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夢の欠片

 シャルル ラポーレ ラズには、毎日のように新しい恋人たちが訪れ、甘くラポーレ(=幸せ)な時ともに、二人だけの夜空へと暗号の星を灯していった。


 [OPEN]と掲げられたドアを開けると、カランという出迎えの音とともに、パイ生地の香ばしさと、いくつものハーブが織りなす香りが、出迎えてくれた。

 入り口をくぐると、優しい光が差し込む木造の店内。

 その壁の色合いは、温かみを残しつつ年齢相応の表情をしていた。

 

 ラズが腕を振るうキッチンは、店の奥にあった。

 レイアウトは、あまり広くせず、ラズが一人でも使いやすいようにと、レイが決めてくれた。

 客席側には、完成した料理が運ばれるのを待つ、カウンターが伸びていた。


 年季の入った調理器具も、ほとんどは開店当時のものだった。

 ただ、開店当初の冷蔵庫は、数年前にその役目を果たさなくなり、今は新しいものが置かれている。

 

 客席は2人がけの四角いテーブル席が4卓。

 それぞれ、丁寧にアイロンがかけられたクロスで覆われていた。

 ただ1卓だけ、窓から木漏れ日が差し込みテーブルをスポットライトのように照らす席があった。

 レイの想いが宿る[Les deux premiers clients Ray et Raz]というプレートが埋め込まれた席。

 この席だけはテーブルクロスが、そのプレートを隠さぬよう帯状にし、まるで恋人たちの言葉を繋ぐカーペットのように中央に渡されていた。

 

 食器の音、静かな会話、テーブルに添えられた一輪挿しのほのかな香り、やさしい光、きらびやかな料理。

 そこは確かに、恋人たちにとって、愛を語り、紡ぐための空間だった。

 

 木漏れ日が宿るその席には、木枠で囲まれたコース料理の隣に、小さな紙と万年筆が添えてあった。

 

 ある恋人たちは、約束=スフィア、そしてまた別の恋人たちは、誓い=セシル。

 

 互いにラズの料理を楽しみながら、二人だけの暗号を生み出しては、その小さい紙に書き記し、ノアに渡す。

 ノアが架け橋となって、その紙をラズに手渡す。

 そして、ラズは二人しか知らないその言葉を、デザートの皿に刻んで、甘いひと時を特別な時間に仕立てていった。

 恋人たちは、そのデザートを二人だけで楽しみながら、誰にも知られない言葉として鍵をかけていった。

 

 いつしか、木漏れ日の席は「二人だけの秘密が生まれる席」と呼ばれるようになり、恋人たちが途絶えることなく、レイの夢を叶えていった。

 

 言葉を紡ぐ恋人たちの数だけ、この秘密の暗号を持つレストランも、徐々に年月を重ねていった。

 

 

 ――そしてレストランは、恋人たちの暗号を25年抱えて過ごした

 オープン当時、素朴な街並みは、今や煌びやかな色に染められていった。

 ただ、時代の流れは、レストランの外壁をモノクロームに塗り替えていった。

 それでも、木で作られたレストランの看板は、幾度も雨風にさらされながらも、しっかりと愛を紡ぐ場所を示していた。

 

 ここ数年、ラズは体調に少し不安を抱えていた。

 店をオープンしてから、このレストランはラズがオーナーとして、シェフとして守ってきた。

 ノアは、そんなラズの負担を軽くしてあげたいと、スタッフを増やすことを何度もラズに掛け合っていた。

 

 その度ラズは


「このレストランは、わたしとレイの夢の場所なのよ。私がやらなきゃ意味ないでしょ?」

 

 と、微笑みながら、頑なに受け入れてくれなかった。

 ノアもまた、ラズの言葉とは裏腹な、寂しさという影の濃さを察してしまうと、それ以上説得は出来ずにいた。


 季節が変わっていくたび、ラズの体調の波は大きくなり、店を開店できない日も増えてきていた。

 ついには、お客様にキャンセルをお願いする日も出てきてしまった。

 

 ノアは電話越しに伝わる客の落胆に、いつも胸が苦しく感じた。

 そして電話を切ったあと、決まって大きなため息をついた。

 

 その日以降、新しい予約の受付は申し受けないようにした。

 ラズも、自分のせいで、これ以上迷惑はかけられないと思った。

 お客様にもノアにも、そして、約束をしたレイにも。

 

 そして数日後、多くの恋人たちの秘密暗号を閉じ込めた「シャルル ラポーレ ラズ」は、恋人たちへの愛の継承という役割を終え、静かにその幕を閉じようとしていた。

 

 木枯らしが吹く季節になり、ラズとノアは、レストランの片づけに毎日通っていた。

 ラズは、レイと過ごした日々と変わらない瞳の輝きを放ちながらも、体を動かす仕草は少し力弱く、頬の張も失っていた。

 

「お母さん……この席も、役目を終えたんだね?お父さんは……どう思ってるだろうね」


 店内を片付けながら、ラズはレイと二人でオープンに向けて準備していた頃を思い出していた。

 夢に溢れ、自分色で染めた料理を、シャルル(=特別)な二人で楽しみ、時間を忘れて愛を語り、夜空の下で暗号を重ねていったあの頃。

 今でも目を閉じれば、そんな記憶の景色ばかりが、セピア色に広がっていくようだった。

 ラズは小さく微笑みながら、長年使ってきたレストランという舞台の小道具たちを片付けていった。

 その姿は、まるで夢の欠片を一つずつ拾っているようだった。


「決まってるじゃない……レイは………」


 そのときラズは、操り人形の紐が切られたようにバタリと、その場に倒れ込んでしまった。


「お母さん!!」


 ノアは、慌ててラズを支えた。

 ラズは、少し苦しそうな呻き声をあげ、額にびっしりと汗をかき、そのまま、病院へと運ばれた。

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