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送らない手紙  作者: 宵待 奏
6/19

第8章:記念日

その日は、カレンダーに残っていた。

消していいはずなのに、消せなかった日付。


ユウは朝から落ち着かなかった。

理由はわかっている。

わかっているのに、身体が先に反応する。


記念日。


“特別な日”は、ルールを破らせる。

人間の脳は、特別に弱い。

特別な日は、例外を作りたがる。


――今日だけ。

――一言だけ。

――四行だけなら。

――返信はいらないって書けば。


ユウの頭は、ルール破りの言い訳を大量に生産し始めた。


ユウは机に座り、メモを開く。

《条件=ルール》を指でなぞる。


名前を出さない。

周りに話さない。

長文を送らない。

返信を求めない。

話すなら第三者・短時間。


守る。

守る。

守る。


ユウは息を吐いて、スマホを裏返した。

今日は特に、裏返しが重い。

裏返すだけで、何かを踏みつけている気分になる。


その時、ふっと、記憶が差し込んできた。


ナギが笑っていた。

画面の中じゃない。現実の声で。

夜の部屋で、二人で小さな鍋を囲んでいた時だ。


「これ、辛い?大丈夫?」


ナギが自分の器から、具をひとつユウの皿に移した。

ユウは笑って、首を振った。


「辛い方が好き」


「強がり」


ナギの言い方が、柔らかかった。

責めるでもなく、甘やかすでもなく、ただ見ていた。

生身を見ていた。


その記憶は、甘い。

甘いのに、胸の奥が痛い。


痛みは、“戻りたい”の痛みじゃない。

“壊した”の痛みだ。


ユウは目を閉じた。

次の記憶が、勝手に続いた。


記念映像の夜。

ナギが寝不足の目で笑って、ユウの背中を押した。


「ほら、行って。今日の主役はユウだよ」


ユウはその時、怖かった。

人が多い場所も、視線も、自分の声も。

なのにナギは、怖さを消そうとしなかった。

ただ、怖いまま進めるように支えてくれた。


その支えを、ユウは“当然”にしてしまった。

支えの手を、握り続けてしまった。


ユウは机の端を握った。

指先が冷える。


“送らない”が、今日は特に難しい。


ユウはメモに書いた。


「今日は送らない。送らないことが、守ること」


書いても、胸の奥の子供は納得しない。


「でも、ありがとうくらいは」

「おめでとうくらいは」

「今日は特別だよ」


特別は、破壊の入口だ。


ユウは立ち上がって、外に出た。

散歩。

身体を動かせば、物語は遅くなる。


歩きながら、ユウはもう一つの楽しい記憶を思い出した。

配信の終わり、ナギがこっそり送ってきた短い言葉。


「今日の最後の一言、よかった」


たったそれだけで、ユウは翌日も頑張れた。

その“たったそれだけ”を、ユウは欲しがり続けてしまった。


欲しがること自体は、悪じゃない。

ただ、欲しがり方が壊れていた。


ユウは公園のベンチに座り、スマホを取り出した。

裏返しのまま握る。


送らない。

送らない。

送らない。


そこで、ユウは自分に一つだけ許可を出した。


「送らない手紙を書くことは、許可」


メモを開く。

件名をつける。


送らない手紙 #23


ユウは書いた。


「今日は記念日だ。

あなたが笑ってたのを思い出す。

ありがとうって言いたくなる。

でも言わない。言わないのが今の俺の愛だ」


四行。

書き終えた瞬間、涙が落ちた。

落ちてから、ユウは笑った。


“言わないのが愛”なんて、かっこつけだ。

本当は怖い。

送ったら、また壊すのが怖い。


怖いから、送らない。

怖いから、守る。


夕方、ユウは配信をした。

いつも通り。

笑って、話して、終える。


配信の最後、視聴者が言った。


「今日、なんかやけに優しい声だった」


ユウは一瞬だけ、喉の奥が詰まった。

そして、短く返した。


「そう?…まあ、そういう日もある」


意味深にしない。

匂わせない。

ただ、今日を終える。


夜。

ユウは机に戻って、文庫本を手に取った。

読む気はない。

でも今日は、ページをめくった。


一行だけ。


――「手放すとは、消すことではない。扱いを変えることだ」


ユウはページを閉じた。


「……扱いを変える」


楽しかった日々は、消えない。

消さない。

ただ、相手を縛る材料にしない。


ユウはメモに書く。


《今日の勝ち:特別な日に、送らなかった》


それだけで、今日は十分だった。

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