048 女王陛下から国宝の魔道具をお借りしました
「……。」
どんな手段を講じても…って、穏やかじゃないなぁ。
そんな粘着質っぽい人とはお近づきになりたくない。
わたしは心の中のメモに『ディートハルト・フォイエルバッハ侯爵は危険人物』と書き留め、口の中の果物を食べ終わってから女王に尋ねた。
「その、性格に難があって…とっても面倒くさそうな異母弟さんを、陛下が処罰していないのは、どういった事情があるのか、差し障りのない範囲で教えて頂けますか?」
女王は片方の眉を跳ね上げてニヤリと笑う。
「お前は自分の身の安全を危ぶむ前に、まず、問題の核心について訊くんだね」
「はい。
エリオットに話を聞いたときから、おかしいと思っていたんです。
慣例に従えば、十五年前の竜退治の任務を果したリヴァーシュラン伯爵家には、当分回ってこない筈だったのでしょう?
それを破り、伯爵家が断れない状況に追い込んだのに、咎められることがないというのは、いったい裏にどんな事情があるんだろう…って」
わたしは一拍置いて、女王の顔を真正面から見つめた。
僅かな表情の変化も見逃さないように。
優しい嘘や気休めの言葉を見抜けるように。
「わたしと直接関わりの無い問題なら、自分から首を突っ込むようなことは止めようと決めていました。
でも、わたし自身の安全がその人によって脅かされる危険性があるなら、知っておかなくてはならないと思います。
わたしに何かあれば、心配性の兄が酷く取り乱すでしょうし…。
それに『黒の加護』のことも気がかりなんです。
わたしを守ろうとする精霊さんたちが暴走して、関係のない人にまで被害が及んだら大変ですから」
加害者だけが被害に遭うなら全然気にしないんだけどね…という気持ちを言外に匂わす。
女王はわたしの言葉に頷くと、「年寄りの昔話だと思ってお聞き。お前が悲しんだり、怒ったりする必要はないんだ」と、わたしに言い聞かせてから事情を説明してくれた。
「ディートハルトの母、ディートリットが犯した罪は、『王族の暗殺未遂』。
正妃の子供たちを排除して、自分の息子を王位に就ける計画だったらしい。
彼女は私と双子の弟を茶会に招いて毒を飲ませた。
その毒で弟のオリヴィエは寝たきりの状態になり、私は子供が産めない身体になった。
乱心した侍女の仕業として自分は罪を逃れるつもりだったようだが、侍女の部屋から主の言動や客との会話を細かく書き留めた日記帳が見つかり、彼女の罪は露見した。
先代のフォイエルバッハ侯爵は、孫娘が犯した罪の大きさを詫びながらも、七聖王国に嫁いだ娘…ディートリットの母を利用し、七聖王国を味方につけて、ディートハルトの助命嘆願をした。
あの老獪な古狸は、七聖王国の血とルスキニア王家の血を受け継ぐ子供を、なんらかの形で利用する気だったんだろうな」
淡々とした女王の口調は、まったく関わりのない他人の話をしているようだった。
「幸いなことに、オリヴィエの婚約者の胎内には子が宿っていた。
私がその子を自分の養子にして王位を継ぐと宣言し、王位継承者の問題を片付けたことで、この騒動は沈静化した。
その翌年にラインハルトが産まれたときには、父の多情さに呆れつつも感謝したことをよく覚えている。
弟の子であるロイシェールと、歳の離れた異母弟のラインハルトが、私と弟に代わってこの国を支えていってくれる。
そんな明るい未来を信じていた。
……三年前、ロイシェールが病死するまでは。
ロイシェールが亡くなると分かっていたら、ラインハルトに王位継承権の放棄などさせはしなかったのに」
女王は「いや、これは単なる愚痴だな」と言い足して苦笑した。
「フォイエルバッハ侯爵家は貴族の中でも特に裕福で、資金繰りに困っている者に金を貸し、高い利鞘を稼いでいる。
金の返済に困窮した挙句、侯爵家に媚び諂う『取り巻き』と化す者が多くてな。
ディートハルトを表だって咎めずに静観している理由のひとつが、奴らの存在だ。
侯爵家に借金を重ね、『侯爵派』になることで更に旨い汁を啜ろうとしている…堕ちた貴族たちを一網打尽にするには、まだまだ証拠が足りない」
わたしは女王の話を聞きながら、頭の中で情報を整理する。
それって、敵対する勢力の人間を捕らえずに泳がせて、処罰の対象となる人を見極めつつ、悪事の証拠を集めている…ということだよね。
王様なのに、ううん、王様だからこそ、法に従って民を裁くことには慎重になるんだろうな。
「ディートハルトはリリアーナによく似ていたアデリシアに執着し、自分の妻に迎えたいと望んだ。
妹の身代わりに娘を望まれたアーサーは…リヴァーシュラン伯爵は、当然のことながらそれを断った。
『シアは当家の跡取り娘ですから、他家に嫁に出すわけにはいかない』と頑強に言い張り、様々な脅しにも屈しなかった。
ラインハルトが結婚を急いだのは、アデリシアをディートハルトから守るためだ。
あいつは私とロイシェールに頭を下げて『アデリシアと結婚し、臣下としてこの国を支えてゆくから、どうか許してほしい』と頼み、私たちはラインハルトの願いを受け入れ…アデリシアとの結婚を認めた」
女王の口元が少しだけ緩んだ。
当時の二人の姿を思い出しているのかもしれない。
「――恐らく、グレアムとエリオットは、ディートハルトにアデリシアが狙われていたことを知らない。
故に、お前の髪の毛と瞳の色を変えておけば大丈夫だと判断したのだろう。
…ディートハルトのことは抜きにしても、お前をこちらの世界に召喚すべきではなかった。
戦う術を体得しているユートと、自分の身を守ることもできないお前は違う。
エリオットからお前のことを報告されたとき、きちんと禁じておくべきだったのに…。
私は魔導士の視野の狭さと知識欲を甘く見ていたようだ。
ユーナ、お前まで巻き込んでしまって…本当にすまない」
女王は謝罪の言葉とともに、わたしにちいさな箱を手渡した。
「陛下、これは?」
「開けて見ればわかる」
蓋を開けると、箱の中には眼鏡がひとつ入っていた。
薄い黄色と茶色が交互に混じっているフレームは、鼈甲によく似ている。
「それは我が国の国宝で、代々の王がお忍びに出かけるときに愛用してきた魔道具。
その眼鏡をかけていると、人の目に留まらず、関わった者の記憶にも残らない…という不思議な効果がある。
平凡で印象の薄い人間に擬態し、誰にも怪しまれることなく、自由に行動することができるんだ。
私も王城を抜け出して城下町へ遊びに行くときなどに長年使っているが、一度も見咎められたことがない。
グレアムの『透明マント』で姿を消してしまうのは便利だけれど、相手に姿が見えないと困る場合もあるだろう?
必要に応じて使い分けなさい」
「はい、わかりました。
ありがたくお借りいたします」
わたしがこくりと頷きながらお礼を言うと、女王はくすくすと笑い出した。
「ユートがお前を心配する気持ちが、私にもよく解るな」
「…。」
うちの愚兄は女王サマに本性を暴露してしまったんだろうか。
聞きたい。
だけど、怖くて聞けない。
「ユーナは、素直で可愛い。
勘が良くて、聡い。
そのくせどこか危なっかしいところがある。
くるくると変わるお前の表情を見ているだけで、こちらまで気分が浮き立つようだよ。
お前がこちらにいる間だけでも、見習いの侍女か侍従として私の手元に置いておきたいが…」
チリィーン、チリィーン、チリィーン…。
女王の言葉を遮るように、鈴の音に似た音が聞こえた。
「――おや、いいところで邪魔が入ったね。
『ヴァルフラム、お入り』」
女王の入室を許す言葉と同時に、四阿の近くにある木の中から、ヴァルフラムさんが突如として現れた。
「…え?
どうして姫さんがここに?」
「私が呼んだからに決まってるだろう?」
私の姿を見て驚くヴァルフラムさんの呟きに、女王は苦笑いしながら命じた。
「ヴァルフラム、ユーナを『魔導士の塔』まで送っておやり。
誰にも見つからないよう、安全かつ丁重に…だ」
「はい、陛下。
御下命、承りました」
ヴァルフラムさんは姿勢を正してから、女王に恭しく頭を下げる。
忠実な騎士として女王陛下に礼を尽くすヴァルフラムさんの姿は、いつもよりずっと格好いい。
「三の月が満ちるまで、あと五日。
治療士の選抜試験が終われば、ユーナも時間に余裕ができるだろう?
またお前と会えることを楽しみにしているよ」
「はい、わたしも陛下とまたお会いできる日が楽しみです。
本日はお招きいただき、どうもありがとうございました」
わたしは椅子から立ち上がって女王陛下に頭を下げ、ヴァルフラムさんと二人で女王の後姿を見送る。
女王が颯爽と歩いてゆく姿が庭園の木々に隠れて見えなくなると、ヴァルフラムさんはわたしに手を差し伸べた。
「――んじゃ、姫さん、そろそろ俺たちも行こうか」
「はい」
わたしはズボンのポケットに女王から借りた『お忍び用の眼鏡』を入れ、再び『透明マント』を身に纏った。
忘れ物がないか確認したあとで、ヴァルフラムさんの手にそっと掴まる。
わたしたちは木の中を通り抜けるようにして空中庭園から立ち去った。
セーレン・ティーアには月が三つあります。
一の月 = アエラ (兄が異世界へ落ちた日に満月)
二の月 = イリス (妹が異世界へ呼ばれた日に満月)
三の月 = ウルク
神話の女神の名前というイメージで付けましたが、
太陽についてはまったく考えてません(ぉぃ
■2012.12.11 三の月の満月の日までの残り日数を訂正
■2013.08.15 脱字修正