056 食後の授業は眠くなってしまいます
「ええ、そうですよ。
魔法に関する事柄が記されている書物は、普通の本と違って印刷して量産することができません。
魔法陣や呪文、護符、呪具の作成法等を記した本は、時の経過と共に大気中の魔素を吸収し、無機物であるにも関わらず意志を持った生物のように成ることがあり、取り扱いと保管が非常に難しいのです。
それにほとんどの本は一冊しか現存しない稀少な書物ですから、手元に置いておくためには写本するしかありません。
自分の手で厳重に管理することができる者だけに、本を書き写す許可が与えられます。
魔法書、魔導書、魔術書…等、様々な分類や呼び名がありますが、一般の方は総称して『グリモワール』と言うことが多いようですね」
「…『魔法』と『魔導』と『魔術』の区分、それに『魔法使い』と『魔導士』と『魔術士』の違いについても教えていただけますか?」
わたしの質問を聞くと、レイフォンさんは本から顔を上げた。
その顔には呆れたような表情が浮かんでいる。
「お師匠さまやエリオットは、姫に何も説明していないのですか?」
「はい、全然」
「…全く仕様のない人たちですね」
彼はため息混じりにそう呟くと、眉根を指で押さえた。
「きちんと説明するとなると多くの時間が必要になるので、簡単にお教えしますね。
『魔法』とは、魔の法則。
『魔法使い』とは、この世界に新たな理…魔法を生み出すことができる者の称号です。
魔法に従うことによって発動する術は、二つに大別できます。
それが『魔術』と『魔導』です。
『魔術』は、大気中の魔素を体内に取り込み、自分自身の魔力と混ぜて練り上げた後、口から呪文と共に体外へ放出することで、望む変化や現象を引き起こします。
『魔導』は、自分の魔力を放出して大気中の魔素と同調させ、より大きな力を自由自在に操ることで、自分の望む結果へと導くことができます。
…このような説明をしても、魔法のない世界で育った姫には想像し辛いでしょうか?
魔術士と魔導士の在り方の違いは、『演奏家』と『作曲家』に例えると解りやすいかもしれません。
既に完成している術を覚えてそれをただ使いこなすだけの魔術士は、譜面に書かれたことを正確に読み取って奏でる演奏者によく似ています。
既存の術を行使するだけでなく新しいオリジナルの術を創ることのできる魔導士は、奏者であると同時に作曲もできる者になぞらえることができます。
もう一つの大きな相違点は、魔力量。
魔導士は魔術と魔導をそれぞれ用途や状況によって使い分けることができますが、魔術士は魔術しか使うことができません。
魔術士は魔導士よりも体内に保有している魔力が少ないため、『魔導』に分類されるような大きな術は使えないのです。
その魔力の差が『精霊感応力』の顕現にも影響していると考えられています。
魔術士は精霊を感知…あるいは視認することができません。
…ああ、精霊の存在を感じ取れるからといって、魔導士が『精霊術』を思うがままに使えるというわけではありませんよ?
精霊に魔力を分け与えることによって望みを叶えてもらう…精霊を一時的に使役することを『精霊術』と名付けて分類していますが、精霊に選ばれた者しか使えませんし、ほとんどの場合…簡単な願いしか聞き入れてもらえません。
一般の人々と魔術士にとって、精霊は夢物語のような存在ですが、魔導士にとっても精霊術はマイナーな術式です。
『黒の加護』を得た者は、全ての精霊に慕われ、愛されて、死ぬまで精霊たちに護られます。
何の代償も無しに、精霊から恩恵が与えられる。
『黒の加護』を受ている者を調べれば、精霊に好かれる条件などが解るかもしれない。
それが解明できれば、精霊をもっと自由に使役できるようになるかもしれない。
…こんな風に考えている魔導士も少なくありません。
姫はご自分が精霊の力を欲する者たちから狙われる危険性があることをくれぐれも忘れずに、身辺の安全には常に気をつけていてくださいね。
――話を元に戻しましょう。
一般の人々は魔術と魔導そして精霊術の区別がつかないので、彼らは全てを『魔法』だと言いますが、魔導士と魔術士の間では『術』や『術式』と言い表します。
正確に言えば『魔の法に法った術』という意味なので、自分たちの行使する術を『魔法』だと略しても良いのかもしれませんが、私たちはあえてそう言わない……そんな不文律があるのですよ。
一般の人々に説明する時などには、伝わりやすいように『魔法』という表現を使いますけどね。
同じように、一般の方々は魔導士と魔術士のことを総称して『魔法使い』と呼ぶこともありますが、「魔の法を創り、魔の法を使う」ことができた真の魔法使いは、『はじまりの魔法使い』だけなのです。
彼が姿を消した後、『魔法使い』の称号を得ることができた者は一人もいません」
「…。」
レイフォンさんとうちの兄のもうひとつの共通点を見つけた。
二人とも話がすごく長い…。
一度に沢山のことを教えてもらったので、わたしの頭は飽和状態になっていた。
椅子に座っているのに、身体がふわふわ浮いているような不思議な感じがする。
頭のいい人であっても、教えるのが上手いという訳じゃない。
そんな実例のような状況に、わたしは気が遠くなりながらも今教えてもらった情報を整理する。
「――ご説明、ありがとうございます。
『はじまりの魔法使い』さんが桁外れな力を持っていたということは…なんとなく解りました」
わたしの世界で考えると、彼は『万有引力の法則』みたいなものを創ることができるってことだよね。
凄腕の魔法使いと言うよりは、人間離れしすぎていて…神様みたいだと思うけど。
わたしのたどたどしい口調が可笑しかったのか、レイフォンさんがくすっと笑う。
「私の話は難しかったですか?
それとも、お腹がいっぱいになったから、眠くなってしまいましたか?」
「両方、かもしれません」
「両方ですか」
彼は笑いながら足を組み替えると、表情を引き締めて尋ねた。
「それでは今夜のうちに訊いておきたいことだけ、いくつか質問させて下さい」
「…はい、どうぞ?」
「今までにユートから、あの『夢』の話を聞いたことはありますか?」
「いいえ。
両親や祖父母には相談していたのかもしれませんが、わたしは全然知りませんでした」
「そうですか。
過去に同じ状態になったことがあるのか、ユートに聞きそびれてしまったので、姫がご存知であれば…と思ったのですが」
「兄はわたしの前では弱いところを見せない人なので…」
わたしが言葉を濁して答えると、レイフォンさんは頷きながら別の質問を口にした。
「では、ユートがあの『夢』を見るようになる原因…元になった体験は、本当に何も無かったのでしょうか?
『てれび』や『えーが』の影響ではないと本人は否定していましたが…。
ユートに生まれ変わる前の記憶があるということ自体を否定する訳ではありません。
ですが、過去世の記憶にしては妙に生々しいですし、こちらの世界に来た途端…毎晩夢に見るのはおかしいと思うのです」
「――昔、わたしが大怪我をした時、一番最初にわたしを見つけたのは兄だったと聞いています。
わたしは頭に傷を負って地面に倒れていて、血溜まりができていたそうなので、その時の記憶が影響している可能性はあるかもしれません」
「そのお話は昨晩のお話の…姫が生死の境を彷徨うような怪我をしたという?」
「はい」
「そうですか。
そうだとすると、余計に…」
彼は眉宇を顰めると、わたしの瞳を心の奥まで射抜くような視線で見つめた。
「――姫も、その時のことを夢に見ることはありますか?」
その質問を聞いた瞬間、わたしの身体がビクッと震える。
「え…えと、ありますけど、それが何か?」
「親しい人間同士の間には、不思議な感知力が働くことがあるという話を思い出しまして。
双子の一人が怪我をすると、もう一人も同じところが痛くなる…というような」
あー、なるほど。
「…いや、二人が同時に同じ夢を見るか、同じように体調不良にならなければ、この仮説は成立しませんね。
すみません、変なことをお聞きして」
「いえ、大丈夫です。
他にも、何か…わたしに聞きたいことはありますか?」
わたしはレイフォンさんの強い視線に居心地の悪さを感じながら尋ねると、思いもよらない質問が返ってきた。
「そうですね……姫だったらどんな術を創って悪夢を封じますか?」
「え?」
「夢魔や他者からの『攻撃』を封じる術ならば沢山あるのですが、そうでないとなると…」
彼は言葉を濁したけれど、使える術が見つからなかったことは何となく解った。
そうだよね、毎晩悪夢を見続ける人なんて、そうそう居ないだろうし。
滅多にないケースなら、それに対応する術も創られていないのは当然かもしれない。
脳と身体が休んでいる深い眠りが、ノンレム睡眠。
脳が起きている浅い眠り…レム睡眠の時に、人は夢を見ると聞いたことがある。
ノンレム睡眠とレム睡眠の周期を変えたり、ノンレム睡眠だけにするなんてことは…できるのかもしれないけど、そこまで手を加えるよりは発想を変えたほうが良いかも。
わたしは目の前の本の山を視界の隅に写しながら答えた。
「悪い夢を見ないようにする…という結果になればいいのなら、発想を変えて、良い夢を見るようにすることを考えます」
「…。」
「悪い夢を見ないようにする魔法があるなら、それが一番早いと思います。
でも…難しいんですよね?
それなら、悪い夢だけに作用する術を新しく創るよりは、良い夢を見るようにする術のほうが簡単じゃないかと考えんですけど…素人考えですし、的外れだったらすみません」
話しているうちに段々自信がなくなってきたわたしは、レイフォンさんの表情を上目遣いで確認した。
彼の灰青色の瞳は大きく見開かれ、異様な光が宿っている。
不機嫌じゃないことは見て解るけど、何か別の地雷を踏んだような感じがする。
背筋にゾワッとくる寒気がわたしの不安を煽った。
「――その案、いただきました」
にっこりと微笑まれたので、わたしもお愛想笑いを作って応じ、退出するための言葉を返す。
「お役に立てたのなら、嬉しいです。
…そろそろわたしは失礼しますね」
引き止められないよう椅子から素早く立ち上がり、レイフォンさんに「お休みなさい」と挨拶してから、自分の部屋へと早々に戻った。
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今回は「魔法(29話 後書き)」「優奈の怪我(29・30話)」に繋がるお話となりました。遅くなってしまってすみません。(兄の話が長い…というエピソードは14話)
次は久々に「うち兄 ぷらす」を更新する予定です。
幼少期は兄成分が多めな短編ばかりですが、妹が成長したら妹事情が解る話も書いていきたいと考えていますので、よろしくお願いします。
■2013.04.10 レイフォンの台詞を修正・加筆
■2013.11.10 同上