055 眼鏡を標準装備に加えることが確定しました
レイフォンさんに呼ばれて居間へ戻ると、食卓の上にはリゾット(?)とサラダが一人前用意されていた。
向かい側の席には本が積み上げられている。
(どうして食事をする場所に本の山があるんだろう?)
不思議に思いながら椅子に腰をかけると、彼はレストランのウェイターさんみたいに丁度いい位置までわたしの椅子を押してくれた。
「食事の前に、女王陛下から貸与された眼鏡をかけて、私のほうを見ていただけますか?」
「?」
わたしは首を傾げながらも、大人しく言われた通りにする。
ポケットから眼鏡ケースを取り出して開け、眼鏡のつるを持ちながら顔にかけた瞬間、カチっとちいさな音が聞こえた。
「その眼鏡には使用者にあわせてサイズを自動で調整する魔法がかけられていると、お師匠さまから聞いてはいましたが、こんな短時間で瞬く間に形状を変化させるとは…想像以上の性能です」
わたしは彼の熱い眼差しから目を逸らしつつ、眼鏡のつるから手を放す。
手で押さえていなくても丁度いい位置で留まり、眼鏡がフィットしていることを確認する。
彼の言葉の通り、眼鏡のサイズがわたしにあうように変わったようだった。
「形状変化の回数は無制限。
人の意識と記憶に働きかけ、誰にも見咎められず…記憶に残らないようにできるそうですね。
盗みや諜報を生業にする者にとっては、喉から手が出るほど欲しい魔道具でしょう。
視覚を通じて惑わす術も無効化し、建物などに仕掛けられた罠を見破ることも可能。
更に、古代語から現代語まで…ありとあらゆる言語を読解する機能まで付いているらしいですよ。
『はじまりの魔法使い』の比類なき才能と技能が詰まった逸品です。
叶うことなら、詳しく調べてみたいものですが…」
ふむふむ、この眼鏡には他にもそんな機能があったのか。
『言語読解機能』はこちらの世界の本が読めるから嬉しいな。
もうひとつの『罠発見機能』は、使う機会なんて無い…よね?
「今のお話が本当なら、国宝として国王陛下が手元に置いているのは当然のことかもしれませんね。
レイフォンさんが秀逸な魔道具に興味を惹かれるのは理解できますが、コレはわたしが女王陛下からお借りしたものですから、又貸しすることはできません。
諦めてくださいね」
仕組みを解明しようとするあまり、分解したら壊れちゃった…なんてことになったら困る。
わたしが笑顔を作ってキッパリと断ると、レイフォンさんは苦笑しながら頷いた。
「ええ、とても残念ですが…諦めます。
仮に私が姫から強引に奪ったとしても、陛下から直接貸与された者でなければ使えないらしいですし。
私が期待した効果はきちんと出ているようですから、これ以上は望みません」
「効果?」
彼はわたしが首を傾げるのを見ながら微笑んだ。
食卓の上に置かれていた自分の眼鏡に手を伸ばして再び装着する。
そして余裕の笑みでわたしをまっすぐに見つめた。
「――解りませんか?
聡明な姫なら、すぐに解るかと思ったのですが」
レイフォンさんの表情と灰青色の瞳を視返しているうちに、ハッと気がついた。
「この眼鏡をかけていれば、『魅了』の力を封じることができるんですか?」
何度も『見つめてはいけません』と注意されたけど、今回は言われていない。
これまでと違うのは、わたしが眼鏡をかけていることだけ。
「正解です。
外からの術式を拒む作用…視覚に関わる術を無効化する力があるのなら、逆に内側からの力を外へ出さないようにすることができるのではないかと考え、私自身を使って実験してみたのです」
「レイフォンさんが先ほどまで眼鏡を外していたのは、この実験のためだったんですか?」
「はい。
その眼鏡が『魅了の力』を遮断できなかった場合、よく見えない状態にしておけば被害を減らせるだろうと考えました」
そうか、それで…さっき自分の眼鏡を外していたんだ。
女王陛下から貸してもらったこの眼鏡をかけていれば、相手の顔を見ながら普通に話しても大丈夫だと知って、わたしはほっと胸をなで下ろした。
『話をする時は失礼にならない程度に相手の目を見て話すように』と教わり、既に習慣として身についているマナーを急に変えることは難しかったから。
(こっちにいる間は、いつも眼鏡をかけていよう)
そうすれば余計な問題も発生しないだろうし、人目につかなくなるし、こちらの世界の文字も読める。
眼鏡を無くしたり壊したりしないように注意しなくてはいけないけど、自分ではよくわからない『魅了』の力を封じることのほうが重要な気がするし…。
わたしは彼から何度も注意されたことを思い出しながら尋ねた。
「期待通りの効果があったから良かったものの、危険な実験だったんじゃないですか?」
自分でも驚くほど咎めるような刺がある声音だった。
自分の身の安全を省みずに実験を優先するなんて…前もって知っていたら絶対に止めていた。
レイフォンさんは全く動じずにサラリと答えた。
「その場合、本当に危険な目にあうのは、私ではなくて姫ですから」
「…?」
「強く『魅了』されてしまった者は、誰もが激しい恋に落ちたときのような行動を示すそうです。
好きな人しか見えず、他のことは一切考えられなくなり、正常な判断力を失い、ただひたすらに相手を欲する……恋焦がれ、恋に狂ったような状態になると文献に記されていました。
私はいままでそんな状態になったことがありませんが、この機会に擬似体験しておくのも楽しそうだと思い、実験してみたのですよ。
私個人としては、どちらの結果になっても良いと考えていました」
彼は子供のように瞳を輝かせて語り終えると、流し目でわたしを見た。
「…。」
よく考えなくても、ツッコミ処が沢山あるような気がする。
というか、この無駄に艶めいた目つきは何なんだろう。
口を開いてあれこれ訊こうとして……寸前で思い留まった。
気にしたら負けだ。
口でレイフォンさんに勝てるとは思えない。
わざわざ自分から負け戦を仕掛けるのは止めておこう。
わたしが何も言わないまま口を閉じたのを見ると、彼は食事を勧めた。
「話が長くなってしまってすみませんでした。
どうぞ冷めないうちにお召し上がり下さい」
わたしは「いただきます」と声に出して挨拶しながらスプーンを手に取った。
せっかく作ってもらった食事だもの。
温かいうちに美味しく頂こう。
リゾットっぽいものを注視すると、見慣れた海の幸が入っていることが解る。
エビ、イカ、アサリ……見た目は、わたしの世界の海鮮リゾットとよく似ていた。
恐る恐る口に入れて味を確かめてみる。
ニンニクの風味と魚介類の旨味、濃厚なチーズの味が口の中にふんわりと広がった。
すぐに食べなかったせいかお米が「アルデンテ」ではなくなっていたけれど、わたしは柔らか目のほうが好きだから別に問題はない。
「素材の旨味が全体に溶け込んでいて、すごく美味しいです」
食事を作ってくれたレイフォンさんに感謝の気持ちをこめて笑いかける。
そういえば、昼間の食事の食材も知っているものが多かったなぁ。
異世界の人たちが、種や苗、稚魚とか卵なんかをあちらの世界から持ち込んで育ててるのかな?
それとも、最初から動植物が似通っている世界だったのか…?
彼は「その料理はユートに教わったのですよ」と言いながらわたしの向かい側の席に腰を下ろし、本の山に手を伸ばした。
一番上に置いてあった分厚い本のページを、彼の長い指がゆっくりとめくってゆく。
彼の目の動きから流し読みをしていることは解るけど…。
「――気になりますか?」
彼は本のページを見たままで、声だけわたしに投げかける。
「はい。
兄のために…夢を見ずに眠れるようにする魔法を調べてくれているのでしょう?」
「ええ。
悪夢だけに術の効力を絞りこむ…対象を選別をするのが非常に難しそうですが…」
彼がページをめくるたびに、乾いた微かな音が産まれる。
わたしはその音に耳を傾けながら、彼の動きを目で追った。
レイフォンさんは革張りの大きくて分厚い本を次々と読破していく。
その様をぼんやりと見ているうちに、わたしは用意してもらった夕食を全て食べ終えた。
自分の使った食器ぐらい、自分で片づけよう。
わたしは静かに椅子から立ち上がり、食器を重ねる。
スプーンをお皿の上に置いた瞬間、カチャン…とちいさな音が鳴ってしまった。
彼は本から視線を外し、無防備な表情でわたしの顔を見上げる。
「…ああ、すみません。
姫の話し相手を務めようと思っていたのに、調べ物に夢中になってしまいました」
「いえ、気にしないで下さい。
ご馳走様でした」
食事を作ってもらった上に、後片付けまでしてもらうなんてことはできない
わたしは急いで使用済みの食器を持ち、台所へと移動した。
自分の世界とほとんど構造が変わらない台所で食器を洗って居間へ戻ると、テーブルの上には二人分のお茶が用意されていた。
白いティーカップの上で、温かな湯気が踊っている。
いつの間に用意したんだろう?
わたしが首を傾げていると、レイフォンさんは涼やかな目元をわずかに細めて笑った。
「姫、食後のお茶はいかがですか?」
まだ淹れていないならともかく、既に用意されているものを断るのは難しい。
「…いただきます」
わたしがそう答えると、彼は満足げに頷いて再び椅子を引いてくれた。
わたしを座らせた後で自分の席に戻り、無造作に足を組む。
「夜ですから、眠りを妨げることのないカフェインレスのお茶をご用意しました。
姫のお口にあうと良いのですが」
ええと…持ち手の穴に指を通さずに『摘む』ようにして持つのが正しいマナーだったよね?
わたしはテーブルマナーの授業を思い出しながら、ティーカップの持ち手をそっと摘んだ。
二人きりだと粗相を見咎められそうで…なんだかとても緊張する。
お茶の色は薄い茶色、ほのかに林檎の香りがした。
これはアップルフレーバーティー?
わたしがお茶を一口飲んだのを見届けてから、レイフォンさんは再び本を手に取った。
開かれた本のページがチラリと見えた。
本の紙面の文字が印字ではなく、手書きであることが見て取れる。
ページに目を落としている彼の表情は険しい。
兄の安眠を保障してくれるような魔法は、どこにも載っていないのかもしれない。
無かったとしても、新しく作ったりすることはできるのかな?
わたしがそんなことを考えていると、再び声をかけられた。
「――何か私にお聞きになりたいことでもあるのですか?」
「どうして解ったんですか?」
こちらを全然見ていないのに、言い当てられてビックリする。
「『魅了』の力を眼鏡で遮断しているといっても、姫の視線はハッキリと感じられるのですよ。
好奇心からのものとは違っているようですし、ユートの状態はまだ一刻を争うようものでもないでしょう?
そう考えると、何か質問があるのではないかと推測しました」
「それは当たってますけど…でも…わたしが話しかけたら、調べ物の邪魔になりませんか?」
「大丈夫ですよ。
一度に二つのことをこなすくらいなら、簡単ですから問題はありません」
「…。」
ヴァルフラムさんがうちの兄とレイフォンさんのことを「似たようなもんだろ」と言っていた意味が、今、なんとなく解った気が…。
チートなヒトの『簡単』は普通のヒトには『難しい』ってことを、全然気にしてない辺りが似てる。
レイフォンさんの返答を聞いて、わたしは別の切り口から質問することを決めた。
(能力とプライドが高い人を刺激する質問は避けたほうが無難だよね。
まだ調べている途中なのに、ダメだった時のことを訊かれるのは嫌だろうし)
「――レイフォンさんが今読んでいる本の文章は、全部ご自分で書き写したものなんですか?」
ヴァルフラムの「似たようなもんだろ」発言は、33話に出てきます。
(作中の時間では、前日の夜に聞いた会話の一部)
■2013.11.10 地の文章に加筆(描写不足の箇所に文章追加)