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085  自分のために、手放す



「――普通(・・)?」


訊かれた言葉そのままを呟くように問い返すと、エリオットの瞳が揺らぐ。

それで、彼が泣き出す寸前なのだと気がついた。


これは多分、ちゃんと聞かないとダメな話だ。

わたしは瞬時にそう悟って、のほほんとしていた気持ちを切り替えた。


もとから隣に座っていたけれど、更に距離を詰める。

そうしてエリオットと向かい合い、改めて尋ねた。


「ごめんね、エリオットの質問の意味がよく解らない。

…普通って、どういうこと?」


「…。」


ちょっと待ってみたけど、エリオットは何も答えなかった。

ただ、酷く苦しそうな…もの言いたげな表情でわたしを見ている。


「――エリオットが”普通”に話せなくなったのは、おばあちゃんの話を聞いたから?」


別の方面から切り込んでみると、今度はこくりと頷いてくれた。


「そっか……うん、なんとなくだけど、わかった」


エリオットの迷いとか葛藤とか、ぐちゃぐちゃな気持ちをぼんやりと想像する。

どう言えば伝えられるかを思い悩みながら、わたしはゆっくりした口調で訊いた。


「ぶった人の手と、ぶたれた人の頬は、どっちがより痛いと思う?」


「…?」


「――答えは、”どちらも痛いけど、それぞれの人の痛みは比べられないので、わからない”」


「…。」


「ぶった人を”加害者”、ぶたれた人を”被害者”だと仮定します。

加害者の親と、被害者の親は、どちらがより辛いと思いますか?」


「……。」


「―― ”どちらも辛いけど、それぞれの親の辛さは比べられないので、わかりません”」


できるだけ自分の考え方を押し付けることのないように、言葉を選びながら穏やかな口調を心がける。


「おばあちゃんを”被害者”だと考えると、”加害者”は七聖王国。

……それが本当だとしたら、七聖王国の人は、全部悪い人だと思う?

エリオットが憎んで、嫌いになっても…仕方がない?」


「……。」


「そんなことない、って……エリオットは解ってるよね?

だからこそ、そんなに苦しそうな顔をしてる」


「……。」


「おばあちゃんのことをただの”研究材料”だとしか思っていなかった人も、いたかもしれない。

世界の為に…なんて言いながら、自分の探究心とか名声のことしか考えていなかった人も、いたかもしれない。

でも、おばあちゃんのことを”人間(ひと)”として尊重しようとしてくれた人も、いたよね?

おじいちゃんは、おばあちゃんを…リリアーナ姫との思い出を、今でもあんなに大切にしてる。

聖王はそんなおじいちゃん…グレアム師をこの国に派遣して、陰ながら守り育てて…最後は自分への非難が殺到することをいとわずに、おばあちゃんの望みを叶えて…わたしの世界へ逃してくれた」


わたしの言葉に、エリオットはちいさな声で反論した。


「それは、確かにそうです。

……でも、リリアーナ様を救ってはくれなかったじゃないですか。

家族から引き離されて十年、それで約束は果たされた筈だったのに…更にその先の未来にまで干渉して。

結局、リリアーナ様は一人で異世界へ逃げるしかなかった」


「…。」


(うち)には、まだ、リリアーナ様の部屋があるんです。

彼女の本当の居場所は(ここ)にあるのだから、いつ戻ってきてもいいように、手入れを怠らずに保たれています。

…ちいさな頃の僕や姉さまたちにとって、その部屋は特別な空間でした。

いつか、憧れの叔母上が帰ってくるお部屋なのだと、信じて疑わなかった。

叔母上がお戻りになったら、皆で一緒に暮らせるんだって……すごく楽しみにしてました」


「…。」


「叔母上が、リリアーナ様が、この世界に居られなくなった事情を知らなかったから…。

そんな夢は絶対に叶わないことを、知らなかった」


エリオットの瞳から涙がこぼれ落ちた。

宝石(アイオライトから流れ出る涙は、まるで水晶(クリスタルのようにキラキラと輝いている。


わたしは少し迷ったけど、思ったままの言葉を彼に伝えた。


「――ありがとう」


「え?」


「そんなに、想っていてくれていて。

帰りを、待ち望んでいてくれて。

…おばあちゃんが生きていたら、きっとエリオットにお礼を言ったと思うから、わたしが代わりに言ったの。

本当に、ありがとう」


「そんな…」


「おばあちゃんが亡くなったのは、わたしがまだちいさな頃だったから、わたしにはおばあちゃんと過ごした記憶がほとんどないの。

…エリオットが今苦しんでいるのは、おばあちゃんのことを長年想っていてくれたからだよね?

そして、師匠であるおじいちゃんのことも、兄弟子のレイフォンさんのことも、長い間ずっと慕ってきたから…余計に辛いんじゃないかな」


「…。」


「誰だって、好きな人が傷つけられたと知ったら…辛い。

大切な人であればあるほど、自分の事のように辛いから、同じ傷かそれ以上の痛みを返したくなるよね。

その相手が、今まで自分の”味方”だと疑ったこともない親しい人だったら、どうすればいいのかわからなくなる…」


わたしは一呼吸置いて、エリオットに問いかけた。


「―――でも、怒りつづけるのって、疲れない?

誰かを憎んだり、恨んだりしても、いつも”自分は悪くない”って言い張ってる自分自身に気づいて、そんな自分が嫌になったりしない?

だから、わたしは誰かに対して負の感情を抱き続けることが、好きじゃないっていうか……すごく苦手なの。

エリオットは、平気?」


わたしの質問に、エリオットはすこし考えてから答えてくれた。


「…僕は……そうですね、僕も、ユーナと同じで、苦手かもしれません」


「――きっと、おばあちゃんもわたしたちと同じだったんじゃないかな」


「リリアーナ様も?」


「うん、そんな気がする。

ゆるしたわけじゃないけど、自分がしんどくなるのも辛いから、復讐することを考えない…みたいな?

そういう人だから、自分がいなくなった経緯を伏せるように頼んだんじゃないかと思うの。

知らなければ、教えられなければ、七聖王国の人たちを悪く思わないでしょう?」


「…。」


「傷つけられたって感じたり、信頼を裏切られたって思った時、自分を守ろうとして反射的に反撃したくなったり、”被害者の自分は加害者を責めていいんだ”って考えてしまうけど……でも、そんなこと考えている時の自分って、すごく視野が狭くなってるっていうか…”可哀想な自分”をぎゅっと握りしめているような気がするの。

ぎゅっと握っていると、何度も何度も怒りや憤りを思い出して、すごく辛いし疲れるから…だからわたしは、誰よりも自分のために、硬くトゲトゲに凝ってしまった”自分”を手放すようにしてるよ」


「自分のために、手放す…」


エリオットがそう呟きながら目を瞬かせると、また涙が一粒こぼれた。

キラキラのその雫が飴みたいに見えて、思わず指先ですくってしまう。

わたしがそれをそのまま口の中に入れると、彼は急に叫んだ。


「なっ、何してるんですか、ユーナ!」


「何って……なんか甘くて美味しそうだったから、食べちゃった」


てへっと小首を傾げながら答えると、エリオットは顔を真っ赤にして怒りはじめた。


「食べちゃった、なんて可愛く言っても駄目ですっ。

そんなもの食べちゃいけません!」


「そんなものって…別に汚くないし」


「汚くなくても、駄目です!」


「……はぁい、ごめんなさい」


キラキラの涙は残念ながら塩味だったし、エリオットには怒られちゃった。

わたしがしょんぼりしながら謝ると、彼は大きなため息をついて肩を落とした。


うーん、そんなにショックだったのかな?

うちのわんこは繊細だなぁ…。


これ以上刺激を与えないようにじっと様子を窺う。

わたしの視線に気がついたエリオットは、顔を上げて苦笑した。


「…大きな声を出したりして、すみません。

もう、大丈夫ですから」


「本当に、だいじょうぶ?」


「はい、ユーナと話している内に、もやもやしていた気持ちが落ち着いてきました。

まだ完全に割り切れた訳じゃないですけど、平静を装っていつもどおりに振る舞えるくらいは…なんとかなると思います」


エリオットがいつもみたいな柔らかな笑顔を浮かべてくれたから、わたしも嬉しくなってにっこりと笑う。


「――ユーナにはいつも助けられてばかりですね。

いつもすみません」


「んー、別に大したことしてないし、謝ることなんてないよ?」


「でも…」


「あと、”すみません”よりも”ありがとう”のほうが嬉しい」


「…貴女は本当に……もう、誤魔化せなくなるじゃないですか。

完敗です」


「?」


いつから勝負になってたの?

わたしが不思議そうにしていると、エリオットは少し目を細めて眩しそうにしながらこちらを見返した。


「気にしないでください。

僕が、自分の気持ちに向き合うしかないって…覚悟を決めただけですから」


…うーん、そう言われてもよく解らない。

今の流れのどこに勝負と覚悟があったんだろう?


わたしがぐるぐると考えているうちに、エリオットはテーブルの上の食器類をパッと一気に消してしまった。

多分王城の厨房に返したんだろうけど、本当に魔法ってすごいなぁ。


残った茶器をお盆に載せて流し台へ持って行こうとしたら、お盆ごとエリオットに奪われた。

お盆は生きているみたいに、宙を浮かびながら台所へ移動してゆく。


「僕があとでやりますから、いいですよ」


「そう?」


「僕はこの後、王城へ戻って…ユートときちんと話をしようと思います。

僕らに何かを隠して動いているのは間違いないので、その理由の一端だけでも聞き出さないと…。

火竜討伐の旅の日程も話し合わないといけませんし」


「うん」


「――ユーナはどうします?

ジュリアさんは昨夜ご主人が急に赴任先から帰ってきたらしくて、こちらに来れそうもないとのことですが…」


「ああ、そうだったんだ。

…わたしは気になることがあるから、王都をちょっとフラフラしてみたいな」


「気になる事?」


わたしはレイフォンさんから貰った護符のことと、不思議な夢のことをエリオットに話した。

さっき知った、鳥さんたちがわたしに助けを求めていた…ということも。


エリオットはわたしの話を聞くと、険しい表情を浮かべながら尋ねた。


「そのリリアーナ様が出てきた場面というのは、上から見下ろしているような視点で見えたんですね?」


「う…うん、そうだけど?」


エリオットの迫力に気圧されてどもりながら頷くと、強い力でぎゅっと両肩を掴まれた。


「どこか、身体の具合が悪いところはありませんか?

頭痛がするとか、吐き気がするとか…っ」


「え?

だいじょうぶだよ?」


そう答えると、彼は大きく息を吐き出しながらわたしの肩に頭を預けた。


「――俯瞰(ふかん)する夢は、未来視や過去視の夢である可能性が高いんです。

本来知り得ることのできない未来や過去を視る夢は、魔力の消費が激しくて…身体に不調を引き起こすことが多いから、夢見の才を持つ方は総じて短命だと云われています。

しかも、過去へと時間をさかのぼり……生きていたリリアーナ様と言葉を交わしたなんて、とんでもない話です。

過去に干渉することは、未来を変えることよりもずっと難しいし、身体にかかる負担も大きい。

リリアーナ様のおっしゃった通り、魔導士としての修練を積んでいないユーナは、非常に危険な状態だったと思います。

ユーナが夢から覚めずに死んでしまっていても、おかしくないくらいに。

レイ先輩から、何の説明もなかったんですか?

先輩の作った護符が、原因のひとつかもしれないのに?」


「うーん、特には…」


エリオットの声に含まれた怒気が気になって、語尾を濁してみる。

レイフォンさんをかばいたいわけじゃないけど、わたしのことが原因で険悪になられても困るし…。


エリオットは顔を上げると、にっこりと笑顔で言った。


「わかりました。

後で、先輩にはきちんとお仕置きしておきますから」


「お、お仕置き?」


「はい。

先輩には言葉で言ってもあまり効果がないでしょうから」


「…。」


なんだろう、この違和感。


エリオットに爽やかな口調で”お仕置きをする”と言い切られて、どんな反応を返せばいいのか迷ったけど、その対象がレイフォンさんならまあほっといてもいいか…という結論に達した。


だって、レイフォンさんだし。

ヴァルフラムさんなら止めてあげようと思うけど、レイフォンさんならまぁ仕方ないよね。


エリオットが何をしても、レイフォンさんは並大抵のことでは反省しないんだろうなぁ…なんて想像できちゃう辺り、逆にエリオットを応援してあげなくては…と思う。


うーん、でも、お仕置きって、何をするつもりなんだろう。

気になるなぁ…。



その後、わたしを独り歩きさせるのは心配だと言うエリオットを振り切って、ちびちゃんと精霊さん達をお供に王都へと向かった。




■2016.08.14 エリオットの台詞と地の文章、加筆修正

■2021.02.27 優奈の台詞の追加、変更

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