14.助けられなかった十年(シルヴァン)
馬車の中でアンリの身体はどんどん熱くなっていて、
意識がないのかぐったりしている。
「あの……本当にアンリエット様は大丈夫なのでしょうか」
「ああ、心配だろうからオビーヌ侯爵領に着いたら医者を呼ぶが、
魔力のせいで間違いないと思う。
こんな小さな身体に急激に魔力を流したら馴染むのには時間がかかる」
「そうですか……」
心配なのか、ランという侍女が泣きそうな顔をしている。
レンという護衛も同じように心配なのだろう。
耐えようとしているせいで顔がひきつっているのがわかる。
俺がそばに居れなかった間、ランとレンがいてくれてよかった。
あの時、どうして素直に引いてしまったのか。
アンリが俺に会いたくないなんて言うわけないのに、
王太子の婚約者になったと聞かされて納得してしまった。
アンリは貴族としての責任を果たすのだと。
糸に魔力を流さないのは、その証拠なんだと思っていた。
まさか魔力を奪われていたとは……。
オビーヌ侯爵領に着いて、すぐにパジェス侯爵家の別邸に向かう。
他国ではあるが、オビーヌ侯爵領とパジェス侯爵領は、
ずっと昔から協力関係にある。
銀細工のオビーヌ侯爵領と金細工のパジェス侯爵領。
もとの金属が同じものだとは他の貴族家の者は知らない。
二つの領の鉱山から出る金属を合金することで、
装飾品として加工できるようにするのだが、
その比率と混ぜる時の魔力が違うことで色の変化が生まれる。
どちらの鉱山から出る金属も必要だからこそ、
オビーヌ侯爵領とパジェス侯爵領は国を越えた関係を築いてきた。
この別邸はオビーヌ侯爵領に買い付けに来るときに使う屋敷だ。
そのため、必要な時以外はオビーヌ侯爵家に管理を任せている。
いつもなら侍女も連れてくるのだが、
今回はアンリに何かあったのかもしれないと思い、
まともに準備をすることもなく出てきてしまった。
とりあえず、ここに着いたことをオビーヌ侯爵に知らせなくてはいけない。
近くに控えていた俺の側近キールに命じる。
「キール、オビーヌ侯爵に連絡をしてくれ。
アンリを保護したことと、侍女を貸してほしいと」
「わかりました」
別邸の俺の部屋へとアンリを連れて行く。
寝台に寝かせようとしたら、アンリは俺の服をつかんで離さなかった。
「大丈夫だ。離れるのが不安なら手をつなぐよ」
アンリの手にふれて、そう言うと安心したのかようやく手を離す。
熱で苦しそうだ。せめて冷たいものでも額に置けば楽になるか……
ランとレンはアンリから離れる気がないのか、
部屋の中に入ってきて壁際で控えている。
「ラン、レン、お前たちも休んで来い。
そこの扉を開ければ使用人の控室になっている」
「ですが」
「アンリエット様を一人にするわけには」
「安心していい。俺が見ている。
アンリを一人にすることはないよ。
それに、後からきちんと話を聞きたい。
そのためにも一度しっかり身体を休めてほしい」
「わ、わかりました」
「アンリエット様をよろしくお願いいたします」
アンリが俺の話をしてくれていたからか、案外あっさりと託された。
侍女も護衛もいなくなった部屋で俺とアンリだけにする意味は、
王宮で働いていたならよくわかっているだろうに。
冷やした布を額にあてて様子を見ていると、
悪い夢でも見ているのかアンリがうなされ始めた。
「……いや。もう、……たい」
「アンリ?」
「……父様、お母様。どうして……」
ああ、あの時のことを夢で見ているのか。
パジェス侯爵領の鉱山に視察に行ったまま、帰らなかった両親を思い出して。
……助けられなかった後悔や苦しさが、喉の奥にかたまりのように感じる。
俺がもう少し早く気がついていたら、助けられたかもしれないのに。
アンリは俺のことを一度も責めなかった。
「……シルにい……」
俺の名前が出て、どきりとする。
責めたいのなら責めてくれ。
お前にはその権利がある。
覚悟を決めた俺に聞こえたのは、か細いけれど悲痛な叫びだった。
「……たすけて。シル……にぃさま……たすけて」
「助けて?」
「いや……もう……こんなところいたく……ない。シル兄様のところに……」
……ああ、俺は本当に馬鹿だ。
どうしてアンリを助けに行かなかったんだ。
王家の嘘を信じて、あきらめかけて。
もう二度とアンリを離したりはしない。
たとえ、夢の中であっても、助け出してみせる。
アンリの手を握って、耳元に呼びかける。
「アンリ、俺はここだ。助けにきた」
「シル……にいさま……」
「そうだ。俺だよ、アンリ。もう大丈夫だ。
ここは王宮じゃない。出られたんだ」
「……うん」
声が聞こえて安心したのか、寝息が聞こえる。
涙のあとを拭って、頬に張り付いた髪をよける。
それからアンリがうなされるたびに、手をつないで呼びかけた。
俺はここにいる、もう大丈夫だ。
本当は十年前に言うべきだった言葉を伝えて、
少しでもアンリの心が楽になるようにと。
次の日、先触れとほぼ同時にオビーヌ侯爵夫妻が訪ねてきた。
おそらくそれが限界だったのだろう。
俺もその気持ちがわかるから、何も言わずに部屋に迎え入れた。
「アンリエット!なんてこと!」
「シルヴァン、アンリエットは大丈夫なのか!?」
「おそらく魔力が急激に流れ込んだせいだと思いますが、
侯爵家の医者を連れて来てもらえますか?」
「わかった。すぐに手配しよう。
それで、アンリエットに何があったんだ」
「その説明は俺からではなく、
アンリエットのそばに居た者たちから話を聞きましょう。
ラン、レン、お二人に話をしてくれ」
「「はい!」」
あらためてランとレンから詳しく話を聞いて、腹が立って仕方ない。
まだ八歳のアンリに目をつけて魔力を奪うなど、宰相がすることではない。
王家の許可があったのかどうかはわからないが、
これは他国からも非難されるほどのことだ。
孫娘に何があったのかを知ったオビーヌ侯爵夫妻も、
怒りで身体が震えているのがわかる。
「王都にいるうちの者たちを全員戻す。
商会で取り扱っている銀細工もすべて回収させる」
「当然ですわ!もう二度とルメール侯爵とは取引させません!」
「オビーヌ侯爵領の者たちを引き揚げさせるのであれば、
王宮や王都で変化があったか探って来させてくれませんか?」
「ああ、結界のことか」
「それもありますが、追手がいるかどうかもお願いします」
「わかった。調べさせよう」
十日後、戻ってきたオビーヌ侯爵領の者たちから話を聞いて、
ランとレンはそばに置いておくのはまずいと判断した。
二人は嫌がっていたが、アンリエットのためだと言うと、
納得してパジェス侯爵領へ向かった。
アンリエットは回復次第パジェス侯爵領に連れて帰ると、
父上と母上への手紙をランとレンに託した。
それから二週間が過ぎて、ようやくアンリエットが目を覚ました。
それまでも何度か目を開けて話すこともあったのだが、
夢うつつの状態でまったく覚えていなかった。
自分で起き上がろうとしているのを見て、
魔力による熱がおさまったのだと思った。
医者の見立てでは、もう少し時間がかかるかもしれないと言っていたが、
目を覚ましたのであればオビーヌ侯爵夫妻には連絡しておこう。
久しぶりに湯あみをしたいというアンリを浴室に連れて行き、
侍女二人に任せて部屋に戻ったら、キールが待ち構えていた。
「シルヴァン様、今のうちに食事をしてください。
このままではシルヴァン様が先に倒れますよ」
「わかった。食べるよ」
アンリが寝ている間、いつうなされるかわらない。
うなされたらすぐにでも安心させたくて、ずっとそばに居た。
そのせいで食事も睡眠もままならず、
キールには怒られてばかりだ。
用意された料理を食べていると、浴室から叫び声が聞こえた。
「なんで胸はたいして大きくなってないの!?」
「ぶぶっ!!!」
「シルヴァン様!?大丈夫ですか!?」
食べていたものが気管に入ってしまって咳き込む。
今の、アンリの声だよな。
寝ていた間に成長したことを驚くだろうとは思っていたけど、
胸か……気にしていたんだな。
食事を終えて待っていると、侍女に呼ばれる。
湯あみを終えたアンリは頬が上気していて、
もうすでに眠いのか目が半分になっていた。
俺が抱き上げると安心してもたれかかってくる。
その顔が少し不貞腐れているのが可愛すぎて、
何も心配しなくていいのになと思う。