054 謎の質疑応答と笑いのツボ
わたしたちは < 門 > を通って、エリオットの研究室からレイフォンさんの家の中へ移動した。
三回目ともなると、この魔法での移動も大分慣れたのか、身体の不調は全くなかった。
徒歩で隣の部屋へ移動したような感覚のまま、わたしの手を引いて歩くレイフォンさんの顔を見上げる。
「――姫、何か?」
レイフォンさんに促されて、わたしは疑問を口にした。
「あの、ここ…本当にレイフォンさんのお家ですか?」
「何故そのようなことを?」
「え…と、何となくレイフォンさんのイメージとあってない気がして」
木で造られたログハウスのようにしか見えない家と、レイフォンさんのイメージが結びつかない。
機能的で無駄のない近代建築なお家を想像していただけに意外だった。
彼は「姫の洞察力の鋭さには感服いたします」と言いながら、廊下のつきあたりで足を止めた。
扉を開くと温かみのある木肌が剥き出しになっている天井と壁が見え、微かに木の香りが漂う。
室内にはカントリー調の家具が設えてあり、中央の暖炉の前にはふわもこの真っ白な絨毯が敷かれている。
暖炉の上の壁の牧歌的な風景が描かれた絵画の緑色と、鮮やかな赤のクッションが部屋の中に彩りを添えていた。
「うわぁ、可愛い」
思わずそう呟いたわたしにレイフォンさんがにっこりと笑いかける。
「姫に気に入っていただけたのなら、別荘を借りた甲斐がありました」
「…え?」
「姫が私の家に来るのを躊躇う理由を教えていただいた後で、契約をしておいたのですよ。
家具付きの長期滞在型であれば生活必需品も用意されていますし…それに別荘なら邪魔も入りませんからね」
自宅に人を招き入れることを好まないレイフォンさんが別の場所を用意したのはわかるけど…邪魔ってなんだろう?
わたしはとりあえず繋いだままの手を放してもらおうと決めて口を開く。
「レイフォンさん、あの、手を…」
「放して下さい」と言う前に、彼はわたしの言葉を遮って別の話題を振った。
「――ヴァルフラムとは、もっと近づいて…寄り添うように歩いていましたよね?」
「?」
「今日の昼間、姫が『魔導士の塔』へ戻ってきたときの話です」
咄嗟に何の話だか解らなかったわたしは、レイフォンさんの補足説明を聞いて…それでも首を傾げた。
「あのとき、わたしは『透明マント』を着ていたんですが…見えたのですか?」
「姫の姿は見えませんでしたよ。
ですが、私には姫の周囲に群がる精霊たちの姿が視えるので、姫の位置も分かりました」
「…。」
そっか。
『透明マント』はわたしの姿を隠してくれるけど、わたしの周囲に居る精霊さんたちを隠す効果はないんだ。
精霊の姿を見ることのできる魔導士から身を隠す…『黒の加護』を受けていると知られないための対策も立てておかなくちゃダメかな?
でも、魔導士の数は少ないんだよね?
他国を訪問する…旅をしている魔導士の数とか、入国管理をしていれば解るだろうから、今度おじいちゃんに相談してみようっと。
三の月が満ちるまであと五日。
油断せず、余計なトラブルを招かないように…。
レイフォンさんに声をかけられるまで、わたしは深く考え込んでいた。
「姫?」
「あ、ごめんなさい」
わたしは謝りながら必死に記憶を辿って、訊かれた質問に答えた。
「あのときヴァルフラムさんと手を繋いでいたのは、『透明マント』を着ていたわたしとはぐれないようにするためだと思います。
…たぶん」
「たぶん、ですか?」
「そうでもしないと、ヴァルフラムさんにはわたしが何処に居るかわからないでしょう?
手を繋ぐ理由をお聞きしなかったので、推測なんですけど」
何か言い訳っぽいなぁ…と心の中で自分にツッコミを入れつつ、肝心の部分についても説明する。
「ヴァルフラムさんと身を寄せ合うように歩いていたのは、お互いに小さな声で会話していたからです。
わたしは『透明マント』で姿を消していたので、ヴァルフラムさんが独り言を言っているように見られないためと…誰かに『会話』を聞かれないようにするためだと思います」
わたしの答えを聞くと、レイフォンさんは複雑な表情を浮かべながら手を放す。
自嘲するような呟き声が微かに聞こえた。
「ヴァルフラムは < 消音 > の術が使えない。
……だから、か。
そんなことにも気がつかないなんて、本当にどうかしている」
どうしたんだろう、急に気落ちしたように見えるけど…?
いきなり聞かれた質問に加えて、答えを聞いた後の表情も気にかかる。
「レイフォンさん、どうかしたんですか?」
「いえ、実は私にもよく解らないんですよ」
「?」
「解らないからこそ、知りたいと願っているのかもしれません」
レイフォンさんは微笑みながらわたしの瞳を見つめた。
「昨日の夜、私の家が姫の滞在先に選ばれなかった事を、心のどこかで残念だと思う自分が居たんです。
お師匠さまから話を聞いたときには、面倒なことになったと思っていたのに…」
灰青色の瞳の中にわたしの姿が映っている。
わたしは『誰かの目を見つめてはいけない』ことを思い出して、レイフォンさんの視線を避けるように俯いた。
「私は自分の私的な領域に他人が入り込むことを好まない。
それなのに何故、貴女が私の家に来ないことを残念に思ったのでしょうね?
…姫は、どうしてだと思いますか?」
口調は明るいけれど、強制力を伴うような問いかけだった。
回答せずに済ましたり、話を逸らすことはできそうもない。
わたしは彼の強い視線を痛いほど感じながら答えた。
「――わたしのことを『人間』ではなくて、『もの珍しい動物』のように認識しているんじゃないでしょうか?」
『黒の加護』のことを踏まえた上で、わたしがエリオットと身構えずに話せる理由を加えた回答を出すと、レイフォンさんは一瞬目を見開いたあとで爆笑した。
「くっ…ふふふっ、あはははは!」
身を捩るようにして笑う彼の姿を見て、わたしは一歩後ろに下がった。
な、何で?
今の回答の何処が笑いのツボだったんだろう?
「レイフォンさん?」
「いや、失礼。
私が想定していた答えと全く違っていたものですから。
…なるほど、姫はそのように考えるのですね。
貴女は本当に興味深い」
「…ソウデスカ?」
わたしにとってはアナタの笑いのツボのほうが謎ですけどね。
「私もヴァルフラムのことを責められませんね。
姫の外見に引きずられて、貴女がまだ成人前であることをつい忘れてしまう」
「?」
「子供だと言い難い知性と洞察力はあれども、純真無垢であるが故に駆け引きは一切通用しない…か」
「レイフォンさん、今、何て言ったんですか?
声がちいさくて聞き取れなかったんですが」
「いえ、大したことではありませんから、お気になさらず。
…さて、どうしましょう?」
「…。」
わたしは小首を傾げて「よくわかりません」と動作で示しながら明言を避けた。
彼が何をどうしたいのか解らないわたしに解決策なんて思い浮かばない。
独り言なのか質問なのか謎かけなのかも不明だし。
ここは『沈黙』の一択でスルーしよう。
…と決めた直後、わたしのお腹の虫が「ぐぅうぅぅ~」と鳴いた。
あ、そういえばまだ何も食べてない。
わたしは羞恥心よりも食欲を優先させて、レイフォンさんを上目遣いで見つめた。
「――お話の途中でごめんなさい。
何か食べるもの、ありますか?」
お腹へったよー。
ごはんたべたいよー。
切実な空腹感を込めて訴えたわたしと目が合うと、彼は軽い溜息をつきながら自分の眼鏡を外した。
「姫、そんな風に誰かの瞳を見つめてはダメだと言ったでしょう?」
「…あ、ごめんなさい」
わたしはあわてて自分の足元に視線を逸らした。
「どうしても難しいというのなら、いっそ目隠しをして過ごしますか?
歩くときは私が姫の手を引いて歩けばいいことですし…ああ、抱き上げてお運びするのも良いですね」
笑いを含んだ声で提案された内容を、わたしは即座に却下する。
「それは嫌です」
「どうしてですか?
昨夜は別に嫌がっていませんでしたよね」
「あれは魔法でしょう?
貴方は片手でわたしを持ち上げていたけれど、腕にわたしの体重がかかっている感じはしなかったし…」
「なるほど。
姫は誰かに抱きかかえられた経験があるのですね?
だからこそ、魔法と腕力の違いがわかる」
レイフォンさんの声が少し低くなった。
「それは、こちらに来てからでしょうか?
それとも、ご自分の世界で?」
わたしは恐る恐る彼の表情を盗み見て、見なければ良かったと後悔した。
完璧な笑顔を浮かべているけれど、目だけは笑っていない。
「姫が答えるのを躊躇うということは、こちらに来てからの話なのですね。
…とすると、相手はヴァルフラムですか?」
凍りつくような笑顔で言い当てられて、わたしの身体はビクッと震えた。
「当たりですね?」
顔は笑顔なのに、冷気が漂ってくる辺りが怖い。
もうそれ質問じゃないよね、確認だよね?
べ、別に悪いことしたわけじゃないんだから、責められる筋合いはないですよ!
…なんて口に出して言えるわけもなく、わたしは事のいきさつを洗いざらい全部白状した。
「――可及的速やかな退避が必要となった場面で起きたことで、ヴァルフラムさんに他意はなかったと思います」
「姫は、私には他意があるとお思いですか?
だから、私に抱きかかえられるのは嫌だと?」
レイフォンさんが首を傾げると、彼の銀色の髪がサラリと揺れた。
「そういう話じゃないんです。
持ち上げられたらバレちゃうじゃないですか……わたしの体重が。
魔法ならわからないのかもしれないけど、それでも触られるのは恥ずかしいですし、相手が誰であってもお断りします」
わたしはキッパリと言い切って、レイフォンさんの視線を真正面から受け止める。
嫌なことほど、きちんと「嫌だから止めて欲しい」と伝えたい。
何も言わずに我慢して、後で文句を言うよりずっとマシだと思うから。
不退転の覚悟を固めたわたしの耳に、軽やかな笑い声が聞こえてきた。
「すみません、最初から冗談のつもりだったのですが、姫が真面目に答えてくださるものですから…面白くてつい遊んでしまいました」
くすくすと笑う彼の表情はとても柔らかくて、さっきまでの怖い感じは嘘みたいに消えている。
楽しげに笑う彼は、眼鏡を外しているせいか少しだけ幼く見えた。
悪戯が成功して喜ぶ子供みたい。
そう思ったら、なんだか急に疲れてため息が出た。
レイフォンさんは腕まくりをしながら言った。
「これから夕食を作ります。
出来るまで部屋で休んでいてください。
姫の部屋は居間を出て右手です。
…あ、そうそう、部屋着など、必要になりそうなものを買い揃えておきました。
荷解きする際にそちらもご確認ください」
「これからレイフォンさんが作るんですか?
魔法でパパッと出すのじゃなくて?」
「王城の厨房から出来上がっている料理を拝借することも出来るのですが、術の残滓を追われると……いえ、何でもありません。
簡単なものしか作れませんが、たまには自炊しないと忘れてしまいますから」
「じゃあ、わたしもお手伝いします」
「私ひとりで大丈夫です。
本当に簡単なものですから、すぐにできますし。
姫のお気持ちだけありがたく頂いておきますね」
彼はわたしの腰に手を回して強引に居間から連れ出し、隣の部屋へわたしを旅行鞄と一緒に押し込んだ。
これ以上ゴネて食事ができるのが遅れるのも困るし、ここはレイフォンさんにお任せしようっと。
まだまだ育ち盛りですから、栄養補給は大事なのです。
べ、別に食いしん坊ってわけじゃないんだからね!
…なんて『ひとりツンデレごっこ』をしながら割り当てられた部屋の中を改めて見回す。
居間と同じ可愛いカントリー家具で統一されていることが見て取れた。
ベッドの他にライティングデスクと椅子、鏡台が設えられている。
床に敷かれた毛足の長いラグは白、クッションは赤と緑で、居間と同じ配色。
カーテンやベッドカバーの淡い桜色が部屋全体に統一感を醸し出していた。
長期滞在用…というだけあって、けっこう広いなぁ。
あ、お風呂とトイレもある。
ユニットバスとはちょっと違うけど、トイレと洗面台とお風呂場が横並びに設置されていた。
その構造に気が付くと、ここが住宅ではなく宿泊施設なのだということを思い出す。
(個室にトイレとお風呂まで付いてるなんて、日本の一般家庭じゃあり得ないし)
わたしは旅行鞄の中の荷物を次々と外に出し、クローゼットへ移動させた。
洋服はハンガーにかけ、下着類や小物は引出しの中に仕舞い、食材や調味料等は籠の中へ。
クローゼットの中に入っていた袋を開けると、レイフォンさんが買い揃えてくれたものが沢山入っていた。
衣類や靴、小物類(櫛や髪留め、化粧品等)を見て、わたしは感心すると同時にちょっと呆れた。
「そつがないというか、完璧すぎて怖いというか……微妙」
ここまで女の子の必需品を完璧に用意できるのは、彼が『女性慣れ』している証拠であるように思えて、わたしはちょっと…いや、かなり退いた。
別に恋愛経験値が高い人をアレコレ言うつもりはないけど、でも、レイフォンさんが心の中で『誰か(他の女の子)』とわたしを比べている可能性を考えると複雑な気持ちになった。
彼にからかわれることが多いのは、わたしが普通の女の子とは違う反応をすることが原因なのかな…?
「まぁ、『黒の加護』を受けているって時点で、『普通』の子とはかけ離れているのかもしれないけど」
わたしは大きく息を吐くことで心の中のモヤモヤに区切りをつけ、片づけを再開した。
■2013.11.10 誤字訂正