57.新しい日々
トントン、とどこからか音がした。
深い眠りの中にいた私はその音にすぐには反応できなかった。
意識を浮上させるよりも前に、シルが反応する。
私を抱きしめる腕が少しゆるんで、ドアのほうへ声をかける。
「……誰だ?」
「ランです。八日目の朝になりました。
お着替えは隣の部屋に置いてあります」
「ああ、そうか……もう一週間が過ぎたのか。
わかったよ」
ラン……?着替え?
まだ眠い目をなんとか開けると、シルが私をぎゅっと抱きしめる。
さえぎるものなんてなく、ふれあいすぎて肌の区切りがわからないほど。
もう何十時間もこうして抱きしめあっている。
「起きたのか。残念だけど、もう一週間過ぎたらしい」
「一週間?」
何のことだと思っていると、シルに笑われる。
「忘れちゃったのか?離れにいるのは一週間だって言っただろう?」
「あ、そうだった……ここを出なくちゃいけないんだ」
ここで過ごすのは一週間だということをすっかり忘れていた。
最初はどうして一週間もここにいるんだろうって思っていたのに、
シルとこうして二人きりで過ごすうちに、
他の人に会えないことなんてどうでも良くなってしまっていた。
「隣の部屋に着替えを置いてあるって。
湯あみに行けるか?」
「私、一人で行くの?」
「まさか。一緒に行くよ」
「うん……じゃあ、行く」
ここにいる間、最初に着ていた服を脱いだ後は、
着替えることすらしなかった。
湯あみに行っている間に寝室は片づけられ、
寝台には新しいシーツが、テーブルには食事が並べられていた。
ずっとシルとは身体を離すことなく、
どこかしらつながっていて、それが当たり前になってしまっていたから、
わざわざ服を着るようなことはしなかった。
着たとしても一瞬で脱がされてしまうし、
私もシルが服を着ようとしたら脱がせていたと思う。
どうして服なんて着ようとするの?って。
「ここにいる期間が一週間の理由がわかった気がする」
「どうして?」
「一週間だと区切られなかったら、ずっとこうしていただろう。
離れだから出なくちゃいけないし、普通の生活に戻ろうとも思う。
いつもの寝室でこんな生活をしていたら、
一か月過ぎても部屋から出ようとしなかっただろう?」
「それはそうかも?」
「だから、あえて離れに隔離して、一週間で出て来させるんだろう」
「そっかぁ……」
シルさえいれば、あとは何もいらなかった。
食事も用意されていたから食べたけれど、なくても気にしなかったかもしれない。
そのくらい満ち足りていたから、一週間が過ぎたことに気づきもしなかった。
湯あみをして、服を着て、久しぶりに外に出る。
一人では歩けなかったから、シルが抱き上げて屋敷まで連れて行ってくれる。
屋敷でもそのまま私たちの部屋へと戻ったので、
何も変わらないような気もしたけれど、
お義父様とお義母様に怒られ、食事の時間は守るように注意された。
次の日から、レンとキールに食事の時間だと注意され、
シルと一緒に食事室へと向かう。
ランがいないことに気がついたのは、
離れを出てから三日後のことだった。
「シル、どうしてランがいないの?」
「ああ、多分、ランは兄上と一緒だ。
おそらく我慢できなかったんだろう」
「……ええ?」
お義父様に確認すると、ランはオディロン様と離れにいた。
私たちが離れから出てきた二日後に離れに入ったという。
「本当はもう少し後にする予定だったんだが、
ハーヤネンから邪魔が入らないようにとすぐに離れに行ってしまった」
「えっと、オディロン様とランも結婚したってことですよね?」
「そうだ。離れから出て来ても、一か月は仕事に戻るのは無理だろう。
結婚休暇だと思って、しばらく休みにしてやってくれ」
「ええ、わかりました。そういうことなら喜んで」
問題なくオディロン様とランも結婚したと聞いてほっとした。
これでハーヤネン国が何を言ってきても邪魔はできない。
一か月半後、ようやくオディロン様とランも落ち着いて、
私とシルはお父様とお母様のお墓へと報告へ向かう。
お父様とお母様のお墓はオビーヌ家の霊廟の一角にあった。
オビーヌ家出身とはいえ、ルメール侯爵家に嫁いだお母様。
他家のお父様も霊廟に一緒に祀ることはできない。
そのため、裏の方にこっそりお墓がつくられていた。
「お父様、お母様、私、結婚したのよ。
ずっとあの頃から大好きだったシルと。
喜んでくれるわよね?」
「……お久しぶりです、ヴァンサン様、シャルロット様。
あの時は何もできずに助けられず申し訳ありませんでした。
今度は、アンリだけは、何があっても俺が守ります。
だから夫としてそばにいることをお許しください」
深く深く頭をさげてそう言うシルに、
のぞきこむようにして笑う。
「お父様もお母様もきっと笑っているわ。
二人で幸せになればいいのよって」
「……そうだな。あのお二人なら、きっとそう言うと思う。
アンリ、俺と一緒に幸せになってくれるか?」
「ええ、もちろんよ!」
抱き着いたら、そのまま抱き上げられて笑い合う。
よく晴れた空と綺麗に咲く花たちからは返事なんてもらえない。
だけど、それでもお父様たちには声が届いた気がした。




