オーバーヒート
時は無慈悲に過ぎて往く。
望まぬにも関わらず、それでも自らの歩みを強いられる行進は、一種の精神的拷問にも思えた。
結局、千尋は特に具体的な考えも思い付かないまま、指定の場所を目前にしている。
ビヤガーデンのある屋上広場〝スカイドロウ〟を備える商業ビルは、既に全館が終業している。
館内は最低限の照明しかついておらず、薄暗い。当然、ヒトっこひとり見えず、千尋以外に何かが動いている気配も無い。夢か何かの光景のようだ。
道すがら、武器になりそうな物でもないかと周囲を見て歩いたが、千尋の居る10階は飲食街とあって期待できない。キッチンに包丁くらいはあるだろうが。
屋上はこの上。専用エスカレーターに乗って行く事になる。
停止して動かないエスカレーターを、中間から中腰になって昇る。昇り切る頃には四つん這いになっていた。
エスカレータの終点は、目の前が屋上の入口になっている。一面がガラスの扉になっており、スカイドロウを見渡す事が出来る、ようだ。身を低くしている千尋には、その手前しか見えていないが。
(ここでー……、間違ってないと思うんだけど)
暗視機能のおかげで闇を見通すには問題ない。どうせなら勇気も欲しいブリキのロボット。
〝オズの魔法使い〟では、勇気を求めるのは臆病なライオン。ブリキのロボットは、確か心を求めて旅をした筈。
ならば稀沙羅は、いったい何を求めてあんな無茶をしだしたのか。
この騒ぎが終わったら思い切って問い質さねばなるまいなぁ、と千尋はヘンな決意を固めていた。でないとまたこんな事に巻き込まれる。人生で2度も巻き込まれれば、もう十分過ぎるのだ。
「フー……………………………………………………、行くか」
諦観半分、おっかなビックリ千尋は腰を伸ばす。
他力本願な事この上ないが、千尋に打てる手はもう打った。後は出たとこ勝負である。
身体がサイボーグなだけの千尋には、結局こんなのばっかりだった。
◇
そこはまるで、空に浮いているようにも見える。
屋上スペースのスカイドロウは、中心付近から外側へ向かって一段低くなっていた。入り口周辺のお客様も夜景が見易いように、と配慮した構造だ。
攻める側には待ち受ける伏兵を発見し辛いリスクがあるが、通常は設計の段階でそんな事想定しやしないのである。そりゃそうだ砦や要塞じゃないんだから。
キョロキョロと左右を警戒しながら、閑散としたビヤガーデンのテーブルを縫って千尋は進む。その姿を監視カメラが追っていた。
中央の一段下った段差の手前まで来ると、その向こうは絶景だった。ウォーターフロントの夜景が形作る光の点と線の幾何学模様に、くっきりと隔てられる漆黒の海。これはこれで素晴らしいが、夕暮れ時ならさぞかし美しい夕陽が見られるのだろう。
「どこに行っても……、風景ってのは綺麗だな」
日常では感じられない感動。それを感じてしまうのは、今の自分が非日常に居るからなのか。
だとしたら、ゲンキンなモノである。これで無事に日常へ戻れたら、今の気持ちをまた忘れてしまうのだろうから。
(でも、また来よう)
意外に余裕があるのかもしれない。
それも、稀沙羅を無事に連れて帰れたらの話し。
「お……」
「ッ――――――千尋さ……」
「ようこそ。熱烈に歓迎するよ、マキナチヒロくん」
視界の端に稀沙羅の姿を見つけたのと、相手が千尋に気が付いたのが同時だった。
稀沙羅は千尋がサロンバスを離れた時と同じスーツ姿だ。とりあえず、生きているだけでもホッとした。後少し考え過ぎてた。千尋の取り越し苦労でよかった。
しかし問題は、同席するもうひとりの方だった。
見た覚えのない男だ。
金髪で、整った顔立ちをしてる外国人。二枚目ではあるが、何故だか美形とは言い難い。涼しい表情の中で見え隠れする、ギラギラとしたモノのせいだ。
背は170センチの千尋よりも大分高く、体つきもガッシリしている。だが太くはなく、寧ろ虎や豹といった猫科の猛獣を思わせるスマートな体形。
分かりやすく、千尋の危機センサー(自前)が警報を鳴らしていた。
「ワザワザこんな所までご足労かけて申し訳ない。どうぞ、カプチーノで良ければ」
「あ、ハイ、どうも……」
そんな危険人物(憶測)に勧められて、素直に席に着いてしまうのもどうかと、千尋自身思ったり思わなかったり。
しかもその男、千尋と稀沙羅を残して席を離れてしまった。
千尋はまるで、授業中に先生の目を盗んでするように、声を潜めつつ稀沙羅に接近。
「で……あの、どう聞いていいか分からないんですけど、どうしてこんな事になってんです、先輩?」
何と言うかもっとこう、アグレッシブでバイオレンスな展開をなんとなく想像していた千尋にしてみれば、肩透かしを食らった感じ。
「何を呑気な事を言ってるんです千尋さん!? どうして来ちゃったんですか!!?」
稀沙羅は切羽詰まった様子で千尋に問うが、どうしてもこうしてもない。
「先輩が浚われたとか、で、名指しで指名されればそりゃ来ますよ……。先輩こそどうして週に二度も誘拐されちゃうんですか」
「それを言わないでくださいぃー……」
情けない事実をズバリと言われ、稀沙羅は目に見えて小さくなって半泣きだった。千尋だって泣きたい。
「わ、わたしの事は良いんです! それより! あの人たちのッ……あの人たちの狙いは千尋さん、あなたなんですよ!?」
「あー……、やっぱりー……」
「『やっぱり』って……」
特に論理的な確証があったワケではなかったが、稀沙羅を目的とした営利誘拐なら千尋を呼び出す理由が無いのだ。千尋の戦闘能力を知った上で呼び出したのならば尚の事。
加えて、千尋を呼び出したのがたった一人のイケメンだけとくれば、その正体も相手の成算も、何となく分かりそうなものだった。
この時点で千尋はどっぷりと敵の手の内。楽観的な要素は皆無。悲しいくらいに予想通りの展開だった。
「お待たせしました、っと。どうぞ、冷めないうちに」
「どうも、あ……ありがとうございます」
差し出された湯気を立てるカップを前に、やや逡巡する千尋。毒が入ってた場合とかこの身体はどうなるんだろう。
出されたものに手を付けないのも気が引け、男の視線を感じて居心地を悪くしながら、千尋はカップに口をつけた。
口当たりが優しく、仄かに甘いクリームに、香ばしいカカオパウダーの香り。しかしホッと一息という気分でもない。
「うん……、飲めてるね、やはり」
「……?」
微笑ではあるが、男の眼は鋭く、千尋から離れなかった。
何を言いたいのか分からないが、そりゃ飲めるだろう、口から流し込めば胃に溜まるんだから。千尋の場合は胃とか腸があるのかが疑問だが。
「チヒロくんはあれかな、消化とか吸収の機能なんかがあるのかな。それとも単に食べたフリして後からそのまま排出するとか?」
「――――――――ゴッップ!!!?」
「千尋さん!!?」
千尋の疑問をそのまま口に出されて、カプチーノが逆流した。胃腸の実在は分からないが、とりあえず普通の人間同様に喉と鼻は繋がっているらしかった。鼻の奥がツーンとして痛い。
「おあー……」
「フッ……フハッ! ハハハハハハハ―――――――!」
鼻と口を押さえて涙ぐむ千尋の姿を見て、男は声を出して笑っていた。
稀沙羅の方も、カプチーノの泡状のクリームが千尋の眉毛にまで飛んだのを見て笑いを堪えていた。顔を背けるような配慮をするより、肩を震わせるくらいウケたのならば、いっそ正面から笑って欲しかった。
秋風が冷たい。
しかしカプチーノと一緒に短期記憶まで吹き飛ばしている場合ではない。千尋は半泣きになりながらも一応緊張を保っている。
何故ならば、この男はやはり知っているからだ。
千尋の身体が、機械仕掛けであることを。
「いや本当に面白いな君は。私なんかより遥かにハイスペックなのに、まるっきりただの男の子じゃないか。機能的なものあるのだろうが、そこは君のメンタルに因る所が大きいのだろうね」
高校生の千尋としては『男の子』と称されるのは少々プライド的に痛いが、そんな事は言っていられない。
金髪の危ない二枚目は、科白の端々に千尋の心に引っ掛かる言葉を含ませている。聞き間違いか思い違いだと思いたいが、男の目線は完全に千尋をロックオン。これなら稀沙羅には、もう今すぐ帰ってもらいたい。
「えーと……、オレが呼ばれたって事は、先輩―――――江柳先輩ってあんまり関係なくないですか? てか多分要りませんよね? 帰ってもらってよくないですか?」
「千尋さん………………」
身を案じてもらっているのは痛いほど分かるが、ちょっと要らない子扱いされたようで悲しかった。家族や友人にだってそんな扱い受けた事がないお嬢様である。
だが申し訳ない事に、稀沙羅に気を使う余裕は、今の千尋には一切ない。
なにせ、自分から場を急転させる本題を切り出そうというのだから。
「つまるところ、サイボーグなオレに用なワケですよね? どうして知ったんです? 何の御用で?」
度胸は怪しいが虚勢は張れる。ひと月前の開き直りを思い出して、堂々と相手に向き直って見せた。見透かされているのも、半分は織り込み済みで。
『サイボーグ』と千尋の口から出た事も驚いたが、その雰囲気の変わり様に稀沙羅は驚いていた。虚勢は虚勢でも、実際にドツボの修羅場を生き抜いた虚勢は伊達ではない。
危うい二枚目は、薄い笑みを変えないまましばし沈黙していたが、
「悪いね……お譲さまはまだ帰せないそうだ」
その笑みを消して言う。本当に少し悪びれていた。
「我々と彼の事を知った以上、そのお嬢様を今すぐ帰す事は出来ない。その後を決めるのも我々ではないが………。でもキミには、もう一つ選択肢があるだろう?」
「…………」
男の耳には、『同僚』の不穏な動きの真意を質す、焦りを含んだ声が聞こえている。
雇われの身な金髪の二枚目ではあるが、本来誰かに従ってみせるような男ではない。それは同僚にも分かっていた。有能で、希少な男ではあるが故に多少の独断も許してはいた、が。
『何を考えている、レブ。クライアントの指令はAWG製サイボーグの確保だ。今回は貴様の遊びにかまけている余裕は無いぞ……!」
『性能を見極める一環だよ。あのプカプカ浮かぶマシンヘッドを破壊した戦闘能力、近くで見たいと思わない?』
『性能なら十分見た筈だ。万が一破壊すれば元も子もない……! それに分かっているのか、時間をかけ過ぎれば〝センチネル〟が――――――」
『万が一、オレに破壊されるようなら雇い主も欲しがらんと思うけどね』
『それは貴様の判断する事ではないぞ……、レブロン!』
耳と口を使って交わす会話ではなかったが、危うい金髪の男『レブロン』は耳を貸す気は一切ない。仕事なんかよりも、自分の心の方に従う男だった。
一方の千尋の心境として、半分は、この期に及んでもどうにか逃げられやしないかと考えていた。
もう半分はもう諦めていた。
「あの……、一応、念の為にお聞きしたいんスけど、1.浚われる、2.殴り合う、以外の選択肢とか…………」
「思い付かんね、特に」
「あー……そうです………かッ!!」
「ヒャッ――――――――!?」
諦め。後退の極致に到って、人は前進以外の選択を持ち得ない。言うなれば後ろ向きの極み。
昭和の伝説、卓袱台返しを危うい二枚目に向かって決めると、覚えたての必殺技(?)、〝バースショット〟をテーブルごと相手へと叩き込む。
本人としても信じられない事に、千尋は自分から仕掛けた。こっそり追い詰められたネズミ状態だったので、勇気はそれほど必要ではなかった。
木製のテーブルは千尋の力の前では紙に等しく、易々と貫通して危ない二枚目の顔面を捕らえる。
「ッ―――――――――!!」
しかし、その異常。
稀沙羅が至近距離に居て全力は出せないにしても、飛ばす気で殴ったのに、テーブルの向こうの男は僅かに脚を退いたに留まっている。
外れて欲しい予想がまた一つ、現実に近づいてしまった。
(やっぱりこいつ……ただの人間じゃない!!)
常々千尋は考えていた。
漫画や映画で見る、ある日突然超能力とか特別な力に目覚めた人物。彼は(あるいは彼女は)、その瞬間自分が無敵になったかのように錯覚して、その力を自分本位に振るい始める。
彼らは想像すらしないのだろうか。自分以外にも、同じ力を持った者がいるのではないか。
そんな相手が他にいるのなら、自分は無敵でも何でもない事に。
ましてサイボーグとは、どんなに大仰でも科学技術の産物に過ぎない。理屈と理論さえ正しければ、万人が使えるのが科学技術である。
つまり、千尋がサイボーグとしてこの世に実在する以上、他に存在しないなどと誰が保証出来ようか。
「―――――――オレ以外の……!!」
「見せてもらおう、国連のサイボーグの性能とやらを! なーんてッッ!!」
千尋の拳は、テーブルを貫いてから不自然に減速させられた。そのまま引き抜く事も出来ず、テーブルを間に挟んだまま千尋の身体が引っ張られる。
「ッッ――――!!?」
千尋の体重120キロ+5人は囲める木製テーブルの重量が軽々と振り回された。そのまま、ダンボールか発泡スチロールにでもするように、軽々と放り投げられる。
受け身も取れず、千尋はテーブル諸共コンクリートの床に叩き付けられた。
最初の落着でテーブルはバラバラに壊れ、千尋は他のテーブルとイスを薙ぎ倒しながら転がされる。
「くゥッッ!!?」
屋上入口前まで転がされ、ようやく回転が止まった。複数の観音開きのガラス戸が連なっている、千尋が入ってきた所だ。
そのガラスに、立ち上がろうとしている千尋の姿と、上から見下ろす危ない金髪男の姿が映る。
「フぉッ―――――!?」
「フハハッッ!!」
立ち上がりざま、驚いた千尋は無意識に両手を突き出し身を守ろうとする。
その手が掴まれ、レブロンと真っ正面から組み合う形に引き込まれた。
「いいね、力比べか!」
「ぐうッッ!!?」
千尋の両拳は、レブロンにガッシリと掴まれている。千尋は立ち上がる途中で、レブロンに上から押さえ付けられる状態に。
「ッおお―――――!?」
(強い……けど……!!)
ギッギッ、と本来ヒトが立てない音が二人に伝わる。
身長差もあり、体勢は千尋が不利に見える。が、
「ぅんん……!?」
組み合う腕が少しずつ下がり始めた。レブロンの笑みが野生を増す。
(パワーは、彼が上か!)
レブロンは上から押し潰すつもりだったが、予想を超える千尋の力に方向が逸らされてきた。
このままでは、地べたに手を突かされる事になる。それは少々格好悪い。
「――――フンッ!!」
なので、レブロンの方から力の方向を変えた。上から押さえつけるのではなく、真横へ。千尋の拳を掴んだまま強引に投げ飛ばす。
屋上入口の、一面がガラスの扉へ。
「ぅおおッッ―――――――!!?」
千尋の身体は分厚く重いガラスを突き破り、昇って来たエスカレーターを跳び越えて下まで落ちる。
最初に投げ飛ばされた時から何十回転もしているが、千尋の脳が自動で補正をかけてくれるので、目を回さずに済んでいた。でも痛い。身体が軋む、感じがする。
「いでで……でも痛い方が…………いや、やっぱり……」
屋上の一階下のフロアから一階まで、吹き抜けになっている。
吹き抜けを囲む欄干を手掛かりに、千尋は身体を持ち上げる。痛みが無い時は気持ち悪いと感じたが、痛ければ痛いで無くしたい感覚。人間ってのは難しいもんだ。
(身体……手は平気か? 怪我は……いや、いいかそっちは。先輩は――――――)
仮に怪我を負っていたとしても、千尋にどうにか出来るものでもない。怪我よりも優先するべき事がある。
まだ気持ちが浮ついている。足下が定まらない。それでも、稀沙羅は無事に取り戻さなければならない。
いや取り戻すとか、別に千尋の物ではないのだが。
(にしたって、いきなり打つ手無いんだけど……。バーストショットも全然止められてるし力負けしているし)
実は性能は千尋が上なのだが、本人にはそんな事は分からない。喧嘩もほとんど経験が無い。
「なんか他に武器とか無いのこの身体!?」
千尋の想像通りに、この身体を造ったのが例の声だとしたら、聞きたい事は山ほどある。が、今はとにかく有効な武器が欲しい。
だというのに、こんな時に天の声は全くの沈黙を保っている。何がしたいのか分からない。
「……無い物強請りしてもしょうがない、か」
思えば、身体能力的に遥かに格上でいられたからこそ以前の事件の時も無茶が通ったワケで、身体能力で負けている、という状況は経験が無かった。ただの人間だった頃は、そもそもそんな相手に刃向おうとは思わなかったし。
(先輩は……大丈夫だろうな。とにかく引き離そう。で、上手く逃げてもらおう。アレ相手に勝つとかは多分無理だから、こうなったら先輩が逃げる時間を稼ぐ方向で――――――――)
冷静に考えているつもりで、実はしっかりテンパっていたりする。力負けしたのが精神的にキている。
不意を打ってフルパワーでブチ込めば、どんな相手でも倒せる。そんな過信もあったのかもしれない。そして、ダメだった時の事を考えていなかった。
考えているようで何も考えられず、そんな感じで具体的な考えが何も固まらないうちに、
ドゴンッ、と千尋のすぐ側に何か大きなモノが落下した。
反射的に千尋が顔を向けるのと、床を割って着地したレブロンの後ろ回し蹴りが、千尋の腹に突き刺さるのが同時だった。
「ッ――――――フ!?」
吹き抜けを囲う欄干をブチ割り、千尋が空中へ蹴り飛ばされる。
千尋は重力に従い、吹き抜けから斜め下のCDショップへ落下。商品の陳列棚を破壊しながら、壁際まで飛ばされた。
「ッ~~~~~いでぇえええぇえ………やっぱムリむり無理い……。痛いの痛いのどうやって飛ばすのこれ!!?」
120キロの身体が20メートル以上フッ飛ばされれば、内臓くらい破裂しててもよさそうなもの。ところが千尋には、呼吸困難すら起こっていなかった。
だとしてもだ、何度も言うが痛いものは痛いのだ。痛覚ってどうやって消せるのだろう。
痛む腹を抑え、自分が倒した棚を手掛かりに立ち上がる千尋。
しかし、一息つく暇などない。
前方に、吹き抜けの上から跳躍してきた危ない二枚目が着地し、その勢いで千尋へと突進してくる。
「おわぁ!!?」
何も考えずに千尋は拳を振りかぶり、突っ込んでくる相手へ全力で叩き込む。
それをレブロンは紙一重で躱わし、逆に千尋の腕が取られる。
気が付いたら千尋はまたも振り回され、360度回転させられ背にしていた壁に叩きつけられた。
「ぐゥ――――――――――!!?」
爆発したかのような音を立て、千尋の身体がコンクリートの壁をブチ破る。そこは玩具売り場のレジカウンター裏だった。千尋の足元には、カウンターの後ろに積んであった発売直後のゲームソフトが散乱している。
「うごォ…………ド、〝ドラゴン・ハードⅢ〟? 明日じゃなかったっけ――――――――」
その販売店は、発売予定日より一日早く売っていた。明日、地元の店に買いに行こう。
「――――――ぉおあッッ!!」
小さな決定をした千尋は、勢いを付けて振り向き拳による打撃を放つ。
腕が伸び切る直前に分割され、空気を爆発させて飛び出す拳と腕は、千尋本来の射程に倍する距離を打ち抜いた。
拳は、千尋が身体で空けた(空けさせられた)穴のド真ん中を穿つ。
「クッ……!? やるね!!」
そこから千尋を追い打ちする気だった男の顔を掠め、千尋の打撃は金髪を数本と、右耳を根元から切り飛ばしていた。
「――――――ぅイ!?」
人間の耳を落としてしまった。
嫌悪感と罪悪感が千尋を覆い、一瞬思考を止めてしまった。戦いに慣れた相手に、その隙は大き過ぎる。
「次は、オレのターン……!」
自分の耳の事など気にした様子も無く、目にも止まらぬといった速度でレブロンは懐へ手を突っ込んだ。
千尋が認識出来たのは、懐から出た男の手が自分の肩に押し当てられた瞬間のみ。
耳元で爆音が聞こえたその時には、千尋の身体はプラモデルコーナーに突っ込んでいた。
◇
予想も出来ない千尋からの先制攻撃で、稀沙羅は余波だけでイスごとひっくり返っていた。
タイトスカートが腰まで捲れ上がって、千尋には見せられない姿になっている。黒だったが、今はそれどころではない。
立ち上がった時には、戦場は建物の中へ移っていた。
何枚ものガラスが砕ける音が長く続く。音で現場を察した稀沙羅は、何も考えずに走った。
屋上入口のガラスの扉は破片として床に散らばり、エスカレーターまで続いている。
動いていないエスカレーターに妙な気分を味わう。下に降りた所で、吹き抜けの欄干がへし折られているのが目に入った。
慌てて下に落ちないように、腰を低くして開け放たれた欄干から下を見ようとする。
稀沙羅の見下ろす先で、斜め下のCDショップで爆発音が起き、中から煙が噴き出してきた。
千尋の願いとは全くの裏腹に、計算も希望も置き忘れてしまった稀沙羅は、吹き抜けを回り込む階段から急ぎ階下へ向かう。
走りっ放しで付いていけなくなった身体が、酸素を求めて喘いでいた。
とりあえず動ける分だけ酸素を取り入れ、再び顔を上げて走りだそうとする。
そこで、再びの爆発。
「キャ――――!!?」
凄まじい爆音に混じり、稀沙羅のすぐ横を何かが飛んでいった。
衝撃波でフィギアの陳列棚が粉砕され、模型の箱が破裂したかのような勢いで散らばり、何かが家電売り場のテレビを纏めて薙ぎ倒す。
60インチの薄型テレビを半分砕いて止まったその物体は、肩を真っ黒に炭化させた千尋だった。
◇
ビル内の全ての監視カメラは、2機の戦闘を逃さず追いかけていた。
監視していたのは2名。レブロンのコントロール役であり、情報方面での補佐も役割とする男。そして、千尋へ声を降らせる女だ。無論、二人は別々の場所から戦いを見ている。
その女の方。戦闘を観察し、データを取りながら、彼女は大いに不満だった。
(ようやくのメインイベントなのに、実戦の経験に差が有り過ぎて性能発揮しきれないじゃない。やっぱり都合が良かったとはいえ、ただの子供を使うよりはAIにでもしといた方が………、って自動制御じゃ意味ないし)
躯体のモニタリング画面では、人型のCGが肩を中心にした範囲をオレンジに染めている。その箇所に、赤い英語の表記とタイムカウントが踊っていた。
(ナノスキンサーフェイスが一部欠損して結合破断……復元不能……。インナーフレームにまでダメージいって修復まで……。このままじゃ破壊されるわね。いったい何をどうしたらあんな破壊力を……?)
監視していた彼女も、千尋が何をされたのかは確認できなかった。
想定の範囲内を起えている。千尋は全然自分の能力を発揮出来ず、相手には予想もしない隠し玉があった。
ちょっと拙い展開かも。
性能では圧倒的に上だと高を括っていただけにまさかの展開。
いざとなったら何振り構わず手を出さねばなるまいか。
焦れつつある彼女に、足下に気を配る余裕は無かった。
◇
自己診断プログラム、実行。
右肩部に機能障害。ダメージコントロール、行動補助開始。
インナーフレーム、修復開始。
ナノスキンサーフェイス、修復開始。セル231560-AACA~セル235531-ACAS、ノーコンタクト。
と、言われても千尋には何の事やらさっぱりわからない。
千尋の目の前には、毒々しく赤い文字や数字が羅列されている。江柳稀沙羅の誘拐に際し、ワゴン車と正面衝突した時と同じだ。
だから千尋にどうしろと言うのか。こんなもの表示されても、千尋に機械や工学的知識は皆無である。どうにも出来ん。
つまる所、千尋本人が自身の身体の破損をどうにも処置出来ない、という事実。
泣けた。
上に乗っていた大型液晶テレビを除け、立ちあがろうとした時に初めて身体に違和感を覚える。何故か物凄く動き辛い。
「ッ……グッ……?」
立ち上がろうとして出来なかった。右手、というか右腕全体が言う事を聞かない。
目を向けて見ると、右肩は真っ黒に変色しており、何が何だか分からない。
「……なに? ……どうなってんのコレ?」
出血は無い。裂けてはいるが、中に骨などは見えない。拉げ、抉れているが、なにがどうしてそうなっているのか、自分の見ている物が理解できない。
自分の身体だと認識するのは難しかった。
「ち、ちひろ、さ………」
自分の目の次は、耳を疑う事態が。
誰かの声が聞こえたと思いそちらを見ると、最初にヒールの靴が片方脱げた脚が目に入り、更に目線を上に向けたならば、
「………あ」
学校の先輩が、千尋を見下ろして青い顔をしていた。
「―――――――ッッッ何やってんスか先輩!! さっさと逃げてくださいよ! こんな危ないとこで何してんの!!?」
屋上に居るのならまだいい。
それが逃げ出しもせず、一体どうしてこんな危険な所で油を売っているのかこのお嬢様は。
「ふぇえッ!? ぃ……で、でも千尋さ――――――――」
「さっさと逃げる! 死にたいのかアンタはッ!!」
これまでにない千尋の怒声に、稀沙羅は逃げるどころか腰が抜けそうになった。
何の為に自分がこんな目に遭ってるんだか。厳密には稀沙羅のせいではないのだが、何の力も無いお嬢様が、フラフラとこんな所に来ていれば腹も立つ。
稀沙羅の近くで暴れるのは危険すぎる。うっかりぶつかっただけで、普通の人間では死にかねない戦いだ。
面倒な時に面倒な事になった。
つまり、テレビゲーム的に言うと、
クリア目標:NPC(稀沙羅)を死なせずにタイムアップを迎える。
だがこのNPCは頭が悪かった(失礼)。苦労するのは千尋である。時々ありますよねそんなゲーム。
「……急いで下に降りて保護してもらってください。もう来るでしょう。こっちはオレが止めときますんで」
「警察を呼んだんですか!?」
「普通は、こういう時警察を呼ぶんです」
「で、でも千尋さんは―――――――!!?」
稀沙羅がそれ以上何か言う前に、千尋は立ち上がって駆けだした。右腕の事は考えないようにした。
千尋は右利き。左が無事だとは言っても、使い分けができるほど器用ではない。
今は稀沙羅を巻き込まぬよう距離を取りたい。それだけを考え、自分を吹き飛ばしてくれた危ない二枚目へ立ち向かう。
◇
レブロンはディスクケースの散乱する売り場内で、自分の左手の具合を見ていた。
千尋の右肩を破壊した一撃は、常に余裕を保つ二枚目にしても痛手となった。本来は中距離から対象を攻撃する対装甲ロケット弾である。それを、腕を砲身として放つレブロンの奥の手。
正確には、そのひとつ前の手だが。
しかし、ゼロ距離の密着状態で放つのは想定されていない攻撃方法だ。あるいは破損するかも、と思ったからこそ左手を使ったが、案の定問題が起こった。
「……ふむ、至近から貫通させるつもりだったが……、『ナノスキン・サーフェイス』か」
『破壊しなかったのは不幸中の幸いだ。遊びは終わりだ。任務に専念しろ!』
「……発射システムが応答しないな。リロード不可か」
『もう片方があるだろう、いい加減に――――――――――――』
「彼を本気でどうにかしようと思ったら………100発は必要だぞ」
離れた場所に落ちた千尋が、手負いの猪のように突撃してくる。とても『ウリ坊』と小馬鹿に出来る勢いではなかった。
千尋の右腕は見るからに破損しいて、まともに動くとは思えない。だが迷いも見られない。
目が合うと、千尋が床を砕いて一気に加速してくる。
レブロンはバックステップで、千尋との接触直前に間合いをはかった。軽やかでシャープな右のジャブが、千尋の顔面を捉えて勢いを削ぐ、
筈だった。
「グッ―――ぅえあッッ!!」
「おッ!?」
逆にレブロンのジャブが弾かれ、体勢が崩れた。千尋はそこに突っ込み、オーバースイングの素人パンチを炸裂させる。
加えて、出し惜しみのないバーストショット。
見え見えのテレフォンパンチなら簡単に回避できる。レブロンにはそれだけの技量がある。
ところが、千尋の打撃には型も真芯もありやしない。
「ぅッ……うぉおお!?」
「―――――――らぁああああ!!」
どこに飛んでくるか分からない打撃。躱わしたと思えばおかしな軌道に沿って向かってくる。
本来ならそんな素人パンチなど怖くはないが、その素人パンチが鬼のように強力だった。
躱わし損ねた拳を直前でガードするも、ガードごと吹き飛ばされる。
レブロンはフロアを支えるコンクリートの円柱まで後退。だが、一瞬もそこに止まれない。
コンクリートの円柱は、レブロンが回避した直後に千尋によって半分を抉られた。
(ッ……!? 出鱈目だな! 連射できる上にあの威力か!?)
爆発こそはしないが、威力はレブロンのロケット弾並み。しかも短時間で発射準備が整い、連続で攻撃が可能。
疲れ知らずのサイボーグなら、終始攻撃し続ける事が出来る。それこそ相手を破壊するまで。
左右で2発のロケット弾どころではない。レブロンが滅多打ちにされないのは、使っているのが素人だからだ。
(片腕を潰しておかなければやられているな。後は脚か、あるいは左の腕を潰せれば……!)
千尋の暴風圏から距離を取ったレブロンの右腕が、縦方向へ3分割された。内部に黄色い先端の弾頭が見える。
解放型砲身に変形した腕が千尋に向けられ、千尋は何も考えずに全力でぶつかりに行く。
接近距離でロケット弾が発射された。
発射用のガスが噴出され、白煙がレブロンを巻く。
白煙の中からロケット弾飛び出すと、千尋の顔はすぐ前にあった。しかし、集中力の極みにある千尋はそれを回避して見せる。
素人とは思えない流れるような横移動と、直後に来た体当たりにレブロンは反応出来なかった。
ブチかまされた瞬間、戦車にでも撥ねられたかと錯覚するほどの衝撃が二枚目を揺さぶる。余裕も一緒に彼方までフッ飛ばされた。
「カッ――――――――ハァァアア!!!」
千尋の内側で煮え滾る熱が、真っ白な呼気になって吐き出される。
眼には敵の姿しか見えていない。スッぽ抜けたロケット弾による背後の爆発も、千尋は気に留めない。
ガラスのエレベーターシャフトを身体で叩き割るハメになったレブロンは、留める物無く一階まで一気に落下した。
頭に血が上っている千尋は、20階の高さも躊躇する気は起きない。レブロンを追いかける為、エレベーターシャフトに飛び込もうとし、
「――――――――――――い、イヤッ! 誰、だれか助けて!」
「………!? ッとっとっと!!?」
その悲鳴で我に返り、急ブレーキをかけた。
重い身体が慣性に引き摺られて床を滑るが、どうにかギリギリで踏み止まる。
悲鳴は稀沙羅のモノだ。その存在を思い出して青ざめる。千尋に当たらなかったロケット弾は、後方で爆発していたのだ。
(巻き込んだ!?)
声の方向に取って返すと、案の定稀沙羅は拙い事になっていた。吹き抜けから屋上方面へ向かう螺旋階段が崩れかけ、そこに稀沙羅が引っ掛かっている。もう崩れて落ちるまで何秒も無い。
「クソッ! このダメNPCー!?」
プレイヤーの関係ない処で死にかけるな、と叫びたいのを要約してみた。繰り返すが、稀沙羅のせいではない。
崩れた階段の手前に千尋が滑り込んだのと同時に、稀沙羅諸共に階段が崩れ落ちた。
「千尋さ―――――!!」
「ぐぅ―――――――!!?」
稀沙羅の手が千尋に伸びる。
千尋も手を伸ばすが、階段が壁から剥がれ、ふたりの指先が空中で擦れ違った。