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ソリッド&スーパーソリッド



 所を移し、千尋は日本海に面したある埠頭ふとうの前にいた。

 稀沙羅は密かに鼻息も荒く、戦意の高揚(こうよう)が見て取れた。実際に修羅場に立つのは千尋なのだが。

 結局、何一つ明確に出来ないままに、とんでもない事態が強制スクロールSTG(シューティングゲーム)の如く推移している。

 そもそも千尋が江柳家へ赴いた本当の目的は、江柳稀沙羅(こうりゅうきさら)が千尋の身体について何かを(・・・)を知ってしまったのか否か、それを知る為だった。

 その筈だったが、気が付けば大した面識もなかった学校の先輩と、アクション映画(まが)いの現場にお邪魔している。

 現実感が希薄で足下が揺れるこの感じは、実に一ヵ月ぶりの感覚だった。一生分のアクションはもうこなしたと思ったのに。

 しかし、『美人の』先輩に弱み(・・)のある千尋が何を言えるでもなく、どうしてこうなったと自問する暇も与えられない鋼(?)のサイボーグ。どんな弱みかは、お嬢様の名誉の為に申し上げられない。

 政治家や警察や公安や不良の時とは違い、この相手からは逃げる事も不可能だった。


 ここまでの移動に使った、10トントラックと見紛うばかりに巨大なサロンバス。というかトラックに見えるように偽装してあるのだが、その外見とは大きく異なり、内部は高級ホテルのようにしつらえられている。

 豪奢な革張りのソファーが高級ガラステーブルを挟んで置かれ、隅にはバーカウンターまである。

 壁面には90インチはあろうかという大型モニター。カウンターの内部には冷蔵庫。空調も効いている。まるで走る貴賓室だ。残念な事に窓がなかったが。

僭越せんえつながら、このようなモノを用意させていただきました。そうそう何度も紙袋、というワケにもいかないでしょう?」

 埠頭に到着する少し前に部屋を出て、すぐに戻ってきた稀沙羅の手には、銀色のジェラルミンケースがあった。良い予感がしないが、かと言って受け取り拒否も出来ない。

 楕円のガラステーブルにケースを置き、開いてみると、その中には一見して正体が不明な物体が収まっていた。

 どこか期待するような稀沙羅の視線を感じつつ、その物体を手に取ってみる。

 重力に引かれて垂れ下がった物体は、ペラペラと平べったいヒト型になっていた。

 ペラペラと言っても素材自体はそれなりに厚手だ。非常に頑丈な布地といった印象。

 右腕と左足、それに目の周り、口とその周りの部分が深紅になっており、それ以外は真っ黒。だがよくよく見ると、全体が細かいモザイク模様にもなっている。格子毎に微妙に色の濃さも異なっていた。所謂いわゆるデジタル迷彩、または都市迷彩パターンだ。

 ここまで観察して、千尋は自分がぶら下げている物体の正体を、お嬢様に問い質さずにはいられなかった。

「これ……なんです?」

「正義を行う者でも素性を隠す事は必要ですわ。千尋さんには言うまでもない事だとは存じ上げてますけど」

 そりゃ全くの同意見だが、どうしてそこで千尋の話になってしまうのか理解できない。あるいは理解を脳が拒絶しているのか。

 この時点では、千尋には稀沙羅の心は理解できないし、またその手がかりもなかった。

 それよりも当面の問題は、千尋の目の前にあるコスプレスーツへの扱いである。


 移動高級密室にて、得体の知れない美人の先輩の発する謎の圧力に抗する事も叶わず、観念して千尋はコスプレスーツに袖を通す事となった。

 このサロンバス、なんとシステムバスまで付いており、着替えはその中で行う。

 着替えを終えて洗面台の姿見に映っていたのは、顔まで覆う全身ウェットスーツのような物に身を包んだ千尋の姿。いや、確かにこれなら中のヒトの正体など知る事は出来まい。

「………顔隠す人間を入店禁止にするワケだな、こりゃ……」

 自分がその立場になって、しみじみと鏡の前で項垂れるコスプレ男。しかも怪しさで言えば、コンビニにフルフェイスのヘルメットの方が遥かにまともであった。

 特撮戦隊モノ、さもなくば仮面ライダーのライバルの如き格好になった千尋がシステムバスから出てくると、その姿を見た稀沙羅はこの上ない程に瞳を輝かせる。

「完ッ―――――璧ですわ千尋さん! ACDのデザイナーに発注した甲斐がありました」

「え……『ACD』? デザイナーって??」

「千尋さんが気にされるような事ではありませんわ」

 ちなみに〝ACD〟とはAmerican comic developmentの略で、アメリカの漫画出版社である。

 最も古い歴史を持つ出版社であり、現在に至るまで多くの漫画を出版し続ける最大手だ。

 千尋もアメコミを読んだ事があれば、自分の格好にその匂いを感じる事が出来ただろうが、そうでない人間にとっては、単なる奇抜なコスプレに過ぎないのである。

 今からヒト様には見せたくない特撮的なコスプレをして、非合法な兵器取引を潰しに行くのか。お盆と正月に晴海に行くのとはワケが違うんだぞ。

 半ば呆然と現実逃避していたコスプレ千尋だったが、フィルターがかかりまくった稀沙羅には何やら非常にカッコよく見えていたらしい。恍惚とした表情をしていた。

「……ひとつ、千尋さんに確認をしておかなければならない事があります」

 しかしその表情を引き締めた稀沙羅は、神妙な声色で切り出す。

「その……千尋さんには……決まったお名前とかはあるんでしょうか?」

「……はえ?」

 恥ずかしいコスプレ男に名など要らぬと申すか。

 かなりネガティブな思考に落ちて、応える言葉を持たない千尋だったが、その沈黙に稀沙羅は内心で胸を躍らせていた。

「まだ決めていませんのね……。姿同様に本名を秘する為にも、特別な呼び名は当然必要になります。ですから―――――――」

 首を傾げ、ややワザとらしく稀沙羅は考える素振りを見せた後。

「―――――――か、仮にですけど……例えば〝バッグアームズ〟、と、言うのはどうでしょう?」

「え……なんですその、……なんです……?」

「あ……あの……ま、最後に『マン』が付いている方がいいですか? 千尋さんは伝統派ですか??」

「え? 『伝統』?? え???」

「な、何にしてもヒーローに名前は必要です!」

「い、いや『ヒーロー』って!? 何そのなんかそれなんか恥ずかし過ぎます響き的に対象年齢がアレ過ぎて!!」

 女心は常に計り知れないが、これならよっぽど美波先輩の方が分かり易いヒトだった、と。

 ひとりで勝手にテンパり出した先輩を前にして、千尋は微妙に(二人の先輩に)失礼な事を思っていた。


                         ◇


 しおれた草木の有様で、千尋がサロンバスの外に出ていく。

 自らの思い描く理想のヒーローの後姿を見送った稀沙羅は、バス内の別の部屋へと移動した。

 部屋は一面がディスプレイになっており、十数面に分割され様々な映像を表示している。

 バスの内外の監視カメラ映像。軍用UAVから送られてくる埠頭の航空映像。千尋のコスチュームに仕込まれた外部カメラに、装着者のコンディションを計るモニターセンサー。奪取目標の資料映像。気象予測図。音声のみの警察無線。

 そこは、稀沙羅の用意した即席の司令部だった。

 前線で戦うスーパーヒーローを補佐する脇役の部屋。華々しく活躍するヒーローには、常にそれをサポートするサブキャラクターが存在するのだから。

「聞こえてまして、千尋さ……ば、ば、バッグアームズッ!? バイザーに埠頭のマップと目標の方向を表示します。安全なルートを表示しますから、警備に見つからないように移動してください」

『は、はーい……』

 無線(インカム)で話しかけながら、手元のタブレットPCに指を走らせ千尋へ映像を送る。

 移動基地たるサロンバス。インターフェイスであるタブレットPCと、情報作戦室のシステム。格好だけではない耐久力と高度な電子装置も組み込んであるヒーロースーツ。そして、この状況。

 全て稀沙羅が、この3日の間に寝る間を惜しんで揃えた物だ。


 稀沙羅は普段、家が資産家だろうが祖父がグループのトップであろうが、自らは(つつ)ましく生活してきた。一般の感覚とは異なるとはいえ、贅沢もしてきたつもりもない。金や立場に物を言わせた我儘(ワガママ)なども皆無だった。

 しかし今回は、手段を選ばなかった。

 江柳のお嬢様は自らに許された権限と資産をフル活用して、偶然手にした奇跡の宝石を磨きまくったのである。

 いや、ここまではただの下準備。本当に磨くのはこれから。

 稀沙羅は遠足を翌日に控えた子供のように、身体が内側からハチ切れそうなほどワクワクしていた。


                         ◇


 何やらテンパって熱くなった稀沙羅から逃げるようにして、千尋はサロンバスの外に脱出した。そして、そのまま行動開始時刻に到る。

 最初の印象と大分違う、どころの話ではない。得体が知れない、自分と違う異世界の生き物といった様相を呈してきている。

 千尋にとって、稀沙羅はもはや畏怖の対象である。

 どこか現実感が希薄なままに、マスク内臓ディスプレイに表示されたナビゲーションに従い、千尋は暗い埠頭の中を進んだ。

 海に面して全長2キロに延びるコンテナ埠頭(ターミナル)。立ち並ぶ巨大なガントリークレーンが夜闇に巨人のようなシルエットを形作り、見上げるちっぽけな侵入者を無言で威圧する。

 深夜でもコンテナを乗せたトラックが行き交い、ツナギにヘルメットの作業員たちが働いている。

 千尋は積み上げられたコンテナの隙間やその上を、可能な限り身を隠しながら目的地へと向かった。

 薄汚れた白い船体に、赤いラインが描かれた貨物船がライトアップされている。大きく脇腹を開放し、無数の木箱を積み込んでゆく。

 初めて忍び込んだ美大の中や、高層ビルの屋上から見下ろす下界、そして夜の埠頭。目の当たりにした新たな世界に、千尋は再び意識を奪われていた。

『バッグアームズ? 何か問題が発生しました?』

「え……いや、何でもいないっス! これ、後どのくらいで着きます?」

 稀沙羅から通信が来ると、千尋は岸壁に停められている大型トラックの下に潜り込む。

 『バッグアームズ』、と呼ばれるのにも慣れない。何度呼ばれても慣れる気がしない。そして稀沙羅も照れるなら言わなければいいのに、と千尋は思う。口に出す勇気は無い。

『そこからだと直線で約200メートル。コンテナ群に紛れれば見つからずに接近出来ると思います。問題の貨物船はそこからでも見えますわね?』

「あー……はい、あの青いヤツですね」

 船体の上下を青と白で塗装された、専用のガントリークレーンを持った全長約350メートル、全幅約42メートルの大型コンテナ船。その3Dワイヤーフレーム映像が、千尋の視界の右上に表示された。

 稀沙羅の言う事が事実ならば、無数のコンテナに混じって問題の試作兵器が積み込まれている筈であった。

 フと思ったが、まだ詰み込まれてなかったらどうするんだ。

 積み込み済みであって欲しいような欲しくないような、微妙な心持であった。

 千尋は誰かに見られていやしないかと周囲を(うかが)いつつ、トラックの下から這い出し、改めて遠くにあるコンテナ船を見る。

 その姿を誰にも見られていないつもりの千尋は、実はしっかりとある男に見られていたりする。


                        ◇


 稀沙羅の提案通り、『バッグアームズ』こと千尋は、真っ暗闇に近いコンテナとコンテナの間をそろそろと進んでいた。

 ここまでは問題なく来られたが、ここから先はそう簡単ではなくなる。

 稀沙羅が先んじて埠頭上空を飛行させている無人偵察機(UAV)は、貨物船とその周囲に多くの警備がいるのを捉えていた。当然、その情報は稀沙羅を通じて千尋にも届く。

『警備しているのはただの警備員ではありません。〝ドラケンSSセキュリティーサービス〟の社員です。黄竜グループのPMCですわ』

「ぴ、『PMC』って何でしたっけ?」

 PMCとはPrivate Military Companyの略称で、軍に代わって戦力を提供する民間の会社だ。傭兵派遣会社。または高度な戦闘能力を有する警備会社と言っても良い。

 どこぞの黒スーツ達を思い出してウンザリする千尋は、コンテナの隙間からその向こうを覗こうとした。

「……あれ?」

『どうしたましたか、バッグアームズ?』

 警備に就いている強面こわもてのひとりに集中すると、その人物の姿はモザイク状に分割されてしまった。

 目が壊れたのか、修理とかどこに頼めばいいんだ、等の考えが一瞬で浮かんで汗が噴き出す(気がする)千尋だったが、慌てて眼を逸らしたその時には、正常な視界を取り戻していた。

「………!?!?」

『バッグアームズ? どうしました千尋さん!?』

 ただでさえこれからひと悶着起る可能性が大だというのに、ここで故障は困る。

 ややうろたえ(・・・・)ながら、再現性のある異常なのかと、もう一度視界を拡大してみる。すると先ほど同様に、目の前の映像が格子状に分割された。

 そこで気が付いた。

(あ……このマスク……ディスプレイが仕込んであるから……)

 正確には有機EL製ディスプレイシートだった。マスクには、千尋の視覚情報をフォローする為の映像デバイスが仕込んである。

 ところが、それがかえって千尋本来の機能を妨げてしまっていた。性能でいえば、薄いヒーローマスクにどうにかこうにか仕込んだデバイスと、千尋の眼球そのものである視覚デバイスでは比べ物にならない。

 千尋の目がどれほど高性能でも、これではテレビやパソコンの画面に密着して、望遠鏡で見ているようなものだ。

(だがしかしッ……脱ぎたいなんて言ったら先輩が何言いだすか分からん! それは怖い!!)

 加えて、見てくれはアレ(・・)だが正体を隠すに有用であるのは疑いようがない。脱ぐ事に関しては色々と問題があるようだし、このままいくしかない。

(てか十全に身体が使えるとかそういう事じゃなくて、そもそもオレが殴り込む事自体が既におかしいんだけど……)

 そんなのは初めから分かっている事だが。

 腰が引けまくっている、改めて現場を覗き見る新米ヒーロー〝バッグアームズ〟(合掌)。

 アテになんてしたくない自分の目の望遠機能も、こうなると使えないのが不安を誘う。

 1000メートル近い高空から現場を監視している無人観測機(UAV)は、通常の望遠カメラに赤外線、暗視カメラを搭載する高性能機であり、その映像は稀沙羅から千尋に送られている。それでも、自分の目(?)で見ない事にはどうにも安心出来ないものがあった。

(まぁ……見た感じデカイ銃とかはなさそうだし……、目的は……あれ?)

 稀沙羅に引き摺られるようにしてここまで来てしまったが、ひと口に『密輸阻止』と言われてもやり方が分からない。

「先輩?」

『は、はい! どうしたんですかバッグアームズ? 何かありましたか?』

「いえ……、それより今更何なんですけど、オレって具体的には何をどうすればいいですか?」

 今からでも警察に丸投げしたいが、どうも稀沙羅は自分でカタをつけたいように思える。もっとも、千尋を尖兵にしているが。

 いや本当に、こんなヤケッパチな手段じゃなくて、もっと他にやりようがあるのではないか。


 作戦目的を再度確認する。

 目標は、黄竜のグループの重工業部門〝ワイバーン〟と大村倉石重工業機械が共同で開発した試験試作兵器。

 この字面だけで、既にただの高校生には手に負えない感が満載だったが、千尋はこれの裏取引阻止に動かねばならない。

 して、その具体的な行動だが。


>兵器に接近

>ブツを奪取、または破壊


「なにそのマッドアバウトな作戦」

 年上の女性への気遣いとか礼儀とかを彼方の地へと置き忘れ、ただ千尋は(つぶや)く他なかった。自爆攻撃だって、もう少し細かな指示があるだろう。

『警備は〝ドラケンSS〟の人間が行っていますが、ただの人間です。なので、えーと……わ、わたしはバッグアームズの力を信じます!』

「ちょっとねーさん……」

 会社組織に入って、美人の上司に仕事の丸投げとか無茶振りをされるのはこんな感じだろうか。残念な事に千尋はマゾではない。

「せめてモノがどこにあるとかどう行けば見張りを()わせるとか見つかったらこうしろとかダメっぽかったら逃げろとかあるでしょう? 捕虜って民間人でもなれましたっけ?」

 そもそもここは戦場ではないし相手は軍隊ではないし千尋は兵士ではなかった。つまり色々な意味で無理。

『問題の試作兵器は船倉の一番奥にあると思われます。マップと赤外線映像をリアルタイムで送信していますから、敵との遭遇は可能な限り避けて、万が一遭遇した場合には―――――――――」

「『場合には』?」

『倒してください』

「どうやってです?」

『…………………殴って?』

「……………」

『………ダメ?』

 簡単に言ってくれるが、千尋は未だに自分の全力を把握していない。ただ、大抵のモノは殴れば壊れる。

 そんな力で人間を殴った挙句を、千尋は何度も経験済みだ。骨は折れ、血袋が裂けてヒトが飛ぶ。その感触は千尋の拳に、腕に、身体に残って()びのように動きを鈍らせるのだ。

「なるだけ平和な方向で………」

『…………ですわよね?』

 変な間があったが、お嬢様の深淵なお考えを、千尋如き平民に察し得る筈もなく。

 どうしようもない違和感と後ろめたさに後ろ髪を引かれながら、観念して千尋は移動を再開する。


                        ◇


 無人航空機(UAV)というハイテクによる後方支援。

 その道のプロなら涙を流して有難がる所だろうが、生憎(あいにく)と千尋はただの素人だ。上空からの鳥瞰(ちょうかん)図も重ね合わせの赤外線映像も、それが実感として頭に入ってこない。便利で高度なシステムも、使いこなすには訓練と慣れが必要だった。

「……い、今どこにいるんだ、オレ……?」

 そうしてコスプレ男は、上部甲板の端っこで迷子になった。

 コンテナの高さは約2メーター半。それが5段6段と重ね合わせになり、甲板上には無数のコンテナが小山を成している。上から見ると、キーボードのようだった。千尋はさながら、キーとキーの間に迷うアリといった感じか。


 岸壁のすぐ海側は、2メートルほど低い足場のような部分がある。干潮だったのが幸いで、千尋はそこを行く事で、誰にも見つからず船に接近出来た。

 コンテナ船を岸壁の係留柱ビットへ繋ぎ止め置く係留ロープ(ホーサー)をよじ登り、これまた運良く船に忍び込めた。

 そこまでは良かったのだが。

「……地図が良く分からない」

 船の見取り図も、観光用に作られた分かり易い地図とは違う。階層ごとに図が分かれていが、それで階段は何処にあるのだ、と千尋はと言いたい。図面が細か過ぎる。そもそも自分がどこに居るのか分からない。

『千尋さんの現在位置は船首側右舷の位置です。中に入るには、えーと………船首中央の少し広くなってる所にハッチが……あ、ダメ、多分入れない……。それだと……甲板(こうはん)室、ですね。そこからなら船倉に直接入れます』

「『こうはんしつ』ってどこにあるんですか?」

『船のほぼ中央に立つ塔のような建物です』

 要するに艦橋ブリッジや船長室、船員室を備えた船上建造物だ。コンテナ林から垣間見える、垂直にそそり立つ巨大な壁。

 約25メートルで、船上にあるというだけで高層ビルと何ら変わりはないそれは、夜闇を背景に威圧的な存在感を放っていた。

(そりゃ、あそこからなら下にだって行けるだろうけど……)

 でも船の主要機能が集まっている所って、つまり人も多いんじゃないですか。

「他には入れそうな所は?」

『船尾に緊急時に使う脱出ハッチ。あと壁面に入れそうな所もありますけど、難しいと思いますよ?』

 それに、あまり時間をかけると船が出港しかねない。

 結局一番ヤバそうな所から行くしかないのか。

 千尋の心臓が早鐘を打ち、脳に血液が行き過ぎて頭に圧迫がかかる。心臓と脳があればの話だが。

 こうなると、もはや全てが上手くいくよう天に祈るしか出来る事はなかったが、早々にそんな必要もなくなる。

 何故ならば、最初のコンテナの角を曲がったその途端に、ジャストタイミングで見回りの船員と遭遇してしまったのだから。

「は……?」

「~~~~~~!!?」

 互いに不意の遭遇で硬直する。お見合い状態の船員とコスプレ男。そして千尋の格好は、不審者以外の何者でもない。

「お、おい何だお前!!?」

『倒してください! 騒がれる前に!!』

「そ、そんな事言ったって―――――!!?」

 懐中電灯の眩いLED光を向けられ、テンパった千尋は往くか退くかの二者択一。だが慣れた者ならいざ知らず、平和な国の高校生が急場で即決など出来やしない。

 先の事件では基本的に逃げの一手だったが、今回は半端に選択肢があるのが、かえって千尋の足を縛った。

 一方の船員、船乗りという人種はその大方が行動力と度胸に優れる体格の良い海の男。不審者とは密航者であり、即撃滅というロジックが大変素晴らしい速度で展開される。

 その結果。

「うオラっ!!」

 ゴッツい棍棒のような懐中電灯で、コスプレ男が横っ面をぶん殴られた。

「痛でえ!!?」

『千尋さん!!?』

 実は言うほど痛くない。

 稀沙羅提供のコスプレスーツは、その外見に恥じない衝撃吸収性能を持っていたし、千尋は言うまでもない鋼鉄(?)の身体。

 しかし、10代のナイーブな心は、大の男に有無を言わせず殴られるという事実だけで十分痛いのだ。痛みを自覚した所で、ようやく逃げる決断を下す。

 確かな手応えがあり、不審者を昏倒させたと確信をしていた船員は数テンポ遅れて我に返り、不審過ぎるコスプレ男を追った。

『そ、そこ右です! いえ違います今通り過ぎた――――――あー!? い、いえ、そのまま行っても同じですからそのまま……! あ! アッ!? だ、ダメです戻らないで! キャーそこダメェー!!!』

 稀沙羅の狂乱した声が耳の奥に響く。だが千尋には、それを気にしている余裕も無い。

 最初の一人から逃げたと思ったら角を曲がって二人、引き返して四人と倍々で追手が増える。

 しかも追手は、千尋を発見して間もなく武装を強化した。体格の良い目の据わった(マッチョ)達が、SMG(サブマシンガン)を装備して四方八方から襲ってくる。千尋はもう泣きそうだった。

 酷く限定された空間。隠れる場所は無く逃げ場も限定され、銃の射線から逃れる事は出来ない。

「ッででででで――――ぇ!!?」

 当然、弾丸でタコ殴りにされる。

 太鼓を連打するような軽い音が、銃と千尋の身体から発せられていた。

 スーツの耐弾性能は非常に高い。一発も貫通しないし衝撃も緩和するが、初速が750メートル/秒の4.6ミリ弾が叩き出す運動エネルギーまではどうにもならない。

(ヤバい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!!!)

 執拗に喰らい付いてくる射線。ワンサイドゲームのハメ状態で、千尋の内面が恐怖から別ベクトルへと徐々に傾き。

「死ぬわボケぇ!!!」

「ゴハァ!!!」

 100発以上喰らってからようやく、千尋はられる前にるという人類の根本原理に辿り着いた。

 いや、帰ってきた。

 運悪く手近にいたSMG野郎へ飛び蹴り一発。ただし時速120キロ、重量120キロの飛び蹴りは、ちょっとした兵器の威力。

 ランニングシャツでこんがりと日焼けした大男が、ボーリングのピンのように他の男を巻き込んで転げ回った。

 次いで千尋は、銃を向ける男のひとりに手加減無しの右ストレートをブチ込む。だがこれは、男の耳を(かす)めただけで、背後のコンテナへと突き刺さった。

 殴られたのは金属の塊だったが、弾けた音は野太いタイヤがパンクしたかのようだった。

 コンテナが千尋の一撃で大きく揺れる。それを見て、千尋に閃くモノが。

「フッ――――――――――――んぅうううう!!!」

 千尋の鉄拳でコンテナが微妙に(たわ)み、床との間に隙間が出来ていたのも都合が良かった。

 隙間に両手の指を差し込んだ千尋は、ガニ股でしっかりと腰を落としてコンテナに張り付く。そこから、満身の力を込める。

 鉄製のコンテナは自重だけで約4トン。それが5段重ねで約20トン。中身なんか想像もつかない。

 だが持ち上げるのではなく、バランスを崩すだけならば、

「――――――んんッあ!!」

「おあああああ!!」

「うぎゃああああああ!!」

 アッという間に、阿鼻叫喚の地獄絵図が出来上がりである。

 轟音を上げて倒れるコンテナタワーは、ドミノ倒しで隣のコンテナ群をも巻き込む。後は雪崩(なだれ)式に大崩落。足下に居た人間の運命は神のみぞ知る。

 彼等に海の神の御加護が有らんことを、千尋は望まずにはいられなかった。

『キャーやったー!! スゴイです千尋さん! いえ、バッグアームズ!!』

 通信相手は先ほどまでとは違う意味で狂乱していた。

「……スゴイ事になっちゃったなぁ………」

 千尋は既に倒れたコンテナを選んで、その上に退避。千尋の跳躍力を以ってすればどうという事のない芸だったが、これなら初めから跳んで逃げれば良かったと、ちょっと後悔もした。

(でもこれなら出港は阻止できたかな……? よく考えてみれば大騒ぎになって困るのはオレじゃなくて密輸犯の方なんだし。先輩には悪いけど、これで警察が来てくれれば……)

 一個4トンのコンテナが奏でた連弾は、半分眠っていた埠頭どころかその周辺をも叩き起こした。騒ぎといえば、文句無しの大騒ぎ。

 崩れた積み木にも見えるコンテナの山を前に、千尋は自分の行いを反省しつつ、全てが円満に解決する事を祈った。

 それが叶わぬ願いでも、千尋はひたすら祈るしかないのだ。


                        ◇


 これは稀沙羅も知らない事だったが、黄竜グループは、特別な事情(・・・・・)のある荷を運ぶ専門の船を所有していた。千尋が殴り込みをかけた(かけさせられた)のはそんな船である。

 乗組員も、荒事を想定してその筋の専門家で編成されている。今回は出番がなかったが、実は軍艦とだって戦えるだけの武装がある。

 彼等が元軍人や現役の傭兵だったのは千尋と彼等、双方にとって悲劇だったが、その悲劇は現在進行中。責任の所在については、今は横に置く。

 5分以上経っても、武装した船員が侵入者を処理出来なかった時点で、相手が並みの相手ではないと輸送の責任者は判断した。〝ドラケン〟に正規に所属する社員(PMCO)だ。因みに、この男も実戦経験有りの元軍人。

 輸送責任者は最悪の事態を考え、積荷を移動させるか破壊する事を考える。つまり証拠隠滅。グループの為に、彼は最適の判断を実行する権限を与えられている。

 侵入者への対処を部下に任せた責任者は、コンテナ船の最下層へ。

 規則正しく密集するコンテナの中、最奥で偽装された大型コンテナに、その試作兵器は格納されてた。



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