059 三種の神器
「――おばあちゃんのフライパンを剣に戻すお手伝い…ですか?
そんなことできるんですか?」
わたしはびっくりして問い返した。
フライパンに作り変えられてしまったものを元の剣に戻すなんて、到底不可能だと思う。
新しい剣を作るという話ならまだ分かるけど…。
「あの人は言っていたことをそのまま貴女に伝えただけなの。
詳しいことは解らないわ」
ジュリアさんは気絶しているレイフォンさんの背中から降り、彼の身体を足で転がしながら話を続けた。
「だけど、あの人が『手伝って欲しい』って言っているなら、可能性はゼロじゃないんだと思う。
言動に難があっても、魔導士としての実力は確かだと聞いているし」
彼女はレイフォンさんを部屋の中から蹴り出すと、ドアを閉めて鍵をかけた。
そして背負っていた鞄を降ろすと、その中から服を取り出してわたしに着替えを勧める。
「ユーナちゃん、あんな不埒な男からもらった服を着ちゃダメよ。
今、その理由が解らなくても、オトナになったら解るから。
今後は十分気をつけてね?」
「…レイフォンさんから頂いた服を着てはいけないんですか?」
わたしが聞き返すと、ジュリアさんは怖いくらいに真剣な顔で頷いた。
その表情から冗談抜きの話であることを悟る。
彼女がレイフォンさんと仲が悪いから…という訳でもなさそうだった。
「アルバイトで…お仕事の賃金の代わりに洋服を頂くことが多くて、注意しなくてはいけないことだとは思ってもいませんでした。
これからは気をつけますね。
ご忠告ありがとうございます」
わたしは頭を下げながらお礼を言い、顔を上げてにこりと笑う。
知り合って間もないのに、親身になって教えてくれる彼女に感謝の気持ちが伝わるよう祈りながら。
すると、瞬く間にジュリアさんの頬がほんのりと色づいてゆく。
…あれ、どうしたんだろう?
わたしが小首を傾げて彼女を見上げると、ぎゅっと力いっぱい抱きしめられた。
「やぁん、もう、この子ったら可愛いんだから!
こんなに素直で可愛いと、あれこれ教え込みたくなっちゃう~」
「…っ!」
ジュリアさんのふわふわの胸にわたしの顔が埋没する。
柔らかくて気持ちいいけど、呼吸ができなくて苦しい。
わたしがジタバタもがいていると、彼女は残念そうにしながら放してくれた。
もう一度わたしに「早く着替えて居間へ来てね」と言って、颯爽と部屋から出て行った。
わたしはジュリアさんの後姿を黙って見送りながら、彼女が『服をもらってはいけない理由』をハッキリと教えてくれなかったことについて考えていた。
ヴァルフラムさんの古着を借りて着ているのは問題ない…んだよね?
もらった服を着るのはダメだけど、借りた服を着るのは大丈夫って…?
正直なところ、違いがよくわからない。
わたしは内心首を傾げつつ、手渡された服の中からチャコールグレーのベストと揃いのズボンを選んだ。
白いシャツにあわせるのは…ネクタイだと堅苦しいから、ワインレッドのアスコットタイにしよう。
素早く着替え、選ばなかった洋服をクローゼットの中へ片付ける。
昨日と同じように髪の毛をひとつに結んだ後、鏡の前で身だしなみのチェックをした。
「…そうだ、髪の毛と瞳の色を変えないと」
鏡の中の自分の姿を見つめながら、虹色石のペンダントを触る。
蜂蜜色の髪とタンザナイトのような青紫の瞳。
エリオットの一番上のお姉さんと似ていると言われた、髪と目の色。
とても気に入っていたけれど、女王陛下の異母弟さんに見つからないようにするためには仕方が無い。
わたしは髪の毛をダークブラウンに、目の色を緑色に変えた。
鏡の中で橄欖石のようなオリーブグリーンの瞳が瞬く。
「これで少しは地味な外見になった…かな?」
虹色石のペンダントを服の中へ隠し、イヤリングを装着してから自分の部屋を出る。
居間へと続くドアを開けると、そこには気絶したまま縄で縛られたレイフォンさんが床に転がっていた。
わたしはすこしだけ可哀想だと思いながら、助け起こそうとはしなかった。
基本的に、強い人には逆らわないし、長いものには巻かれます。
逆らうのは疲れるから、どうしても譲れない…嫌だと思うこと以外はおとなしく従います。
武士の情け(?)で、彼を絨毯の上へ移してあげようと決めた。
床は固いし、身体が冷えちゃいそうだから。
わたしの力では持ち上がらなかったため、ゴロゴロと転がして移動させる。
(ふ~、疲れたぁ)
ジュリアさんを探して台所を覘くと、彼女はお盆の上に茶器を並べていた。
「ジュリアさん、何かお手伝いすることはありますか?」
彼女を驚かせないように声をかけながら近づく。
ジュリアさんは振り返ってわたしの姿を見ると、一瞬目を丸くしてふわりと微笑んだ。
「あら、また髪と瞳の色を変えたのね。
昨日の色合いに比べると少し地味だけど、可愛いわ。
ユーナちゃんにとてもよく似合ってる」
「ありがとうございます」
わたしは彼女のストレートな褒め言葉に照れながらお礼を言い、お盆を手に取った。
「これを運べばいいんですか?」
「ええ、食卓の上に運んでおいてくれれば良いわ」
「はい」
お盆を持って移動すると、食卓の上には既にカトラリーがきちんと並べられている。
近づいてよく見ると、大きなお皿の上に盛り付けられた数々のお料理は、食べるのが勿体ないくらい彩りが鮮やかで綺麗だった。
「――うわぁ、美味しそう。
これ、ジュリアさんが作ったんですか?」
「まさか、違うわよ。
これはあの人を通して、王城の料理人に作ってもらったの。
ユーナちゃんが昨日の夜からちゃんとしたものを食べてないんじゃないかと思って、ちょっと多めに用意してもらったわ。
今、魔法で送り届けられたものばかりだから、みんな出来立てで美味しそうね」
「…。」
あの人って、多分、おじいちゃんのことだよね?
そういえばヴァルフラムさんも、おじいちゃんのことを名前で呼んでいなかった。
おおまかな事情は昨日聞いたけど、でも、『知る』のと『解る』のは違う。
名前すら呼びたくないのかもしれない…と気がついて、胸が痛んだ。
血が繋がっていても…ううん…血が繋がっているからこそ、いろいろと難しいのかもしれない。
「ユーナちゃん、どうかした?」
ジュリアさんが怪訝そうな顔でわたしの表情を窺がっている。
わたしはあわてて誤魔化した。
「え、あ、ごめんなさい。
これ全部食べきれるかな…なんて、考えてました」
「食べ切れなかったら、無理をせずに残していいのよ?」
「ありがとうございます。
でも、食べ物は粗末にしちゃダメだって…出されたものは全部食べなさいって教えられてきたので、残さないようにがんばってみます」
わたしがそう言うと、ジュリアさんは一瞬目を丸くしてクスッと笑った。
「そう、素敵な教えね。
さぁ、冷めないうちに早く召し上がれ」
「はい。
あ、そうだ。
レイフォンさんを起こしてあげないと」
「いいのよ、そんな奴放っておいて。
一食抜いたくらいで死にはしないわ」
「え、でも、これ…わたしとジュリアさんだけで食べきれるでしょうか?」
わたしは上目遣いでジュリアさんを見上げる。
「食べ物を捨てるのは、もったいないと思うんです。
生命を分けてくれた動植物…食材に申し訳ないし。
どうしてもダメですか?」
重ねて問いかけると、彼女は大きなため息をついた。
「――仕方ないわね。
貴女に免じて許してあげることにするわ。
あ、起こすのはあたしがやるから、ユーナちゃんは座っていてね。
『魔封じ』を少し緩めないと目が醒めないと思うし」
ジュリアさんは無造作に椅子を引き、わたしを座らせてからレイフォンさんへと歩み寄る。
わたしはその背中に向かって問いかけた。
「『魔封じ』って…なんですか?」
「魔術士と魔導士の術を封じる…使えなくなるようにする、目に見えない縄のようなものらしいわよ?
本当はあの人が直接迎えに来たかったらしいんだけど、宮廷筆頭魔導士と次席が両方王城に居ないとあとで問題にされるかもしれないって言うから、あたしが代わりに来たの。
アイツが貴女を連れて別の隠れ場所へ逃げようとしたら、魔法を使えないあたしには止められない。
それなら術を使えないようすればいい…って、女王陛下が気前よく貸して下さったのよ」
――目に見えない?
わたしの目にはハッキリと『太い縄』が見えているけど、ジュリアさんには何も見えてないらしい。
彼女はスカートを少し持ち上げて足首を見せてくれた。
ジュリアさんの右足には、華奢な金色の鎖が連なったアンクレットが装着されている。
よくよく見ると三本の鎖は色が違っていた。
イエローゴールド・ホワイトゴールド・ピンクゴールド…それぞれ艶やかな光沢を放っている。
「この『魔封じのアンクレット』と『人目に触れず記憶にも残らなくすることができる眼鏡』、そして『誓約した者の生殺与奪権を握ることのできる王錫』。
ルスキニア王家に代々受け継がれてきた三種の神器のうちの二つが貸し出されてここに在るって、よく考えるとすごい状況ね。
頭の固い廷臣たちに知られないよう、城に戻ったら直ぐに女王陛下へお返ししなくちゃ」
「わたしが借りた眼鏡とジュリアさんが借りたアンクレットは、王家の血を継いでいなくても使える。
……ということは『血継神器』ではないんですよね?」
「確かに血族でなければ使えないという制約は無いから、血継神器とは違うわね。
でも、全部『はじまりの魔法使い』から贈られた神器だというし、国王の許しを得ていない人には使えないようになっているらしいから、ほとんど同じものだと考えていいような気がするけど…。
ちなみに、王錫だけは王家の血を濃く受け継いでいなければ使えないのだそうよ。
王錫の使用条件が厳しい分、他の二つは緩く…使い勝手が良いように作ったのかしら」
彼女はそう言いながらレイフォンさんの傍へ歩み寄り、彼を見下ろしながら早口で呪文を唱え始めた。
Sな女王様とMな下僕の図に見えるなぁ…なんて思いつつ黙って様子を見ていると、目に見えない(らしい)縄がふっと緩んで瞬く間にその位置を変えた。
彼の両手首を拘束していた縄が、首元へ移動する。
まるで『首輪』のように見えるソレが淡く光った瞬間、レイフォンさんが小さなうめき声を上げながら目を開けた。
ジュリアさんは昨夜から今現在に至るまでの経緯を簡単に説明し、彼に自力で立ち上がって食事の席に着くように促す。
「――随分と簡単に言ってくれますね」
彼がため息と共に吐き出した言葉の弱々しさに、わたしは思わず口を挟んだ。
「ひょっとして、声を出すのも辛いんですか…?
『魔封じ』の縄がレイフォンさんの首に移動したのと、何か関係があるんでしょうか?」
「ユーナちゃん、見えるの?」
「姫には見えているのですね」
ジュリアさんとレイフォンさんはほぼ同時に発言し、お互いの顔を見た。
ジュリアさんが視線を逸らすと、レイフォンさんが改めて口を開く。
「私には自分の首に何かがあると感じられるだけですが…。
身体の拘束が解かれた今でも、術は使えない状態です。
呪文の詠唱を封じる…術が使えない状態を視覚的に表すために、縄が首に移動したのかもしれませんね」
まるで罪人のようです…と言って薄く笑う彼を、ジュリアさんが厳しい声で叱り飛ばす。
「誰にも相談せずにユーナちゃんを連れ出して、貸し別荘に雲隠れしていたんだもの。
怒られるのも罰を受けるのも当然のことでしょう?
周囲に心配をかけることを解っていながら、自分の都合や好奇心を優先するなんて、いい歳の大人がすることじゃないわよ?
本当に魔導士って…度し難くて嫌になるわ」
「――貴女にそんな風に言われと、お師匠さまのことが少し気の毒になります」
「同病相憐れむって奴かしら?
貴方とあの人の馬鹿さ加減は、きっと死んでも治らないんでしょうね」
「…珍しいですね、貴女が私を褒めるなんて」
「褒めてなんかいないわっ。
あたしの台詞のどこをどう聞いたら、褒められたと思う要素があったのよ?」
「師と仰ぐ方と同一視されるのは、光栄なことですから」
「そんなんだから、あんた達は救いようのない馬鹿だって言ってるの!」
ジュリアさんは憤然と言い返すと、くるりと彼に背を向けた。
「こんな馬鹿を相手にしてたら、料理が冷めちゃうわ。
ユーナちゃん、あたしたちだけで先に食事をはじめましょう?」
「でも…」
躊躇うわたしにレイフォンさんが笑いかける。
「私のことなら大丈夫ですよ。
『魔封じ』をかけられて、今まで常に感じていた…自分の身体の中の魔力が全く無くなっている。
その影響で、頭と身体がうまく動かないようです。
暫く休めば…この状態に慣れると思います。
姫は彼女と一緒に、先にお食事を摂って下さい」
反論したり疑問を投げかけたら、喋るのも辛そうな彼に更に負担をかけてしまいそうだったから、わたしは彼の言葉に大人しく従った。