089 自分の腹筋の耐久度が心配です
「――きゅっきゅ、きゅぅ!(ボクをたすけてくれて、ありがとう!)」
空色の透き通った鱗の幼竜は、風竜の子供で間違いなかった。
両親と一緒に旅をしている途中、孤島の鳴砂の海辺に立ち寄って遊んでいたところを襲撃され、ひとりぼっちで檻の中に閉じ込められていたのだという。
風竜として生まれ持っている力は全て封じられてしまい、自力で逃げ出すこともできず、ただただ己の無力を嘆き、助けがくることを願い、寂しさに涙をこぼす日々だったとのこと。
ずっとひとりで耐えてきた竜の仔を抱きしめてなでなでしていると、ヴァルフラムさんが深刻そうな表情で呟いた。
「…このちびが襲われた場所は、ルスキニアの周辺じゃないな。
多分、七聖王国領内の海域だ」
「?」
「砂の上を歩くとキュッと鳴る砂…鳴砂は、綺麗な砂じゃないと鳴かないって話を聞いたことがある。
人がほとんど立ち寄らず、波が穏やかで、砂の出入りが少ない遠浅の入り江でないと、鳴砂の海岸は生まれないらしい。
人が大勢出入りしている海岸だとどうしても汚れてしまうし、海からの漂流物が多く打ち寄せる海岸も駄目だ。
…となると、荒海に囲まれているウチの国の周辺じゃない。
内海のある穏やかな海域がある国で、一番近いのは……七聖王国なんだ」
「…。」
「俺の推測が正しいとしたら、背後の黒幕には七聖王国の権力者…もしくは相当力のある魔導士がいるってことになるな。
こんなちびを捕まえて、どんな風に利用しようとしていたのかまではわからないが…成竜二匹を敵に回してまで仔竜を攫ってくるなんざ、正気の沙汰じゃない」
うーん…確かに、そんな大変そうなことをして、いったい何がしたかったんだろう?
大人の竜じゃなくて、仔竜でなくてはならなかった理由とか、あったのかなぁ?
魔導士のおじいちゃんやレイフォンさん、エリオットの意見も聞いてみたい。
でも、本当に七聖王国が関わっているのなら、おじいちゃんやレイフォンさんには頼れない。
「――兄は、七聖王国が関与している可能性について、何か言っていましたか?」
わたしの質問に、ヴァルフラムさんは頷いた。
「詳しい話は聞いていないが、その可能性があるってことだけは…な。
その推測に至った経緯まではまだ話せないと言ってた。
女王陛下から口止めされているらしい」
「女王陛下から、口止め…」
ということは、少なくとも女王陛下は兄と情報を共有し、現在の状況を全て把握しているってことだよね。
わたしは兄がひとりで難問に立ち向かっている訳ではないことを知り、ほっと胸をなでおろした。
「…俺たちにはほとんど内緒でも、レイフォンやエリオットには話している部分もありそうだったけどな」
「?」
「今朝、レイフォンは妙に浮かれていたし、エリオットは酷く疲れた顔をしていたんだ」
「ああ…そう、ですね」
ヴァルフラムさんが目撃した二人の様子が容易に想像できる。
「ユートは姫さんのことを心配して、早く自分の世界に帰りたがっているからな。
今頃、さっき捕まえた奴らを締め上げて、弾劾裁判を開いていてもおかしくない」
「…だんがいさいばん?」
「この国では貴族が法を犯した場合、高位貴族の立会いの下で真偽を問い、最終的に国王が裁きを下す。
その裁判のことを、貴族弾劾裁判というんだ」
「…。」
高位貴族が裁判員で、国王が裁判長ってことだよね。
行政権と司法権を国王が握ってるとなると、立法権はどうなっているんだろう?
日本の三権分立の図を思い浮かべながらルスキニアの政治の仕組みについて考えている途中、ふと気がついた。
裁判 = クライマックスシーン …なのでは?
ご老公であれば、印籠。
北町奉行様なら、桜吹雪の彫り物。
うちの兄の場合は…?
あのフライパンを片手に、どや顔で告発とかするんだろうか?
「異議あり!」と言いながらフライパンを掲げて叫んだり、「成敗!」とか叫びながらフライパンで誘拐犯を殴り倒したり…?
「…っ!」
わたしは可笑しくて噴出しそうになるのを堪えながら、ヴァルフラムさんに尋ねた。
「わたしもその裁判を傍聴することはできますか?」
「このちび竜も奴等の悪事の証拠のひとつになるだろうから、姫さんがこいつを連れて証言台に立ちたいっていうなら無理だとは言わないが……ユートの傍に行くことになるぞ?
大丈夫なのか?」
「あ、それはナシでお願いします」
わたしはぷるぷると頭を振って、辞退の意を表した。
「この仔は落ち着いてますし、人間全体に悪意を抱いている様子もありません。
付き添いはわたしでなくても大丈夫でしょう。
黒の加護を得ているわたしの存在を秘するなら、この仔から得られた証言を公にできない。
だとすればわたしが一緒に証言台に立つ意味がないし、自分から兄に近づく気はありません。
裁判が行われている会場の隅っこで、少しの間だけ傍聴できればそれで十分なのですが……ダメでしょうか?」
笑える兄の ”フライパン勇者” な様子をチラ見できれば、それで十分満足です。
あんまり長居すると笑いが堪えられなくなりそうだから、危険だ。
わたしのおねだりを聞くと、ヴァルフラムさんは怪訝そうな表情を浮かべた。
「裁判中は人の出入りが厳しく制限されている。
だが、証人の入退室にあわせて近衛と一緒に動けば問題ないと思うぞ。
……姫さんもユートが心配なのか?」
「いいえ?
うちの兄の心配はまったくしていません。
兄が負ける勝負をするはずがないので」
「…じゃあ、なんで裁判を傍聴してみたいと思ったんだ?」
「……ええと、好奇心、ということにしておいてください」
「「…。」」
兄の笑える姿をちょこっと見ておきたい、なんて、正直に言えないし。
わたしが日本人の得意技『笑って誤魔化す』技を繰り出すと、ヴァルフラムさんは深いため息をついた。
「あー、なんか、すっげぇ負けた気分がする」
「…何に負けたんですか?」
「……それは追求しないでおいてくれると、助かる」
先ほどまでと立場が逆転したような台詞にわたしが首を傾げると、ヴァルフラムさんは馬車の窓の外を見ながら小声でぶつぶつと呟きはじめた。
「そうかコレが…れた弱みってやつか。
確かにコレは勝てないな…うん…無理だ…。
キツく言って…かれたりしたら困るし、…われたらもっと困るし…。
あぁ、自分で自分がめんどくせぇ…どうすればいいんだコレ…」
話の流れ的に全く聞こえてないフリをすべきだと判断したわたしは、ちび竜ちゃんにこれからの予定を説明した。
人間の王の城へ向かっていること。
そこで、誘拐犯の罪を問う裁判が行われているということ。
ちび竜ちゃん自身が、誘拐の罪の証拠になるため、裁判の場に立ち会う必要があること。
それらが無事に終わったら、この国の人間がちび竜ちゃんと一緒に、両親である風竜を探す旅に出ることになるだろう…という話は、立ち直った(らしい)ヴァルフラムさんがしてくれた。
「きゅい! (わかりました!)」
泣いたりゴネたりせずにこちらの都合を受け入れてくれた仔竜をふんわりと抱きしめる。
今すぐに両親に会いたいと言い出してもおかしくないのに、優しい仔だなぁ…。
ふと馬車の窓の外に視線を移すと、ここ数日で見慣れた王城が見える。
わたしは笑いの衝動を堪えるために酷使されるであろう自分の腹筋を心配しながら、馬車が大きな城門を通り過ぎてゆくのをのんびりと眺めていた。