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送らない手紙  作者: 宵待 奏
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第5章:四行の返信

その通知音は、前と同じだった。

短く、控えめで、現実にしか出せない音。


ユウは、反射でスマホを掴みかけた。

心臓が跳ねる。手が熱くなる。喉が渇く。


“来た?”


期待は、言葉より速い。

ユウはその速さを知っている。

速いものほど事故を起こす。

だから、ユウは速さを止める。


机の引き出しを開ける。

紙。

《連絡が来た日:やること》。

指で一行ずつなぞる。


1.深呼吸 3回

2.すぐ返さない(10分)

3.返信は四行以内

4.要求ゼロ

5.罪悪感ゼロ

6.“追わない”を優先


ユウは深呼吸をした。

吸って、吐く。

吸って、吐く。

吸って、吐く。


それからスマホを見た。


差出人:ナギ


文字が、小さく揺れて見える。

揺れているのは画面じゃない。ユウの視界だ。


メッセージは短かった。


「いまは、返事いらない。

ただ、これ以上、私のことを匂わせたり、周りに言ったりはしないでほしい。

お願い。」


それだけ。

攻撃ではない。

でも、刃は入っている。


匂わせ。周り。言わないで。

彼女はまだ、安心できていない。

だからこそ、言ってきた。

言ってきたということは、完全な沈黙の外に、少しだけ顔を出したということでもある。


ユウの中で、泣き声が跳ねた。


「返したい」

「謝りたい」

「説明したい」

「俺はそんなつもりじゃ」

「愛してたんだ」

「怖がらせたくない」


全部、言葉の形で噴き上がる。

ユウは、歯を食いしばった。


ここで一番やってはいけないのは、正しさで殴り返すこと。

そして二番目にやってはいけないのは、涙で縋ること。


ユウはメモアプリを開いた。

送らない手紙を書く。


「送らない手紙 #18」


「来た。

嬉しい。

でも、嬉しいを彼女に投げたら重い。

俺は今、守るべきは彼女の安全だ」


四行。

書いたことで、少しだけ落ち着いた。


次に、返信を書く。

四行以内。

要求ゼロ。

罪悪感ゼロ。


ユウは打った。

消した。

また打った。

また消した。


謝罪が入りそうになるたびに、ルールが止める。

謝罪が長くなると、相手は“受け取る義務”を背負う。

いま彼女が求めているのは、謝罪じゃない。停止だ。


ユウは、四行を確定した。


「了解。

匂わせも、周りに話すこともしない。

こちらからの連絡もしない。

伝えてくれてありがとう。」


送信ボタンの上で、指が止まった。

最後の最後に、もう一度だけ、衝動が顔を出す。


「ごめん」

「好き」

「愛してる」

「会いたい」

「戻りたい」


どれも入れれば、ユウは楽になる。

相手は苦しくなる。


ユウは送信した。


たった四行が、画面に並ぶ。

短すぎて、冷たく見えるかもしれない。

でも、これは冷たさじゃない。

相手に背負わせない温度だ。


送った瞬間、ユウはスマホを裏返した。

反射で追い撃ちをしないために。


そして、椅子にもたれて息を吐いた。

心臓が、まだ暴れている。

身体は勝手に、「次」を求める。

返信が来るか。既読がつくか。ブロックされるか。許されるか。


ユウは、その全部を一旦棚に上げた。


“追わない”は、行動でしか実装できない。


夜。

配信の時間だった。

ユウは迷った。今日は休むべきかもしれない。

でも休めば、視聴者は理由を探し始める。

理由を探されれば、匂わせになる。

匂わせは、彼女が嫌がる。


ユウは配信をつけた。

いつも通りの挨拶。いつも通りの雑談。

笑って、話して、終える。


終えたあと、スマホを見たくなった。

見たい。確認したい。

けれど、ここで確認すれば、相手を中心に戻してしまう。

一点に寄せると、また崩れる。


ユウはメモを開いた。


《今日の勝ち》


追い撃ちしなかった


四行で止めた


匂わせをしなかった


連絡を続けなかった


書いて、丸をつける。

勝ち。

小さいけれど、確かな勝ち。


その夜、ユウは文庫本を開いた。

一行だけ、読んだ。


――「愛は、相手の呼吸を邪魔しない形で残る」


ユウはページを閉じた。

涙が落ちた。

落ちた涙は、今日の負けじゃない。

今日の勝ちの、余韻だった。




第6章:ざわつきの中で


配信の翌日、ユウのスマホは静かだった。

静かさは、平和じゃない。

静かさは、想像の温床だ。


ユウはそれを知っている。

だから、朝から“余白”を減らす。


洗濯。皿洗い。短い散歩。

身体を動かすと、頭の中の物語が少し遅くなる。

遅くなったところで、メモを開く。


《匂わせ禁止》

・休む理由を言わない

・“意味深”をやらない

・誰かの名前を出さない

・DMの話をしない

・感情の投げっぱなしをしない


書いて、丸をつける。


その日の昼、カイからグループ通話の誘いが来た。

配信仲間が数人集まる、いつもの雑談。


ユウは一瞬迷って、参加した。

人に寄る支えは分散する。

でも、人は噂も運ぶ。

分散は、同時にリスクでもある。


「おー、ユウ生きとる?」


画面の向こうで誰かが笑う。

いつも通りの軽口。

ユウも笑う。


「生きとるわ」


カイが、空気を柔らかくしたまま言う。


「最近、なんか雰囲気変わったよな。落ち着いたというか」


別の声が乗る。


「わかる。なんか“大人”になった感じ。何あったん?」


来た。

ユウは背筋が伸びた。


この問いは、悪意じゃない。

むしろ好意だ。心配だ。

だからこそ危ない。

好意は、正当化の材料になる。


“心配してくれてるから、言っていい”

“仲間だから、少しだけなら”

“匂わせじゃない、事情説明だ”


その全部が、事故の入口だ。


ユウは息を吸って、吐いた。

短く返す。


「何かあったのはあった。でも今は詳細は言わん。俺の都合や」


「えー気になるー」


誰かが笑う。

ユウも笑って返す。


「気にならせた時点で俺の負けやな」


冗談にして、切る。

切ることが、守ることになる場面がある。


通話が終わって、ユウはすぐにメモを開いた。


《危なかった言葉》


“何かあった”


“詳細は言わん”


“何かあった”はギリギリだ。

聞く側の想像を増やす。

想像は噂になる。

噂は匂わせになる。

匂わせは、ナギの安全を削る。


ユウは修正案を書いた。


《次からの返し》

「変わった?そう言われると嬉しいわ。最近は生活整えてるだけ」

――これなら、誰も背負わない。誰も想像しない。


修正して、丸をつけた。


夕方、配信の通知を出す時間になった。

ユウはいつも通り、告知文を打つ。

軽い内容。いつものテンション。いつもの絵文字。


送信しようとして、指が止まった。


“いつも通り”が、匂わせに見えることがある。

逆に、“いつもと違う”も匂わせになることがある。


正解はひとつじゃない。

でも、ルールはある。


彼女の名前に触れない。

意味深をやらない。

誰かに背負わせない。


ユウは短く投稿した。


「今日も通常運転。雑談する」


それだけ。

余計な飾りを削った。


配信が始まると、コメントが流れる。

いつもの名前。いつもの絵文字。

その中に、少しだけ引っかかる言葉が混ざった。


「最近、例の件どうなった?」


例の件。

誰も名指ししていないのに、空気だけが形を持つ。

ユウの喉が乾いた。


ここで言い返したくなる。

「例の件って何」

「勝手に想像するな」

「俺は悪くない」

「俺は愛してた」


どれも、言えば楽になる。

でも言えば、燃える。

燃えれば、噂になる。

噂になれば、ナギがまた怖くなる。


ユウは、笑って答えた。


「例の件って言われても、俺の中で例が多すぎるわ。今日は雑談しよ」


コメントが笑いに流れていく。

うまくかわした。

その瞬間、胸が軽くなる。


同時に、どこかが痛む。

“ちゃんと説明したい”

“誤解されたくない”

“俺の真実を…”


痛みは消えない。

消えないまま、選ぶ。


配信を終えた夜、ユウはスマホを見た。

ナギからは何もない。

それでいい、とユウは言い聞かせる。


でも、胸の奥の子供は言う。


「ほら、何もない」


ユウはその声に、返事をしない。

返事をすると会話になる。

会話になると物語が育つ。


ユウは机の上の文庫本を手に取った。

読まない。

でも今日は、表紙の裏の付箋を指でなぞった。


――「言葉で守ろうとすると、壊れるときがある」


守る。

守るって、何だ。


ユウはメモに書いた。


《守る=言わない、追わない、燃やさない》


そして、ようやく気づいた。


ナギを守るために、黙るのではない。

自分の愛を守るために、黙るのだ。

愛を“武器”にしないために。


その夜、ユウは寝る前に一行だけ読んだ。


――「沈黙は、拒絶ではなく、選択である」


ユウはページを閉じた。

そして笑った。

小さく、苦く、でも少しだけ誇らしく。


「……選べた」


ざわつきの中で、選べた。

それは、昨日より確かな再生だった。


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