078 仮面舞踏会
直ぐに仮面舞踏会の会場へ向かう予定が、予期せぬ事態に遭遇したわたし達は城外に居た。
「姫さんだけに子猫の助けを求める声が聞こえたのは、やっぱり黒龍の加護の力なのか?」
ヴァルフラムさんがわたしの顔を覗き込むようにして尋ねた。
その距離の近さに戸惑いながら首を傾げる。
「今日、わたしの匂い…黒の加護を得ている者の香気を察知した魔獣が、本当に逃げ出すかどうかの実験をしたんです。
その魔獣が住む森で会った子たちとは言葉を交わすことはできなかったので、動物と高度な意志疎通ができる能力が発現しているとは言えないような気がします。
…でも、さっきの子猫の助けを呼ぶ声はハッキリと聞こえました。
あの場に駆けつけるまでは、人の声だと思っていましたから。
精霊さんたちの姿や声も最初は全然解らなかったことを考えると、加護を受けて与えられる特殊な能力は、使いこなせるまでに時間がかかるのかも…?」
ゆっくりと自分の考えをまとめながら話しているうちに、ヴァルフラムさんにきちんと説明しないまま行動していたことに気がついた。
直ぐにそのことを謝ると、ヴァルフラムさんは「気にしなくていい」と言って笑った。
「姫さんが俺を連れて素早く助けに向かったお陰で、あの子猫と小さな侍従が樹から落ちてケガをせずに済んだんだし……俺も珍しい加護の力が見れて得した気分になれたから」
「…。」
わたしは助けを呼ぶ声に気がついただけで、実際に一人と一匹を助けたのはヴァルフラムさんだ。
改めてお礼を言おうと思ったのだけど、逆に困らせてしまいそうだったから、言葉にはせずに笑顔でちょこんと頭を下げた。
その後、急に挙動不審になったヴァルフラムさんの説明によると、来た道を戻るよりも、この中庭から会場へ向かった方が早く着くらしい。
中庭を二人でゆっくり歩く。
夕方の涼やかな風が頬を撫でていった。
舞踏会など貴族が参加する社交の場では、偉い人ほど遅く登場するものだ…という不文律も教えてもらう。
「わたしの場合、女王陛下に遠目にお目にかかるだけが目的だから、開始直前に会場に入って、すぐに退室すれば良いんじゃないかと思うんですけど……どうでしょう?」
わたしの提案を聞くと、ヴァルフラムさんは落ち着かない様子で視線をさ迷わせた。
「姫さんの狙いは解る。
だけど、さっき言ったように、遅れて登場する奴ほど注目を集めるもんなんだ。
注目されたまますぐに退室したら、訳ありだと勘ぐられる恐れがある」
「…。」
「できるだけ会場に居る時間を少なくするなら、高位貴族が入場する前に入って、隅っこで目立たないようにして…ダンスが始まったら陛下の近くに踊りながら移動し、さっさと退却する…って感じならいいか?」
わたしはヴァルフラムさんの提案に、即頷いた。
目と髪の色、それに声も変えている。
仮面に見えるように細工してもらった眼鏡には、認識阻害の魔法もかかっているんだもの。
それくらいの間なら、きっと大丈夫。
隅っこで大人しくしている間に、綺麗なお姉さんたちのドレス姿を眺めたり、何か美味しい物を食べられるかもしれない。
眼福と口福を堪能できる時間を楽しく想像しながら歩いているうちに、わたし達は中庭から城内へと続く階段までたどり着いた。
ヴァルフラムさんの腕に支えてもらいながら、ゆっくりと階段を上っていると、大勢の人たちが笑いさざめく声が聞こえてきた。
「お集まりの紳士淑女の皆様、今宵は仮面の下に素顔を隠し、いつもの自分とは違う振る舞いや装いを楽しむ仮面舞踏会……ですが、主役ともいえるこの方々だけは皆様にご紹介させて頂きます。
リヴァーシュラン伯爵家の方々のご登場です。
盛大な拍手でお迎え下さい」
階段を上り終えると、エリオットっぽい仮面の少年と髪の毛に白いものが混じる初老の男性が、たくさんの人たちに囲まれているのが見えた。
…あれ、兄がいない。
わたしの疑問に応えるようなタイミングで、司会者らしき男性がよく通る声で会場の人たちの注目を集めた。
「今、我が国で一番の話題の方の姿をお探しのお嬢様方、今宵の催しが『仮面舞踏会』であることを思い出して下さい。
他ならぬ彼が、仮面舞踏会を希望したのです。
彼は主役ではなく、大勢の中の一人として楽しみたい…と望んでいました。
ですが、あのように人目を惹く方を仮面ひとつで隠せる筈がなく、さりとて直ぐに正体がばれてしまっては無粋というもの」
司会者さんはそこで一息つきながら会場全体を見渡した。
「そこで特別な趣向をご用意致しました。
彼の故郷に伝わるお伽話を元にしたものなので、ご清聴願います。
……むかしむかし、森の奥の城に、とても傲慢な王子がおりました。
産まれた時から全てに恵まれ、甘やかされて育った王子は、他人に優しくする必要があることさえ知らなかったのです。
ある時、醜い老婆に化けた魔導士が王子の住む城を訪れ、美しい薔薇を一輪差し出し、城に泊めて欲しいと願い出ました。
傲慢な王子は、老婆の願いを断り、城からすぐに追い出すように命じます。
すると魔導士は老婆から真の姿へと立ち戻り、王子の姿を恐ろしい野獣の姿に、家臣たちを家財道具の姿に変えてしまいました。
魔導士は言いました。
『この薔薇の花びらが全て散ってしまう前に、ありのままの王子を受入れてくれる人を見つけなさい。
貴方が心からその人を愛し、愛されることができなければ、私がかけた術は一生解けず、貴方は偽りの姿のまま息絶えるだろう』
王子は必死になって、野獣の姿になった自分を怖がらず、愛してくれる娘を探しました。
人間の姿をしていた頃には、たくさんの娘たちが王子の気を惹こうと集まってきていたのです。
その気になれば、誰かひとりくらい直ぐに見つかるだろう…と思っておりました。
けれども、皆、王子の姿を見ただけで悲鳴をあげて失神してしまいます。
無理もありません、今はとても恐ろしい獣の姿をしているのですから。
王子は野獣の姿のまま、自分を愛してくれる女性を探しました。
魔導士が残していった薔薇の花びらは、一枚、また一枚…と無情にも散ってゆきます。
長い年月の間、王子は自分と家臣にかけられた術を解いてくれる、心優しい乙女を探し続けました。
今日こそ見つかるのではないかという期待と、このまま誰からも愛されずに野獣の姿のまま朽ちていく不安に苛まれながら…。
残された薔薇の花びらが僅かとなり、王子と家臣たちが半ば諦めかけた頃に、一人の男が城の中に忍び込みました。
その男は、城内の庭園に咲いていた薔薇を一輪盗もうとしていたのです。
『お土産は何もいらない』と言った娘のために、薔薇が欲しかった。
男が薔薇を盗もうとした事情を聞くと、王子は娘に興味を抱きました。
宝石やドレスをねだれば良いのに、欲のない娘だ…と。
やがて、王子に囚われた父親を探しに来た娘は、我が身と引き換えに父親を解放するよう願い出ました。
父が盗みを働こうとしたのは、自分の為。
ならば父の罪は、私の罪。
どうか父の代わりに、私を捕らえて、罰して下さい。
恐ろしい獣の姿をした王子に怯えながらも、父親を助けようとする娘の姿を見て、王子は最後の望みをこの娘に賭けようと決めました。
自分と家臣たちが人間の姿に戻れるかどうかの、最後の機会。
我が身を犠牲にして父親を助けようとするこの娘ならば、見かけに惑わされずに自分を愛してくれるかもしれない。
野獣の王子と家具にされてしまっている家臣たちとの生活に、娘が戸惑っていたのは最初だけでした。
娘の笑顔と笑い声が、陰鬱としていた城の中の空気を明るく染めてゆきます。
野獣の姿になっても変わらなかった王子の傲慢さを、娘は正面から指摘し、直した方がいいと助言します。
王子はそんな娘に対して、大いに怒り、戸惑いました。
冷静になって我が身を振り返ると、娘の言い分が正しい事を理解し、少しづつ変わってゆきました。
そんなある日、娘の父親が病に倒れたという知らせが届きました。
自分の代わりに囚われた娘のことを心配し続けて、病気になってしまったというのです。
娘は王子に『家に帰して欲しい』と願い出ました。
父親の看病をして、病気が治ったら、必ず戻ってくるから…と。
王子は悩みました。
もう、魔導士が残していった薔薇の花びらは、あと数枚しかありません。
魔法を解くことのできる時間は残り少なく、娘から真実の愛を得なければ、野獣の姿のまま死んでしまうのです。
悩んだ末に、王子は娘を城から送り出しました。
自分の抱えている事情は何一つ語りませんでした。
娘の父親の病が早く治るように祈っている…と、ただそれだけを伝えました。
病から回復した後、このまま家に留まるようにと訴える父親をなだめて、娘は城へ戻りました。
すると、家具にされた家臣たちが、皆泣いています。
驚いた娘が理由を尋ねると、家臣たちは答えました。
王子が、死の直前にいることを。
魔導士にかけられた術のことを。
娘は、王子が自分の命よりも、娘と父親のことを大切にしてくれた事を知りました。
そのせいで、今、死にかけていることも。
娘は王子の部屋へ向かって、全速力で駆けました。
王子のベッドの枕元に飾られた一輪の薔薇には、まだ一枚だけ花びらが残っています。
既に死んでいるかのように目を閉じて横たわっている王子に向かって、娘は涙ながらに言いました。
『私はあなたを愛しています』
娘の流した涙が王子の頬に落ち、死なないで欲しいと懇願する声が王子の耳に届きました。
自分を想って泣いている娘の姿を見て、王子は言いました。
『戻ってきてくれて、ありがとう。
私も君を愛している』
二人の想いが通じたその瞬間、魔導士の術は解けました。
王子と家臣たちは、元の人間の姿に戻れたのです。
そして二人は、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました……」
司会者さんが情感たっぷりに語り終えると、会場のあちこちから大きな吐息がこぼれた。
「心映えの良い乙女との出会いを切望している『野獣』…もとい火竜討伐に参加する勇敢な若者たちの中に、彼は隠れています。
パートナーをお探しのお嬢様方は、姿形に惑わされずに彼を見つけ出すことができるかどうか…も、お楽しみくださいませ」
司会者さんが右手で正面に見える扉を差し示すと、会場の明かりが一斉に消えた。
スポットライトのような一条の光の中に現れたのは、ライオン・虎・狼…様々な動物の頭部を被った男性たちだった。
その動物の被り物は本物と見間違えそうなほど精巧に作られている。
会場の大勢の人たちの言葉にならない歓声が上がる中、『野獣』に扮した男性たちは輪になるように広がり、やがて全員が中央に向かって跪く。
すると誰もいなかった中央の空間に花びらが舞い始め、花びらの螺旋の中から女王陛下が現れた。
とんがり帽子とマントを身につけた女王陛下が嫣然と微笑みながら杖を振り上げると、野獣の王子たちの手元に白い薔薇の花が出現する。
お伽話をそのままなぞらえたような演出に、会場全体から大きな歓声が上がった。
「なるほど、ユートの奴…良く考えたな」
ヴァルフラムさんはニヤリと笑った。
「あんなものを頭に被ったら誰が誰だか解らない上に、声の違いも誤魔化せる」
「…。」
「ユートの身代わりになって、女の子にちやほやされたいって奴も多かっただろうし、大勢の中に隠れてしまえば正体がばれる心配はない」
ヴァルフラムさんは兄の作戦を絶賛している。
わたしはその横で小さなため息をついた。
あの中の誰が兄だか解らない以上、全員を警戒しなくてはならない。
野獣コスの男性の傍には絶対に近づかないようにしよう。
わたしが固く心に誓っている間に、彼らは会場のあちこちに移動し、たくさんの女性たちに囲まれている。
全員が白い薔薇を身につけているのを見て、『パートナー募集中かどうか』の意志表示であるのと同時に、仲間意識や連帯感を高める役割も発揮しているのかもしれない…と思った。
「姫さん?」
「え…あ、はい、何でしょう?」
「何か考え込んでるところ悪いと思ったけど、今がチャンスじゃないかと思ってさ」
ヴァルフラムさんの目線を追うと、王座に座る女王陛下の姿が見えた。
踊っている人が少ない今なら、目立たずに陛下の傍まで近づくことができそうだ。
わたしが頷くと、ヴァルフラムさんは少し身を屈め、照れながら「踊っていただけますか」と言った。
何故かわたしもつられて恥ずかしくなりながら、差し出された手を取ろうとした瞬間、背後から艶やかな美声が聞こえてきた。
「――恋人はいない…と言っていたのは、嘘だったのか、ヴァルフラム?」
後ろを振り返りたくない。
このまま逃げてしまいたい。
わたしとヴァルフラムさんは目を見合わせると、互いに同じ思いを抱いていることを察した。
それでも無視することはできず、声の主の姿を確認するために振り返った。
『美女と野獣』のお話をちゃんと読んだことが無いのと、
異世界アレンジが含まれていますので、
オリジナルとはいろいろ違っていると思います。
誤解なきよう、ご注意下さい。
そして、おとぎ話が占める割合が多くてスミマセン…。
■2015.06.14 脱字修正