081 接近遭遇、再び
怒鳴っているおじさんの声だけがハッキリと聞こえ、他の人の声はほとんど聞き取れない。
声が聞こえてくる方角は、綺麗に刈り込まれた垣根の向こう側。
そちらに視線を移すと、中庭の篝火に照らされて人影が見えた。
影絵のお芝居のように、黒い影がゆらゆらと揺らぐ。
「――ですから……は非常に難しく…」
「難しいことだというのは、解っとる!
解っとるからこそ、あんたを雇ったんだ。
高額な前金を受け取っておいて、難しいからできないだと?
そんな言い訳が通用すると思っているのか!」
「旦那様、どうか落ち着いて下さい」
「落ち着け?
こんな状況で落ち着いていられるものか!
明日にでも討伐隊が出発するかもしれんのだぞっ」
(…討伐隊が出発すると、どうして困るの?)
もっと詳しい話を聞きたかったけれど、彼らは怒り続けているおじさんをなだめつつその場から立ち去った。
「――後を追いますか?」
「いえ、止めておきましょう。
追わずとも、彼らがどの派閥に属している誰なのか判明していますし……姫を危険に晒すわけには参りませんから」
レイフォンさんはそう言うと、わたしの背に手を回す。
二人でゆっくりと階段を降り、中庭の小道へ足を踏み入れた。
日が沈んだ後の中庭は、さっきヴァルフラムさんと歩いた時とはまったく違う場所のようだった。
道標のように所々に篝火が灯されているけれど、火の光が届く範囲の外には闇が静かに広がっている。
歩きながらチラリとレイフォンさんの顔を見上げると、眉根を寄せて何かを考え込んでいる。
彼の邪魔をしないように、すぐに目線を外した。
(あの人たちの派閥とか、正体とか、直ぐにわかったのは何でなんだろう?)
訊いてみたいけど、今、話しかけるのは躊躇われる。
後で教えてもらおう…と、心のメモに書き留めていると、不意に話しかけられた。
「――ヴァルフラムが姫の傍を離れた理由は解りますが、何故ユートと踊っていらしたのですか?」
(…え、そっち?)
わたしは驚きながら、手短に経緯を説明した。
ヴァルフラムさんが護衛の任務を放棄したのではなくて、わたしがメイさんを助けに行って欲しいと頼んだことも。
わたしの話を聞くと、レイフォンさんは更に不機嫌そうな表情で黙り込んだ。
「…。」
あ、あれ?
何か怒ってる?
「…ああ、すみません。
ヴァルフラムの詰めの甘さに苛立っただけで、姫のことを怒っているわけではありませんよ」
「え、でも」
「いくら姫に頼まれたといっても、姫の安全を確保した後でなければ、役目を放棄したも同然です。
現に、一番接触してはいけなかったユートと知り合い、二人きりで話す機会を作ってしまった」
「…。」
うぅ、反論できない。
「――仮面舞踏会であったこと…そして王家の神器をお借りしていたお蔭で、恐れていた事態は免れましたが、二度とこのようなことが起きぬようにご注意ください」
「はい、ごめんなさい」
「貴女とユートが踊っているのを見て、本当に驚きました。
何事もなくて良かった」
にっこりと笑うレイフォンさんを見て、わたしもホッと胸を撫で下ろした。
「そういえば、レイフォンさんはどうしてあそこに?
儀式の疲れを癒すために、舞踏会には参加しないと聞いていましたが…何かあったんですか?」
ふと思い出して尋ねる。
「あぁ、それは『監視』がつかないようにするための、嘘でしたから」
「ウソ?」
「男装姿も可愛らしいですが、姫が美しく着飾った姿を見逃すなんて、もったいないでしょう?
それを邪魔されたくはなかったので、不参加だと言っておいたのですよ」
「…。」
なんだかすごく平和な……どうでもいい答えが返ってきた。
無反応のまま聞き流したわたしを見て、レイフォンさんは楽しげに笑う。
「おや、不発でしたね。
姫が恥らう姿を見たかったのですが…残念です」
「…。」
やっぱり確信犯か!
思わずレイフォンさんを睨みつけると、彼は笑顔のまま小声で質問を投げかけた。
「――ユートとは、何かお話しましたか?」
「いいえ、特に、何も」
「そうですか。
私も忙しくて、ユートと直に話す機会がなかなか作れずにいるのです」
「…あ、そういえば、レイフォンさんが作ってくれた護符、『半分くらいご利益があった』って言ってました」
「半分、ですか?」
「はい。
ヴァルフラムさんが、どういう意味なのか訊いていましたけど、今は自分にもよく解っていないから答えられないって…。
とりあえず、ちゃんと睡眠をとれるようにはなったらしいです」
「他にも何か言っていませんでしたか?」
「そういえば、セイルさんに兄が何かを頼んで、そのせいでセイルさんの会場入りが遅れた…と、さっき言っていましたよね。
何を頼んだのか、少し、気になってます」
「ユートがセイルに頼んだこと、ですか?
今朝の不審な行動や、お師匠様と密談していることとも、何か関係があるのでしょうが…」
いつの間にか、魔導士の塔の近くまで辿りついていた。
薔薇庭園の泉の水音に紛れて、人の声が聞こえる。
「……様、申し訳ありません」
「いえ、わたくしの力不足が原因ですので。
それよりも気になっていることがあるのですが…」
その二人の声には聞き覚えがあった。
つい先ほど、声のおおきいおじさんと一緒に立ち去った人たちだ。
わたしが行動を起こす前に、レイフォンさんの手で木陰に引きずり込まれた。
彼の囁き声をかろうじて聞き取る。
「彼らが通り過ぎれば良し。
こちらに話しかけてくるようであれば、私が一人で対応しますので、姫は何も話さずにいて下さい」
「わかりました」
ふと気がつけば、彼の腕の中にすっぽりと包まれていることに気がついた。
大きな木の幹を背中に感じながらレイフォンさんを見上げると、お互いの鼻先が触れてしまいそうなくらい顔が近い。
うわぁっ。
身じろぎする暇もなく、甘やかな台詞が紡がれる。
「貴女の唇は、咲き始めの薔薇の蕾のように、ほんのりと色づいて私を誘うのですね。
私のためだけに咲いて欲しい…というのは、許されることのない願いですが、せめて今夜だけは夢を見させて下さい」
……いきなり何のスイッチが入ったんだろう?
そんなに大きな声で喋り出したってことは、あの人たちに聞かせるため?
困惑しながらレイフォンさんの顔を見つめていると、ものすごく楽しそうな表情を浮かべていることに気がついた。
悪戯を仕掛けて罠が発動するのをワクワクしながら待っているような…。
「―――ここで話を続けると、恋人たちの邪魔をしてしまいそうですね。
わたくしたちは場所を変えましょう」
「仰せのままに」
二人の足音が遠ざかってゆき、やがて何も聞こえなくなった。
「…つまらないですね」
「え?」
「あの魔導士に、私がここに居ることを気がつかれたら、それはそれで面白いと思っていたのです」
「…。」
「それに、姫が全く動揺してくださらなかったことも、不満です。
私の男性としての魅力が足りないのかと、自信を失ってしまいそうですよ」
「……。」
どこからツッコミを入れていいのかよく解らない。
とりあえず一発殴りたいんだけど、どこにしようか。
やっぱり痕が目立たない、かつダメージが大きそうなお腹かな?
わたしが拳を握りしめる前に、レイフォンさんの口から小さな悲鳴が漏れた。
「痛っ!」
「…?」
え、まだわたし殴ってないけど…。
苦痛に顔を歪めているレイフォンさんの顔を見上げ、視線を徐々に下へ移してゆく。
すると、レイフォンさんのふくらはぎ付近に、金と銀の毛玉がひっついているのが見えた。
しゃがみ込んでよくよく見れば、間違いなく魔獣の棲む森で出逢った仔たちだった。
彼らはちいさな口をめいいっぱい開けて、レイフォンさんの足に噛みついている。
「ソレ、美味しい?」
首を傾げつつ彼らに問いかけてみると、二匹とも噛みつくのを止めてわたしの足元にすり寄ってきた。
「また会えるなんて思ってなかったから、嬉しいなぁ。
あなたたち、森から出てきちゃったの?」
彼らをなでなでしながら上機嫌で話しかけていると、頭上から疲れ切ったような弱弱しい声が降ってきた。
「姫、それは普通の動物ではありません。
……間違いなく、魔獣です」
■2015.06.27 台詞の一部を修正