緑のサンタ
賢い僕は「サンタの正体」はとっくに知っていた。
──だから、僕にはもう、サンタが来ないことも知っていたのだった。
……そう、思っていた。
「なんだ、アイツ……」
塾から家までの帰り道。
再来年には受験が迫る僕は、クリスマス・イブの日だってのに夜遅くまで塾で授業を受けていた。
「クリスマスに塾とかクソ~」とみんな言っていて、先生側も僕達を憐れんでいるのか、プレゼントを用意してくれていた。ビンゴ方式だったから、欲しいものがもらえたわけじゃないけど、楽しかった。
だってどうせ僕にはサンタは来ない。
だからこんなちゃちぃ箸でも、もらえたことが嬉しかった。
そんな僕の目の前に今、サンタがいた。
蛾のたかる街灯の明かりの下、そのサンタはあっちでもない、こっちでもない、ってぶつぶつ言いながら、うろうろとうろついていた。
今日はクリスマス・イブだから、サンタクロースのコスプレをした人はいっぱいいた。塾近くのコンビニは結構凝っていて、店員さんは全身サンタの格好だったし、高笑いもそれっぽくて、上手かった。
でも、今僕の目の前にいるサンタは少し奇妙だった。
緑色だったのだ。
赤色じゃないサンタなんて初めて見たもんだからつい僕はその不審者に声をかけてしまった。
「何しているの」
その緑の影はぐるりと勢いよく振り向いた。
思ったよりも若そうな風貌だった。塾の先生よりも若そう。なんなら通学路で見かける高校生くらいにも見える。顎は髭なんて生えていなくってつるりとしており、髪の色は薄めで、ピアスとかはしていないんだけど、少し軽薄な人物に思えた。
「やぁ男の子。こんな遅くに、こんな暗がりに出歩いちゃあ危ないよ。不審な人と出逢うかもしれないよ」
「うん、今実感してる」
そう返せば男はくつくつと笑った。
僕は大人を苦笑いさせがちな子供だったから、本当に愉快そうに笑う相手が意外だった。
「ご家族が心配するだろう」
「……母さん、夜勤だから。今日は僕一人なんだ」
僕が塾が苦痛じゃなかったのは、家にいたところで僕は一人だから、ってのもあった。学校はとっくに休みに入っているし、塾が無ければ僕は今日、誰とも聖夜を祝い、感情を分かち合うことができなかったろう。
想像する。
暗く、誰も「おかえり」とは言わない家に一人、塾で貰ったプレゼントの箸を眺め、コンビニで買ったケーキを食べる自分の姿を。
「そういうことは見ず知らずの人には言わない方がいいよ。俺がイイ人だからいいものの」
「ねぇ、なんで緑なの」
「緑?」
「服」
あぁ……、と言って男はくるんとその場で回る。
「サンタだからだよ」
「サンタは赤だろ」
「そいつはヤンキーの発想だ。由緒正しいサンタは緑色なんだぜ」
「へー」
僕は手元のスマートフォンで検索する。
男の言ってることは嘘ではないらしい。
「でもお前のそれは原理主義なだけのただのコスプレだろ」
「はっはー!言うね、男の子!
まあ普通知らないよね、サンタが何してる仕事かなんて」
「はぁ……?サンタは、……父親の……変装だろう」
僕の発した声は思ったよりも小さかった。
それでも相手にはちゃんと聞こえていたらしい。
「いいや、サンタクロースは実際に存在する”職業”さ!確かに、お父さんやお母さんにご協力頂くこともあるがね」
「……子供だからってバカにしてる?」
「していないよ」
疑わしい眼差しを向ければ、真面目な顔で返された。
その凛とした表情はまるで何一つ嘘なんてついていないようだった。
「逆に聞くけどね、君はそんなに職業なんてものを知っているのかい?」
「知ってるよ」
「そうかい?なら、ひよこの性別を鑑定する仕事は?」
「え、ひよこの性別……?」
「ゴルフ場で池ポチャのボールを拾う仕事は?」
「え?何それ?」
「ほぉら!世の中には君の知らない仕事がごまんとあるのさ!その中にサンタクロースって仕事があったっておかしくないだろう?」
なんだか丸め込まれた気がするが、僕はしぶしぶと頷く。
「分かったよ、僕が知らない仕事がいっぱいあるってね。でもさ、サンタが仕事だって言うのなら、誰でもなれるものなのかい?」
「サンタには2パターンなり方がある。サンタを生業としてきた一族の生まれであるか、資格を取るかだ」
「資格……」
「俺はまあ前者の方だから資格取るの楽だったけど、サンタ一族じゃないのに資格を取るのは大分大変だから、なりたかったら覚悟しとけよ~」
色々言わせてぼろを出させようと思っていたのに、存外に相手はそれっぽいことを言う。
男はごそごそとポケットから何かを取り出すと僕に見せてきた。それは母さんの持っていた車の免許証とよく似ていた。
「これがサンタの免許ね。これと普通トナカイ運転免許証を取得してようやく一人前のサンタってわけ。俺がちゃんとしたサンタクロースだって分かったかい?」
「うん……でもこれ何語?」
「フィンランド語。俺は日本生まれ日本育ちだけれど、全てのサンタの心の故郷さ」
「へぇー」
免許をしまうのを見届けて僕は彼に言う。
「アンタがちゃんとしたサンタだってのは分かったよ。だったらこんなところで何をしてるの」
「迷ってる」
あまりに堂々とした物言いだったから、僕は肩から服がずり落ちた心地になった。
「……どこに行きたいのさ」
「△△町〇〇丁辺りだ」
「ん?じゃあここらで合ってるよ」
「お、そうなのか?じゃあ荷物取ってこなきゃな!」
礼も早々に、男は先の暗闇へ駆けて行った。
「ありがとう!皮肉屋で親切な男の子よ!いいクリスマスを!」
濃い緑色の服は闇に溶けていくと見えなくなるらしい。すっかりと彼の姿は消え失せていた。
変な人だったな、と思いながらも、僕の足は行きよりも軽やかに家へ向かうのだった。