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063  負の遺産



「――ユーナ様ですね?

お待ちしておりました」


わたしに向かって深々と頭を下げたその人の姿形には見覚えがあった。


彼女は白髪を後頭部の高い位置で結い上げて、前髪はレースのカチューシャで品よくまとめ、飾り気のないシンプルな黒のロングドレスに、控えめなフリルとプリーツが施されている白いエプロンを身に着けている。


ヴィクトリアンメイド服を美しく着こなしている彼女の揺るぎない口調に、わたしは違和感を覚えた。

疑問形だったけれど、念のための確認であるかのように聞こえたから。


わたし(・・・)だと認識できるはずがないのに、自然に振る舞う彼女に不審の念を抱いた。

精霊さんたちに好かれているが故に自分が狙われる立場であることを思い出しながら口を開く。


「あなたは、昨日…わたしと女王陛下の昼食の準備をして下さった方ですよね?

どうして(ここ)でわたしを待っていたんですか?

それに、どうしてわたしだと解ったんですか?

昨日とは髪や瞳の色を変えているし、陛下からお借りした眼鏡をかけているのに…」


警戒しながら問い(ただ)すと、彼女は一瞬驚いたように目を見開き、すぐさま何事もなかったように口元に淡い笑みを浮かべた。


「わたくしが魔法や神器の力を退(しりぞ)けたのではありません。

ユーナ様の本日の装いがどんなものであるかを、(あらかじ)めジュリアから…ラウエル子爵夫人から聞いておりました。

ここでわたくしが貴女様をお待ちしていたのは、人目につかぬようにラウエル子爵夫人のもとへご案内するためです」


「ジュリアさんのところへ、わたしを?」


「本来なら子爵夫人がユーナ様をお迎えに参るのが筋なのですが……あの子ときたら人目も(はばか)らず、次席魔導士殿を引きずりながら城内を歩き回ったらしくて」


彼女のため息交じりの説明を聞いて、わたしは状況を察した。

女王陛下のもとへレイフォンさんを連行したジュリアさんが、王城内に居た人々の注目の的になってしまい、人目を避けて行動するのが難しくなってしまったから、この人か代わりに迎えに来たのだろう…と。


女王陛下とわたしの秘密の面会に立会うことを許され、ジュリアさんのことを親しげに『あの子』と言うこの人は、二人からの信頼を得ている人に違いない。


わたしは警戒をゆるめ、彼女と共に人目につかない道を歩きながら、いろいろな話を聞かせてもらった。


おじいちゃんに連れられて幼いレイフォンさんがこの国にやってきた時の話や、ジュリアさんが王城へ出仕したばかりの頃の失敗談等、楽しく笑える話をたくさん聞かせてもらっているうちに目的地に着いた。


そこは広場のような場所になっていて、両端にはたくさんの馬車が等間隔に停められていた。

御者らしき人たちが休憩している四阿(あずまや)からは、賑やかな笑い声が聞こえてくる。


ジュリアさんが既に乗り込んでいるという馬車は、人目につきにくい広場の隅の樹の影に停めてあった。

そちらに向かって歩きながら、彼女が女王陛下の乳兄弟で、今は女官長の地位に就いているという話を聞き、わたしは驚くと同時にいろいろなことに得心した。


「お忙しい中、案内して下さってありがとうございました」


「まぁ、ユーナ様がわたくしに礼を言う必要など無いのですよ。

あの子が考えなしに行動したのが悪いのですから。

…でも、お気持ちは嬉しゅうございます」


わたしの御礼の言葉に女官長はにっこりと笑う。


「わたくしにとって、ユーナ様とこうしてお話する機会を得られたのは望外の喜びでした。

ユート様とユーナ様の健やかなご様子を間近で拝見し、言葉を交わすことができたお蔭で、リリアーナ様は…あの方は異界で幸せに生きて亡くなったのだと、心から信じることができます。

長年の胸の(つか)えが下りました」


「…。」


わたしはふと、女王陛下の言葉を思い出した。


「――女王陛下が昨日ご自分のことを、おばあちゃんの育ての親のようなものだとおっしゃっていたんですが、女官長もおばあちゃんと何か関わりが…?」


わたしの質問を聞くと、女官長は顔を強張らせて頭を振った。


「いえ、わたくしは…そんな大した関係では。

リリアーナ様が王城に留め置かれていた間、身辺のお世話させて頂いていた……ただ、それだけです」


「おばあちゃんが王城に…?

ひょっとして、おばあちゃんは王城で育ったんですか?」


もしそうなら、陛下が『育ての親のようなもの』と言うのも解る。


「それは……」


困っている女官長の様子に気がついて、わたしはあわてて質問を取り消した。


「ごめんなさい、答えなくていいです。

おじいちゃん…グレアム師から口止めされていて、話せないんですよね?

困らせてしまって、すみません」


「ふふっ」


「女官長?」


「申し訳ありません、笑ったりして。

ユーナ様の今の表情、リリアーナ様によく似ていらしたから…懐かしくて」


「そんな風に笑ってしまうほど似ていますか?」


「…ええ、とてもよく似ておいでです。

リリアーナ様も、周囲の人間の機微(きび)をいち早く察知する御方でした」


女官長はエプロンから取り出したハンカチで目尻を押さえた。


「リリアーナ様の優れた才能はユート様に、優しい心延()えはユーナ様に受け継がれていますのね。

あまりに嬉しくて、涙が出てきてしまいましたわ」


「…。」


「この国の政治の中枢に関わっていた者たちは皆、リリアーナ様に対して負い目があるのです。

女王陛下や筆頭魔導士殿に口止めされていなくとも、あの当時のことは誰一人として軽々しく口にできないでしょう」


女官長はそう言いながら樹の影で足を止め、わたしの瞳をまっすぐに見て言った。


「わたくしたちは、リリアーナ様に誓ったのです。

決して次の世代には『負の遺産』を受け継がせない……と」


わたしは突然変わった彼女の声音に驚きながらも、訊き返さずにはいられなかった。


「負の遺産?」


「自分たちが味わった苦痛を相手にも味あわせてやりたいと願う…復讐心を抱かせるような事を意味します。

そのような負の感情を子や孫へ語り継ぐことなく、次代には何も背負わせないようにして欲しい…というのが、リリアーナ様の最後のお言葉であり、願いでした」


過去にどんな争いがあったのか、わたしには訊けなかった。

好奇心で軽々しく質問していい内容(こと)ではないことは既にハッキリと解る。


それに、詳しい事情を知ってしまうことで、わたしたちの負担を軽くしようと考えている人たちの気遣いが台無しになるということが解ってしまったから……もうわたしからは絶対に訊けない。


「――お二人にはこちらの事情ばかり押しつけてしまって、主ともども申し訳なく思っております」


女官長はそう言いながら、わたしの右手にちいさな布袋を握らせた。


「これは?」


「陛下からユーナ様へお渡しするようにと命じられました。

火竜討伐隊に加える治療士選抜試験の立案協力に対する報酬と、我が国の魔導士が浅はかな考えで貴女様までこちらの世界へ招いてしまった迷惑料だそうです」


袋をぎゅっと握ると、中からチャリっと硬貨が鳴るような音が聞こえた。


「お金なんて…わたし、受け取れません。

そんなたいした仕事はしていませんから」


慌てて返そうとするわたしの手を、女官長はやんわりと押し留める。


「ユーナ様が受取りを拒んだ場合に備えての伝言も(うけたまわ)っております。

『旧友の孫にお小遣いを与える楽しみを、私から奪わないで欲しい』…とおっしゃっていました。

それに『これは国税からではなく、私の私財から出したものだから、気にせずに使いなさい』とのことです」


「…。」


女王陛下の隙のない伝言と女官長の完璧な笑顔を前に、わたしは抵抗を諦めてお金の入った袋をズボンのポケットに仕舞う。


女王陛下にお礼の言葉を伝えてくれるようお願し、女官長に見送られながら馬車へ乗り込んだ。

馬車の中は薄暗く、ぼんやりとした人影しか見えない。


わたしが腰を下すとすぐに「出してちょうだい」という声が上がった。

間違いなくジュリアさんの声だと解って安心した。


馬車が走り出すと、その振動に身体が揺れる。

電車や車の乗り心地と比べてしまう自分を心の中で(いまし)めながらジュリアさんに話しかけた。



「――ジュリアさん、あの…この馬車はどこへ向かってるんですか?」




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