064 異世界の市場に来ています
ジュリアさんはわたしの質問に「楽しいところよ」と答え、どんな処なのかは着いてからのお楽しみだと言って教えてくれず、逆にわたしと女官長があの広場までの道すがら、何を話していたのかを訊き出されてしまった。
自分の昔の失敗談を話のネタにされた仕返しなのか、ジュリアさんは女官長の秘密…淑女とは言い難い趣味や奇行をアレコレ教えてくれた。
とても上品で優しそうな人に見えたのに…と意外に思ったけれど、考えてみたら休憩中に木登りしてハンモックの上で寛ぐ女王様の幼馴染なんだから、暗器の取集やそれらの手入れに凝ったり、見回りと称して夜中に黒装束で城内を駆けまわっていてもおかしくはないのかもしれない。
お年を召していてもお元気なのは良いことだよね、うん。
年配の方々が元気な国は素敵だと思いますヨ。
わたしは良いことだけに目を向けて細かいことはスルーし、話題を変えることにした。
「――そういえば、さっき女王陛下からお小遣いを頂いたんです。
治療士選抜試験に関わった報酬と異世界に連れてこられた迷惑料という名目で」
ズボンのポケットから小袋を取り出して中を見ると、金・銀・銅の三色の円形の硬貨が入っていた。
銅貨が一番大きくて、次いで銀貨、金貨は一番小さい。
わたしはそれぞれの硬貨を一枚づつ手のひらの上に乗せてジュリアさんに尋ねた。
「こちらの世界のお金の価値を教えていただけますか?」
「…改めて訊かれると急に自信がなくなるんだけど、参考程度に聞いてね。
金貨一枚はきちんと学業を修めた…あるいは手に職をつけた大人が一日に稼ぐ金額。
銀貨十枚と金貨一枚は、同等の価値。
銀貨一枚は、銅貨五枚に相当するわ。
あともう二種類、銅貨を半分の大きさに割ったものと、鉄製の貨幣もあるの。
半銅貨二枚で銅貨一枚、鉄貨十枚で半銅貨一枚と同じ金額」
ということは、金貨一枚=一万円ぐらいかな。
だとすると、銀貨は一枚千円で、銅貨は二百円、半銅貨は百円、鉄貨は十円。
「一般の…貴族ではない人たちが町で昼食を食べる場合、価格は銅貨三枚から銀貨一枚ぐらいですか?」
「ええ、それであっていると思うわ。
どこの食堂の看板にもそれくらいのお値段が提示されているから」
自分の世界と外食の価格がほとんど同じことを知り、わたしは期待に胸を弾ませた。
「家族と友達用のお土産を買った後でも、十分余裕がありそうです。
ジュリアさんと町でお買いものできる日が楽しみです」
異世界と言うと微妙だけど、外国に来たようなものだと思えば…観光。
観光と言えば、珍しいモノや今まで食べたことのない名産品との遭遇。
想像しただけで顔がにやけてくる。
「ユーナちゃん、本当にあたしとの買い物を楽しみにしてくれていたのね」
「はい、もちろんです」
わたしが即答すると、ジュリアさんは笑って言った。
「これから行く場所は、きっと貴女にも満足してもらえると思うわ」
――馬車に乗ってから十五分程…お尻が痛いと思い悩み始めた頃、外から聞こえてくる音が変わった。
男の人の威勢のいい掛け声や、女の人の笑い声。
寄せては返す波のように、人々のざわめく声が耳に飛び込んでくる。
馬車の窓にはカーテンがかかっていて外の景色は見えないけれど、わたしは賑やかな音が気になってジュリアさんの顔色を窺った。
カーテンの隙間からちょっと覗くくらいなら、許してもらえるかな?
話しかけてみようとした瞬間、ジュリアさんが御者さんに指示を出した。
「免税市場の門番には、先ほど渡した手形を見せてね。
門を通過したら、露天広場の手前であたしたちを降ろしてちょうだい」
免税市場…?
ジュリアさんは馬車が停まるやいなや、驚いているわたしの手を引いて外へと連れ出した。
薄暗い場所から急に明るいお日様の下へ出たせいで目が眩んだ。
目が慣れるまでのほんの少しの間にも、市場の賑やかな喧騒が聞こえていた。
「こいつぁ今朝シンドゥーラから届いた新鮮な果物だよ!
海南国で一番美味しいっていわれている、果物の王様さ。
ここいらじゃ育たない、南国の果物はいらんかね?
食べたら目ん玉飛び出るくらい、甘い甘い果物だよ。
さぁさぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」
「こっちは今朝の漁であがった獲りたての魚さ!
生で食べられるほど生きが良い新鮮な魚と、滅多に獲れない深海魚もより取り見取りっ。
迷っているうちに売り切れ間違いなしってもんだ。
さぁ、買った買ったぁ!」
明るさに慣れてきた目で周囲を見回すと、お祭りの屋台のような小さなお店が露天に所狭しと並び、道行く人々に向けて競り合うように声をかけている。
「…ここが市場なんですか?
お客さんの呼び込み、凄いですね」
声がきちんと届くようにジュリアさんの耳元の近くでそう言うと、彼女はにっこりと笑って頷いた。
「免税市場は出国する人たちを、最後にもてなす場所だから」
「最後に…?」
「ええ、そう。
この港はルスキニアの海の玄関口…それも出国する船限定の港なの。
入国するための港のほうがもっとずっと大きくて、船の停泊所なんかも沢山あるんだけど、免税市場があるのはこちらの出国用の港だけなのよ」
ジュリアさんはわたしの肩に手を回して歩くように促した。
わたしたちは人の流れの妨げにならない端のほうを歩きながら話を続ける。
「免税市場では外国へ旅立つ旅行者に対して、商品にかかる税金を免除して販売することができる特別な場所。
出国審査を終えた人たちに、この国での食事や買い物を最後に楽しんでもらう処だから、より良いものをより安く提供する…国に認定された優良店しか出店できないの。
評判が悪ければ認定を取り消されてしまうから、お店の人たちも気合を入れて商売をしているそうよ」
「なるほど、ここはそういう場所なんですね」
わたしはジュリアさんの話を聞いて、ここが空港の免税店みたいな場所なのだということを理解した。
「生鮮食品を売っている店があるのは、ここで買った食材を持ち込めば、自分の好きな料理を作ってもらえる食堂がたくさんあるからなの。
旅先で故郷の味が恋しくなっている人たちに好評なんですって」
「へぇ、それはいいですね」
「お客さんが材料を持ち込むようにしておくと、料理店側は食材を予め用意しておく必要がなくて、互いに楽なんだそうよ。
主要な食材の調達をお客さん任せにできると、売れ残りの心配をしなくて済む…っていう考えから始まったらしいわ。
全世界の多種多様な料理の調味料を取り揃えておくだけでも大変だから、お客さんに任せられることはお願いしてしまおう…なんて、普通のお店では考えられないけど、珍しい食材を食べたい場合はこういったお店の方が頼みやすいわよね」
わたしはジュリアさんの淀みない説明に相槌を打ちつつ、どこからともなく漂ってくる食べ物の匂いに空腹感を覚えた。
そういえばお昼をまだ食べてない。
ひょっとして、今日はその食材持ち込みの食堂でごはんを食べるのかな?
期待をこめてチラリとジュリアさんを見ると、わたしの視線に気がついた彼女は苦笑した。
「警備の問題があるし、店員の身元を調べ上げる時間も無かったから、今話したような食堂には案内してあげられないの。
期待させてしまったのなら、ごめんなさいね」
「そうなんですか…」
わたしはガッカリしながらも、ジュリアさんの返答の一部が気にかかっていた。
警備の問題ってなんだろう?
それに、お店の人の身元調べって…?
わたしが首を傾げたのを見て、ジュリアさんは一瞬キョトンとした表情を浮かべ、次に顔を顰める。
そのめまぐるしい表情の変化に驚く暇もなく、彼女は小さな声で説明を始めた。
「――ごめんなさい、王城から貴女を守るための護衛が幾人かついて来ているの。
あたし一人では、何かあった時に護り切れないかもしれないから。
陛下から気取られないようにと命じられていたのに、自分からバラしてちゃどうしようもないわねぇ」
「女王陛下がわたしに護衛を?」
「ええ、そうよ。
もちろん貴女の素性は伏せてあるから、その点については心配しないでね。
異国から来た深窓の姫君のお忍び散策…ってことになっているわ。
賊が五人以上いた場合、あたし一人では心許ないから」
わたしは知らぬ間に自分に護衛がついていたことよりも、ジュリアさんが相当の手練れらしいことに驚いた。
「……ジュリアさんって、戦えるんですか?」
「あら、驚くのはそこなの?
あたし、侍女として働いていたって言ったわよね?」
「…?」
「王城で働いている者は基本的に、標準以上の武術を身に着けていないと採用されないのよ。
…まぁ、末端の、貴人と接する機会のない部署なら別だけど、陛下の身近に控えてお世話をする者たちは、みんなかなり強いわね」
「…。」
「そんなに驚くことかしら?
だって、いざというときには自分の身を挺して主を護らなくちゃいけないじゃない。
それがわかっているのにあえて戦えない人間…非戦闘員を貴人の近くに配置するなんて、そっちのほうが逆におかしい気がするけど、ユーナちゃんの世界では違うの?」
「ええと、ハイ、そうですね。
そう言われてみればジュリアさんの言う通りだと思いますが…わたしの世界ではキッチリと分業されていて、侍女の方に戦闘能力が求められるという話は聞いたことがないです」
メイドさん全員が武闘派って……すごいなぁ。
それがこの世界の常識なら、さっきの女官長の話は驚くような話ではないように思えてくる。
わたしの返事を聞くと、ジュリアさんは苦笑した。
「噂には聞いていたけど、そちらの世界は本当に平和なのねぇ」
「…。」
わたしは一瞬答えに迷って足を止めた。
世界全体が平和なわけじゃない…とか、わたしの国もそう遠くない昔に戦争をしていた…とか、いろいろ伝えたい話はあったけれど『今』だけを切り取るなら、命を脅かされる危険がほとんどない処だということに間違いはない。
「ああ、ごめんなさい、ただなんとなく……羨ましいと思っただけなの。
ユーナちゃんにそんな申し訳なさそうな顔をさせるつもりはなかったのだけど」
ジュリアさんの手がわたしの頬を優しく撫でた。
その手の平の硬さは、剣を使う人だという証。
兄と同じ手の感触に、何故か泣きたくなって唇を噛みしめる。
「――食堂には連れて行ってあげられないけど、あたしの友達の家へ料理を配達してくれるように頼んであるの。
七大陸の名物料理があたしたちに食べられるのを待っているわ。
さぁ、行きましょう?」
「はい、楽しみです」
再び歩きだしてから数分後、ジュリアさんのお友達のお家に着いた。
港を見渡せる小高い丘の上の、緑の屋根と白い壁の瀟洒な洋館。
ジュリアさんが玄関扉のノッカーを鳴らす前に、裏手の庭のほうから声がかかった。
「ジュリア、こっちよ。
テラスに食事の準備をしてあるから、庭から回って来てちょうだい」
その澄んだ声に従ってわたしたちは庭へと続く小道を辿り、緑の蔓草の屋根がある白いテラスへと足を踏み入れる。
丸テーブルの上に隙間なく並べられているお皿の多さも気になったけれど、椅子に腰かけている女性にわたしの目は奪われた。
月の光を集めたようなプラチナブロンドの髪に、真紅の瞳。
彼女の豊満な肢体は、ゆったりとしたローブに包まれていても一目瞭然だった。
彼女は椅子から立ち上がり、優雅に一礼してこう言った。
「――はじめまして、異国のお姫様。
わたくしの名はシェラと申します。
かつてはこの国に仕える魔術士であり、今は調香師を生業にしております。
女王陛下より、貴女様が纏うにふさわしい香水を調合するように…とのご注文を承っております。
お食事をお楽しみ頂いた後、お好みの香りについてお聞かせ下さいね」
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これからもよろしくお願いします。
■2013.07.07 調香師の名前変更
■2013.08.08 ジュリアの台詞を一部変更