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ハニートラップ


 その後、千尋は江柳稀沙羅(こうりゅうきさら)の人気の程を思い知る事となった。

 『今日の放課後、お時間をいただけませんか?』、と公衆(クラスメイト)の面前で約束を取り付けられた直後から、携帯メールやら回覧メモが山のように押し寄せてくる事に。

 『江柳先輩、なんだって?』、『玉の輿狙いか有名人』、『稀沙羅先輩に手を出したら殺すぞレイプ魔』、『冤罪でモテ期だなんて保険成金みたいですね』等、中には露骨な脅迫文もあった。

 校内でも有名なお嬢様であり、注目の時の人。そんなヒトがクラスのど真ん中で意味深な事を言った日にはそらもうエライ事になりますよ。

 HR(ホームルーム)中にも己を押し包む圧力プレッシャーを肌に感じ、今すぐ逃げ出したいとうずく脚を抑え込む。

 担任教師がHR終了を告げたのがスタートの合図だった。野次馬根性を出した生徒が千尋の方へ視線を向けるが、その時には既に、千尋は教室の扉に手をかけている。

 背後から誰かに声をかけられるその前に、廊下へ脱出する千尋は、誰も見ていない事を確認した上で、3階の窓から跳ぶ。迂闊すぎる行動ではあるが、とにかく千尋は誰にも会わずに学校から逃げ出したいのだ。

 昼休みにお嬢様、江柳稀沙羅に会ってから、千尋は精神的に追い詰められっ放しである。

 いったい何の為に紙袋なんて被っていたと思っているのか。バレバレではないか。いや待てまだしらばっくれる事も出来る。いっそ呼び出しも無視すれば。いやそれはダメだ後が怖い。

 この上野次馬の面倒まで見てられるか、と何を置いても先ずは学校から脱出する事を優先するのだ。

 ついでに地球からも脱出したかった。


                         ◇


 千尋が大急ぎで逃げ出した直後、教室を訪れる複数の生徒がいた。千尋のお目付け役に就任した蒼鳴夏帆(あおなりかほ)も、その一人だ。

 誘拐されかけたという事実は、稀沙羅のお嬢様ぶりに(ハク)を付ける事となる。そんな金箔付きお嬢様と、また別の意味で学校をお騒がせした千尋の接触は、大いに少年少女達の想像を()き立てる事となった。

「カホ? 彼もう帰っちゃったよ? スゴイ勢いで」

「え!? ……あ、誰? わ、わたしはちょっと帰る前に通りすがっただけで……」

「だから牧菜くん探しに来たんでしょ?」

「ち、違うもん……、ホントにこっち周りで帰る気に気紛(きまぐ)れで―――――――」

「牧菜くん、江柳(びじんの)先輩に呼び出されたんだって。なんの用なんだろうねー、もーカホも大変だー」

 色々と事情を知っている女子は、千尋の所属クラスに来た夏帆に向かってニヤリ、と。

「……一発喰らいたいのね、アンナ」

「へ!? や、いやジョーダンッすよネーさん!!」

 同じ部の仲間へ拳を作って威嚇いかくする格闘少女。やると言ったらやる事を知る夏帆の部活仲間は、頭を押さえて速やかに降伏する。キャリア10年を超える夏帆の正拳突きは痛い。

 だが同じ部活に所属する友人に限らず、夏帆が千尋を気にしているのは、割と誰でも知っている事実だったりする。

 気の早い所では、牧菜千尋を巡る女の争い勃発(ぼっぱつ)か、とゴシップ記事並みに下世話な話題がささかれていた。

 夏帆はと言えば、そんな事実が周囲に認知されているとは露知らず。

 噂のお譲様、江柳稀沙羅が千尋を(たず)ねた話を聞き、ソワソワと知らぬを(よそお)い下校の誘いに来たのだが。

 結果はご覧の通りである。

(『スゴイ勢いで』出てった? 例の先輩と約束したから? 何考えてんのよあいつ……、美人なら誰でもいいのかあの節操無し――――!!)

「あ、あのカホお姉さん? 考え事するなら手を離して欲しいんだけど……」

 ジト目でうな夏帆(モウジュウ)に胸倉を掴まれている女子は、生きた心地がしなかっただろう。哀れな話だったが、夏帆の方は考えに飲まれて現実が見えていない。

(……だいたい美人のお嬢様が大貧民なアレに何の用よ……? 見た目だって全然吊り合わ……いや、まぁ……カッコいい事も偶にあるのは、わたしだけ知っていれば……いい事であって! どうせアレね、事件の事を聞かてちょうだい、とか金持ちの道楽的な……。変な事じゃないよね……?)

 夏帆にとっては部活の仲間より幼馴染の方が重要、と。所詮女の友情より男か。(byアンナ)


                       ◇


 1年1組、比良野杏奈ひらのあんなが2組の生徒から暴行(未遂)を受けていた同じ時、教室の入口にたむろする数名の男子生徒がいた。

 集団の中には、千尋から金を巻き上げようとして痛い目を見た生徒もいる。一緒にいた二人の生徒は、現在病院にいた。

「で、どこだよアイツは」

「おい鈴井ぃ?」

「え、えーと……た、多分いない、と思う……」

「ハァ?」

「『多分』って何だよ? 見りゃわかんだろ。居るのか居ないのか」

「い、いないよ! ここには居ない……。もう帰った、かな?」

「ハァ!? 居ないって何だよ」

「何やってんだよ鈴井ぃ!」

 千尋が帰ったのは鈴井という生徒の責任ではないだろうが、得てして群れて気を大きくしている輩には、正しい理屈など通用しないものだ。

 そして、群れには必ず先導する頭がいる。

「居ないってさ、リュウくん」

「もう聞いた。分かってる事何度も言うなよ」

「ご、ゴメン……」

 群れの頭は一匹だけ毛色が違った。集団に隠れて強気になり、粗野に振舞う取り巻き達とは違い、一見は清廉な生徒に見える。爽やかな面持(おもも)ちで、制服もきっちりと隙無く着込む優等生の姿だ。

 優等生と言っても、目付きだけは取り巻き達と変わらなかったが。

「……さっさと帰った、って事はホントに江柳の家に行ったってのか? あんな雑魚(ザコ)が?」

「ちやほやされて調子乗ってんだよ。レイプ魔に間違われるような変態がリュウくんに敵うワケ――――」

「うっせーよ、なんでオレと比べてんだよ。ワケわかんねー」

「ご、ゴメンリュウくん!」

 自分より一回りも大柄な3年生を低頭させ、優等生らしく見える少年は歯を(きし)らせる。

 かつては存在すら知らなかった平凡な平民の一年生。本来は眼中にも入らない男子生徒が、偶然と幸運で急に注目を集め出し、ここに来て目障(めざわ)りな存在となる。

 もっとも、千尋に言わせれば、見当違いも良い所だったが。


                           ◇


 (なご)やかな笑みで言われても、アレは脅迫だったと千尋は後に述懐じゅっかいする。

 指示(命令?)されて千尋が訪れたのは『巨大な』と形容してよい程に大きなお屋敷だった。

 江柳家に午後6時。夕飯時だが大丈夫か? と思う千尋だが、先方に『来い』と言われてしまったからには仕方がない。

 正確には『是非いらしてください』だったが、面と向かって言われた千尋は、言葉には言い表わせない程のプレッシャーを受けたのである。とても一歳差とは思えない貫禄であった。


 江柳家は洋風建築で、『お屋敷』と表現するのがピッタリだった。敷地面積は想像もつかない。学校よりも広大だろう。何せ敷地の端が見えないのである。

 執事(?)という存在も、生では初めて見た。プロレスでも出来そうな体躯を、伝統的(トラディショナル)な黒の執事服に押し込めた、千尋の父と同世代かもう少し上の紳士だ。頭を下げられると大変申し訳ない気持ちになる。

 敷地を囲む高い壁。そこを切れ目にして、別の世界の入口となっているのは見上げるような黒い門。

 千尋は執事に先導され、その中に踏み入った。


 江柳邸の前庭は、浜崎市の市民公園よりも綺麗に手入れされていた。歩道は白い砂利が敷き詰められ、道の両脇には隙無く植え込みがされている。

 入った当初は道の先が木々に消えており、どれだけ歩かされるのだと思ったが、ほんの少し歩いただけで建物が見えて来た。

 広く見せていただけで実は狭い、ではなく、利便性を犠牲にしてまで無駄な敷地面積は使わないという事だろう。

 短い距離でも、木々の配置で俗世間と隔絶させる工夫にも感心させられた。さながら木のブラインドと言ったところだろうか。

 またえらく場違いな所に来てしまった。今更にそれを肌で感じる千尋だったが、屋敷がまた凄かった。

 紺のタイルの屋根、クリーム色の外壁、窓や柱には彫刻が施してある、美しくて優雅な建築物。中は一流ホテルの如し。どちらも行った事はなかったが。

 円形の玄関ホールでは、本物のメイドさんに出迎えられた。千尋にメイド萌え属性が無かったのは、良かったのか勿体ない事をしたのか。

 靴を脱ぐ必要もなく、玄関ホールから屋敷の奥へ通される。時折、壁に掛けられた絵画や彫像が目に留まった。千尋の家にあるのは招き猫くらいのものだ。

 庶民である千尋は、つい物の()(いく)ら程するのかと考えてしまうが、本物の金持ちはそんなこと気にしないのだとか。なるほど、金額なんて考えていたら、これほど無防備に美術品など飾ってはおけまい。

 そうして千尋が周囲に気を取られている間に、執事はある一室の前で足を止めた。廊下の窓から見える裏庭に目を向けていた千尋は、気付くのが遅れて大きな背に追突しかけた。

「お譲さまはすぐにいらっしゃいます。しばらくこちらでお待ちください」

「あ、はい……」

 そこも、客間と言うには大きすぎた。どちらかといえば、パーティースペースといった感じの大部屋だ。

 噴水のある中庭を望む一面の窓があり、そこに面した床は一段低くなっている。夜はセレブリティーな方々を招いて、ガーデンパーティーと洒落込みそうだ。千尋の見識では、その辺の想像でいっぱいいっぱいである。

 ソファーは壁際に何脚もあったが腰を落ち着ける心境にもなれず、千尋は不安を丸出しに広過ぎる室内を歩き回った。


 ひとりでこんな所にいて、何もする事が無く、手持無沙汰。

 こんな時は色々と考えてしまいがちだ。ましてや今時分の夕暮れ時。仄暗い柿色が心の傷に障る。

 物哀しい様な疼く様な、何とも言えない気持ちになる。

 取り戻した、と思った平穏。ならば何故、千尋はここにいるのか。

 駆け出す脚を、千尋は止めなかった。ヒーロー紛いの事をしたのは何故か。

 千尋(じぶん)はいったい、結局は何をどうしたいのか。


「お待たせしまして申し訳ございません。ようこそいらしてくださいました、牧菜千尋さん」

「……!」

 物思いにふけっていた所に声をかけられ、千尋の背筋がビクッ!と伸びる。

 慌てて振り返るとそこには、グレーのビジネススーツに身を包んだ女性が立っていた。

 考えてもみれば、こうして正面から向かい合ったのは初めてだ。

 スーツの女性は、長い亜麻色の髪を左右で一房、膝の長さで三つ編みにしており、それ以外は美しく真っ直ぐに流していた。

 穏やかなだが理知的な貌で、シンプルなアンダーリムのメガネが良く似合う。見つめられると、千尋としては大変居心地が悪い。

 制服ではなくスーツ姿だが、着慣れているのか固さは無かった。折れそうな程に身体の線が細いのが、そのスーツの上からもわかる。かと言って貧層ではなく、女性らしい丸みがスーツを突っ張らせていた。

 誘拐され殺されかかった千尋と同じ学校の先輩。呼び出しをした張本人である江柳稀沙羅、そのヒトであった。


                           ◇


 プロジェクターのスクリーンには、武骨な(ゴツイ)凹凸(おうとつ)で構成される大型機械が映し出されていた。

 人間同様に四肢がある形状の二足歩行の機械。

 民生品では『歩行自動車』、軍事用では『歩行戦車』、略称して『歩行車』、横文字で『マシンヘッド』と呼ばれるようになった所謂いわゆるロボットである。

 戦車、戦闘機、銃。いずれも戦争、殺し合いに用いられる道具ではあるが、いつの世もこれらは少年達の心をガッチリと掴んで放さない。

 力の象徴である武器兵器に心惹かれるのは、男の子のサガなのであろうか。人類の業は根深い。

 その多分に漏れず、千尋も現在最先端を行っている戦場の花形は好きだった。〝フェンネル〟、〝ゼネラル〟〝グローバル・ファクトリー〟、〝大村倉石〟、〝AWG〟その他。大手製造メーカーの機種は大体ネットで検索している。

 しかし、現在スクリーンに映し出されている機種は見覚えがなかった。どの機種にもメーカーの特色が出るものだが、既存の歩行戦車マシンヘッドが戦車や戦闘機の外見的特徴を随所に持つのに対し、その機体は妙に先進的というか、平たく言うとSFサイエンスフィクション的なデザインをしている。

 全体的に丸いかと思えば、外付けの付属物が多く、完成されていない印象だ。

 強いて言えば、大腿部に一体化している大きく前後に張り出した箱状の部分が、大村倉石製のデザインに近いだろうか。

 もっとも、大村倉石製の大腿部分はそれ自体がターボファンエンジンになっており、ただの箱ではない。

「で……、これが一体……?」

 挨拶もそこそこに見せられた映像。何故呼ばれたのかも説明されず、脈絡なく見せられたこの映像の意味も不明。と、千尋には何が何やらといった感じだった。

「このマシンヘッドは黄龍グループの重工業部門である〝ワイバーン〟と大村倉石重工業機械が共同で、極秘で開発をしていたものです。そして、移送中に行方不明になる事になって(・・・)います」

「……へ?」

 『行方不明になった』のならわかるが、『行方不明になる予定』とはこれいかに。風邪を引くのに予定を立てるが如く。

 ますます混乱の度を深める千尋に、稀沙羅は構わず話を進める。

「この国の武器輸出は禁輸措置を取られた国や紛争地域へは勿論禁止されていますが、それ以外の国家に対しても『慎むように』言われています。ですがそれを脇に置いても、この兵器が不正な取引と陰謀の下に売り渡されそうとしているのは事実です。千尋さんには何としてもそれを阻止していただきたいと考えています」

「………」

 完全に、違う星の出来事であった。

 千尋は呆けた面でしばし先輩の顔を眺めると、ハッと我にかえり。

「い、いやいやいやいやいや警察でしょうそこは警察に任せましょうよそんな事は! 何がどうしてオレがそんな無茶振りされなアカンのですか!? 素人(トーシロー)にそんなのどうにか出来るワケないでしょうが常識的に考えて!!?」

 家に呼ばれるって事は、誘拐事件の時の事を問い詰められるかも。その程度だった千尋の想像の、現実は遥か斜め上を行った。

 学校で見かけた時には、優しそうな先輩だとしか思わなかった。それがまさか、こんな突拍子もない事を言い出すとは。

 見た目が良いだけに、いっそ恐ろしくさえ感じた。美人なのに電波っぽいのが、怖さに拍車をかけている。

 一方、とんでもない本性を晒して少年をビビらせている先輩は、千尋のリアクションにむず痒そうな、何かを堪えるような謎表情を見せていた。それがまた不気味だ(失礼)。

 千尋が怯えた子犬のような顔をしているのを見て、コホンと咳払いして表情を引き締める稀沙羅。

 気を取り直して。

「こ、この実験試作機は今日明日中にでも偽装コンテナ船に積み込まれて移送されます。行き先は中国。潜水艦が迎えに来るそうですから、港を出られるか、あるいは外洋に出られれば手の出し様が無くなります。その前に実験機を抑えるか破壊しなければなりません。今それを阻止できる位置にいるのは千尋さん、あなただけです」



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