第16話 「創業者は笑う」
「ふふ、ふっ。はっはっは。はっーはっはっはっ」
唐突に笑い声が会議室に響き渡った。笑い出したのは誠司だった。誠司自身、意図せぬ、そして喜びが込められた笑いだった。六つの視線が、一斉に誠司へと向けられた。そしてその笑いは、勝負の終わりを告げるものだった。
「はっはっは……はぁ―、わかった。わかったわかった。三鷹、お前に任せる」
笑みを浮かべたまま誠司はすっと立ち上がった。老いてなお背筋は真っすぐ伸びていた。
「税金だとか会社設立だとかは香川君とやってくれ。香川君、頼む。一誠も二晴も、それでいいな?二人とも意地を張らないように」
誠司は満足だった。三鷹は構想力において自分の上をいった。一枚上手だった。YUZUNOKIの成長は三鷹に任せれば大丈夫だろう。その後ろを守るのは堅実な一誠である。役職は違えど、誠司が思い描いたシナリオとほぼ同じだった。おまけに相続税三十五億円という負債を背負うことさえなくなった。
そのまま誠司が会議室を出ようとすると、三鷹が声をかけた。
「今回の件と今後のことについて話がある」
そして二人は会議室をあとにした。
一誠は深くため息を吐いて香川に言った。
「これが最善なんでしょうね」
香川は何も答えなかった。一誠は自分のオフィスへ戻るべく、会議室を出て行った。香川がその後に続いた。一誠を慰めに行ったのかもしれない。冬川は、ふらふらとした足取りで会議室を去っていく二晴の背中を、言葉もなく見送っていた。会議室に残ったのは冬川と秋葉の二人である。秋葉は静かに彼女の隣に立って声をかけた。
「お疲れ様でした。冬川さんには無駄足となってしまいましたが」
「いえ、そんなことは…。こちらこそありがとうございます」
冬川は秋葉に深く頭を下げた。今回の一件で、自分が責任を問われることになるのは間違いなかった。左遷は覚悟のうちだった。しかしそれでも、今回の構想を描いたであろうこの男に、礼を言いたいという気持ちは不思議と湧いていた。秋葉は静かに言葉を継いだ。
「今回の件はまだ終わってませんよ。これからが本番です。お礼を言うのはまだ早いですね……ところで、桜庭さんは東大卒ですか?」
「えっ、あ、はい。確か……そうだったと思いますが。それが何か……?」
突如として投げかけられた意外な質問に、冬川は面食らいながらも答えた。
「そうですか。無理を言うようですが、冬川さんにお願いがあるんです。桜庭さんにアポを取って欲しいのです。三鷹社長と私でお伺いしますので。日程はそちらのご都合に合わせます」
「え、いや、でもそれは」
あまりに唐突な展開に冬川は戸惑った。三鷹と秋葉――この二人は桜庭の思惑を潰した張本人なのである。その二人が会いたいと言っても桜庭が承知するとはとても思えなかった。返答に詰まった冬川の様子を見て、秋葉は見透かしたように微笑んで言った。
「大丈夫ですよ。橘さんも是非同席で、と伝えてください。それでアポは取れる筈です。それでも迷うようでしたら、のぞみ銀行にとって悪い話ではないと付け加えてください。決まったら連絡はこちらに」
名刺を冬川へ渡した秋葉は、冬川の返答を聞く前に歩き去っていった。