044 大人は自分の言動に責任を持ちましょう
後ろをふり返ると、そこにはレイフォンさんが立っていた。
彼は左手で眼鏡を持ち、右手で鼻の付け根をもんでいる。
「レイ先輩……酷くお疲れのようですが、何かあったんですか?」
エリオットの問いにレイフォンさんはふふっと笑い、眼鏡をきちんとかけ直しながら答えた。
「いつものように、お師匠さまに面倒事の後始末を押しつけられただけですよ。
その件については後でお師匠さまをキッチリと締め上げますから、心配は無用です。
…ああ、でも、お茶を一杯淹れていただけたら嬉しいですね」
「わかりました。
すぐお持ちしますね」
エリオットは急ぎ足で部屋の右奥へ引っ込む。
わたしは黙ってエリオットの後姿を見送った。
ひょっとしたら、あっちには台所があるのかな?
わたしの想像が当たっているなら、竈やテーブルセットを別の空間から出し入れするような魔法は、こちらの世界でも一般的ではないのかもしれない。
「――姫はこの鏡を通じて試験会場の様子を見ていたんですか?」
突然、レイフォンさんの声が耳元で聞こえた。
わたしの身体がビクっと震えたのを見て、彼は楽しげに笑う。
「もうっ、びっくりさせないでください」
わたしが少しキツイ口調で咎めると、レイフォンさんは悪びれる様子もなく謝罪の言葉を口にした。
「すみません。
姫の反応が面白くて、つい…」
わたしの反応が面白いって…。
それって、わたしが驚くことをわかってやっているって事だよね?
「レイフォンさんはきっと小さな頃からいじめっ子だったんでしょうね」
半ば確信しながらため息交じりにそう言うと、彼はにっこりと微笑む。
「おや、バレましたか?」
「…。」
あっさり開き直られてしまった。
わたしが反撃の手段を思いつく前に、エリオットが銀色のワゴンにティーセット一式を乗せて戻ってきた。
「あ、レイ先輩、ユーナに近づきすぎです。
もっと離れてくださいね」
エリオットは窓際のテーブルに茶器を並べながら、やんわりとした口調で釘を刺す。
レイフォンさんはわたしからすっと離れると、テーブルの傍にあるソファに腰を下した。
「具体的にはどれくらい離れていれば良いのですか?」
「緊急時以外は、半径一メル以内に近づかないでいただきたいです」
「それは、少し…」
レイフォンさんの言葉をエリオットは強引に遮った。
「お師さまと先輩の祖国、リグヴェルトを悪く言うつもりはありません。
ですが、我が国には古くから守られてきた慣習がありますし、それはこの国の歴史…ルスキニア人の気風と文化が作り出したものです。
ルスキニアでは、未婚の子女は家族全員…一族全体で守り育てるものなんです。
僕は次期家長として、そしてユートの代理としても、ユーナを守る義務がありますから」
一メルって、一メートルぐらいかな?
そうだとしたら、それほど厳しい規制じゃないよね。
「本当に、それだけなのですか?」
「ご質問の意味がよくわかりません」
…っていうか、この国の名前を初めて聞いた気がする。
他の国の名称とか、この国の地名を覚える必要がないうちに、さっさと自分の世界に帰りたい。
少しだけ異世界観光はしたいけど。
街で食べ歩きして、見知らぬ食材で作られた美味しい料理を味わえたら、きっとすごく楽しいよね。
あとは、異世界産だとバレないような珍しいお土産があったら、買って帰りたいな。
両親の分と、いつも学校への送迎でお世話になっている友達の家に…。
「私から姫を遠ざけようとする行為に、貴方の私情は一切入っていないのか…という質問ですよ。
義務や建前で隠している、本音や思惑があるような気がするんですけどね」
「…っ!」
ガチャンっ。
思考の海に漂っていたわたしを、硬質な音が現実に引き戻した。
テーブルの上を見れば、ティースプーンがソーサーの上に落ちた音だったらしい。
銀色のスプーンがテーブルの端へ音を立てて転がってゆく。
幸い、茶器は割れなかったようだ。
「――この話の続きは、また別の機会に。
一次試験が無事に終了したのですから、お茶を飲んでいる間だけでもゆっくりと過ごしましょう」
「そうですね。
…ユーナもこちらの席へどうぞ。
お茶の準備が整いました」
わたしはエリオットの言葉に頷き、鏡の前の椅子から窓際のソファへ移動した。
二人掛けのソファがテーブルを挟んで一つづつ配置されている。
わたしはレイフォンさんの真向かいの席に座った。
コポコポコポ…。
エリオットがティーカップにお茶を注ぐと、甘い芳香が広がった。
「これはマリカの花のお茶ですか?」
「はい、昨日帰ってきた義兄上がマリー姉さまのためにと、お土産に買ってきてくださったものです。
今朝、姉さまから少し分けていただいたので持って来ました。
…いい香りでしょう?」
「ええ、とても良い香りですね。
それにしても、ギルフォード様が巡察からお戻りになっているとは知りませんでした。
ヴァルフラムはともかく、ジュリアも何も言っていませんでしたし…」
エリオットはお茶を注いだティーカップを配膳してから、わたしの隣のソファに腰を下ろした。
「女王陛下が義兄上を巡察使に任命したのは、行方不明になっているラインハルトさまとシア姉さま…そしてアリオンを探すためだということは、周知の事実ですからね。
犯行に関わったと思われる高位貴族を刺激しないように、帰還しているという情報はできるだけ伏せるとおっしゃっていました。
昨日の夜、何の前触れもなく…突然義兄上が帰ってきたのには僕も驚きましたが、マリー姉さまは産み月を控えていますし、丁度いい頃合に帰ってきてくれたと父も大変喜んでいます」
「それでは、ギルフォード様はご自分たちの新居に戻らずに…?」
「はい、しばらく我が家に滞在するそうです。
ヴァーンシュタイン家の皆様には、義兄上が人目につかない方法で連絡を取ると言っていました」
わたしは二人の話を聞きながら、エリオットが淹れてくれたお茶を一口飲んだ。
強い香りの割りには、クセのない味で飲みやすい。
静かにお茶を飲みつつ、二人の話の中に出てきた名前と今までに聞いた情報を頭の中で整理してみる。
エリオットのお姉さんが、アデリシアさんとマリアンヌさんだよね。
(エリオットが呼んでいる愛称は、『シア姉さま』と『マリー姉さま』)
アデリシアさんの旦那さまのラインハルトさんが、臣下に下った元王子様で、女王陛下の異母弟。
マリアンヌさんの旦那さまのギルフォードさんは、ヴァルフラムさんとジュリアさんのお兄さんで、ラインハルトさんがまだ王子だった時に近衛として仕えていた人。
アデリシアさんとラインハルトさんの息子さんがアリオンくんで…次の王位後継者に推されていた天才少年。
マリアンヌさんとギルフォードさんのお子さんは、もうすぐ産まれる予定。
何者かに襲われて行方不明になった友人一家を、ギルフォードさんは三年間ずっと探しているのかな…?
「――ああ、すみません。
姫を置いてけぼりにしてしまいましたね。
本来の話題に戻しましょうか」
レイフォンさんの言葉にわたしは首を傾げた。
本来の話題って…?
「ユーナ、一次試験の話ですよ」
エリオットが助け舟を出してくれた。
そういえば、どんな『お仕置き』なのかを訊かれていたんだっけ。
わたしはエリオットの肩をぽんっと叩いた。
「説明はエリオットに任せる」
「全部ユーナの発案なのに?」
「うん、そうなんだけど…もう一度説明するの大変だから。
お願い…ね?」
わたしがにっこりと笑顔でダメ押しすると、エリオットは苦笑しながら頷いた。
「姫は、エリオットには敬語を使わないのですね」
レイフォンさんの何気ない指摘の中にちいさな棘を感じて、わたしは戸惑った。
エリオットがわたしの代わりに答える。
「そういえばそうですね。
でも、初めて会ったときは、もうちょっと畏まった口調でしたよ。
僕が自分から敬語も敬称も無しにして欲しい…と、お願いしたんです」
わたしより年上のお兄さんとして振舞っているエリオットを、心の中で仔犬扱いしていることも影響してるよね…なんて考えながら、ソレは秘密にしておく。
「わたしの育った国では、年長者には敬語を使って敬う慣習があるんです。
エリオットも年上ですけど、わたしとひとつしか違わないし、話しやすいから…なんとなく、ですね」
レイフォンさんはわたしの返答を聞くと、口元に弧を描いた。
「私も『敬語も敬称も無しで』とお願して、姫と親しくお話してみたいな…と思ったんですが、六歳も年上では無理ですか?」
「…。」
「そんな困った顔をしないでください。
冗談ですよ」
とっさに答えられなかったわたしを見て、レイフォンさんは楽しげに笑った。
そのあとで、彼はエリオットに一次試験の話を促した。
エリオットの話は端的にわかりやすくまとめられていて、わたしが補足説明するところは何も無かった。
おじいちゃんがわたしに < 心話 > で話しかけてきた時点から、レイフォンさんにもわたしたちの話が聞こえていたらしく、試験直前から試験中盤までの説明で事足りた。
「昨夜、お師匠さまとエリオットから、試験のことはすべて姫に任せてあるから…と聞いたとき、嫌な予感はしていたんですが、その時点で私がきちんと問いただしておくべきでしたね。
試験直前に出題を考えろと言われて、さぞかしびっくりしたでしょう?」
「確かに、いきなり全部丸投げされて、びっくりしました。
…だけど、問題のありそうな方々を多く篩い分けることができたので、結果的には良かったです。
『救いを求めてきた人を無償で助けてあげたい』という夢や志を持っていた方も、一緒に落としてしまった可能性を考えると、最良の出題ではなかったと思いますが…」
自分を過大評価している人や、見栄を張っていた人だけでなく、本当にそれを望んでいた人も混じっていたかもしれない。
その中に『頭も顔も性格もスタイルも良くて、兄が変態であることを知っても笑って許してくれる、心優しい素敵なお姉さん』が混じっていた可能性もある。
そんな人を落としてしまっていたのなら、悔やんでも悔やみきれない。
わたしがしょんぼりしていると、二人は優しい言葉で慰めてくれた。
「ユーナがそこまで気にすることはありませんよ。
どんな問題にせよ、大幅に受験者の人数を減らす必要があったのですから…仕様が無いことだと思います」
「確かに、大勢の不合格者の中に真っ当な治療士が混じっていた可能性は否めません。
ですが、あの僅かな時間で完璧な出題を考えるのは、誰であっても無理だったと思いますよ。
そんなにご自分を責めないでください」
「……アリガトウゴザイマス」
わたしが落ち込んでいた理由を二人は誤解しているようだけど、本音を暴露するのも微妙だから黙っておこう。
「不合格者の名簿の写しを国中の治療院と神殿に送り、彼女たちに無償の奉仕活動の依頼がくるように仕向ける…という、姫が考えた『お仕置き』も素晴らしいと思いましたよ。
公の場で『治療士に救いを求めている人を、慈愛と奉仕の心に従って無償で助ける』と答えたことを証明する書類ですから、言い逃れすることはできない。
奉仕活動を断れば嘘をついたことになりますしね。
彼女たちにとっては、とても良い『お仕置き』になるでしょう」
わたしはレイフォンさんの黒い笑顔を見て、内心ちょっと退きながら頷いた。
「はい。
これをきっかけに、自分の言動に責任を持ってくれるようになるといいな…と思います。
彼女たちが無償で奉仕活動をしていると知ったら、迷惑を被った王城の方々の溜飲も下がるだろうし、病気や怪我をして困っている人たちも助かるので、全部いい方向に向けられるんじゃないか…と、考えて決めました」
「そこまで考えてのことですか。
異世界の、いえ、姫の国の教育水準が高いのか、ユートと姫だけが特別なのか、とても気になりますね」
レイフォンさんの瞳が妙に輝いている。
コレが解らないことがあると追求したくなると言っていた、研究馬鹿病の症状のひとつだろうか。
わたしが何と答えればいいのか迷っていると、エリオットの研究室の扉が勢いよく開かれた。
「――姫、遅くなって申し訳ない。
爺がただいま戻りましたぞ」
更新お待たせしました。
評価、お気に入り登録、(検索サイトの)応援投票、いつもありがとうございます。
< 若手(?)のキャラクター年齢一覧 >
二十七歳 … ラインハルト、ギルフォード
二十六歳 … アデリシア
二十三歳 … マリアンヌ
二十一歳 … ジュリア
十九歳 … レイフォン、ヴァルフラム
十七歳 … 優人
十四歳 … エリオット
十三歳 … 優奈
八歳 … アリオン
ざっとまとめてみました < 需要があるのか謎ですが
タイミングを見計らって、登場人物名や各人の情報をまとめますね。
■2013.04.14 レイフォンの台詞を修正