036 魔道具の使い方を教えてもらいました
レイフォンさんはそう言いながらわたしの手を引き寄せ、手のひらの上にネックレスを置いた。
細くて長い金色の鎖に、雫の形をした乳白色の石がペンダントトップとして付いている。
石を手にとって光にかざすと、角度によって石の表面にいろんな色が浮かんだ。
「この石…遊色効果があるんですね。
わたしの世界の宝石、オパールによく似ています」
「こちらの世界では、この石は『虹色石』と呼ばれています。
この石は数ある魔宝石の中でも、魔法との親和性が高く、複数の術を内包するのに適しているので、取り急ぎこちらに『髪の毛と瞳の色を変える魔法』を込めておきました。
お師匠さまから、時間に余裕があるときに『声を変える魔法』も入れましょう…と伝言を承っています。
姫が誰かと話している声を、偶然通りかかったユートが聞き、こちらに来ていることがバレてしまった…なんてことが起こらないように」
無駄にチート能力を発揮しているあの兄なら、わたしの声を聞き分けることも可能だろう。
わたしはおじいちゃんからの提案をありがたく受け入れることにした。
「お手数をかけしますが、よろしくお願いします…とお伝えください」
レイフォンさんは微笑みながら頷き、わたしの指から虹色石をするりと抜き取ると、そのまま背後に回った。
「――失礼します」
わたしの背中にかかっていた髪の毛が、レイフォンさんの手によって肩にかけられる。
何をしているのかと問う前に、むき出しになった首筋に鎖が触れるのを感じた。
あ、ネックレスをつけてくれているんだ。
レイフォンさんの突然の行動の理由がわかった瞬間、うなじに彼の息遣いを感じ、わたしの身体は反射的にビクッと震えた。
彼が耳元でくすっと笑うと、わたしは更に動揺した。
頬が熱を帯びてゆくのがわかる。
「すみません、なかなか鎖が留められなくて…」
「いえ、その、自分でやりますから、」
離れてください…とわたしが言う前に、ちいさな金属音が聞こえた。
「はい、できましたよ」
レイフォンさんの終了を告げる声とほぼ同時に、後ろからものすごい音がした。
ドカッ、ガラガラガッシャン!
振り返ると、レイフォンさんが床に倒れ伏していて、彼の周囲には壁に飾ってあった鉄食器が散乱している。
それをジュリアさんが仁王立ちで見下ろしていた。
「――黙って見ていれば調子に乗って!
あなたの嫌らしい振舞いは、断じて見過ごせないわ。
あたしの可愛いユーナちゃんに近寄らないでちょうだいっ」
状況から察すると、ジュリアさんが彼を突き飛ばしたか、蹴り倒したとしか考えられない。
「「…。」」
自然に隣に立っていたヴァルフラムさんと目があう。
わたしたち二人は同時に苦笑いを浮かべて、事態の収拾に乗り出した。
ヴァルフラムさんがレイフォンさんを、わたしがジュリアさんをそれぞれ宥めて、レイフォンさんには少し離れたところから、虹色石に込められた魔法の使い方を教えてもらうことになった。
わたしとレイフォンさんが食堂の長いテーブルの左端と右端に分かれて座り、ヴァルフラムさんは中央付近に腰を下ろしている。
ジュリアさんはわたしの横にぴったりと寄り添って、レイフォンさんを警戒していた。
まるで頼りになる番犬に守られているみたいな感じが可笑しくて、油断すると口元が緩んでしまう。
「姫、私の話を聞いていましたか?」
「…あ、はい、聞いてます。
色を変えたいときは、石を触りながら、心の中にしっかりとイメージを描くことが必要なんですよね?」
「ええ、その通りです。
明瞭なイメージが固まったら、虹色石に込められた魔法を起動させる呪文を唱えてください。
呪文は覚えていますか?」
「はい、大丈夫です」
「…では、試してみてください」
レイフォンさんに促されて、わたしは椅子から立ち上った。
念のため、ジュリアさんには少し離れていてもらう。
左手に虹色石のペンダントトップを乗せて、右手で蓋をするように握りしめる。
何色に変えようか…?
色だけを具体的に想像するのは難しいから、わたしはこちらの世界の人を脳裏に思い浮かべる。
おじいちゃんの銀髪と菫色の瞳は、いかにもファンタジーっぽい組み合わせで好き。
でも、このお家の人たちに嫌がられるかもしれないと思うと、それを選択することはできなかった。
ヴァルフラムさんやジュリアさんみたいな、赤みの強い髪の毛の色も素敵だけど、自分に似合うかと考えたら…ちょっと自信がなくてためらわれる。
結局わたしは、エリオットをモデルにしてイメージを創りあげることにした。
同じ金髪でも、もう少し濃い蜂蜜色にしよう。
瞳の色は…タンザナイトみたいな青紫色に。
「――目覚めよ、『虹色石』」
呪文の最初の言葉を唱えると、石からじんわりと熱が伝わってくるのを感じた。
「我が願いに応え、我の望むままに、我が色を変え、己に刻まれた魔の法を現せ」
呪文を唱え終えた瞬間、心臓が跳ねた。
手のひらから伝わる熱が心臓の鼓動にあわせて、わたしの身体の中に波のように広がってゆく。
身体の芯から手足の先まで、全身に温かな血が通ったような…不思議な感じがした。
ヒュゥ♪
口笛が聞こえた方角に目を向けると、ヴァルフラムさんが満面の笑顔でわたしに言った。
「一発で成功させるなんて、すごいな
姫さんには魔導士の素質もあるんじゃないか?」
「…え?」
首を傾げたわたしに、ジュリアさんが手鏡を手渡してくれた。
鏡を見ると、そこには思い描いたとおりの色に変わったわたしが居た。
「うわぁ、すごい!
魔法ってすごいね、本当に色が変わってる!」
初めて試した魔法が成功したことに驚き、本当に髪の毛と瞳の色が変えられたことに感動して、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
鏡の角度をいろいろと変えて、『蜂蜜色の髪の毛に、タンザナイトの瞳』になった自分を観察する。
見慣れていないから違和感のほうが大きいけど、けっこう可愛く変身できたと思う。
あ、眉毛や睫毛までちゃんと金髪に変わってる!
瞳の中に時折光って見えるのは虹彩かなぁ…?
砂金が見え隠れしているみたいですごく綺麗。
夢中になって鏡を覗き込んでいると、やがて周囲から生温かい視線で見守られていることに気がついた。
ピタリと動きを止めたわたしに、レイフォンさんが笑いを堪えながら言った。
「――ご成功おめでとうございます。
いや、失礼…喜んでいる姫のご様子が、あまりにも可愛らしかったものですから、つい…」
「…ドウモアリガトウゴザイマス」
(どうせなら大声で笑い飛ばして、さっさと忘れて欲しい)
わたしが憮然としながらお礼を言うと、ヴァルフラムさんがにやにや笑いながら歩み寄ってきた。
「姫さんも結構負けず嫌いだよな。
…そんな顔するなよ、笑ってる顔のほうが可愛いぞ。
ほら、このイヤリングが匂いの拡散を防ぐ魔道具なんだってさ」
彼から無造作に手渡されたのは、金色の地金に乳白色の石がはめこまれているイヤリングだった。
月長石みたい…と思いながら光を当ててみると、七色のシラーが出た。
わたしの世界では、ロイヤルブルームーンストーンレインボーと呼ばれる宝石とよく似ている。
「そのイヤリングに込められた魔法は、姫が身に着けるだけで起動します。
姫の身体の周囲に『風』の層…透明で消臭作用のある薄いヴェールのようなものを作り、匂いの拡散を防ぎます。
消臭作用の働きは、一方向のみに限定しました。
内側の匂いが空気と共に外に流れる際には消臭し、外側から入ってくる匂いには作用しません。
外からの匂いを消してしまうと、身に危険が迫っているとき…火事などにも気がつかない恐れがありますからね」
ふむふむ、なるほどー。
「オリジナルの魔道具の場合、本当はもっと時間をかけて…効果を検証しながら改良を重ねて創るものなのですが、今回はそのような余裕がなかったため、こちらには弱点が残っています。
姫の身体の周囲に張られている『風』の層の内側に踏み込まれた場合、消臭作用が機能しなくなりますから、人との距離には注意してください」
ヴァルフラムさんが眉をひそめて訊いた。
「…その風の層ってのは、姫さんの身体からどれくらい離れてるんだ?」
「三十セルぐらいです。
昨日の夜…お師匠さまと共に調整を続けて、やっとここまで狭められましたが、これ以上は難しいですね」
「三十ってことは、手のひら三つ分ぐらいだよな?
普通はそんな至近距離まで近づかないし、よっほどのことが無い限り大丈夫だろう」
手のひら三つ分ってことは…三十センチぐらいだよね?
わたしはテーブルの上に両手を置き、その距離を確かめた。
「ユーナちゃんに香水をつけておけばいいんじゃないかしら?
そうすれば、万が一のときの保険になりそうだし」
また私の隣の位置に戻ってきたジュリアさんの提案に、レイフォンさんが頷く。
「私も同じことを考えていました。
あなたもたまにはマトモなことを言うのですね」
「たまには…じゃないわよ。
あたしの言うことはいつもマトモよ!」
レイフォンさんはジュリアさんの抗議を聞き流して、ヴァルフラムさんを手招いた。
右手を空中に差し伸べて、何もない空間から小瓶を取り出す。
「…ヴァルフラム、この香水を姫に渡してください」
「はいはい。
仰せのままに」
ジュリアさんはヴァルフラムさんの手から香水瓶を奪うと、自分の手首にシュッと吹きかけて匂いを嗅いだ。
「――こんな甘ったるいだけの香り、ユーナちゃんには似合わないわ。
あなた全然解ってないわね」
「あなたの趣味と私の趣味があわないのは、双方にとって喜ばしいことだと思いますよ」
「それについては同意するけど、この香水がユーナちゃんにふさわしい香りじゃないことは間違いないわ。
ユーナちゃん、今度あたしと一緒に、あなたのイメージにぴったりの香水を探しに行きましょう?
あなたに食べさせてあげたい美味しいお料理やお菓子もたくさんあるの」
ジュリアさんお誘いに、わたしはこくりと頷いた。
そんな時間と機会が作れるかどうかわからないけど、異世界で買い物や食事をするのはすごく楽しそう。
わたしはレイフォンさんから借りた香水を両膝の裏にシュシュッと吹きかけたあとでイヤリングを装着した。
初めは耳たぶがすごく痛かったけれど、ジュリアさんにわたしの耳にあわせて微調整してもらい、つけていることが気にならないほど慣れることができた。
消臭効果を検証するために、全員にわたしの匂い(香水の匂い)が漏れていないか確認してもらった。
本当にわたしの匂いが外へ広がらないとわかると、自然と吐息が漏れた。
「姫さん、疲れたか?」
「はい、ちょっと…。
でも、まだ大丈夫ですよ」
心配そうに声をかけてきたヴァルフラムさんを安心させたくて、笑顔で答える。
「これで当面の問題は片付きましたよね?
あとはわたしがこちらの世界の服に着替えて……あ、その前にお風呂をお借りしたいです」
お風呂が大好きな日本人としては、シャワーだけでも浴びたい。
ヴァルフラムさんはわたしの言葉に頷くと、レイフォンさんに視線を移した。
「それくらいの時間の余裕はありますから、大丈夫ですよ」
彼の答えを聞くと、ジュリアさんは食堂の外へと歩を進めながら言った。
「じゃあ、あたしがお風呂の準備してくるわ。
ユーナちゃん、待っててね、すぐ戻ってくるから。
その陰険眼鏡には近づいちゃダメよ?
ヴァルフラム、あんたがちゃんとユーナちゃんを守りなさいね」
「へいへい」
「返事は一回!」
「はーい」
テンポの良い姉と弟の会話をレイフォンさんは黙って聞き流し、ジュリアさんが食堂から出て行ったあとで口を開いた。
「去年結婚したと聞いていましたが、全然変わっていませんね、あのひとは」
ため息交じりのその台詞を聞いて、わたしとヴァルフラムさんは笑い出した。
「…一晩でずいぶん仲が良くなったんですね」
レイフォンさんの声音が突然変わった。
「「…?」」
レイフォンさんは長く骨張った指で眼鏡の位置を直し、わたしの姿を正面から見据えて言った。
「――今朝、姫の姿を見た時から気になっていたのですが……姫が着ているのは、ヴァルフラムのシャツですか?」