25.真実
「どうして十年前に魔力の糸を結んだの?」
「あの時はアンリをあのままここに置いておくことはできなくて、
オトニエル国に帰さなくてはいけなかった。
だけど、本当は帰したくないと思っていた」
「それは……私は他国の貴族だったもの。
お父様とお母様のことも王家に報告しなきゃいけなかったし、
あのままここにいることはできなかったわ」
「あの事件、父上たちはオトニエル国の貴族が犯人だと思っていた」
「え?」
「だから、王都に向かうのにオビーヌ侯爵領を通るのではなく、
ハーヤネン国を北上してから王都に入った」
それであの時は違う道を通って王都に向かったんだ。
なるべくオトニエル国を移動する時間を減らすために、
面倒な道を選んでまで私の安全を優先してくれていた。
「アンリに危険が迫っているかもしれないと思うと、
王都に一人置いておくのは嫌だった。
せめて身を守れるように魔力の糸を結んで魔術を教えた」
「私を守るためだったというの?
だけど、それは婚約者や妻にするものなんでしょう?」
「婚約するつもりだったんだよ」
「……嘘。私、八歳だったんだよ?」
「それでも俺の婚約者にして、アンリを迎えに行くつもりだったんだ。
王都まで送った後、戻ってすぐ父上たちに許可をもらい、
オトニエル国に婚約を申し込んだ時には、
もうすでにアンリは王太子妃になることが決まっていた」
そんなことがあったなんて知らなかった。
私が一人になるのを心配して、家族だって言ってくれたのだと。
「もしかして、十年前から婚約する予定だったって話は、
本当のことだったの?」
「そうだよ。俺はもう十年も待っていたんだ。
婚約していても結婚するとは限らない。
アンリが助けを求めるようなら迎えに行こうと思っていたんだ」
「……そのまま結婚していたら、どうするつもりだったの?」
「アンリが俺のことが必要じゃなくなって、
魔力の糸を切るようであれば、忘れようと思っていた」
あの時、約束した。
私が幸せになって、シル兄様のことは必要ないと思ったら切ればいいって。
シルに様は私が糸を切らない限り待っていたってこと?
「……まさか、そのために今まで婚約しなかったの?」
「魔力の糸を結べるのは一人だけだ。
アンリが切らない限り、俺は他の人に結ぶことができない」
「そんな……」
「ああ、勘違いするなよ。
仕方なく待っていたわけじゃない。
俺から切ろうと思えば切れるんだ。
……切りたくなかったんだよ。
最後まで、アンリのことをあきらめたくなかった」
シル兄様の手が私の頬にふれる。
いつもそばにいて、抱き上げてもらったりするのに、
それとはまるで違うふれかたに思えた。
「ずっと糸に魔力が流れないのは、俺を忘れたのかもしれないと思っていた。
まさか魔力を奪われていたなんて思わなかったから。
だから、糸に魔力が流れたのを感じて、
居ても立っても居られなくて飛び出した」
私が逃げだしたのがわかってすぐにこの屋敷を出たから、
あんなにも早く迎えに来れたんだ。
シル兄様が来てくれなかったら、私とランはどうなっていたかわからない。
「迎えに来てくれてありがとう」
「ああ。本当はここに連れて来て、
アンリの体調が元に戻ったら求婚するつもりだったんだ。
まさか父上に婚約の話をされるとは思わなかった」
「私、この婚約は仮のものだと思ってたわ」
「アンリがそう思っていたのはわかってた。
体調が戻ったら、あらためて説明しようと思って。
今日帰ってきたら説明しよう、そう決めていた」
どうやらヴァネッサの件がなくても説明するつもりだったらしい。
「もし俺と婚約するのが嫌でも、
歩けもしない状態なら出て行けないだろう。
……俺がふれるのが嫌なら逃げていい」
シル兄様がゆっくりと私を抱きしめる。
いつもとは違って、おそるおそる手を伸ばしてきたのがわかる。
……何かを怖がっている?
「シル兄様、震えている?怖いの?」
「……ああ。俺はアンリを失うのが怖い。
受け入れてほしいと思うけど、俺のことを兄だとしか思えないのなら、
俺は手を離さなければならない……。
嫌なら、嫌だって言ってくれ」
ふれている手が、シル兄様が私を見る目が、今までとは何かが違う気がした。
「……嫌じゃない」
「本当に?婚約するって、意味ちゃんとわかっている?」
「わかっていると思う」
「家族になるって、意味だけじゃないよ?
もっと、もっとアンリにふれることになる」
「ん……わかってる。ふれても、いいよ」
怖くないと言ったら嘘になると思う。
シル兄様が大人の男性なんだって、今さらながら感じてしまって。
まだ私の想いは子どもの時とさほど変わらなくて、
同じように想いを返すのは難しいかもしれなくて。
でも、シル兄様から離れるのは嫌だから。
「私はずっとシル兄様の隣に帰りたかった。
離れている間も、シル兄様に会いたかった。
やっと、ここに帰って来れたの」
「ずっと助けにいけなくてごめん。
もう二度と離れたりしないから、
俺に守らせてくれるか?」
「うん、もう離れたくない。
ずっと、ここにいさせて……」
シル兄様を見上げたら、唇が重なる。
すぐに離れたと思ったら、強く抱きしめられる。
もっとして欲しい気もしたけれど、
自分から言うのは恥ずかしくて、ただ抱きしめられていた。




