046 『はじまりの魔法使い』が遺したもの
おじいちゃんと扉の外に出た途端、わたしは驚いて目を瞠った。
石造りの螺旋階段が上にも下にも延々と続いている。
上を見上げても、下を見下ろしても、目が回りそうで怖い。
しかも、階段には手すりがついていないかった。
わたしは壁際に身を寄せる。
塔の壁の石に触れて見ると、御影石によく似ていた。
この国にも火山が多いという情報と、火成岩説を思い出す。
これが御影石なら、この国でもごくありふれた石材として利用されているのかもしれない。
さっき、兄が『魔導士の塔』と言っていたのは、この場所のことなんだと今更ながらに気がついた。
「――姫は高いところが苦手なんですな?」
「はい、ちょっと怖いです」
わたしはこくりと頷いた。
足が竦んで動けなくなるほどではないけど、怖いものは怖い。
木と縄だけで作られたつり橋に比べたら、石造りの階段は安定感があって良いけれど、こんなに高い場所から転げ落ちたら、大怪我は免れない。
転がり落ちる自分の姿を想像した瞬間、身体が震えた。
おじいちゃんはそんなわたしの手を握って微笑む。
「大丈夫、大丈夫じゃよ。
姫にはこの爺がついておりますぞ」
「…。」
わたしはおじいちゃんに手を引かれて、階段をゆっくりと降りはじめた。
(どうして階段に手すりが無いのか、設計者を正座させて問い詰めたい)
「この塔に様々な魔法…いろいろな仕掛けや目くらましの術がかけられているのは、侵入者対策と……設計者の趣味でしょうなぁ」
おじいちゃんはそう言いながら、高らかに笑った。
「…。」
趣味なのか!
(きっと性格が悪いヒトに違いない)
わたしは心の中でツッコミを入れながら、階段を一段ずつゆっくりと降りる。
「そのお陰でこの爺は、姫を『えすこーと』できる役得を味わっておりますぞ?」
おじいちゃんが下手なウィンクをしたのを見て、わたしもくすっと笑う。
「あとで皆に自慢するのも楽しみですなぁ。
レイフォンは特に悔しがることでしょう」
「…そうですか?」
わたしはおじいちゃんの言葉に首を傾げた。
なんでレイフォンさんが悔しがるんだろう?
いぢめっ子属性だから?
わたしの怪訝な表情を見て、おじいちゃんはニヤリと口の端を歪めた。
「…?」
「いえ、何でもありませぬ。
姫はどうかそのままでいてくだされ。
爺は姫の一番の味方ですからのぅ」
おじいちゃんは急に上機嫌になって、鼻歌を歌いだした。
初めて聞くゆったりとした旋律に耳を傾けながら、足元に注意して慎重に階段を降りる。
三十段ぐらい下ったところでおじいちゃんの声がかかった。
「――姫、地上に着きましたぞ。
お顔を上げてくだされ」
「…あ、あれ?」
わたしはびっくりして自分の足元を見た。
確かに、階段は無くなっていて、平らな床に足をつけている。
下から改めて上を見ると、眩暈がするような高さまで長い螺旋階段が続いている。
塔の真ん中辺りまで軽く見積もっても、三百段以上ありそうな階段なのに、どうしてこんなに早く地上に着いたんだろう?
わたしの疑問が解ったかのようなタイミングでおじいちゃんが言った。
「一段降りれば十段分降りたことになるように、魔法がかけられているのじゃよ。
ちなみに登りの場合は、魔法の補助は一切無いんじゃ。
自分で術を使うか、普通に登るしかない」
「…。」
ということは、昨日、兄は最上階まで自力で駆け上がってきたってことですかね?
この延々と続く螺旋階段(手すり無し)を?
兄がまた無駄にチート能力を発揮していたことを知ったら、急に疲労感が倍増した。
何故だろう、想像しただけで疲れが…。
遠い目をして現実逃避していたわたしは、おじいちゃんに促されて再び歩き出した。
塔の周辺に人影はまったく無かった。
王城の敷地内であっても、中心部ではなく端っこに建てられているのかもしれない。
扉を開けて塔の外へ出る前に『透明マント』を着たから、ひと目を気にせずに堂々と歩く。
「他にもいろいろな仕掛けがあるせいか、大抵の者は塔の内部へ足を踏み入れようとしませぬ」
「その気持ちはよく解ります。
この塔を設計した人は、よっぽどの人嫌いか…イタズラ好きだったんでしょうね」
わたしは半ば呆れながらそう言うと、おじいちゃんはくすくす笑いながら頷いた。
「そうじゃのぅ。
『はじまりの魔法使い』は、その人柄さえも謎につつまれております。
彼は人々を教え導く教師のような存在であったが、別の場所では冷徹な断罪者のように振舞ったと云う。
また違う国では、稚気に富んだ愛すべき人物であった…と、実に様々な記録が残されていて、あまりにも統一性がないために、同時期に『魔法使い』が複数人存在していたのでは…という説もあるくらいなんじゃよ」
「血継神器を作った人が、この塔も…?」
「彼がこの塔を作ったという伝承が残っておるだけで、証拠は何もありませぬ。
ですが、『はじまりの魔法使い』と深い関わりのあった国のうちのひとつが、このルスキニアであることは万人が認める事実。
その最たる証拠が、血継神器。
他国には、同じようなモノは一切遺されておりませぬ」
「…他の国の人には何も無いんですか?
七聖王国にも?」
『はじまりの魔法使い』は、自分のお弟子さんには何も遺さなかったんだろうか?
「古くから魔導士を輩出してきた家には、一子相伝の魔術回路…魔力の消費を抑えて魔法を効率的に使える特殊能力が代々受け継がれておりますが、血継神器のように能力を増強することができる道具を贈られたのはルスキニアだけ。
このことから、『はじまりの魔法使い』の血…彼の子孫が、ルスキニアには残っているのではないかという説を唱える学者もおりますな」
「…おじいちゃんも、そう思っているんですか?」
「彼がこの国に血継神器を数多く贈った理由は、過酷な環境で暮らす人々の手助けがしたかったからではないか…と、わしは思うております。
ルスキニアは豊かな自然に恵まれている一方で、魔獣も多く生息していますからのぅ。
『はじまりの魔法使い』の子孫がいるのなら、それはクインティア一族だったのではないか…という説もあり、わしはそちらを推しております。
クインティアの血に受け継がれていた…最も強い力は『魔法力増強』。
自分のパートナーの魔力の容量と威力を飛躍的に伸ばすことのできる力で、一族の直系は十倍ぐらいまで増やすことができたのだとか。
その恩恵を与えることができるのは、生涯でただ一人。
互いの心の繋がりを、そのまま力へと変えるものだったそうなのじゃが、今はもう確かめる術もありませぬ」
「……過去形なんですね」
「クインティア一族は、七聖王家の王位継承権争いに巻き込まれ、一人残らず殺されたと云われております。
一族が治めていたナル・クルルーン地方は、七日七晩劫火に焼かれ、彼らの生きていた痕跡…建物や書物も全て灰と化したと云う」
「…。」
エリオットから聞いた話によると、血継神器は基本的に一家にひとつ。
同じものを自分たちで作ることはできなかったそうだから、クインティア一族のほうが任意に使える『力』を与えられていた…と考えるのは、確かに正しいと思う。
一家にひとつじゃなくて、一人につき一回だけ…親しい人に与えることができる『力』。
でも、その『力』が原因でごたごたに巻き込まれて、滅亡に追い込まれたんだよね。
高い能力を追い求めている人にとっては、喉から手が出るほど欲しいものだったのかもしれない。
一族を全て滅ぼしてしまうほど強い渇望だったのかな…と考えたら、背筋がゾクっと震えた。
大きな力を持っていても、必ずしも幸せになれるとは限らない。
寧ろ、厄介ごとに巻き込まれるという点においては、プラスどころかマイナスなのかもしれない。
歩いているうちに、周囲の景色が変わってきた。
野趣あふれる緑の林を抜け、ひと目で人の手で整えられていると分かる薔薇園に入る。
わたしが咲き誇る薔薇に目を奪われていると、おじいちゃんが少し強い口調で建物の名称と方角を教えてくれた。
「姫、この場所をよく覚えておいてくだされ。
この薔薇庭園の泉を基点とすると、北に『魔導士の塔』、南に『城』、西に『礼拝堂』、東に『学院』があります」
「はい」
わたしは今聞いた情報を忘れないように、心の中で繰り返し呟く。
おじいちゃんは右手を空中に差しのべて、何も無い空間から杖を取り出した。
杖で泉の水面を軽く叩くと、建物の映像が次々と映る。
「『魔導士の塔』がある北側には、あまり人は近寄りませぬ。
わしやレイフォンに用がある者がたまに訪れるくらいですな。
『城』がある南側は、一番人が多く出入りしますゆえ、ご注意ください。
他国の魔導士と出くわす恐れがあるのも、この場所でしょう。
西の『礼拝堂』は、ルスキニアの王族の地下墓所の上に建てられた祈りの場。
こちらも人の出入りが少ない場所となっております。
東の『学院』は…姫の世界で言うところの『学校』ですな。
だいたい十歳から十八歳ぐらいの者が、己の選んだ職業に就くために修学しております」
ふむふむ。
『魔導士の塔』が灰色。
『城』と『礼拝堂』が白。
『学院』は赤茶色の壁の建物だった。
「城の一階は四つのエリアに分かれております。
北は使用人たちの仕事場と居住区、南は武官の執務室、西は貴族たちの社交場、東は文官の執務室。
二階は外交のための部屋が多いですな。
謁見の間、謁見を待つ者たちの控え室、舞踏会などが開かれる大広間、応接室、客室…。
三階には政治に携わる者たちの部屋が集められております。
陛下と王佐…それに各部門長の執務室と、大会議室や小会議室。
公文書を作成する書記官の部屋も、たしか同じ階にあったはずじゃ。
四階から上は王族の方々の許可が無ければ入れませぬ。
王族の方々の私室や宝物庫もあるため、城内では一番警備が厳しい」
水面に映し出された謁見の間や大広間の映像は煌びやかな雰囲気だったけれど、他の場所は華やかさよりも使い勝手を優先したような造りに見えた。
わたしはおじいちゃんの説明がひと段落したタイミングを見計らって質問する。
「わたしにも利用できる、図書館みたいなところはありますか?」
今のところ会話は問題なく通じているようだけど、文字まで日本語と同じだとはちょっと想像し辛い。
こちらの世界の文字が読めなくても、本好きとしては図書館を覘いてみたいのです。
絵本ぐらいなら、なんとなく内容が解るかもしれないし。
「一般図書を集めた図書館なら、学院の三階にありますな。
誰でも閲覧は自由じゃが、本の貸し出しや持ち出しは禁じられておりますゆえ、ご注意を」
「…閲覧だけなんですね?
わかりました」
わたしは戸惑いながらも頷いた。
「魔術書や魔導書は、学院の図書館にはありませぬ。
あれらは危険物として、『魔導士の塔』の一室に封印されておりますからのぅ」
…魔法について書かれている本って、危険なんだ?
詳しく聞いてみたい気持ちもあったけど、そんな難しそうな本を読むつもりがなかったから止めておく。
わたしが口を閉じると、おじいちゃんは軽く咳払いをしながら泉の中央へ杖を突き出す。
「――姫、陛下の私室へ飛びますぞ」
「…え?
あ、ちょっ」
ちょっと待ってと言う前に、わたしはおじいちゃんに手を引かれて一緒に泉の中へ落ちた。
ザブン!
大きな水音が聞こえて、わたしはぎゅっと目を閉じる。
プールに飛び込んだときのように、身体が水面に叩きつけられる衝撃を覚悟した。
「…?」
どこも痛くないし、服が水に濡れた感触もしないことに気がついて、わたしは恐る恐る目を開けた。
目の前に広がっていたのは、ハイビスカスに似た花々が咲き誇る緑の庭園。
南国を連想させる鮮やかな極彩色の鳥がこちらへ向かって飛んでくる。
わたしはあわてて『透明マント』を脱いだ。
鳥さんに正面衝突されたら、かなり痛そうだし。
極彩色の鳥はすぐ近くの木の枝に着地して、歌うような鳴き声をあげた。
ピルルルルゥー。
チュピチュピルルルルゥー。
羽の大部分は真夏の空を切り取ったような青。
顔や胸元には派手なオレンジと白い羽が生えている。
今日は朝から鳥さんと縁があるなぁ…なんてわたしが考えていると、後ろから声をかけられた。
「――そなたが、リリアーナの血と『黒の加護』を受け継いだ娘か…」
■マグマ説(火成岩説) - wiki より抜粋
花崗岩(=御影石)は、玄武岩質マグマの地殻内での結晶分化作用により形成された流紋岩質マグマ、あるいは玄武岩質マグマが周囲の壁岩(一般に堆積岩等から成る)を溶融して形成された流紋岩質マグマが地上へ出ることなくゆっくりと冷却されてできるという説。
放射性元素の同位体比や微量元素の含有量、また花崗岩体の規模が大きいことなどから、多くの花崗岩マグマは後者の成因によって形成されたと考えられている。
■クインティア一族
『魔法少女はじめました』掲載時のまま設定の変更はありませんが、「異世界へと逃げ延びた者がいて、その子孫が生存している」という情報は、聖王の命令で公には伏せられています。(← グレアムはこの情報を入手していません)
掲載当時のアルフレイン殿下の説明と、その点が異なるのでご了承下さい。
(『魔法少女』を再掲載する時には、各話の後書きにて変更点をお知らせします)
■2012.10.29 魔物 → 魔獣 に変更
■2013.04.15 地の文とグレアム師の台詞の一部を修正