032 チートな嗅覚を封じる方法と新たな問題
エリオットの髪の毛から、わたしの匂いがする…?
そんなハズはないと心の中で否定したすぐ後に、彼との接触があったことを思い出した。
わたし、エリオットの頭を何度も撫でた。
そのとき、確かにあのふわふわな髪の毛にも触っていた。
……。
え、あれくらいのことで?
たったあれだけでも、わたしの匂いって…他の人につくのかな?
ソレを兄は嗅ぎ分けられるの?
何それ怖すぎる。
兄の無駄にチートな嗅覚に対して、わたしは全身にぞわっと鳥肌が立つのを感じた。
――胃が痛くなるような沈黙を破ったのは、エリオットの声だった。
「じ、実は、僕が今日着ているローブ…七日前にあちらの世界へ行ったときに着ていたものなんです。
洗濯をせずに置いておいたから、ローブにユーナの香りが残っていたのかもしれませんね。
今日の昼間、外出しているときにずっと頭にフードをかぶっていたので、そのとき髪の毛にも匂いが移ったのかな…?」
ひきつった作り笑いを浮かべながら、エリオットは一歩後退した。
距離を置こうとする彼の努力を、兄は自分が前進することであっさりと無に返す。
「ローブを脱いでくれ」
「…え?」
「そのローブから優奈の香りが漂ってきているのか、確かめたいんだ」
「わかりました。
今、脱ぎますから…ちょっと待ってくださいね」
エリオットは頷き、くるりと兄に背を向けた。
兄から自分の表情を隠し、ローブを触りながらレイフォンさんに意味ありげな視線を投げる。
エリオットの視線を受けたレイフォンさんは、大げさな仕草で自分の服の匂いを嗅ぎ始めた。
「…おや、私の服にも先程の料理の匂いが染みついてしまっているようです。
お師匠さま、ヴァルフラム、わたしたちも着替えたほうが良さそうですよ」
「「…っ!」」
レイフォンさんの言葉で、エリオットの無言の訴えがわたしにも理解できた。
『わたし』が接触した人を兄が本当に嗅ぎ分けることができるのなら、レイフォンさんとヴァルフラムさんに兄を近づけるわけにはいかない。
彼らにわたしの匂いが残っていることを兄が気づいたら、わたしがこちらの世界に居ることがバレてしまう。
エリオットがのろのろとローブを脱いでいる横で、ヴァルフラムさんは首を傾げている。
「いや、俺は別に気にしないし?」
ヴァルフラムさんは、自分にもエリオットと同じ危険が迫っていることに気がついてないみたいだった。
「…あなたが気にならなくても、私は気になるんですよ。
ほら、さっさと上着を脱ぎなさいっ」
「ちょっ、おまえ何するんだよ?」
「何って、あなたの服を脱がせてるんですよ。
何をそんなに動揺しているんですか、私に男色の趣味はありませんよ?」
「俺にだってねーよ!」
レイフォンさんは暴れるヴァルフラムさんの服を手際よく脱がせると、自分の服といっしょに丸めてどこかへ送り、自分とヴァルフラムさんの身体に香水を吹きかけた。
「うわ、くっせぇなぁ…なんだこの香り。
女物の香水じぇねぇのか、コレ?」
…そうか、より強い香りをつけてしまえば、兄のチートすぎる嗅覚を封じることができる。
レイフォンさん、頭いいなぁ。
「ああ、すみません。
手持ちにソレしかなかったもので」
「…って言いながらお前、自分には別の香水使ってるじゃないか」
ヴァルフラムさんの言葉に、レイフォンさんはにっこりと笑って頷いた。
「紳士たるもの、自分にふさわしい香水のひとつやふたつ、常備しているものですよ」
「なら、それを俺にも使えばいいだろ?」
「私が好んで身につけている香水を、あなたにもつけるなんてとんでもない。
そんなのは真っ平ごめんです」
いっそ清々しいほどきっぱりと言い切ったレイフォンさんを、兄が射殺しそうな目で睨んでいる。
「――レイフォン、俺に恨みでもあるのか?」
兄の苛立ちがこめられた低い声を、レイフォンさんは平然と受け流した。
「…ああ、すみません。
ユートの邪魔をするつもりはなかったのですが、配慮が足りずに失礼しました。
それで、エリオットのローブに妹さんの匂いは残っていたのですか?」
「お前が横で香水をふりまいたから、全然解らなくなった」
兄は憮然とした表情のまま、重い溜息をついた。
「「「「「…。」」」」」
全員無言だったけど、何も言わなくてもみんなの緊張が解れたのが伝わってくる。
「…それはそれは、申し訳ないことをしました」
レイフォンさんはにっこりと笑いながら、兄の気を逸らす話題を投下した。
「妹さんの残り香よりも、もっとあなたが喜ぶことがありますから、どうか機嫌を直してください」
「俺が喜ぶこと?」
「はい、そうです。
…といっても、私からではなく、お師匠さまとエリオットからの朗報だと言ったほうが正しいのですが」
「――まさか…『通話』が繋がったのか?
あちらの世界に居る優奈と連絡が取れたのか?」
「はい、無事に『通話』が繋がり、妹さんとお話できたそうですよ。
お師匠さま、エリオット、別室でユートに詳しいお話を聞かせてあげてください。
この部屋の片づけは、私とヴァルフラムが引き受けますから」
「は、はいっ。
レイ先輩、ヴァルフラムさん、あとのことはよろしくお願いします」
エリオットはぺこりと頭を下げて、兄を別室へと誘導する。
おじいちゃんも二人に続いて部屋を出て行った。
パタン。
扉が閉まった音で、当座の危機は乗り越えられたのだ…と、やっと実感できた。
「よ、よかった…。
レイフォンさんの機転のお蔭です。
本当にありがとうございました」
わたしは机の下から這い出て、『透明マント』を脱いでから御礼を言った。
「いえいえ、当然のことをしたまでです。
…それにしても、本当にユートには驚かされることばかりですね。
まさか、姫の残り香まで嗅ぎ分けることができるなんて」
褒めているというよりは呆れている彼の口調に、ヴァルフラムさんが同意する。
「いやー、俺もマジで驚いたわ。
多分、その『透明マント』でも、ダメだろうな。
ソレで姿と気配は消せても、匂いをどうにかしないと、ユートに見つかっちまう。
…でも、びっくり箱みたいで面白いよな、あいつ。
退屈する暇がないよ、本当に」
にやにやと笑う彼の顔を見ていたら、わたしもなんだか可笑しくなった。
「なんかもう、本当に…いろいろとすみません。
そして、ありがとうございました」
わたしが改めて二人に頭を下げてお詫びと御礼を言うと、優しい笑顔が返ってきた。
ほわんと気持ちが和んだあとで、レイフォンさんからさりげなく訊かれた。
「――姫はどちらにするのか…もうお決めになりましたか?」
「…?」
何の話かわからなくて、わたしは首を傾げる。
レイフォンさんはそんなわたしを見て苦笑しながら、言葉を足して再度尋ねた。
「姫の逗留先についての話です。
…私の家に来ますか?
それとも、ヴァルフラムの家へ行きますか?」
■2012.09.18 冒頭に優奈の心のつぶやきを追加