。子供心に信じてはいたがだんだん記憶から薄れていった何気ない会話。それを今思い出すとはなんとも皮肉なものだった。


「我を加護し、我に智と力を与え、それを永遠とせんことを」

オリガは最後まで言い切り俯き沈黙する。


確かここから長い沈黙があったはず、と頼りない記憶を頼りに思い出すソフィア。


外では虫が嘶き鳥の寂しげな声が聞こえる。


やっと終わったのかオリガが金色の髪を揺らしながら立ち上がる。


ソフィアはやれやれと面倒くさそうに息を吐く。窓から覗く光はすっかり外は深夜の色を出し、藍色の空が輝いていることを示していた。



「さて、思いの外有意義な時間が過ごせた。まるで首都の大聖堂にいる時のような感覚だった」


(そいつの態度を直してはくれませんかねベレビア様)ソフィアは心の中で呟く。

とは言えやっと面倒くさそうなのが帰ってくれそうだ。それだけで彼女の心は少し明るくなっていた。


「さてそれでは」


「ええそれでは早くこの汚らしい掘っ建て小屋から出ましょう」サレイアが手をすり合わせながらオリガに近づいていく。

「ほら」そしてオリガに言っている時とは全く違う声でソフィアに言う。

「さっさと扉を開けるんだ」


でっぷりとした指で扉を指すサレイア。


そんな彼に本気で殺意が湧きそうになる。

(落ち着け、困るのはベルさんだ、落ち着け)必死で心の奥底で自己暗示をかけ続けるソフィア。

そしてなんとか笑みを取り繕うと、「はい、ワカリマシタ」と言う。

そして彼を案内するように近づく。


しかし彼は突然手を挙げそれを制す。


「いや、よい」オリガが唐突に言葉を発する。

それを聞きソフィアもサレイアも疑問に思いオリガの方を振り向く。


彼は背中から巨大な槌矛を降ろしていた。柄頭が床につき、ドスンと言う音が教会全体を揺らす。


「あの、失礼ながら」サレイアがおずおずと頭を少し下げながら聞く。

「何がよろしいのでしょうか?」


オリガは腰を下げ、上目遣いになっているサレイアを冷徹な目で見る。

そしてほとんど面倒くさそうに口を開く。


「そこの女に、扉を開ける必要はないと言ったのだ」


サレイアから目を離し、ソフィアを見ながら言う。


ソフィアはさっぱり訳がわからないという目でオリガを見つめる。

サレイアはと言うと自分よりソフィアの方を見るオリガに不満を抱いているようだった。



「要は」オリガが少しイライラした口調になる。

「こういうことだ」


そう言った後、彼は先程手に持った巨大な槌矛を持ち上げる。

すると包帯でグルグル巻きにされた頭頂部が揺らめき出す。光が包帯の僅かな隙間から漏れ出し部屋を照らし始める。


「何を...........」ソフィアがそう呟いた瞬間、オリガが柄頭を床に強く叩きつける。



瞬間、彼女の目に入ったのは、柄頭の細い先を中心に空間が抉られる光景だった。





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目を覚ましたのは轟音のせいだった。瓦礫が飛び交い、ガラスが割れ、花が無残に引きちぎられる。


その中心に存在するのは太陽のように光り輝く槌矛とそれを操る魔法使いだった。


「...........何で...........」ソフィアは身体を動かそうとする。しかしどうやっても動かない。そして下腹部にかかる妙な圧迫感。なんとかそれを見ようとするが首が言うことを聞かない。


そんな彼女はただただ見続けるしかなかった。教会が、自分の家が、思い出が、無残に破壊されていくのを。


「やめて...........」

だが彼女は必死に抗う。もう元に戻らないと知っていても。


「やめてよ!」大きな声が破壊音を貫く。

すると轟音が止み辺りが一瞬で静寂になる。


「どうしたのだ」オリガが彼女の方を向き問いかける。


「何で、こんな事を...........」ソフィアは必死に言う。口の中は既に鉄の味でいっぱいだった。


「なぜ、か」オリガは顎に手を当て少し考える。

「強いて言うならば、この教会が本物に近すぎるからだ」オリガは揺るがない言葉を突きつける。

「本物の教会は首都のキラタニア区にある大聖堂のみだ。それ以外は全て贋作であり、偽物だ。本物と同じではベレビア教の教えに反する」


そう言って彼は教会の中心。祈りを届ける祭壇に槌矛を向ける。

「本物は一つが美しい」


祭壇が爆発する。


「そんな理由で...........」崩れる祭壇の音に紛れて彼女の悲痛な声が響く。


「そんな事で...........」

その時彼女の心に生まれたのは、決して悲しみの青い哀愁漂う思いではなかった。


オリガは槌矛を祭壇の隣、小さなドアがあるところに向ける。


そこはソフィアとベルの二人の部屋。二人が寝食を共にし、笑い、泣き、喜んだかけがえのない、小さな小さな部屋。


「やめろ...........」口から漏れ出す声。それはまるで自分ではないような、しかし、自分の声。


どす黒い常闇が心から溢れ出す。湧き上がる恨みが彼女を支配していく。




ドアが吹き飛び中からオレンジ色の花びらが舞い散る。



「やめろ...........」


すると急に身体が軽くなる。まるで今まで重りを身につけ生きてきたかのように。目の前が鮮明に輝き出す。あらゆる情報が増大していく。


槌矛が輝く。オリガの表情は全く揺るがない。




気づくと彼女は走り出していた。立ち上がった瞬間、石が落ちる鈍い音が耳に入る。

真っ直ぐオリガを見据える。そんな中目の端にサレイアが丸い体をさらに丸く小さく縮め震えているのが入る。


今更、オリガの前に立ったからといって何かが変わるわけではない。自分が助かる保証もない。だが彼女は本能的にまるでそうプログラムされたかのように走り続ける。



ソフィアはオリガを目の前に立つ。彼の金色の髪と太陽のような槌矛が真っ直ぐ彼女を捉える。

だがそんな状況だろうとオリガは物怖じしない。


ただ機械的に魔法を放つだけだった。


彼の唇が動く。

それは魔法の詠唱。上級魔法使いはこれを一瞬で行う。相手に自らの魔法を気取られないために。


しかしソフィアには理解できた。魔法など生まれてこの方一度も見たことがない。しかし彼女は完璧にその意味を認識した。


衝撃系魔法 攻撃は物理的 有効なのは結界魔法


彼女は大きく息を吸い込む。放つ魔法は決まった。この時彼女を支配していたのは思い出を守りたいという感情、そしてそこに彼女の意思はなかった。


身体中の魔力を集める。血液が流れるように循環し続けるそれは魔法の源。


そして詠唱を行う。呟くように、心を叫ぶように、自分を信じハッキリと相手を見て。


結界(ベイル)


その瞬間彼女の目の前が真っ白になる。


最後に彼女が目にしたのは驚愕に目を見開くオリガの姿だった。



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夜がすっかりと顔を出し、満月が白く冷たい光りを放ち空気が静寂に包まれる中。


彼女は藍色の空を漆黒の鳥に乗り風のように舞っていた。


「レダリア、そろそろ着くぞ」



巨大な鳥は背中の彼女に呼びかける。


「嫌な空気だ、魔法の匂いが立ち込めてる」


そう鳥が言った瞬間彼女はサッと青ざめる。目は今にも泣き出しそうに弱々しく光り、唇は震えていた。


「何個?」ベルは壊れそうな声で言う。


「2個だ...........」

絶望的な言葉を言うように呟く。すると背中の彼女は強張ったように顔を引きつらせる。


「もう降りる」ソフィアはそっと言う。


「...........わかった。真っ直ぐ走れ。ここからならすぐ教会だ」


「うん。...........ありがとう」


一気に降下していく。満月の光りを浴びながら波風に揺られる草原が近づく。


「レダリア」


「何?タキ」


「おま...........いて.............がと.........だっ...........な」


「...........うん。ありがとう」


もう聞こえないんだ。ごめんね。本当に本当にごめん。


彼女はタキの背中から飛び降りる。草原がクッションとなり彼女を支える。


さよなら。みんな。


彼女はタキに背を向け走り出す。


それを、助けてられない自分を恨みながら、壊れそうな彼女の背中をただただ見つめ続ける。


決して彼だけでない。それを見続け同じ思いに囚われたのは。助けれられない自分たちを恨み任せるしかない罪悪感を感じたのは。それだけは確かな事だった。


(どうか彼女にベレビア様のご加護を。そして永久の幸せが来ないことを。)

 彼女の幸せを知っている彼だからこそ心の底から彼女を思いそう彼は誰にも聞こえない声で呟いた。


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