076 潜入準備
「――それからしばらく広場の周辺を探してみたんだけど、見つからなかったの。
二匹とも家に連れて帰りたくなるくらい、すごく可愛くて触り心地のいい毛並みだったんだよ」
わたしはジュリアさんにお化粧をしてもらいながら、王城の中の一室でエリオットに検証の報告をしていた。
同じ部屋の中に居るけれど、わたしの身支度が整っていないため、衝立越しに会話をしている。
「ユーナがそんなに気に入ったのなら、連れて帰りたいという気持ちも解らなくはないですが、動植物を『界渡り』させることは厳しく禁じられていますから、諦めてくださいね」
「え、ダメなの?」
「はい」
「人間は行き来してるのに?」
「それも、正当な理由がない者には認められていないんですよ。
僕の場合、火竜退治の任務を遂行するために必要な血継神器を持ち帰る…という理由で許しを得ましたが、基本的に国家規模の任務以外で許可が出るのは極めて稀なことなんです」
「…。」
「こちらの世界のものをあちらの世界に持ち込むことは、非常に大きな危険を伴います。
草花の鉢植えひとつにもあちらの世界には存在しない細菌や微生物がいる可能性がありますし、動物の体内に潜む寄生虫が原因で人を死に至る病を引き起こすかもしれません。
異なる世界に存在しないはずの『異物』を持ち込んで、禍を招くようなことはあってはならない。
界渡りを修得した魔導士全員が < 誓約 > する、掟のひとつです」
「そっかぁ…そんな掟があるなら、諦めるしかないよね」
あの仔たちにもう一度会う機会があっても、連れて帰っちゃいけないんだ。
ちょっと…いや、かなり残念かも。
しょんぼり項垂れていると、ジュリアさんが両手でわたしの頬をぐいっと持ち上げた。
「顔はまっすぐ正面に」
「あ、ごめんなさい」
「うん、そのまま動かないでね。
マスカラとアイライナーは終わったから、乾くまでできるだけまばたきしないように注意して。
エリオット君も、自分の作業に集中してちょうだい。
国宝の眼鏡を仮面にする細工、お喋りしながらやっていて、失敗して壊れちゃいました…なんてことにならないようにね」
「「はい」」
「ユーナちゃんのお化粧は、チークを入れて、口紅を塗れば完成よ。
エリオット君の方の作業も、同時に終わるといいけど…」
鏡越しにジュリアさんの真剣な表情を見て、わたしはピシッと背筋を正した。
綺麗にお化粧されてゆく鏡の中の自分を他人のように見ているうちに、疑問が口から零れ落ちる。
「あの、こんなにきちんとお化粧しなくても良いような気が…。
わたしの役目はこれから控室へ行って、火竜討伐隊に振り分けられた治療士さんたちに問題がいないかどうか、最終確認することですよね?
女王陛下にお借りした眼鏡を仮面風にデコって着用するなら、わたしの正確な姿形は見た人の記憶に残らないわけですし、適当で良いと思うんですけど…?」
わたしの質問に、ジュリアさんは少し考えてから答えた。
「――必要か不必要か…は、今回の場合あんまり関係ないんじゃない?」
「?」
「あたしは自分が気に入って薦めたドレスを、ユーナちゃんが可愛く着こなしている姿が見たいだけなの。
そして、それを他の人にも認めてもらえれば大満足よ。
女王陛下の場合は…そうねぇ、リリアーナ様とそっくりなユーナちゃんを、遠目で愛でたいだけじゃないかしら?」
「…?」
「リリアーナ様の孫が二人もこちらに来てるのに、ほとんど私的な話ができていないとおっしゃっていたから、同じ空間に少しでも居て欲しいのかもしれないわね」
「…え?
ひょっとして、わたしも仮面舞踏会に参加するんですか?」
そんな話聞いてませんけど!
危険人物(うちの兄)が紛れている会場に入るなんて、そんな恐ろしいことできませんっ。
心の中で力一杯拒否する台詞を並べ立てながら訊き返すと、ジュリアさんはきょとんっとした顔で首を傾げた。
「あら、あたし、言い忘れてた?」
「…はい」
「ごめんなさいね、でも、女王陛下も凄く楽しみにしていらしたから、少しだけでも参加してくれない?
ユーナちゃんが絶対に嫌だと言うなら諦めるけど……駄目?」
「……。」
むぅ。
こちらの世界に来てから、ずっとお世話になっているジュリアさんの頼みは断りづらいなぁ。
「わかりました。
…でも、少しだけですよ?
兄に見つかったら大変なことになりますから」
主にエリオットとおじいちゃんが犠牲になると思います。
正座で長時間お説教されること間違いなし、みたいな。
ソレをリアルに想像しながらわたしが承諾すると、ジュリアさんは輝くような笑顔で頷いた。
「ええ、もちろん長居はしなくていいのよ。
ユーナちゃんに断られなくて良かったわぁ……こんな機会には全力で応援してあげたかったし」
「応援?」
…って誰を?
わたしが訊く前にジュリアさんは笑って誤魔化した。
「あ、ううん、何でもないの」
「?」
彼女の顔を鏡越しにじっと見つめてみたけれど、それ以上話してくれる気配はなかったので追及を諦めた。
わたしは沈黙を保ちながら、最後のお仕事…治療士選抜試験の仕上げについて考えを巡らせていた。
「――よし、我ながらいい仕事したわぁ。
ユーナちゃん、長時間お疲れ様。
もう終わったから動いていいわよ」
ジュリアさんの声でハッと我に返り、椅子から立ち上がって鏡の中の自分を眺めた。
細部まで丁寧に施された薄化粧が、わたしに大人びた雰囲気を纏わせている。
髪の毛には、ドレスと同色のリボンと生花が綺麗に編み込まれていた。
淡いピンクのドレスはまるで誂えたもののようにピッタリで、身動きをしても引き攣る感じもなく、激しい動きのダンスでも大丈夫そうだ。
初めての大金のお買い物だったけど、コレは大当たりだったと思う。
ジュリアさんの見立てに感謝しながら、鏡の前でくるりと一回転してみる。
回るとドレスのスカートは花のようにふんわりと広がり、止まると優美なドレープを描いた。
…うん、大丈夫。
このドレスなら舞踏会で踊っても綺麗に見える筈。
わたしはそこまで考えて、ふと大事なことに気が付いた。
満面の笑顔でこちらを見ているジュリアさんに尋ねる。
「あの…わたしをエスコートして下さる方って、いるんですか?
踊らなくていいのなら、一人でも大丈夫ですけど…」
エリオットはパーティで歓待される中心人物で、レイフォンさんはおじいちゃんの分まで宮廷魔導士としての仕事に追われていて、ヴァルフラムさんは女王陛下の近衛だからきっと警備で忙しいよね。
皆忙しそうだから、一人でこっそり会場に紛れているほうがいいのかもしれない。
でも、誰かに話しかけられたり、ダンスに誘われたら断るの面倒そうだなぁ。
急に不安になってきたわたしの耳に、エリオットの弾んだ声が飛び込んできた。
「出来ました!
ユーナ、見て下さい、コレでどう……」
衝立の影からぴょんっと飛び出すように顔を出したエリオットは、わたしを一瞥すると直ぐに引っ込んだ。
「エリオット、どうしたの?」
気になってこちらから衝立の向こう側を覗き込むと、エリオットは床に手と膝をついて俯いている。
全身で何かを堪えているような体勢を見て、驚いたわたしは恐る恐る声をかけた。
「だいじょうぶ?」
「…ハイ、ちょっと、ビックリしただけです。
もう少ししたら、落ち着くと思うので、僕のことは、気にしないでください」
息絶え絶えなその喋り方ひとつとっても、大丈夫そうには見えないんだけど…。
わたしはオロオロしながら視線でジュリアさんに助けを求めた。
ジュリアさんはわたしとエリオットを交互に見ながら、ニヤニヤと笑っている。
「――本人が大丈夫だと言っているんだから、しばらくそっとして置いてあげましょう?
さっきのユーナちゃんの質問だけど、舞踏会でユーナちゃんのパートナーを務めるのはウチの愚弟よ」
「女王陛下が舞踏会にご臨席されるのであれば、ヴァルフラムさんは近衛としてのお仕事があるんじゃ…?」
「ううん、全然。
そういった、表向きの警備の任務は、あの子たちの管轄じゃないから」
「…。」
そういえば、普通の近衛騎士団とはちょっと違うって言ってたっけ…。
わたしがヴァルフラムさんの説明をぼんやりと思い出していると、復活した(らしい)エリオットがやんわりした口調で言った。
「僕が付き添うことができれば良かったんですが、今夜の舞踏会に出席する男性は成人している方ばかりなので、仮面をつけていても身長の低さで『僕』だと解ってしまいます。
…そうなれば、僕と一緒にいるユーナの身元を割り出そうとする人が出てくる恐れがあるので、逆に危険なんです」
「ユーナちゃんのお兄さんとはまた違った意味で、エリオット君も注目の的だからね。
そんな訳で、ヴァルフラムに任せることにしたのよ」
「レイ先輩には、絶対に任せられませんからね」
「そうよね、あの色魔にユーナちゃんのお相手を任せるなんて、狼に子羊を差し出すようなものだわ」
「確かに。
先輩がこんなに綺麗に着飾ったユーナを見たら、絶対に何か仕掛けてくるに決まっています」
「あたしもそう思うわ。
ユーナちゃんがあいつの毒牙にかからないよう、しっかりと守ってあげないと…」
「レイ先輩は < 誓約 > の儀式の準備に奔走して疲れているため、今夜の舞踏会には参加しないそうです。
自分の研究室に戻って休むと言っていたので、ユーナを塔に近づけないようにすれば…」
ジュリアさんとエリオットはその後も早口で「如何にレイフォンさんをわたしから遠ざけるか」の計画を練っている。
わたしが口を挟む間もなくて、何となく置いてけぼりにされた気分。
レイフォンさんは付き合う女の人に困っていなそうだし、そんなに警戒する必要ないと思うんだけど…。
『黒の加護』を与えられているわたしが珍しいだけで、他意はない気がする。
ちょっかいをだしてくるのは、単にわたしをからかって遊びたいだけなんじゃないかな?
そう言って、二人に落ち着くように伝えたかったんだけど、この様子だと言っても無駄…というか、庇っていると思われたら逆に面倒くさいことになりそう。
わたしは全てをまるっとスルーすることに決めて、見慣れない部屋の中の調度品を見て回ることにした。
アンティーク風な調度品を目で見て楽しみながら歩き回っているうちに、衝立の向こう側の机の上にエリオット作の『眼鏡をデコって仮面風にしてみました』を見つけた。
それを手に取って鏡の前でかけてみると、顔の三分の一がしっかりと隠れた。
薄いピンクの生地に淡色系のビーズが飾られていて、眼鏡のつるにまでしっかりデコってある。
わたしはエリオットの手先の器用さに感心しながら、誰かがコレを見て土台が眼鏡だと解ることがあっても、国宝の眼鏡であることは誰にも解らないだろうなぁ…と思った。
「エリオット、コレすごく良くできてるね」
仮面風にしてもらった眼鏡をかけたまま話しかけると、エリオットとジュリアさんは会話を止めてわたしを見た。
ジュリアさんはわたしの傍まで歩み寄り、じっと観察した後に感嘆のため息を漏らした。
「本当に、良くできてる。
ドレスと同じ色合いの仮面なんて、オーダーメイドでなければ中々無いし、素晴らしい出来栄えだわ」
エリオットは賞賛の言葉に照れ笑いしながら、わたしに虹色石のネックレスを手渡した。
「先ほどお師さまが虹色石に『声音を変える術』を込めてくださったので、ユーナにお返しします。
術を発動する方法は、姿を変える時と同じです。
ユートから話しかけられることはまず無いと思いますが、念のために舞踏会の会場へ入る前に声も変えておいて下さいね」
「うん、わかった。
…おじいちゃん、いつ来てたの?」
後半はこっそりと小声で訊いた。
「ユーナがドレスに着替えている間に。
そういえば、今朝のユートも様子がおかしかったけど…さっきのお師さまの様子も変でしたね」
「変って、どんな風に?」
肩を寄せ合ってひそひそと二人で密談していると、ジュリアさんが腰に両手をあて、顔を突き出すようにして口を挟んだ。
「――二人で内緒話?
あたしに聞かれるとマズイ話なのかしら?」
「「…。」」
その通りです、とは答えられなくて、わたしはエリオットと顔を見合わせた。
多分、ジュリアさんもヴァルフラムさんと同じで、おじいちゃんの話題は嫌がるだろうから、できれば聞かれたくないんだけど…。
対応に困っていると、ジュリアさんが急に笑い出した。
「あははははっ、ごめんなさい、ちょっとからかってみたくなっただけなの。
話せないことを無理に訊き出そうとするほど、野暮じゃないわ。
……それにしても、あなた達本当に仲がいいのねぇ。
今の困った表情も、顔を見合わせるタイミングも同じで、見ていて可笑しくなっちゃった。
ついこの間、知り合ったばかりなんでしょう?」
「えっと、はい、その通りです…」
エリオットがしどろもどろに答えながらこちらを見たので、わたしも笑って頷いた。
「そう言われてみれば、そうですね。
エリオットは人当りが柔らかくて…優しいし、歳も近いから話しやすいんです」
あと、ちびわんこみたいな反応や仕草が面白い。
心の中で重要な特徴をそっと付け足しながら答えると、エリオットの顔は真っ赤になった。
それを見たジュリアさんが、また楽しげな笑い声をあげる。
「綺麗な花を欲しがる人がたくさん現れるのは当然の事よね」
「花、ですか?」
「ええ、そうよ。
でも、今はこれ以上話せないわ」
ジュリアさんはそう言いながらウィンクして、大きな鏡台の前に移動した。
「――さぁ、ユーナちゃん、術を発動して、髪の毛の色と瞳の色を変えてちょうだい。
黒髪黒目にあわせたメイクがおかしければ、すぐに直すから。
貴女の支度が済んだら、潜入開始よ」
■2012.02.06
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