058 兄の 兄による 兄のための 『百合育成計画 (?)』
「ええ、すごく。
いつもはわたしが怪我をする直前からはじまる夢なのに、今日のはもっとずっと前から…切っ掛けとなった出来事の最初から最後まで、全部夢に出てきました。
わたしの欠けていた記憶が戻ってきたのか、想像で補ってしまったのか、わからないんですが。
兄に確認すれば、夢の内容が本当に起きたことなのか解ると思いますけど…」
レイフォンさんは左手で眼鏡の位置を直しながら、口の端に意味ありげな笑みを浮かべた。
わたしがその理由について考えていると、彼はゆっくりとした口調で話を始めた。
「――昨日の夜、ユートに『護符』を届けてきたのですよ。
悪い夢を封じるのではなく、善い夢を見るために力を貸してくれる護符を創ったんです。
夢に見たい内容を想起させる物を、護符と一緒に枕の下へ忍ばせて眠るように…と使用法を教えました」
「…?」
「ユートは枕の下に貴女の『しゃしん』を入れていました。
夢の中で妹に会えるのが楽しみだと…すごく嬉しそうに話していましたよ」
「…。」
わたしの写真、異世界に持って来たんだ?
…ということは、兄が鞄にアルバムを入れようとしていたのは、わたしの目を誤魔化すため?
わたしに気づかれる前にアルバムから写真を抜いて、こっそり隠し持っていたんだろうな。
アルバムを取り上げられた後の兄の演技を思い出し、わたしはちいさくため息をついた。
(また無駄なところにチート能力を発揮して……ダメなひと)
「つまり、昨夜はユートも姫が出てくる夢を見ていた筈なのです。
姫の夢が普段よりも鮮明だったのは、ユートと見ていた夢と同調していたからではないか…と思いまして。
そうだとしたら、とても興味深い現象ですよね?」
「ソウデスカ?」
相変わらずレイフォンさんのツボはよくわからないなぁ。
兄がわたしの夢に、わたしが兄の夢に共鳴したのだとしても、面白いとは思えない。
損にも得にもならないというか、かなりどうでもいいことのような気がする。
…あ、違うか。
兄が百合ドリームを見ようとした場合、それが実現したら本人は大喜びだろうけど、わたしにまでその夢が伝わったら大迷惑だ。
こちらの世界に百合本なんて持ってきてないよね?
荷造りはわたしがしたんだし、大丈夫だよね?
小説や漫画も持ち込んでいた場合、わたしの写真と一緒に使われたら大変なことに…!?
わたしは心の中で兄に向かって「わたしの写真と百合本を一緒に使っちゃダメだからね!」と叫んだ。
(届け、わたしの念)
――昔、兄がわたしの部屋に百合漫画や百合小説をたくさん持ち込んできた。
「面白いから読んでみろ」と強く薦められ、当時のわたしは素直に手にとって読んでみた。
恋愛と言うには少し足りないけれど、とても親密な間柄で、ただの友達だとは言えない。
兄がわたしに読ませたのは、そんな女の子たちの物語だった。
何となく不審なものを感じて学校で友達に相談したところ、それらが『百合』というジャンルの読み物であることを知った。
困惑しているわたしに友人のひとりが言った。
『優奈のお兄様は、現実世界で生の百合を見てみたいんじゃないかしら?
聖ラファエラは女子校で、しかもお嬢様学校でしょう?
身近な妹が染まってくれたら、目撃できる機会があるかも…なんて思ったのかもしれないわね』
わたしはそれを聞いて、試しに兄の前で幼馴染の女の子とイチャイチャして見せた。
その結果、兄への『百合男子疑惑』が『確信』に変わった。
知りたくなかった、確かめなければ良かった…と当時は思ったけれど、今では欠点があったほうが人間らしくていいじゃないか…と言えるくらいにはいろいろと諦めがついた。
これがオトナになるってことなのかもしれない。(フッ)
「姫、どうしました?
急に顔色が…」
きちんと説明するには、兄が百合男子であることから説明しなくてはいけない。
そんなメンドクサイことを他人様に話すのは嫌だ。
わたしは『本当』が混じった言い訳を作り、回答を避けた。
「ごめんなさい、理由をお話しすることはできません。
わたしが生まれた国には『言霊』という信仰がありまして…。
言葉には力が宿り、声に出した言葉は現実の事象に影響を与えるから、起きて欲しくない…悪いことは口にしないようにして、自ら災いを招かないように努めるんです」
レイフォンさんの顔から視線を逸らすと、カーテンの隙間から日の光が射していることに気がついた。
外から聞こえてくる鳥たちの楽しそうな鳴き声が、わたしの荒んだ心を和らげてゆく。
『今日はまだ失敗のない新しい一日』。
昔よく読んだ物語の一説がふっと頭に浮かんできた。
朝が来ているのなら、ベッドから降りて早く着替えよう。
異世界に居るのも、あと四日。
まだわたしにできることがあるのかわからないけど、でも、だらだらしていちゃダメだよね。
やるべきことをやった後で気兼ねなく遊べるように、がんばろうっと。
わたしはベッドサイドに置いていた眼鏡を装着して、レイフォンさんを見上げた。
「ご心配をおかけしてすみません。
すぐに着替えますね」
ベッドから降りて、もこもこのスリッパに素足を入れる。
そのままクローゼットへ移動しようとしたわたしの腕を、レイフォンさんが掴んだ。
「?」
わたしが視線で何事なのか問うと、彼はパッと手を放した。
「…失礼。
姫の体調の変化が気になったものですから。
もし具合が悪いようでしたら、今日は無理をせずに休んでいてください」
「お気遣いありがとうございます。
でも、大丈夫ですよ?」
元気なことをアピールするために笑ってみせると、レイフォンさんの表情が急に曇った。
「…本当に?
無理をしているのではないですか?」
わたしは彼の言葉を頭を振る動作で否定した。
レイフォンさんは手を伸ばして、わたしの頭の天辺にそっと触れる。
「姫にとっては、一昨日の夜…いえ、違いますね…一昨日の早朝から、驚きの連続だったのでしょう?
自覚がなくとも、相当疲れている筈ですよ」
彼はそう言いながらわたしの頭を優しく撫でた。
やがてその長い指でわたしの髪を梳きはじめる。
「――姫の髪の毛は、絹糸のようですね。
しっとりとしていて、滑らかで……艶やかな美しい光沢があり、とても美しい。
ユートや姫の母上が髪を伸ばすように勧めてくれたことに感謝しなくては」
髪の毛ぐらいで大げさな人だなぁ。
わたしが呆れていると、レイフォンさんはわたしの髪を一房手に取って口づけた。
「…っ!」
「ふふっ、そんなに驚きましたか?
目が真ん丸になっていますよ、姫」
彼はクスクスと笑いながら、指でわたしの髪の毛を弄んでいる。
「こんな風に他人に触られるのは初めて…ですか?」
「そうでもないですよ?」
「そうなのですか?
誰に触らせているのか…と、お聞きしても?」
「幼馴染と学校のお友達、それにアルバイト…仕事先の方々です。
いろいろな髪型に結ってくれたり、リボンやお花をつけてくれたりします」
わたしの髪の毛は、背中の半ばぐらいまである。
毎日のブラッシングは欠かさず行っているけれど、それ以上の手間をかけたくないので結ばずに下ろしていることが多い。
親しい人からわたしの髪の毛で遊びたいという申し出があれば、ほとんど拒まずに応じていた。
髪の毛をお任せしている間、美味しいお茶やお菓子をご馳走になっていることも言い足すと、レイフォンさんの表情がふっと緩んだ。
「ユートから聞いたのですが、姫の通う学校には女性しか居ないそうですね。
その方々も…?」
「はい、女の子ばかりですね。
逆に、わたしがいじらせてもらうこともあります。
その子はわたしと違って、ふわふわで細くて柔らかい髪質なんです。
触っているととても気持ちよくて…。
いつもお互いに、相手の髪質を羨ましがっています」
「仲の良いお友達なんですね」
「はい。
彼女はちいさな頃からずっと一緒にいる、大切なお友達なんです」
わたしは彼女のことを思い出しながら微笑んだ。
そんなわたしの顔を見て、レイフォンさんの表情がわずかに陰る。
「その方と離れてしまって、寂しいですか?」
「そうですね。
でも、異世界に居るのは、あと四日ですから。
それくらいなら、全然平気です」
わたしはそう答えながら、自分の世界に戻った後に判明する『異世界との時間の流れの違い』について考えていた。
あんまり違っていないといいんだけど。
一ヶ月程度のズレなら、なんとかなる…と思う。
それ以上になると、出席日数が足りなくて進級できないかもしれない。
そうなったら、どうしよう?
………どうしようもないか。
わたしは自問自答の末、諦めにも似た境地に辿り着いた。
先のことを考えて心配しても、良い方向へと現実を動かせないのなら、何の意味もない。
無駄なことは止めて、今、できることをしよう。
まずは服を着替えて……と?
「――あ、あの、レイフォンさん、わたしこれから着替えをするので…」
わたしが言外に「部屋から出て行って欲しい」という要望を匂わせたのに、彼は首を傾げて言った。
「何か問題でも?」
「え?」
不思議そうに問い返されて、わたしは固まった。
異世界の女の人は、男性の前でも堂々と服を着替えるの?
「私のことは気にしないで下さい。
姫の着替えが終わるまで、ここでお待ちしてますから」
「…。」
レイフォンさんの満面の笑みを見て、わたしは困惑しながらもクローゼットの扉を開けた。
あんなに平然としているんだもの。
きっと、異世界では普通のことなんだろう。
異世界の十三歳も、成人前の子供。
子供の着替えなんか気にする方がおかしい…と思うのが、こちらでは普通で常識なのかもしれない。
あれ、でも、昨日…ヴァルフラムさんから「ちゃんと服を着ていないときは、部屋に人を入れるな」って言われたよね?
ヴァルフラムさんとレイフォンさん、どっちの言葉が正しいんだろう?
わたしは一旦手を止めて後ろを振り返る。
レイフォンさんに問いかけようと口を開いた瞬間、怒鳴り声と共に突如としてジュリアさんが現れた。
「―――いい加減にしないと本気で殺すわよ、このド助平野郎が!」
彼女は目にも留まらぬ速さでレイフォンさんを回し蹴りを食らわせ、床に叩き伏せた。
そして彼の背中に靴のまま乗る。
「ユーナちゃん、迎えに来るのが遅くなってごめんなさいね。
昨日の夜ヴァルフラムから連絡を受けて、コイツの家と実家へ行ったけど、貴女たちは居なくて…。
貴女のお兄さんに気取られないように注意しながら、皆で必死に貴女の行方を探していたんだけど、この変態眼鏡が念入りに痕跡を消していたらしくて、追跡魔法を使ってもなかなか転移先を特定できなかったの」
わたしはジュリアさんにお礼を言うべきなのか、彼女がレイフォンさんを踏みつけたままの状態であることにツッコミを入れるべきなのか迷いながら、曖昧に笑って頭をちょこんと下げた。
「とりあえず、ユーナちゃんが無事な様子を見て安心したわ。
その肌が透けそうな…身体の線がはっきりとわかる風合いのネグリジェを、貴女に着用させたことだけでも許しがたいんだけど、『死に至るような攻撃は加えない』という約束で縛られてるの。
こんな奴、さくっと殺ってしまった方が『世のため・人のため・あたしのため』になるのに…残念だわ。
あ、そうそう、さっきこのエロ魔人が自分の目の前で着替えるように言っていたけど、アレはこちらの世界でも非常識なことだから騙されちゃダメよ?」
ジュリアさんがレイフォンさんの背中や頭をガンガン踏みつけている姿を、わたしは生ぬるい視線で見守った。
…うん、アレは天罰だよね、きっと。
嘘はついてないかもしれないけど、女の子の生着替えを見物しようとしたのは良くないと思う。
「――まず最初に、嫌な用事から済ませてしまうわね。
あの人…ルスキニアの筆頭宮廷魔導士、グレアム・ヴェルツからの伝言よ。
『治療士選抜のための最終試験が終わるまで、ユーナ姫にはフライパンに変えられた血継神器を剣に戻すための手伝いをして欲しい』…と言っていたわ」
兄の百合ネタ、やっと出てきました。
百合男子のキーワードに惹かれて来た方、遅くなってすみませんでした。
昔 = 兄が中一、妹が小四。
髪の毛ふわふわな幼馴染 = 葵。
百合男子について学ぶ(?)ために、同タイトルの漫画を一巻~三巻まで読んでみたのですが、話中に出てくる百合ネタが全然解らない上に、ハイテンションなノリについていけませんでした…(遠い目)
読後「がんばれ世界の百合男子」と心の中で応援してみた < なんとなく
腐女子の次は百合男子が脚光を浴びるに違いない < 適当予言
予定ではリア充眼鏡氏のセクハラはもっと…だったのですが、今回は控えめにしてみました。
予定していたアレコレは次の機会に(あるのか!?