春から夏
日々強くなりつつある日差しの下で、その働きアリは食べ物を探していた。
彼女は一年前の夏に生まれ、全ての若い働きアリがそうであるように、巣の中で仕事に従事してきた。
巣の外のことは、年長の働きアリの語る言葉から知った。危険は多いが、仲間だらけの巣の中に劣らず賑やかな場所だと。そして、比べ物にならないほど広い、とも。
熱い地面を踏みしめながら、彼女はそのアリの言葉を思い出していた。
脚の耳には、様々な音が届く。巣の中は仲間たちの立てる音が満ちていた。外にあるのは未知の何かが立てる音ばかり。好奇心を刺激されるが、安心もまた無い。運が悪ければ、次の夏を迎えることはできないだろう。
アリの感覚が、大きなものが近づいてくるのを捉えた。
方向は、上。
潰されないようその場を離れる。
落ちてきた、ではなく降りてきたのはアリよりはるかに大きな体のムシ。「キリギリス」という名で、肉を食べるが好き好んでアリを食べる生きものではない。だが、それだけで「危険ではない」と判断するのは危険だ。
様子をうかがうアリに、キリギリスは言葉をかけてきた。
「アリさん、俺の歌を聴いてかない?」
「……何だって?」
予想外にも程がある内容だった。
キリギリスは歌う生きものだということはアリも知っている。だが、アリの知る限りそれは「同属のメス」に聞かせるためのものだったはずだ。
「見ての通り、私はキリギリスじゃないぞ」
「うん、それは分かってる。アリさんに聞いて欲しいんだけど、時間ある?」
巣の外にある「未知」は「危険」と言い換えて差し支えないものばかりだったが、目の前にあるこれは違う。危険かどうかすら判断できないほどに、分からない。
「何故、アリに聞かせようとする? それは、『キリギリスのメス』に聞かせるもののはずだ」
「『普通の』キリギリスは、そうだね。でも、俺はそれじゃ嫌なんだ」
キリギリスの動機以前に、「普通では嫌だ」という感覚が働きアリである彼女には理解できない。たとえ優れていようと、働きアリは「普通」から大きく外れた存在であってはならないのだ。規格統一された小さな存在が力を合わせることによって、アリの巣は動く。
「俺の歌の良さを他のムシにも理解させたい。良いと言わせたい。そのためにまず、聞いてみて欲しい」
アリは、共感できるかはともかく「キリギリスが何がしたいのか」は理解した。だからといって「はい喜んで」と頼みを聞ける訳ではない。
「私もヒマじゃあないんだ。巣で待つ仲間のために食べものを探さなければならない」
何もしない働きアリもいるが、彼女たちはいざという時に備えるため「何もしない」という仕事をしている。常に全力で動き続ける生きものがいないように、アリの巣も普通はそんなことをしない。
「それも知ってる。だからアリさんにお願いしてるんだ」
キリギリスは、脚で抱えていたものをアリに見せる。
植物のタネだった。
「俺が探した食べものを渡せば、浮いた時間を使わせてくれるんじゃないかと思ってね」
キリギリスに近づくことなく、アリはタネを値踏みする。採集に釣り合う時間の長さを。
「それ一つだけ、ではないだろうな」
「もちろん。今日はこれ一つしか用意してないけど、もっとたくさん集められるよ」
「必要な時間にもよるが、私の仕事を代行するのであれば、その分をお前に割いても構わない」
「やった!」
まるで喜びを表すかのように、キリギリスは跳び上がる。背の高い草の上から声がする。
「そのタネはあげる。俺はこの辺がなわばりだから、また来てくれれば食べものを用意しておくよ。じゃあね、アリさん」
キリギリスがいた場所に残されたタネをアリは拾った。足止めされた時間を考えれば、悪くない取引だったと言える。
「終始、よく分からない奴だったな」
キリギリスはあんな奴ばかりなのだろうか。
巣の外に出て長くない彼女には、まだ分からないことだった。
アリとキリギリスのお話、小さい頃に読んだことのある人は少なくないと思います。
あらすじに書いた寿命の違い。これを知る前と後で、感想は違ったものになりますか?