存在すべきでない人
ちょっとした怖さを味わっていただけると嬉しいです。
「終点です。お忘れ物がないようにお気をつけください」という声ではっと目を覚ました。
「しまった!」
終電の中で眠りに落ちてしまった。
普段なら終電に乗った時は絶対に寝過ごすことがないようにしていたのだが、出張から帰ったその足で同僚と飲みに出かけ、疲れもあったのだろう。心地良い電車の揺れの中で眠りに落ちてしまった。
寝ぼけた体を無理やり起こしながら椅子から立ち上がりドアの前に立った。
ここで降りるのは自分だけなのかな?
開いたドアの外を見渡すと、後ろの車両のドアから二人の人影がこっちに歩いてくるのが見えた。人影を見たことで少し安心し、自分も改札に向って歩き始めた。
終電のドアがため息のような音をたてて閉まり、明かりと共に闇に消えていった。
この線の終点駅には未だかつて来たことがなかった。
構内は薄暗い灯りが少しあるだけではっきりと周りの景色が見えないが、自然がかなり多いようだ。空気が都会のそれとは違うのを感じた。周辺には明かりが少なく、人があまり住んでいない田舎なのだと思った。
「さてと、困ったな……」
タクシーで自分の住む町まで帰るか?
ここからだと五千円は軽く超えるだろう。
歩きながら今夜一晩の身の置き場を考えた。
改札には着古した制服の駅員が一人いた。
「お疲れさまです。寝過ごしたんですか?」
私は照れ笑いをしながら応えた。
「ええ」
乗り越し分のお金を駅員の前にあった清算箱に入れた。
私が入れた金額をチェックする様子もなく、終電の清算というのはこんなものなのか?と少し拍子抜けした。
改札の外をチラッと見たが、タクシーは一台も止まっていなかった。
「あの……、この周辺にタクシーか宿泊できる場所はありますか?」
「はい。タクシーはほとんどここには来ないんですが、ビジネスホテルがあります。ここから真っ直ぐに歩いて、三つ目の交差路を右折するとあります。二十分ほどかかりますよ。」
「ありがとう」
ありがとうという言葉ではなく、助かったという言葉が思わず口から出そうだった。何もない場所で始発までやり過ごすのは到底無理だと思ったからだ。
早速ビジネスホテルに向って歩き始めた。今晩過ごす場所があるのだから、後はホテルまでのんびり歩けばいい。
駅から五分程歩いた辺りで私の横を老人が早足で通り過ぎた。
老人は歳の割りに早足で、私に向って「急がないと最後になるよ」と言った。彼は私を追い越してからも変わる事のない早足で、最初の横道を曲がり道の奥に小さく見える家の明かりに向って消えていった。
ここら辺りに住んでいる人なのか……。
「急がないと」と言われても、こちらは既に最終駅にきてしまってるわけだから、今更急いでも家に帰ることもできない。
彼の言葉をあまり深く考えることもせず、人影のない道を更に歩みを進めることにした。
真っ直ぐに伸びる道の左右には明かりが点々としかなく、男の自分でもこんなに薄暗く知らない土地を一人で歩いていくのは正直心細い。
誰か同じようにビジネスホテルを目指す人がいないのかと後ろを振り返りって見た。
すると、駅の方から太った中年の男性の影がこちらに向って歩いてきていた。どうやら乗り越して泊まりを決め込んだのは、私と彼の二人らしい。一人じゃないというのはこういう場所では特に心強さを感じさせるようだ。
気持ちに余裕があると、周囲を見渡す余裕ができた。
駅の周辺にはここが栄えた町である証は何も見つからない。
小さな店が数件のみで、いずれも閉店後に電気さえつけていない。
田舎で住民が少ないのであればそれも仕方ないか。
真っ直ぐに伸びる暗い道を夜の風に吹かれながら歩いていると、後方から男の荒い息遣いが聞こえてきた。
首を軽く捻り後ろを見ると、さっきこちらに向って歩いくるように見えた太った中年男性の影の本体だった。
さっきの老人も早足だったが、この中年男性も額に汗を浮かべながらかなり急いで歩いている。のんびり歩いていた私は、彼に軽く追い越されてしまった。
「そんなにゆっくり歩いていたら最後の一人になるよ!さぁ、急いで、急いで!」
彼は私を追い越した後、息を更に荒げながら走りはじめた。
もしかしてビジネスホテルは閉まってしまうのか?
不安に感じて少し自分の歩みも早めてみた。
男が三つ目の角を右折して姿が目の前からいなくなってから数分後、今度は後方から鈴の音とスニーカーが舗装した道路を跳ねてくる音が聞こえてきた。
私が最後ではなかったのか?
音が私に追いつく前に角を右折し、音の主が角から姿を表す頃に後ろを振り返った。
音の主はスニーカーを履いた学生服姿の女子高生だった。
彼女はこちらの方に角を右折することなく、急いでいる様子で走り去った。
彼女の学生カバンについていた鈴が、彼女の走る姿と同じように飛び跳ねているのが印象的だった。
やはり彼女も最後になるのがイヤで走っているのかな?
そんな風に考えたのだが、彼女の横顔にはもっと何か違う、切羽詰った感があった。
こんなに遅くに帰ったら親御さんに怒られるんで必死なんだろう。
自分の中で納得できる理由をつけた頃にはビジネスホテルの自動ドアの前についていた。
入り口に入るとその横には小さなフロントがあり、従業員男性が一人「お泊りですか?」と声をかけてきた。
「はい。終電で寝過ごしてしまったもので……、シングルの部屋、空いてますか?」
従業員は笑顔で宿帳を差し出し、ホテルの入り口を翌朝の4時まで閉める旨を話した。
「ここは田舎なもんで、終電が終わった後もずっとホテルを空けて置くことはないんですよ。入り口を閉めることで防犯にもなりますから」
「なるほど……、それで終電の客はみんな急いでいたのかな?」
その言葉を聞いたからなのか、従業員の口元はへの字になり少し何かを考えている表情を見せた。
「いやね、私が歩いている時に追い越していった人たちみんなが同じこと言ってたんですよ。急いで!最後になっちゃうよ!って……」
私はそう言いながら宿帳記入を済ませた。
「それは……、また別の理由の方だとは思うんですけどね」
「別の理由?」
「たまに来るんですよ。背後から鈴の音を響かせながら必死に走ってくる女子高生がいる。ずっと後ろから同じ音が聞こえてきて怖かったって、そう言ってここに飛び込んでくる人がいるんです」
「その女子高生って、スニーカーを履いた?」
従業員は宿帳の記入に目を通しながら話を続けた。
「五年ほど前の話しなんですけどね、かなり遠くにある私立の学校に通う高校生が殺される事件があったんです。学校の帰りにバイトしていたこともあって、帰りが終電になった日、襲われて殺されたものだから……まあ、出るんでしょうね」
私が見た鈴の音と共にスニーカーを履いた走る女子高生は、幽霊だったのか?
「ここは終電から下りて歩く人はいつもごくわずかで、タクシーやバスもない。店も開いてない。終電から降りて一人で歩くはめにでもなれば、誰かに襲われても助けを求めることすらできません。ここに怖いと言って飛び込んでくる人はみんな最後の一人になって歩いていた人たちだから、殺された女子高生には最後の助けの綱として見えるのかもしれないですね」
その話を聞いて、鈴の音の主である女子高生の顔を思い出したのだった。
彼女の表情に見えた切羽詰まった感は、そういう理由があったのか。
怖いというよりも、自分が見た「存在すべきでない人」はとても悲しく思えた。
「事件の目撃情報は少ないものだから、未だに犯人は捕まっていないんです。
そういうこともあって、ここであった事件を知ってる人は最後にならないように急ぐのかもしれませんね」
そう言いながら従業員は私に部屋の鍵を差し出した。
「なるほど……」
死して尚、必死に誰かから逃げるように全力で走る女子高生がとても哀れに思えた。
私は鍵を受け取り自分の部屋に向って歩き始めたが、思わぬ従業員の言葉が私の足を止めた。
「せめて駅員くらい置いたらいいのにとは思うんですけどね……」
「駅員……?」
「ここは昔からずっと無人駅だから、今も駅の職員は一人もいないんですよ」
彼女が今も必死で逃げるのは、「存在すべきでない人」の存在があるからだとわかった。
本当に怖いのは死んだ人間ではなく、生きている人間だとよく言われます。まさしくその通りなのかもしれません。