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けあらしの朝 19  作者: 翼 大介
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人生迷い道

諸々の手続きも終えて仙台を離れけせもい市に戻る日が近づいてきた。空き部屋があるので実家で暮らせば何かと楽なのは分かっているが博之は敢えて一人暮らしをする選択をした。両親と一緒だと不協和音が続発するであろうことが容易に想像出来たからである。特に母親は婚約者を亡くして故郷へ帰ってくる息子にどう接したらよいものか思案に暮れていただけに博之の方からアパートを借りると言われて内心ホッとしていた。

それにしても6年間の社会人暮らしでずいぶんと所持品が増えたものだと荷造りの手を休めてその凄さに愕然となった。そこであらためて新潟でSUN&SONのママの話を聞いた時に由里子と一緒に暮らさなかったことを後悔したのを思い出したが今はそれで正解だったのだと思えた。たとえ一年間程度の同棲だったとしても2人で使うお揃いの品物がどんどん残っていたことだろうから、そういった物を処分することに躊躇いを覚えて片付けが進まなかったに違いない。思い出の品として残っているのはテニスのラケットと釣り道具くらいだ。写真が少ないのが意外だったがこれから増えてゆくだろうからといたずらに撮りまくることを自制した結果だがそれだけにこと写真に関しては由里子の死後しばらく持ち歩き今では写真立ての中に収まっている一枚にいとおしさを覚える。

所持品でもっとも頭を抱えたのが買うだけ買ってほとんど読むこともなく押し入れの肥やしと成り果てていた書籍だった。元来、本を読むことは好きだったが働き出してからというもの休日のほとんどを釣りとパチンコに費やしていたから当然、活字に目を向ける時間など確保出来るわけなどなく営業の合間に飛び込んだ書店で衝動的に買った本が一冊また一冊と増えていつの間にか押し入れの一角を我が物顔で陣取っていったのである。

 (いいさ、これらの本は実家に置かせて貰おう。釣りも封印中だがパチンコばかりしてるわけにもいくまい。帰ったら本腰入れて読んでみるか。しかし今日は天気がいい、ブラリと流して来るか。この車ともお別れだし、ここいらの景色も見納めだ)

 時計を見るとまだ午前10時ちょっと前だ。ここいらと言わず多少ならば足を伸ばせる。考えた末に山形まで行って来ようと思い立った。山形にはスキーで訪れた蔵王の樹氷が思い出と

して残っている。けせもい市に戻ったら訪れる機会もないだろうし雪がないゲレンデも見ておきたかった。

 車のエンジンを始動するとラジオから聞き覚えのある曲のイントロが流れてきた。誰かがリクエストしたのかパーソナリティーの選曲なのか分からないが曲は松任谷由実の(緑の街に舞い降りて)だった。今は5月、確かにタイムリーな選曲だ。歌詞の内容とは被らないが博之は6年前の5月のことを振り返った。社会人生活がスタートしたばかりで迎えた初めての連休に由里子と連日のデート。そこから交際が始まった。あの頃という言葉がすんなりと言えるくらい月日が経過したが昨日の出来事のようにオーバーラップしてくる。

 やがて曲は(モリオカというその響きが・・・)という部分に差し掛かった。

 (そういえば盛岡方面のスキー場には行かずじまいだった。安比高原のゲレンデもいいところだと聞いていたが他のスキー場に目を向けるという発想がなかった)

 山形蔵王のスキー場は1日では回りきれないほどたくさんのゲレンデがあったことに加えて樹氷を横目に滑り降りる爽快感は何物にも代えがたかった。それでも由里子さえ生きていたらいつかは他のスキー場にも出向いたのだろうがそれはもはや永遠に叶えることの出来ない物語だ。タイムリーと思えた曲が悲しく耳に入り出したが博之はすぐに車を走らせることなく最後まで曲を聴き通した。

 (新しい笑顔を土産に誰かのもとへ帰る)

 ラストの歌詞を聴き終えてから一度は落ち込みかけた気持ちが上昇気流の端っこを捕まえたようだ。新しい笑顔を土産に逢う人間は心の中にいつでも居る。その存在はこちら側からは見えなくともあちら側からは常に見守ってくれているんだと信じればいい。禍福は糾える縄の如しと言うけれど博之自身の縄はずいぶんとグチャグチャに絡まってしまい、どのようにしてほどけば良いのか全く分からない状態だ。だがそれはけせもい市に戻ったら試行錯誤を繰り返しながらゆっくり取り組めばなんとかなるだろう。先行きの指針も見えて来るかも知れない。5月の爽やかな風は今年も何ら変わることなく傍らを吹き抜けていった。








 S製菓在職中には盆暮れ以外にも実家へはちょくちょく帰っていたこともあり、仙台から引き揚げてきても田舎に戻ったという実感がなかなか沸いて来ない。帰郷後の博之は巨大な鉛の塊でも背負ったかのように実家でダラダラ過ごす日々が続いていた。アパートにはいつでも引っ越せるのだがどうにも腰が重い。すぐに就職活動を始めると言った手前、さっさと行動に移さねばならないことを頭では分かっていながらいたずらに日にちだけが過ぎて行く。そんな博之に活を入れるかのように父親が新聞に載っていたある企業の求人を指しながら紙面を眼前に叩きつけた。

 「まったくお前はいつまでそうしているつもりなんだ。雇用保険だって自己都合退職ではすぐに支給されんだろうが、それに早い時期に次の就職先が決まれば支度金とやらが貰えるらしいじゃねえか。まあその求人に目を通しておけ、その会社はお前も知ってると思う。普通の水産加工場ではなくれっきとした食品製造会社だ。ただし仕事はキツいし拘束時間も長いぞ、その代わり賃金はこの土地じゃ良い方だと思うがな。しかしそれも面接を受けて採用されたらの話だ。やる気があるんだったら履歴書を書いて出しとけ」

 父親はそれだけ言うと飼い犬の散歩に出掛けて行った。 

 (チェッ、親父は相変わらず口が悪い。で、どこの会社だよ。俺も知ってるはずとか言ってたが)

 博之は舌打ちをしながら父親が無造作に置いていった新聞の求人欄に目をやった。

 (M食品か、ここならピックアップしていたよ。確かにけせもい市では数少ない純粋な食品加工会社でおまけに中央資本だから賃金面でも地元資本の会社とは差がある。しかし仕事そのものはかなりキツいとは俺も聞いていた。さてどうしたものかな。情報集めばかりしててもラチがあかない)

 博之は心のどこかに雇用保険にしばらく頼るのも悪くないという思いがちらつき出していた。父親にはそこを見透かされていたのだ。苛立ちを覚えてゴロリと横になるとかすかに船の汽笛が風に乗って聞こえて来た。けせもい市は遠洋漁業の基地でもあり、かつてほどではないが大型漁船がところ狭しと港に係留されている眺めは実に壮観である。博之がこの世に生を受けた昭和30年代後半はそうした大型漁船に乗り組むのは身体の頑丈な男達にとって花形の職場であった。長い航海で長期間に渡り家を留守にするというネックがあるとはいえ一般のサラリーマンと比べて何倍もの収入を得られたから競うように豪勢な家を建てることも出来たのである。船乗り達は洋上では狭い個室に身体を横たえる生活を強いられる。それ故に我が家に帰ってきた時には思い切り手足を伸ばして寛ぎたい、そんな思いが豪邸を持つことの背景にあった。身体を張った分の見返りとも言えるがそれも今となっては陸の仕事と比較しても賃金格差は縮まって漁船員は花形職業とは言えない時代になったのは否めない。それでも大海原にロマンを追い求める偉丈夫がいる限りこの街から漁船が姿を消すことはないだろう。

 残念ながら博之はそのような偉丈夫とは言えないが仮にそうであったとしても漁船員になる道を選択肢に加えることはなかった。中学生の頃に叔父からその過酷な仕事内容を聞かされて自分にはとてもついていける世界ではないと尻込みをしてしまったのだ。営業職でさえ音を上げたことを考えれば漁船員になっていたらすぐに挫折していたであろうことは火を見るより明らかな事だった。


   (板子一枚下は地獄)

 海、特に船に乗って働く人間がよく使う表現である。板子とは船底に敷く板を指し、その下は海で落ちれば文字通りふだんは陸で暮らしている人間という生物は水中では生き永らえることは不可能であることの比喩的な言い方である。船乗りはいかに死と隣り合わせな仕事なのかを示した表現であるがそうなると博之が高校時代に夢見た海洋調査船に乗ることも板子一枚下は地獄に当てはまるではないかという事実に今さらながら気づいた。海洋調査船も時化の中を航行するのだから恐い思いもするのは漁船と一緒だ。食品工場の仕事はキツいことに加えて危険なこともあるのは確かだが決して命を落とすという意味で地獄という呼ばれ方はしない。脈絡のないことを考えているうち博之にいささかではあるがやる気というものが芽生えたようだ。

 (逃げ惑っている場合ではない。よしM食品の面接にトライしてやろうじゃないか)

あらためてM食品の求人広告を見てみたが募集人員は3人で年齢の上限は26歳となっている。博之は2歳ばかりオーバーしているがその程度ならば融通は利くかも知れない。履歴書は3枚書いてあるがそのうちの1枚に志望動機を追加、あとは日付を入れて封をして投函するだけだ。善は急げとばかりにそれらを書き足して郵便ポストまで走った。投函を終えた瞬間に忘れていた緊張感に包まれるのを全身で感じたがだらけた生活からおさらばするのに良い機会でもある。ヨシッと小さく声を出して帰りは走ることなくゆっくりと歩き胸を張って家路についた。

M食品から連絡が入ったのは履歴書を郵送して3日後のことだった。事務員と思われる女性が来週の金曜日午後1時から面接を行うとだけ告げると電話は切れた。履歴書には目を通したであろうから年齢が2歳オーバーしていることはやはり融通を利かせたのだろうかと思ったがそこはまあ言ってみれば誤差の範囲内というものなのであろう。

(中途採用ともなれば面接だけで筆記試験がないのはなんだか拍子抜けするな)

全ての企業がそうではないだろうが採用する側でも新卒と違って他社で働いた経験のある人間は即戦力と考えているから筆記試験というスケールをあてがう必要がない。その代わりに面接で応募してきた人間をじっくりと見定めて自社で使える人材かどうかを判断するスケールをあてがう。ある意味、新卒で面接に臨むのとは違う性質の重圧が掛かる。そして不採用となればダメージも相当に大きいのではないか。博之に要らぬプレッシャーがのしかかって来た。こんな時こそ身近な転職の先輩である緒方に助言を求めるのが得策かと思ったが緒方は在職したまま他社の面接を受けるといういわば保険付きの転職活動だった。博之にはそうした保険のようなものはない。

(ええい、なるようにしかならないんだ。逆に考えれば俺はフリーなんだから別に今回は不採用になってもすぐに次の行動を起こすことは容易なんだ。まずは面接日前にアパートに引っ越してしまおう。すぐに取り掛かるとするか)

博之はぐらついた精神状態を立て直すためにはいつまでも慣らし運転のような状態で実家に居続けるわけにはいかないと考えた。とりあえず必要な物を放り投げるように庭へ広げているところへ父親が犬の散歩から帰って来た。博之が大学を卒業した年に親戚から譲り受けたオスの柴犬だが仔犬の時はコロコロした体型だったからそのままコロと名付けた。一番なついているのは父親であるが博之も帰省するたびに相手をしていたので散歩用のリードを解くと博之めがけて一目散に尻尾を振りながらじゃれついて来た。

 「ヨシヨシ、俺はまた居なくなるけども時々遊びに来るからな」

 博之はコロの頭を撫でながら父親に軽トラックを貸してくれないかと頼み出た。父親は急にどうしたのだと戸惑いの表情を浮かべたが博之が外に運び出した荷物を見て事情が分かったようだ。

 「そうか、やっと引っ越す気になったんだな。いいぜ好きに使いな」

 「M食品から面接日の連絡が来たんだよ。来週の金曜日なんだがそれまでに引っ越しを済ませたい。一人でいろいろ考える時間も欲しいしさ」

 「そりゃ何よりだ。どういう結果になろうとも当たって砕けろだ。ダメ元で行け、何度も言うが求人なんざいくらだってある。やる気を取り戻してくれればそれでいい」

 博之は父親が去年、定年を迎えて現在は嘱託という身分で仕事に従事しているためか口は悪いものの以前よりピリピリしたところが減ったように思った。そして東京に職を求めた2つ違いの弟である博徳が結婚間近であるためかすこぶる機嫌も良い。

 (弟に先を越されたが俺は俺だ)

 引っ越し荷物を軽トラックに積み込む博之の額から大粒の汗がしたたり落ちた。重かった腰も一旦上げてしまうとあとは進行が速い。翌日には荷物の搬入だけはあらかた終了した。あとは電話を引いたり、電気、水道等の手続きが完了すれば再び単身の生活が始まる。

 必要最低限の物だけを運んだので部屋の中は生活感が全くと言っていいほどなくてまるで見張りのために用意されたアジトを思わせる殺風景さである。カーテンのない窓が否応なしにそれを物語っていた。外からは中の様子が完全に丸見えである。田舎町の男の独り暮らしと言えどさすがにこのままの状態で暮らすわけにもいくまい。昼間はまだよいとして1階の部屋では夜になれば明かりを灯すから昼間よりなお中が見えやすくなる。人間の心理としてそうした部屋はその気が無くてもつい覗いてしまうものだ。

 (仙台で使っていたカーテンはボロボロになったから捨ててしまったんだ。ホームセンターまで買いに行くとするか)

 部屋の中をぐるりと見渡すとカーテン以外にも買わないといけない物があることに気づいた。最初に目についたのはさほど使うことがないとはいえグリルの下に敷くアルミ製のシート、トイレや風呂場の清掃用具もない。次から次へ必要な物が浮かび上がるので博之は思いつくままメモを走り書きしてホームセンターへ向かった。

 (ホームセンターで買い物するなんて滅多になかったから何がどこにあるのかさっぱり分からない。正直面倒なもんだな)

 ぼやきながら店内を回っているうちにカートが山のように膨れ上がってしまった。こぼれ落ちそうな商品を積み直そうと別のカートに移し替えていると不意に背後から肩を叩かれた。

 「よう、笹山じゃないか久しぶりだな。何をそんなに買い込んでるんだ。あれお前、東京だか仙台に居るんじゃなかったっけ」

 肩を叩いたのは同級生の原田だった。高校を卒業と同時にけせもい市内の会社に就職したと記憶している。博之は隠す必要もあるまいとけせもい市に戻ったことを話した。

 「ちょっと前まで仙台にいた。こっちではまだ仕事してないが来週に面接を受ける予定だ。お前はずっと同じ職場にいるのか、それと俺は実家には住まずにアパート借りたんだ。だからほれこの通り生活用品の買い出しさ、お前そのたくさんの紙オムツは・・・・・そうか考えることねえよな子供の物に決まっている。しっかりパパやってんじゃないか」

 「そうだよ。紙オムツなんて消耗品だからな、いくらでも安いのを買わんといかん。だから常に特売品狙いさ、お前は嫁さんはまだか。まあ子供を持てば分かる。毎週のように特売品チラシとにらめっこだ。とにかく一人でも同級生が地元に戻って来るのはいいことだ。飲み会やる時は声をかけるからよ。まず面接頑張れや、それじゃあな」

 「ああ分かった。あと少しで年祝いだしな。その予行演習と行くか」

 博之は原田にそう言ったもののため息が漏れた。地元に戻れば同級生はかなり居るからこのような形でバッタリと会うケースは今後もあるだろう。今しがた言葉を交わした原田はさほど親しかったわけではないが中学、高校が一緒だったので何度か遊んだことがある。博之は今回の帰郷の事は地元在住の同級生には敢えて誰にも知らせていなかった。由里子が健在であったならば大手を振ってあちこちに顔出ししていたのだろうが全く正反対のお忍びを思わす帰郷となってしまった。

 「原田のヤツ俺が帰って来たことを言いふらすだろうな。それでいい。いずれ知れ渡ることだからな)

 博之の同級生は独身者と既婚者の割合は現時点では独身者が上回っている。好き勝手出来る連中が多いから集まる機会もけっこうあるだろう。さっきは年祝いの予行演習などと思わず口にしてしまったが実際に飲み会に誘われたら果たして乗り気になれるだろうか。同級生との思いがけない再会で心中が再び揺れ動いた。

 (子供の話なんかされてもなあ。しかし原田は事情を知らないのだから仕方ない。やはり仕事だよ。仕事さえ再開すれば生活にも張りが出て来るだろうからちょっとしたことで気持ちが乱れることも無くなるはずだ)

 ホームセンターからの帰り道にパチンコ店の看板が目に留まった。原田と話してかき乱された気持ちをリセットするために立ち寄ろうとしたが手持ちの金は軍資金として心細過ぎる。これでは勝負にすらならないとすっぱりと諦めてスーパーで晩飯だけ買っておとなしく部屋に帰ることにした。

 (カーテンの取りつけとかやることはあるんだ)

 レイアウトを始めてみるとことのほか面白い。仙台でS製菓に入社した時にはそうした作業に取り組むのが面倒で由里子の手を借りたものだった。

 (なんだ。やる気になれば一人でもやれるではないか)

 トイレに芳香剤を置いたりカレンダーを掛けただけで殺風景さはけっこう解消されたような気がする。最後に由里子の写真を仙台で使っていた小振りなサイドボードの端っこに立て掛けた。真ん中に置かないのは徐々に彼女の記憶を心の屋根裏部屋へ仕舞い込んで新しい世界に溶け込むのだという意志を明確化したいがためであった。

 ひとしきり作業を終えて汗を拭うと天井の木目が視界に入った。それを眺めていると目眩を起こしそうになったので窓側に視線をずらすと西日が差し込んでいた。畳の縁に当たる光を指でなぞっていると面接のことが頭に浮かんだ。

 (よし、一人二役でシミュレーションでもしてみるか)

 博之は立ち上がると大きく背伸びをした。

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