074 兄の奇行
目を開けて、見えた天井が自分の部屋のものではないことに気がつき、次にここが自分の世界ではないことを思い出し、最後に奇妙な違和感が拭えないことに首を傾げた。
「……?」
わたしは答えを見つけられないまま起き上がり、窓のカーテンを開けた。
眩しい太陽の光に目を細めた瞬間、答えがふっと浮かんだ。
「――鳥の声が、聞こえないんだ」
昨日も、一昨日も…こちらの世界に来てからずっと、朝には鳥の鳴き声が聞こえていたのに、今日に限って聞こえてこないのはなんでだろう?
「黒龍の加護、試してみたかったのになぁ」
動物と高度な意思疎通ができるなんて、すごく楽しそう。
こちらの世界のもふもふな毛皮の動物たちと仲良くなりたい。
そして思う存分、毛並みをなでなでさせてもらって…。
「あ、そういえば、王都に鳥がたくさん集まってるって話……その理由があるなら、訊ける…のかな?」
自分の加護ながら、自信は無いし、できるかどうかも解らない。
首を傾げつつ呟いていると、ドアをノックする音が聞こえた。
コンコンコンっ。
「はい、どうぞ」
返事を返すと、直ぐにドアが開き、ジュリアさんが部屋の中へ入ってきた。
「ユーナちゃん、おはよう。
よく眠れた?」
「あ…はい、よく眠れました」
わたしはそう答えながら、たくさん夢を見ていたことを思い出していた。
後でレイフォンさんとおじいちゃんに報告した方がいいのかもしれない。
「あの馬鹿から、昨日の朝…ユーナちゃんが夢を見てうなされていたって聞いから、ちょっと心配していたの。
でも、これだけ長い間眠れたなら大丈夫ね」
にっこり笑いながらそう言ったジュリアさんの顔を、わたしは呆然と見つめた。
「?」
「貴女がぐっすりと寝ていたから起さなかったんだけど、朝じゃなくて、もうお昼の時間なの。
お腹が減っているんじゃない?」
ジュリアさんの問いかけに、わたしのお腹の虫が「ぐぅ」と鳴いて肯定の意を表明した。
――その後、わたしはジュリアさんに言われるまま、急いで身支度を整え、馬車へと乗り込んだ。
朝食と昼食を兼ねた食事は、馬車の中で揺られながら食べている。
バスケットに用意されていたのは、野菜とローストビーフっぽいお肉が沢山挟まれたサンドイッチ。
崩れないように注意しながら、がっつり頬張って食べていると、向かい側から生温かい視線を感じた。
「…?」
口の中のサンドイッチを咀嚼し終わっていないため、目だけで問いかける。
わたしと目が合うと、ジュリアさんはふふっと笑った。
「ユーナちゃんが食べている姿を見てると、食べ慣れているものなのに、すごく美味しそうに見えるのよ。
それがなんだか可笑しくて…ね。
目的地はまだ遠いから、もっとゆっくり食べても大丈夫よ?」
「…はい、お気遣いありがとうございます」
少々ひっかかるような答えだったけど、わたしはそれをスルーして別の質問を投げた。
「目的地に着くまでに、説明していただけますか?
わたしが眠って…起きるまでの間に何があったのか。
そして今、どこへ向かっていて、何をするつもりなのか」
わたしは食事を続けながら、ジュリアさんから話を聞いた。
至る所にレイフォンさんに対する罵詈雑言が混じっていたけれど、そんな些細なことを吹き飛ばすような出来事を知らされて、わたしの心臓は早鐘を打つように高鳴った。
「兄が、エリオットをベッドに押し倒したというのは……ふざけて遊んでいて、勢い余って…という訳ではなく?」
「寝ぼけていた、という可能性ならあるかもしれないわ。
彼はエリオット君に揺り起こされて、目を開け、起き上がり……無言のままエリオット君に抱きついて、頬をすり寄せ、その勢いのままベッドに押し倒したって話よ?」
「…。」
うわぁ、何そのBLっぽい展開。
そんな面白そうな場面、自分の目でしっかりと見たかったなぁ。
あわてふためくエリオットの姿とか、にやにやしながら眺めていたかった。
ちぇ。
「しばらくして落ち着いた後は、普段通りの彼に戻ったらしいんだけど…。
ユーナちゃんに何か心当たりはないか訊いておいてくれって」
「わたしに?」
「あの色魔が創った護符の力が、貴女の夢にも影響を与えているなら、お兄さんと同じ夢を見た可能性があるから……そこから今朝の奇行の原因も解るんじゃないかって言ってたわね」
ジュリアさんは微妙な表情を浮かべながら、レイフォンさんからの伝言を伝えてくれた。
わたしは昨夜見た夢の内容を改めて思い出しながら首を傾げる。
「夢はたくさん見ていたんですが…途切れ途切れで、ひとつながりの夢ではなかったような気もします。
それらの夢は、目覚めた直後にエリオットに抱きつくような内容ではなかった…と思います。
変わっていた事といえば、おばあちゃんに逢ったことぐらいかな?」
「ユーナちゃんの夢の中に、リリアーナ様が出てくるのって、珍しいことなの?」
「はい、おばあちゃんの夢を見たのは初めてです。
兄を止められるのはわたしだけ……とか言っていましたけど、その意味がよく解らなくて。
――まぁ、全部がただの夢で、その言葉に意味なんてないのかもしれませんけどね」
わたしの見た夢が『本当にあったこと』なのか…『意味のある内容』なのかどうかすら曖昧で、真面目に考えることさえ無駄なことかもしれないと思う。
「うちの兄は、その奇行について、自分では何も弁明していないんですか?」
「ええ、そうなの。
エリオット君やあの変態がいくら訊いても、どんな夢を見ていたのか、どうして急に抱きついて押し倒したりしたのか…何も理由を話してくれなかったんですって」
うーん?
わたし的には『唐突にBL道に目覚めました』って展開が一番面白いんだけど、兄は百合男子だしなぁ。
そっちの線は、まず無いよね。
だとすると…
「怖い夢を見ていて、起こされたことでそれが夢だったと理解しつつ、現実感を味わいたくて抱きついてしまい、冷静になった後で改めて事情を説明するのは恥ずかしいから黙ってる…とか?」
わたしが適当に思いついた理由を口にすると、ジュリアさんは苦笑しながら頷いた。
「そうね、そんなところなのかしらね。
ユーナちゃんが見ていた夢は、どれも怖くはなかったの?」
「はい。
最後におばあちゃんに逢う夢以外は、自分が登場するタイプの夢じゃなくて…俯瞰して観ているような感じの夢だったので」
「…。」
ジュリアさんはわたしの答えを聞くと、一瞬眉を顰めた。
その表情の変化について尋ねる前に、彼女はこれからの予定の話を始めた。
「今日のユーナちゃんの予定はね、まず、魔獣の棲む森へ行って、森に着いたら匂い封じの魔道具を外してもらって、本当に魔獣がユーナちゃんの匂いを察知したら逃げ出すかどうか…の検証を行います」
「はい」
「次に、王城へ行くわ。
ちょうどその頃には誓約の儀が終わっているから、控室で休んでいる治療士たちと密かに接触してもらって、本当に彼女たちで問題がないか…の、最終確認をして欲しいんですって」
「火竜討伐隊に参加する人たち全員が、同じ控室に集まっているんですか?」
「ええ、男性は別だけど……ああ、ごめんなさい、説明が足りなかったわね。
パーティのためだけの控室ではなくて、お化粧室や衣装室も兼ねている場所だから、女性は全員が集まる筈よ」
「パーティ?」
「激励会というか…壮行会というか…危険な任務に赴く人たちを、歓待する催しが開かれるの。
ユーナちゃんのお兄さんの希望で、仮面舞踏会になるそうよ。
少しでも人目を避けて、ダンスの申込みも断るつもりなんでしょうね」
仮面ひとつであの存在感を隠し切れるとは到底思えないけど…と言い足して、ジュリアさんは笑った。
仮面舞踏会かぁ。
面白そうだから参加してみたいけど、お役目が終わったらさっさと安全地帯に戻らなくっちゃ。
万が一兄に発見されたら、大変だし…。
(あ、寒気がする。プルプルっ)
それから魔獣の棲む森に着くまでの間、わたしはジュリアさんと楽しくお喋りしながら過ごした。
お家を空けても大丈夫かと尋ねると、ジュリアさんの夫である子爵様はお仕事で留守にしているらしく、外泊しても全く問題ないという答えだった。
二人の出会いから結婚に到るまでの甘々なお話を聞いているうちに、目的地へと辿りついた。
五章から、一章並みの「駆け足モード」で完結を目指します。