037 男装も変装の一種です
「「…。」」
あ、しまった。
わたし、まだ着替えてなかったんだっけ。
小鳥の声で目が覚めたあと、いろんなことが次々と起きたから、寝間着代わりに借りたシャツのままだった。
「――お前、その棘のある言い方止めろよ。
姫さんは寝間着代わりに俺のシャツを着ていただけで、疚しいことなんか何一つないからな」
ヴァルフラムさんはそう言ってレイフォンさんを睨みつける。
わたしもあわてて弁解した。
「わたし、寝間着を持ってくるのを忘れてしまったので、その代わりにシャツをお借りしたんです。
朝起きてすぐ…身支度を整える前にジュリアさんがいらっしゃって、ちゃんとした服に着替えるのを忘れてました。
こんな恰好でごめんなさい」
自分の家の中ならともかく、他人様のお家で、寝間着姿のままウロウロしてたなんて…恥ずかしい。
二人に頭を下げて謝り、ヴァルフラムさんの部屋に戻ろうとしたとき、ジュリアさんが戻ってきた。
「…あら、ユーナちゃん、どうしたの?」
「ええと、あの…遅ればせながら、人前に出れる姿じゃないことに気がついたので、着替えてこようかと」
「あら、もうすぐお風呂が沸くし、その後はこちらの世界の服に着替えるのでしょう?
今更必要ないわよ」
ジュリアさんはそう言って笑うと、レイフォンさんに尋ねた。
「またあなたが何か言ったの?」
「何も言ってないとは言いませんけどね…」
レイフォンさんは言葉を濁しながらわたしを見た。
ジュリアさんは彼の視線から庇うようにわたしの前に立つ。
「確かに、誤解を招くような姿だと思うわ。
でも、ユーナちゃんと話をして、この子の言動を見ていれば、わかったでしょう?
この子は『女の子』として見られること…『女の子』として扱われることに慣れていない。
ましてや異世界育ちなんだもの、こちらの世界の常識や考え方を押し付けるのはどうかと思うわ。
こっちに永住するのならともかく、すぐ帰るのでしょう?」
「…それは、確かにそうなのですが」
歯切れの悪い返答するレイフォンさんに、ジュリアさんが訊いた。
「あなたのソレは、嫉妬なの?」
「……は?」
レイフォンさんの整った顔が崩れた。
灰青色の瞳には、驚きと戸惑いの色が浮かんでいる。
「もしそうなら、どちらに対する気持ちなのか、ハッキリさせてからにしてちょうだい。
…さあ、ユーナちゃん、お風呂よ、お風呂。
こんな小煩い男の言うことなんて、全然気にしなくていいのよ。
早く行きましょう?」
「え、でも」
「いいから、いいから」
わたしはジュリアさんに引きずられるようにして、食堂を後にした。
ヴァーンシュタイン家のお風呂は、一度に十人ぐらい入れそうな広さがあった。
大理石みたいな石造りで、天然温泉を引き入れているらしい。
(この国のひとたちも、日本人と同じくお風呂好きなのだそうだ)
乳白色のお湯に肩まで浸かると、気持ちよくてほぅっと息が漏れる。
「ユーナちゃん、お湯加減はどう?」
「はい、ちょうどいいです」
「そう、よかったわ」
何故か当然のようにジュリアさんも浴室内に居る。
「あの…ジュリアさんは入らないんですか?」
「あたしはいいわ。
ユーナちゃんと一緒に入りたいけど、化粧品とか足りないものがたくさんあるし」
「…じゃあどうしてここに?」
「それは、ユーナちゃんに浴室の使い方を教えるため。
あとは、ユーナちゃんの身体を綺麗に洗うお手伝いをするためかな」
ジュリアさんはそう言って、嬉しそうに笑った。
断ることなんてできそうにない。
わたしは笑顔が引きつるのを感じながら「アリガトウゴザイマス」とお礼を言った。
温度を調節する方法は、わたしの世界とほとんど同じだった。
温度設定の目盛を左に回せば高温に、右に回せば低温に。
蛇口を捻ると設定した温度のお湯が出てくる。
わたしがその類似点について尋ねると、驚きの答えが返ってきた。
「七聖王国の中でも、特に優秀な魔導士が…十年に一度ぐらいの間隔で、ユーナちゃんの世界の技術を学びに留学しているせいじゃないかしら」…と。
異界へ渡る術はかなり難易度が高く、魔力の高い者でないと命を落とす危険もあり、厳しく規制されている一方で、魔法の力が無くても現在の生活水準を維持できるような技術の導入が推奨されているらしい。
「――魔法だけじゃだめなんですか?
こんなにすごい力なのに…」
わたしは自分の髪の毛を一房手のひらに乗せて見る。
わたしの髪の毛と瞳の色を変えたのは、魔法の力だ。
「…確かにすごいわね。
でも、魔法は『はじまりの魔法使い』からの…期間限定の贈り物なの。
そのことは、初めから伝えられていたそうよ。
魔法の恩恵を受けて、実りの少ない貧しい世界が発展し、生き延びることのできる人の数が飛躍的に増えた。
完全に消えてしまうまで…千年以上の準備期間が与えられていることに、あたしたちは感謝しているわ」
残りがあと何年あるのかわからないんだけどね…と言い添えて、ジュリアさんは笑った。
「そうなんですか」
わたしは何と言っていいのかわからなくて口をつぐむ。
こちらの世界には魔法があるけれど、おとぎ話のように甘くて優しい結末が用意されていないんだ。
前もって『終わり』があることを告げられている、魔法の力。
いつか全て無くなってしまうことを思いながら活かし、その時のために準備を積み重ねて…。
「ユーナちゃんがそんな顔しなくてもいいのよ?
さぁ、そろそろあがってちょうだい。
ちゃちゃっと髪の毛と身体を洗ってしまいましょう」
「……ハイ」
わたしはジュリアさんの言葉に大人しく従った。
―――お風呂に入って身体はサッパリしたけど、精神的な疲労は増した気がする。
わたしはジュリアさんが嬉々として差し出してくる服を前にちいさなため息をついた。
ヴァルフラムさんのベッドの上には、数えきれないほどの服が散乱している。
「んー、やっぱりここは遊び心を抑えて、地味っぽいのを選びましょうか。
ユーナちゃんがエロ爺とかに目をつけられても困るし」
「…。」
「じゃあ、この白いフリルのついたシャツと、ダークブラウンのベストとズボンに決定!」
「…ハイ」
わたしはジュリアさんが選んでくれた、ヴァルフラムさんのちいさな頃の服に腕を通した。
布地が痛んでいないので、ほとんど着ていなかったことがわかる。
トントントントンッ。
リズミカルなノックの音が部屋の中に響いた。
「姉貴、姫さんの支度まだ終わんねぇの?
レイフォンが苛々してて、すげぇ怖いんだけど…」
「うるさいわねっ、女の子の支度には時間がかかるものなのよ」
ヴァルフラムさんの問いかけに、ジュリアさんは噛みつくように返答した。
「――もう着替えは終わりましたから、入っても大丈夫ですよ?」
わたしがそう答えると、間髪をいれずにドアが開き、ヴァルフラムさんとレイフォンさんが部屋の中に入ってきた。
「……なんで姫さんが、俺の昔の服を着てんの?」
「何でって、ユーナちゃんをできるだけ目立たないようにするためよ?
こんな可愛い女の子を連れて歩いてたら、すぐ噂になっちゃうじゃない。
男装して、少しでも人目を惹かないようにしておいたほうがいいわ」
「ああ、なるほど。
それもそうですね…良い判断だと思います」
「そうでしょう?
不特定多数の女性と火遊びを楽しんでいるあなたと違って、あたしの弟は真面目ですからね」
「おや、お身内には甘いですね」
「ええ、馬鹿な弟ほど可愛くて仕方がないわ」
レイフォンさんとジュリアさんの、あははうふふな笑い声が寒々しく響いた。
わたしはヴァルフラムさんを見上げて尋ねる。
「…あの、似合いませんか?
サイズはぴったりだと思うんですが」
白のシャツにはフリルがたくさん付いてるせいか、男物っぽい感じはあまりしない。
ダークブラウンのベストとズボンは、よく見ると同系色の糸を複数使って複雑な模様が織られている。
「いや、似合ってるけど。
でも、ちょっともったいないな…と思って」
ヴァルフラムさんは何故かわたしから目を逸らして言った。
「あ、ユーナちゃん、ベストは脱がないように気をつけてね。
あなたは着痩せするタイプだけど、ベストがないと胸があるのがバレちゃうわ」
「あ、はい、気をつけます。
でも、わたしの胸なんて、ジュリアさんに比べれば全然目立たないから、大丈夫ですよね?」
わたしが同意を求めてヴァルフラムさんに視線を投げると、彼は明らかに動揺した。
「…っ!」
「ヴァルフラム、また私に本の角で殴って欲しいですか?」
「いいや、全力で遠慮する」
「なら、もう少し落ち着きなさい」
レイフォンさんはため息まじりにそう言い、わたしの姿をじっと見つめた。
「王城内では、その服の上に『魔導士見習い』であることを示すフード付きのマントを着てもらいます。
姫の髪の毛はひとつにまとめておいてください」
わたしは背中の真ん中あたりまである髪の毛を手でまとめながら訊いた。
「短いほうがいいなら、切りますけど?」
何気ないわたしの言葉は、全員から同時に却下された。
「その必要はありません」
「そんな綺麗な髪の毛を切るなんて、ダメよ!」
「姫さん、髪は女の命だろ?」
……。
なんだろう、この息のあった連携プレーみたいなの。
全員に反対されると、ちょっと反抗したくなる。
「わたしが髪の毛を伸ばしていたのは、母と兄が切るのを嫌がるからで…わたし自身にこだわりは無いんです。
もし、髪の毛が短い方が、衆目を集めず、兄に見つかる危険が減るというのであれば…」
わたしの言葉は途中で止まった…止められた。
「そんな必要はないって、レイフォンも言っただろ?」
ヴァルフラムさんの手がわたしの髪の毛をゆっくりと撫でた。
「こんな綺麗で触り心地のいい髪の毛を切るなんて言うなよ、もったいない」
「「「…。」」」
わたしは反応に困ってそのまま硬直した。
ジュリアさんとレイフォンさんはにやにや笑いながらこちらを見ている。
ヴァルフラムさんはわたしたちの反応に気がついたあと、あわてて言い添えた。
「ゆ、ユートだって、姫さんが髪の毛を切ったのを知ったら、悲しむと思う」
「「「…。」」」
うーん、確かに、兄に泣かれたりすると面倒だなぁ…。
髪の毛なんてほっといてもどんどん伸びるものなのに、なんであそこまで拘るのか全然わからない。
面倒だけど、切らずに結んでおこう。
わたしはジュリアさんから髪紐を借りて、ポニーテールよりは低い位置でひとつにまとめた。
「――お待たせしました、これで準備完了です」
わたしがそう声をかけると、レイフォンさんとヴァルフラムさんがわたしの傍まで歩み寄った。
「姫、ネックレスは服の下に…?」
「はい、ちゃんとあります」
「その魔道具は二つとも、姫の身体から離れると効力を失うものだと思って下さい。
王城に居るときは常に肌身離さずにいてくださいね」
「はい」
わたしはレイフォンさんの言葉に神妙に頷いた。
「それでは、参りましょう。
ジュリア、あなたにお礼を言うのは大変不本意ですが、姫のためにいろいろとありがとうございました」
「あなた、本当に失礼よ。
そんなお礼なら最初から何も言わないでちょうだい。
ヴァルフラム、あんたも仕事でいろいろと忙しいんだろうけど、ユーナちゃんのことお願いね?」
「ああ、それはもちろん。
姉貴がいてくれて助かったよ。
お礼はまた改めて。
義兄さんにもよろしく」
お別れの言葉が次々に交わされてゆく。
ジュリアさんと今度いつ会えるのかわからないことを思い出しながら、わたしもお礼とお別れの言葉を告げた。
「ジュリアさん、本当にありがとうございました。
また、お会いできる日を楽しみにしてます。
さようなら」
わたしの言葉を聞くと、ジュリアさんの瞳が潤んだ。
「嫌だわ、ユーナちゃんったら。
さよなら…なんて言われたら、淋しくなっちゃうじゃない。
またね、で良いのよ。
また会いましょう?
そして、今度はたくさん遊びましょうね」
「…はい」
わたしはこくりと頷いた。
やるべきことをやって、存分に遊ぶためにも、がんばらなくっちゃ。
「ジュリアさん、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
わたしたち三人はジュリアさんに見送られながら、再びレイフォンさんが作ってくれた < 門 > を通って王城へ向かった。
■2012.11.21 ジュリアの台詞の一部を変更、レイフォンの台詞を加筆修正