表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

Re:Starting system

 疲れ切っていた。


 全身に損傷を負い、最早まともに動く事も叶わない。

 それでも、お構いなしに困難は続いてゆく。

 運命も脅威もこちらの都合は考えない。

 関わりたくないと背を向けて、目を瞑って耳を塞いで布団を被って不貞寝しても、お構いなしに電話を鳴らし、やかましく扉を叩いてくる。

 ならば道は、ただひとつしかない。

「そーですかそう来ますか………」

 生きるために戦うという根本原理。

 敵となるものを全力を以って叩き潰す必然。

 その前に立ち死を覚悟し、静かにブチ切れる少年は、牙を剥いて眼前の敵に挑むのだ。

「それじゃぁ………、次は誰からブッ殺して欲しい?」




 ミネラル・クォーター 2nd trial

 [フル・フォース]




 残暑も鳴りを潜め、どこかもの寂しさ(・・・・・)を感じる季節になってきた。

 秋深し、隣は何を、する人ぞ。

 姉と両親、そしてお隣さんのご両親からも「息子をよろしく」、と何かを勘違いしそうな勢いで頼み込まれてしまい、以来(表面上)渋々と幼馴染を注意して見ている。

 級友からは世話女房とからかわれ、自分の両親からは事あるごとに事の進展を問われ、その度に「わたしとあいつはそんな仲じゃない」と抗議するのだが、それが効いた様子は無い。

 さりとて、お隣のご両親から頼まれたから、と言い訳がましく、仕方なしといった体で日々お目付け役をこなしているのだ。

 一方、監視されている方はといえば、露骨に嫌そうな顔こそ見せないが、それでも辟易とした空気を滲ませる事もしばしば。

 視線にさらされ疲弊しているのは、何も監視してる幼馴染のせいだけでもない。

 このひと月、少年は好奇の視線に晒され続けて来た。被害者であるにも関わらず、悪い事は何もしていないのに、有りもしない責務を課されて責められてきた。これで引き籠りにならなかったのが不思議だ。

 以前の少年なら、醜悪なヒトの意思が渦巻く世間に愛想を尽かし、背を向けて自分の殻に閉じ籠っていたかもしれない。

 以前から少し拗ねた所のある幼馴染の事、面白半分に好き勝手を言う人々を無言で軽蔑し、心を閉ざしていたかもしれない。

 だが、その後の幼馴染の様子は、少女の予想とは少し違った。

 不満や憤る事を無言で溜め込み耐えるのではなく、柳に風と流す様になった。

 困難な状況が、少年を成長させたのだろうか。

 だとしても彼女――――蒼鳴夏帆(あおなりかほ)は、幼馴染に変わって欲しくはなかった。

 辛い体験を乗り越えた少年――――牧菜千尋(まきなちひろ)には時折影が射すようになり、存在が少し遠くなってしまったような気がしたから。


                        ◇


 日曜日。

 目を覚まし、2階の自室から1階のキッチンに降りて来た少年は、何とも言えない違和感を覚えた。

 両親は昨日日本を発ち、少年も空港で見送った。家には自分ひとりだが、先月まではそれが当たり前だったので問題はない。

 曜日を間違えているワケでもない。現在時刻は午前10時。一瞬ヒヤリとしたが、間違いなく学校は休みだ。

 何か約束事でも忘れているのか。とも思ったが、今日はテレビや新聞の取材もない。

 昨日、両親を見送った空港からの帰りに、幼馴染に何かしら誘われた気がしたが、考え事をしていて適当に流した。直後にローキックを喰らったが。

 では何だろうか、この何かが足りないような落ち着かなさは。

 少年は尻をムズムズさせながら、部屋に戻ってスケジュール帳を取ってくる。3週間ほど前に購入した物だ。

 手帳を買った当日から、予定がびっしりと書き込まれていた。書き込みの量がほとんど枠からはみ出して、正直なところ用を成しているようには見えない。

 辛うじて読める癖字で、『ヤマトTV潮留しおだまり』、『富士新聞』、『週刊日読』等の名称が敷き詰められている。その中には赤字で、『警視庁』や『警察庁』や『警察審査会』といった穏やかではない名前もあった。

 しかし手帳のページをめくっていくと、日付が新しくなる度に書き込みは少なくなる。

 1週間もすれば予定は一日2~3件になり、2週目には一日に1件か2件となり、先週は土日に集中して4件のみ。無論、スケジュール帳にわざわざ書かずとも、平日は学校だ。

 そして、今週の予定は水曜と木曜に1件ずつ。

「お……」

(そうか、今日は何も無いんだ)

 約一カ月、休日も平日も朝も夜もない生活を強いられてきたが、フと気がつけばポッカリと予定が空いている。

 こんな時どうするんだっけ。少年は軽くうろたえた。何も予定が無い時はどんな感じに過ごしていたか、ちょっと思い出せなかった。記憶喪失のようだ。

 とりあえず落ち着いてオレンジジュースでも一杯、と朝食用に出しておいた瓶に手を伸ばし、

「あッ――――」

 掴み損ねて指が当たり、瓶が倒れてテーブルから転がり出てしまう。

 ヤバイ落ちたら割れる、かも。

 反射的に瓶を掴もうとするが、遠く手は届かず瓶は床に落ちようとし、


 バシュンッ、と手首から先が伸びて、瓶の首を落ちる寸前で掴み取った。


「……………………」

 どうやらまだ寝ぼけているらしい。ヤダなぁもう10時過ぎているのに。昨日は割と早く寝たのだが。

 ウィイン、とモーターか何かの音と共に、伸びていた腕が元に戻る。

 瓶をテーブルに置き、少年はクリーム色の天井を仰いだ。

 二歩三歩と後退あとずさり、おもむろに手の平を今しがたテーブルへ戻した瓶へと向けると、


 再び、バシュンと空気の吹き出すような音を発し、同時に腕が伸び、勢い余って瓶を砕いた。


「……………………」

 ここひと月の忙しさで忘れてたのに。いや、忘れたかったのに。

 何も考えられず、千尋は呆然としながら自分の腕を見た。

 手首と腕の中程から分割して延長され、その間は滑らかな金属のシャフトで繋がっているように見えた。

 そのシャフトは、骨というより伸縮構造の機械部品か何かを連想させる。

 手首と腕の断面部分は、肌色の皮膚とその下に金属質の層があり、金属のシャフトはその中心から伸びている。

 そして、伸びた時同様にウィイインと音を立てながら金属シャフトが引っ込み、手首と腕が元通りに繋がった。

 少年は軽く息を吸い込み、そして、


「ロボだこれェええエェぇエええェ!!?」


 ひと月ぶりに得た確信を、声を大にして叫んでいた。


                           ◇


 牧菜千尋まきなちひろは、神奈川県浜崎市に住む普通の高校生1年生、だった。

 身長170センチ、体重120キロ。体重の表記は誤植ではない。

 体重はかなりのモノだが、見た目は全く太ってはいない。むしろ細身の部類に入る。筋肉隆々でもなく、中肉中背という言葉がピッタリの体形だった。

 顔貌かおかたちはクセも無く、比較的整っている。取り立てて美形とは言わないが、分かるヒトにはわかる魅力があった。本人的には、可も無く不可も無く程度の認識だったが。

 両親は揃って海外に赴任。兄弟姉妹は存在せず。親戚は存在しているのかどうかも知らない。

 交友関係も特筆して特別な事はない。強いて言えば、隣の家と家族ぐるみで付き合いがある、程度だ。


 およそひと月前、人生最大の不幸(とこの時点では思っていた)に巻き込まれた千尋は、幸運と偶然とありえない異常を利用する事によって、どうにか事件を解決させる事が出来た。

 それから3週間ほどはせわしない日々が続いたが、ようやく日常生活にも落ち着きが戻って来た。

 ――――かと思ったらコレである。

 実は前々からそうじゃないか? とは思っていたが、まさかこんな突拍子もない事で確信を得る羽目になるとは。

 約ひと月前の事件の最中では、自身の身体が異常な原因は(もしかしたら……)と憶測はしていたが、ここに来て間違えようの無い事実が、千尋の目の前に叩きつけられている。実際に叩きつけられたのはジュースの瓶であり、叩きつけたのは千尋の方だったが。

 自分の腕が手首と腕から三分割で伸び、メカメカしい断面と内部を見せられるのは、脈絡も無く現実感も希薄な性質タチの悪い夢のようだった。残念な事に、目は完璧に覚めている。

 とはいえ、千尋も薄々感づいてはいたのだ。

 120キロの体重、クルマより早い速度を叩き出す脚、ヒトを骨格ごと破壊する膂力りょりょく、望遠鏡並みに見える目、ライフル弾を喰らって傷もつかない身体。

 自分がサイボーグ化している現実は、事実から推測すれば当然考えるに至る、予想の範疇と言えた。

 あまりのバカバカしさに、想像しておいて自分で笑ってしまったが、これが現実となると全く笑えなかった。


 せっかく丸一日空いていた日曜は、ひたすら自分の身体を調べる事に費やしてしまった。

 とはいえ、知力的には並みの高校一年生でしかない千尋に取り得る手段などたかが知れている。

 まず、鏡で喉奥を見てみる。普通に喉と、その突起が見えただけだった。

 身体のあちこちを握ってみる。金属柱が埋まっているのが分かっている腕でさえ、感触は普通の肉と皮膚のものと変わらなく感じた。

 脚、胸、肩、顔、頭等をで回してみても同様。柔らかい皮膚と筋肉の下に骨があるのを感じる。銃弾だって弾く程に頑丈な皮膚なのに、いったいどうなっているのだ。

 そもそも赤い血が流れているのか。試しにナイフで皮膚を浅く切ってみようと、ビビりながら腕に刃を滑らせてみた所、皮膚は全く切れなかった。徐々に切る力を強くし、最終的には突き刺してみるも皮膚には傷一つ付かない。

 だが、傷がつかない事と痛みが無い事はまた別の問題で、とんでもない痛みに、千尋はこの試行を深く後悔した。

 結局、怖くて過激な調べも出来ず、唯一分かり易くサイボーグしている腕をバシュッ、ウィイイン、とたわむれに伸び縮みさせ、ちょっと面白いと思い初めていた自分に泣けて来た。そもそもこれ一体何の意味があるのだろう。

 病院に行くという選択肢は始めから無い。うっかりCTやMRIを撮って、何が写るかを考えると怖くて仕方がないからだ。そもそもMRIは金属NGである。

 現実逃避から戻り、改めて考えてみる。


 どうしてこうなった。


 実は知らなかっただけで、自分は始めから人間ではなかったのか。いや、体重増加がサイボーグ化のタイミングならば、少なくとも夏休み前まではただの人間だった筈だ。体重の異常増加に気がついたのが、夏休みが終わる約一週間前の事。ならば、何かが起こったのなら夏休み中という事になる。

 しかし、何が起こったのかと問われると、千尋はその問いに答えるすべを持ちあわせていない。

 夏休み中は両親が居ないのを良い事に、毎日ごろ寝してゲームして適当に飯食って、と不摂生と自堕落の極みな生活を送っていた。何度か友人と遊びに行ったが、それ以外はほとんど家に居たのだ。どこかの秘密結社や悪の組織に拉致された覚えも、そこで改造手術を受けた覚えもない。

 どれほど記憶を掘り返しても、自分がこうなった原因も理由も分らなかった。


 そうして悶々と一日を過ごして翌日の月曜日。

 切羽詰まった千尋の事情など知った事ではなく、新しい一週間が無情に始まる。


                         ◇


 牧菜家のお隣さん。蒼鳴家の長女は語る。

「アレも最近ようやく気がついたみたいね。幼馴染だからって甘えていて、後から後悔しても遅いのよ。……手遅れじゃなきゃいいけど」

 いそいそと登校の準備を進める妹を、モノローグまで自分で入れつつ横目で見ていた。そんな姉を、ギッと睨みを利かせて妹が威嚇いかくする。

 ひと月ほど前から、蒼鳴家の次女は身形みなりに気を使うようになった。以前は、人前に出ておかしくなければ良い、程度にしか考えていなかったのに。

 姉の贔屓目ひいきめではないが、良い女になる素材ではあると思う。顔の作りも悪くない。可愛い部類に入るし、あと2~3年もすれば美人になるだろう。

 だが育ち方が良くなかったのか、少々強気に過ぎる。年中隙の無い顔をしていれば、そりゃ男よりも女にモテようというもの。発言など昨今の草食系男子など比較にならないほど男前で、宝塚街道まっしぐらだった。ちなみにバレンタインデーの話をすると泣く。

 スタイルだって悪くない。小さな頃からやっている空手の為か、四肢はよく伸び胴回りも良く引き締まって括れが出来ている。姉ほどではないが、胸から腰から尻から太腿からと起伏もなかなか激しい。着やせする体質だ。特に胸は姉よりも大きい。生意気な。

 なぜ急に見てくれを気にしだしたのか。その辺をつつくとキレだすので、姉はあえて何も言わない。

「……なにお姉? 言いたい事あるんなら言ってくれない?」

「べっつにー。ただ、そのリップ新色だなー、って思ってさー」

「………い、いいでしょ? 小学校からずっと同じ薬用リップ使っていれば、高校生だし変えてみようって思う事もあるわよ」

「そーねー」

 姉の、全部分かってますよ、的な態度にほおを引きつららせる短気な次女。反抗期なのではない。この少女は昔からこんな気性。

 柔剛で言えば姉は柔、妹が剛。妹の勝率はよろしくない。

「時間大丈夫? 念入りに準備して千尋くんに先に行かれたら本末転倒だと思うのよ」

「ッ~~~~あ、有り得ないわね……。わたしが呼びに行かなきゃどうせ今日も遅刻ギリギリ―――――」

 ハッ、と首を振って余裕を見せる夏帆だったが、額にはイヤな汗が浮いていた。朝からごっそり体力を喰われている。

 これ以上姉につつかれてはかなわない、と夏帆は納豆ごはんの残りを豪快にかき込むと、

「それじゃ、行ってきます!」

 と変に律義に挨拶だけはしてダイニングを出た。

 それはいいとして、妹は納豆臭いままで意中の男の子を迎えに行くのか。

「………先は長そうね」

 妹の女子力の低さに嘆息しつつも、その実あまり心配もせずに姉は妹の背中を見送った。


                          ◇


 鏡の前で自分の顔を眺める事はや10分。千尋の方まで色気付いた、ワケではなかった。

 昨今の男子なら、鼻の毛穴を気にしたり眉毛を細くしたり美肌パックを使って肌のケアをしたりは珍しくないが、千尋は美容関係については「めんどくさい」ので初めからやる気が無い。

 見ていたのは自分の()。高倍率変更可で高精細で暗視機能までついてる素晴らしく性能の高い目だが、そもそも普通に生きる分にはそんなモノ必要ないのである。

 見た目上は、眼球の奥がレンズになってたりはしない。目だけに限らず、何処を調べても見た目は普通の人間と何ら変わりはなさそうだ。

 サイボーグ化した経緯は相変わらずさっぱりだったが、当面は日常生活を守らねばならなかった。一度は諦めた平穏な生活なのだ。そう簡単に手放したくない。

 とりあえず人前で馬鹿力を出したりマジックハンド(仮)を伸ばしたりしなければ、千尋の中身が機械だなんて思う人間はいないだろう。千尋本人だってまだ信じられないのだから。

「しかし……どうすっかな……」

 正直、ボロを出さずに生活していく自信はあまり無い。大人しくして、迂闊に人間離れした所を見せなければいいだけ、なんて言葉にするほど簡単ではないだろう事は千尋にも想像できた。

「千尋ー、もう行くよー! さっさと出てこーい!!」

「……ついに勝手に入って来るようになったなあの女……」

 特に身体の事を隠しておきたい相手の声に、今から胃の縮む思いをする少年。日本を発つ両親が、隣の幼馴染に息子のお目付けなんて役割を頼み込み、家のカギまで渡してしまったもんだからさあ大変。

 ただでさえ巨大な隠し事を抱え込んだこの状況では、易々とテリトリーに踏み込んでくる蒼鳴夏帆こそが最大の脅威と言えた。

「どこよ千尋? まだご飯食べてる? まさか寝てんじゃないでしょうねー?」

「もー出るからちょっと待っとけってー!」

 洗面所から慌てて声を張り上げる千尋。夏帆は放っておけば家探しでも始めかねない行動力の持ち主だ。

 慌てて鏡に背を向けた千尋だったが、一瞬だけ向き直り、髪に乱れがないかだけを確認した。


                       ◇


 千尋と夏帆の通う高校は、千尋たちの家の最寄り駅から特急で一駅の所にある。歩きで15分、電車で15分、登校に要する時間は約30分となる。

 浜崎市立泰阿(たいあ)高校。レベルとしては中の上。

 普通の高等学校だが、海外に姉妹提携校があり、留学への間口として外国語科が置かれている。その為か、比較的裕福な良家の子息が多く在学していた。逆に海外からの留学生も多く、食堂のメニューや学校施設等に国際色が多く見られ、自由主義リベラルな校風となっていた。

 余談ではあるが、千尋は知らぬ間に退学処分扱いとされ、知らぬ間に復学扱いになっていた。


「夏休み中ってさ、夏帆何してた?」

 そう言って千尋が話を切り出したのは、満員電車から解放されて駅を出た少し後の事だ。

「夏休み? 道場の夏季合宿とか、友達と小笠原の父島に行ったりしたわね。あんたずっとゲームでしょ?」

「………」

 好きでやってるんだから放っておいて欲しかったが、口に出すとまた手とか足とかが飛んできそうなので、沈黙は金である。口は災いの元とも言う。

「……変な事聞くみたいだけどさ、オレって夏休み中に居なくなったり、した?」

「は? ………先月の、アレ……じゃなくて?」

「………なくて」

 あえて何とは言わない二人。事の当人である千尋は当然だが、夏帆にとってもひと月前の事件は未だにしこり(・・・)として心に残っていた。

「それじゃ……千尋が夏休み中何やってたかなんて知らないし……。っていうか自分の事でしょう? どうしてわたしに聞くのよ?」

 至極もっともな御意見で何も言えない千尋。夏休み中に誰かにさらわれた可能性なんて、まともな頭なら聞けたもんじゃない。

「……あんたまさか、また(・・)何かあった? 今度はいったい何に巻き込まれたのよ!? また何かあったりしたら、おじさんとおばさんに申し訳が立たないー!!」

「な、何もないって! ただちょっと夏休がいつの間にかワープした感じでオレって休み中何やってたんだろうって―――――――」

「今更かよ!? ダラダラ怠惰に過ごすからいつの間にか休みが終わっている、なんて感じるのよ」

 御尤ごもっともな意見ではあったが、千尋にだって夏休みらしい予定、というか希望はあったのだ。

 先月亡くなった学校の先輩と、一緒に買いに行った水着で海に遊びに行けてたら。

 そんな事を妄想すると、また泣けて来た。

「……何泣いてんのよ。男のクセにこんな所でメソメソと……」

「……それって今のご時世セクハラじゃないの?」

 半泣きの涙声で唸る千尋に対し、夏帆は複雑な表情だった。

 千尋の気持ちも分らなくはないが、しかし素直に同情も出来なかったのだ。千尋が誰を思い出しているのかを考えると、胸の中がモヤモヤしてしまうのだから。


 憮然ぶぜんとした表情で黙ってしまった幼馴染を横目に、千尋は涙と鼻水を拭きつつ改めて考えてみる。

 夏帆からは特に有力な情報は得られなかった。それは良い。どうせ千尋の身体の事も、ろくでもない背景があるのだろうから、幼馴染が何も知らないのなら、それに越した事はない。

 最初に異常を確認したのが夏休みの後半。8月の第3週辺りだ。何かあったのだとしたら、その直前だと思うが、その記憶にも自信が無くなってきた。

 そもそも頭も全て機械仕掛けで、記憶も認識も何もかもが作られたモノだったりしたらどうしよう。そんな偽りの記憶を基礎に物事を判断する千尋には、自分の記憶自体の真偽を判断する事など出来はしない。ジレンマだ。

 ゾッとする考えだった。自分という自己連続性(アイデンティティー)を疑わねばならないなどと、どうしてこうも重い問題が次から次へといて出るのか。

 実際問題、脳まで機械化されているのか、また自分がどの程度変わってしまっているのかは、まるで分からない。それを知る方法も千尋には思い付かない。繰り返すが病院は却下。

 先月の事件の時はどうしたっけ。あの時は自分ひとりじゃ何も出来なくて、偶然知り合った事件記者の協力があって、初めて核心部分に触れる事が出来た。

 この件で協力を仰げそうな相手は。そう考えた時、千尋の脳裏に誰かが思い浮かびそうになるが、何故だかハッキリとは思い出せない。

 何か酷く重大で、かつ後味の悪い感じを覚える。自分の身体の事以外でも、何かを忘れているような座りの悪くなる感覚。

 どうにか思い出そうと無言で頭を捻る千尋だったが、その思考は無意識に中断させられる。

「………ん?」

 考え事をしている時に、何かが視界の端に引っ掛かったのが、思考を中断した原因だった。何か目を引く、印象的な何か。

 千尋と夏帆が歩いている線路脇の道路は、この時間多くの生徒達が同じように学校へ向かっている。その中に、誰か気になる人間を見た様な気が。

 首を回して視線を巡らせると、線路側とは逆の道路の向こうにクルマが止まっているのが見えた。国産のクルマとは違う、スタイリッシュな流線形のスポーツカーだ。

 千尋は咄嗟に、思わず視界をズームしてしまう。

 黒いスポーツカー。薄くスモークのかかっているウィンドウガラスの向こうには、髪の長い女がいた。

 長い髪は艶のある赤毛で、ストレートヘアが肩の下まで伸びている。その下は、サイドドアに隠れて見えない。

 相手がサングラスをかけているので目は見えないが、真っ直ぐと綺麗に通った鼻梁に、ふっくらとした唇と、それだけでも魅力的な美人に見えた。

 大学生くらいだろうか。以前、大学見学(みたいなもの)に行った際に出会った女学生と歳が近く見える。

 一瞬目が合ったような気がしたのだが、黒いスポーツカーの女は前だけを向いて微動だにしない。

 千尋は何故か、その女性から目が離せなかった。足もいつの間にか止まっている。

 確かに物凄い美人ではあったが、千尋はそれほど惚れっぽい性質タチではない。初恋の人の四十九日法要も終わっていないのにもう次に目が行ったとあっては、先輩に呪われる。

 そこで思い出した。

(そうか……。ちょっと美波先輩に似てるんだ……)

 だが先月亡くなった先輩は長い茶髪。顔も全然似てない。千尋もどこが似ているのか、ハッキリと言葉にはできない。

 ただ直観的に、似ていると感じてしまい、

()でぇッ!?」

()!? ったー……」

 幼馴染に中段蹴りを喰らった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ