理―ことわり―
ラズが目を覚ました時、少し霞がかった真っ白な視界が広がった。まるで、雲の中にいるような感覚だった。
「お母さん。聞こえる?」
頭の中で反響するように、ノアの心配そうな声が聞こえた。
「…ノア?」
ノアは、少しほっとした様子で、ラズに声をかけた。
「大丈夫?今病院だよ。片付けの最中に倒れたの覚えてる?」
ラズは、力なく辺りを見回し、自分が今どこにいるかを確認してみた。
わずかに揺れる、音のない点滴の雫が、病室のベッドに寝ていることをラズに知らせた。
「あ…。ごめんねノア。心配かけちゃって…」
ラズは、まだぼんやりとした意識の中、最後の記憶を手繰り寄せてみた。
「片付け途中になっちゃったなぁ…。まだやること沢山あるのに…」
こんな時でも、ラズはレストランのことが気になっていた。
しかし、動かそうとする指先の力が、それどころではないとラズを説得していた。
ラズは検査などで入院を余儀なくされた。
ノアは毎日、いつもの屈託のない笑顔をラズの元に運んでいた。
ラズもそのノアの姿を見て、少しずつ体力を戻していったかのように思えた。
この日もノアは、見舞いの花を持って病室にやってきた。
「お母さん。気分どぉ?今さぁ隣町に食材見に行ってきたんだけど…」
ノアは、ゴソゴソと紙袋から一つのフルーツを取り出した。
「これマンゴスチン。珍しくない?店員さんが、病気の回復にもいいってさ」
そう言って、少年のような目で、ラズの前に差し出した。
「へぇ。マンゴスチンなんて、いつぶりかしらね? ノアは食べたことないでしょ?」
ラズも、少女のような目でその、深く紫色に染まった果実を手に取り、覗き込むように見ていた。
「食べ方、教えてあげるから、今度自分でも食べてみて?」
両手で果実を抱えると、果実の頭、花柱痕のあたりに、そっと親指を添えた。
ぐっと力を込めると、静かに厚い皮が裂け、ニンニクのような白い果肉が顔をのぞかせた。
そして、果肉の一かけらを指でつまみ、口の中へと運んだ。
ノアには、ラズの食材を扱う手慣れた所作が、いつものキッチンで、調理をする姿と重なって映っていた。
自分の母親は、紛れもなくフレンチレストランのシェフであったことを、ノアは心から誇りに思った。
「さすがだね。お母さんて、知らない食べ物ってないの?」
すこし嫉妬にも近い口調で、ラズに微笑みながら問いかけた。
ラズは、ノアに果肉を、首を傾げながら無言で差し出した。
それを口にしたノアの口の中は、幸せな甘酸っぱさが広がっていった。
その時、コンコンと病室のドアをたたく音に、二人は一瞬肩がすくんだ気がした。
看護師は、医者から話があると別室へ来るように、ノアに伝えていった。
「じゃぁ、また明日来るから。ちゃんと安静にしててよ」
ラズは、少し遠くに見えるノアに、微笑みながら手を振って見送った。
数日後、ラズは医者から「余命」という、残酷な言葉を受け取ることとなった。
一緒に聞いていたノアは、泣きながらラズにしがみついていた。
まるで、自分がラズに無理をさせていたせいだと責めんばかりに。
ラズは、医者の言葉に、最初心臓を捕まれるような思いをした。
でも、心のどこかで、「やっぱり、そうだったのね…」と、少し前からの自分の体調の異変に、どこか納得しているようにも見えた。
泣いているノアの背中をさすりながら、ラズは優しい母の顔と声で、しかし潤んだ瞳でノアに言った。
「ノア…。ごめんね。」
ノアはラズに返す言葉もなく、ただただ、ラズの肩にその涙を濡らしていた。




