052 厨二病な発言は笑いのツボです
――遠くから人の声が聞こえた。
わたしは夢と現の間をゆらゆらと彷徨っている。
起きなくちゃ。
…でも、もう少しだけ寝ていたい。
休日の朝のような怠惰な誘惑に負けしまいそうになったとき、兄の声がわたしの耳に飛び込んできた。
「たった一日で、百九十八人いた受験者を三十三名まで絞り込んだのか?
……それはすごいな、お疲れ様。
職業意識が高く、身分の貴賎を問わずに誰にでも礼儀正しく接することができ、足手まといにならない体力があるということを確かめた上で、最後に治療士としての実力を測るのか…。
この試験に合格した女性なら、俺も『普通』に接することができそうだよ」
「…っ!」
わたしはソファから飛び上がって周囲を見渡し、兄の声が聞こえてきた場所を特定した。
ソファのすぐ横に、一次試験の様子を見せてくれた『鏡』が置かれている。
兄の声はこの鏡から聞こえてきたのだと理解すると、わたしは再びソファに深く腰を下ろした。
「――なぁんだ、びっくりした…」
口から飛び出してきそうな心臓の鼓動を感じながら大きく息を吐く。
確か…一次試験のときには、わたしが鏡に触るまで試験会場の映像は映ってなかったし、受験者の声も聞こえなかった。
エリオットじゃなくて、別の誰かが似たような魔法をこの鏡にかけていったのかな?
鏡の中に映し出されている映像を注視すると、縦に長い楕円形の鏡の上半分にはズームアップされた映像、下半分には部屋全体が見渡せる映像が映っていることがわかった。
長方形のテーブルには椅子が五つ用意されている。
兄とエリオット、レイフォンさんとヴァルフラムさんがそれぞれ並んで座り、上座の席だけ空いていた。
「おじいちゃんの部屋にみんなで集まって……食事中?」
そういえば、兄とおじいちゃんは『二十時に』魔導士の塔で会う約束をしていたっけ…。
みんなでおじいちゃんの帰りを待ちながら、食事の席で今日の選抜試験の内容と結果を話しているようだ。
テーブルの上にはたくさんの料理が並んでいる。
それを見た途端、わたしのお腹がぐぅぅ~っと鳴いた。
「明日の実技試験の集合は朝六時。
…少なくとも今夜は、ユートに夜這いをかけてくる奴はいないと思うぞ?
遅刻した者は待たずに置いていくと伝えてあるしな」
ヴァルフラムさんの言葉にレイフォンさんが苦笑しながら同意する。
「ヴァルフラムの言うとおり、三次試験合格者の方々が今夜問題行動を起こす可能性は低いと思います。
危険なのは寧ろ…他に近づく手段が無くなった不合格者の方々でしょうね。
エリオットとユート、二人とも今夜は城外へ出ないほうが良いかもしれません。
王城へ泊まれば無用の騒ぎが起きることもないでしょうし」
エリオットはレイフォンさんの提案に目を輝かせて頷いた。
「ユート、僕もレイ先輩と同じ意見です。
最近よく眠れないと言っていたじゃないですか。
いくらユートでも、寝不足が続けば身体に悪いし…僕、心配なんです。
僕の家よりも城の中のほうが安全です。
警備が厳重ですから侵入者を警戒することなく、明日の朝までゆっくりと寝ることができますよ?」
エリオットは縋るような表情を浮かべて兄を見上げ、答えを待っている。
「…ああ、そうだな。
うん、そうするか」
兄はふわりと微笑んでエリオットの頭を撫でた。
エリオットはちょっと照れながらも笑っている。
わー、ふたりともデレデレだ~。(ひゅーひゅー!)
ふと、ヴァルフラムさんが生ぬるい視線で二人を眺めていることに気がついた。
彼は一瞬にしてその表情を改めると、テーブルに身を乗り出すようにして兄に話しかける。
「――ユート、よく眠れないって…いつから?」
「…ん?
初日から」
「初日って…八日間連続か?
お前が夜に夜這いをかけられるようになったのは、ここ最近のことだろう?」
驚くヴァルフラムさんの言葉をレイフォンさんが手で制し、真剣な口調で尋ねた。
「確かにエリオットの言うとおり、寝不足が続けばユートの体調に…ひいては戦力に不安が生じます。
貴方自身は自分が眠れない理由や原因がわかっているんですか?」
「最初は、妹と…優奈と連絡がとれないせいだと思っていたんだが、どうやら違うらしい。
昨日の夜、優奈と連絡がついたと報告を受けた後も同じだったから…」
兄の歯切れの悪い口調に、わたしは首を傾げた。
優人は良くも悪くもストレートな物言いをする。
もったいぶった話運びは好まないはずなのに。
兄がこんなにも話し辛そうな理由って…何だろう?
鏡の向こうの三人は、兄の言葉の続きを黙って待っている。
「――この件については、あまり詳しく話したくないんだ。
そのうち自然に治ると思うし…心配をかけてすまない」
苦笑しながら…でもハッキリとした口調で「話したくない」と答えた兄を、エリオットとヴァルフラムさんは心配そうに見つめている。
厳しい表情を浮かべているのは、レイフォンさん一人だけだった。
彼はティーカップに入っていたお茶を飲み干すと、兄の瞳を正面の席から見据えた。
「貴方が話したくないと言う事を無理に聞き出すのは、私の本意ではありません。
しかし、貴方は火竜討伐を成し遂げるために欠くことのできない人であり、戦力です。
竜には魔法が効き難いという話、覚えていますよね?
火竜に火属性以外の魔法を用いて攻撃した場合、通常の五~六割程度のダメージしか与えられません。
物理攻撃も、普通の武器では傷ひとつ付けられない。
『竜殺しの武器』を使いこなすことのできる希少な人材の不調を放置するのは、自分の寿命を自ら縮めるようなものです。
ユート、貴方を脅すわけではありませんが、貴方が背負っているのは貴方だけの命ではないのですよ?
リヴァーシュラン伯爵家の『神剣』が本来の力を取り戻していれば、主の多少の不調は補ってくれたでしょうが…ね。
『神剣』を元に戻せない…戻す術が解らない今、これ以上戦力が低下するのは避けたいところです」
レイフォンさんの話を聞き続けるうちに、兄の眉毛がどんどん下がって八の字になってゆく。
どうやらすごく困っているみたいですよ、奥さん!(って、誰?)
兄のこんな表情は、元の世界では一度も見たことがない。
わたしはなんだか楽しくなって、心の中でレイフォンさんに熱い応援を送る。
いけいけー、もっとやっちゃえー!
「――いや、そんな風に言われると、ますます話し辛い内容なんだが…」
「そうですか?
少なくとも、私たちにきちんと話さなければ納まりがつかないとご理解いただけたようで何よりです。
さぁ、どうぞ話してください。
この後に及んで嫌だとは言いませんよね?」
しれっと言い返したレイフォンさんを、全員が微妙な顔で見つめた。
「「「…。」」」
「私の顔を見ていても、問題は解決しませんよ?
今回の場合、問題の先送りも認めませんから、さっさと話して下さい。
ちなみに、お師匠さまが戻ってきたら、強制的に自白を促す魔法を貴方にかけることも…」
兄をじわじわと追い詰めてゆくレイフォンさんを見て、ヴァルフラムさんとエリオットが小声で口を挟む。
「レイフォン、お前、さっき…脅すわけじゃない…と、言ったじゃないか。
魔法かけて自白させるって、ソレ、脅迫だから」
「レイ先輩の目的のためには手段を選ばないところ、お師匠さまと似てますよね。
…でも、やりすぎは逆効果だと思います」
「ヴァルフラム、エリオット」
「「はい?」」
「いいから貴方たちは黙ってなさい」
「「はい」」
二人が発言を封じられたのを見て、兄は苦笑した。
そして両手を挙げて『降参』のポーズをとる。
「――わかった、話す。
話すけど、『笑わない』って約束してくれ。
その約束を破ったら…そうだな、何でもひとつ俺のお願いを聞くってことでいいか?」
「……いいですよ?」
「笑われるような内容なのか」
「…え、僕、耳を塞いでいてもいいですか?」
兄は三人三様の反応を微笑みながら受け流すと、ゆっくりと語り始めた。
「眠ると、いつも同じ夢を見るんだ」
「「「夢?」」」
「そう、夢。
夢を見るたびにうなされて、夜中に目が覚める。
すぐにまた寝直せばいいんだろうけど、眠ったら夢の続きを見てしまうような気がして…寝付けないんだ。
気にすることはないと自分に言い聞かせているんだが、こう毎日同じ夢を見続けているとなると、ただの夢だとは思えなくなってきて……たまにどちらが現実なのかわからなくなる」
兄は物憂げな表情を浮かべ、両手で自分の顔を覆った。
「…その夢は、どんな内容なんですか?」
レイフォンさんは落ち着いた声で兄に話しの続きを促す。
他の二人は、黙って聞き役に回っていた。
ぐぅうぅぅ~。
わたしのお腹の虫が、空気を読まずに空腹であることを主張する。
わたしはテーブルの上に置かれていた水差しに手を伸ばし、コップに水を注いだ。
水でお腹を満たしておけば空腹感が紛れるし、お腹の虫も鳴かない…ハズ。
「――俺の家族が殺される夢。
多分、俺には前世の記憶があるんだと思う」
…前世の、記憶?
ぶはっ!
わたしは口に含んでいた水を盛大に吹き出した。
わたしが厨二病な言葉に反応して思わず笑ってしまったのは、仕方のないことだと思う。
(『神剣』に続いて『勇者』扱い、更に『前世の記憶』って……ベタすぎる)
誰も見てなかったし、飛び散った水滴はきちんと拭いておいたから問題ないよね?
(うんうん大丈夫、無かったことにしよう)
■2012.12.19 句読点、語尾、地の文章(優奈の思考等)を修正・加筆