34.スネグーラチカ
「にゅくしゅさん!」
ツイッギーの悲鳴が響く。
力なく倒れていた竜の首が突如持ち上がり、商人のほうへ襲い掛かった。
つーか、頭蓋骨が半分えぐれてんのに!
動けんのかよ!
さすがは竜ってとこか。
なんて感心している場合じゃない。
商人のおっさんは驚いた拍子に尻餅をついたようだが、おかげで危機一髪、死の鎌の一撃は免れたようだ。
だが、依然おっさんへの危機は去っていなかった。
ツイッギーが矢を装填するまでも待てない。
こっちに注意を引きつけたくとも、【のぼり旗】はストレージの中だ。
俺は唯一身に着けていた〈神殿の守り〉を握りしめ、祈った。
「聞こえるか、スネグーラチカ! 頼む、返事をしてくれ!」
ブレードリードラゴは深々と地面に突き刺さったひたいの刃を引き抜き、再び鎌首をもたげる。
さすがにさっきのようには動けないのか、竜は多少ふらついていた。
俺は祈り、返事を待つ。
と、
『ほいほ~い。あなたが私のあるじ様ね?』
やや気の抜けた愛らしい声が、俺の脳裏に響いた。
「挨拶はいい! 竜にトドメを! 急いで!」
『りょうか~い! まっかしといて!』
この声の主はスネグーラチカ。
サンタクロースの娘とも言われる、姿の見えぬこの少女は、実はある魔法の一部だ。
「わわっ、なんれすかぁ、この子ぉ!?」
瞬間、凄まじい冷気が地表を覆いつくした。
大気中の水分が凝固氷結し、氷の美女が姿を現す。
〈絶級複式氷雪魔法〉
初めから透明さんが覚えていた【理念魔術】の中でも、最高位の魔法だ。
当然、レベル1で覚えるような魔法ではないが、魔法を使用するとスネグーラチカが現れて、戦闘背景が一瞬氷の世界に代わるというエフェクトを確認するために、透明さんに覚えさせていたものだ。
『じゃ、死んでもらうねぇ~』
まばたきの間に氷の大地と化した地表から、数百万、いや数千万もの氷の針が一斉に湧き上がった。
針の奔流はうねり、ねじれ、渦を巻き、やがて一つの形を成す。
この魔法のキャプションにはこうある。
『氷雪を司る人造幻獣【スネグーラチカ】の力を借りて、敵グループに冷気属性の極大ダメージを与える。(ターン内先制)』
と。
ブレードリードラゴは無属性竜、ということはどの属性の魔法でも軽減されることなく、一定のダメージを与えられるということだ。
ギャオアアアア……
と、意外なほどかん高い、ドラゴンの断末魔がこだました。
数千万もの氷の針は神々しき東洋竜の姿を模し、ドラゴンの全身を刺し貫いて、食い荒らしていく。
飛び上がり、くねり、メビウスの輪のように無限の輪を描き、氷の竜が何度も何度もブレードリードラゴの全身を食い荒らす。
その傷口は一瞬で凍結され、一滴の血も流れない。
今度こそ、ブレードリードラゴは永遠に沈黙した。
「ありがとう。もういいよ、スネグーラチカ。【理念魔術】最高位とはいえ、これほどまでとは……今の俺でもMPをほとんどもっていかれるぐらい消費MPがシャレにならないから、乱発は出来ないけど、今回みたいに充分削り切った後ならフィニッシャーとしてかなり優秀だな」
『こちらこそ、呼んでくれてありがと~! よろしくね、あるじ様』
その時、脳裏に『ぽんっ!』という効果音が響いた。
[【習熟度】〈理念魔術(氷雪)〉が9に上がった!]
だそうだ。
「にゅ、にゅくしゅさん? その子、おともらちれすか? 何一人で喋ってんすか?」
恐る恐ると言った感じでツイッギーが声をかけてきた。
まずい。
スネグーラチカの声は俺にしか聞こえないのか。
設定的には、スネグーラチカは〈人造霊〉または〈人造幻獣〉と呼ばれる霊体である。
普段は術者の脳内に二重人格のように憑依、存在し、ある特定の絶級魔法を使う時にだけ、補助脳として術の構築を助けるのだ。
スネグーラチカは術の最速構築に適した〈人造幻獣〉なのである。
「え、ええと、これにはワケがあって……」
別に悪いことをしたわけでもないのに、つい浮気がバレた旦那みたいな言い訳をしてしまう。
(聞こえる? スネグーラチカ。多分、ツイッギーは魔法には詳しくないから、君が俺の魔法を補助する人造霊だとは気づいていないはず。通りがかりの氷の魔物的な雰囲気を出して適当に誤魔化してくれないかなぁ?)
『……ニュクスさぁ。多分、バレると思うよぉ?』
(大丈夫、大丈夫。バレないって。じゃ、何も言わずに消えるのでもいいよ)
『いいじゃん。仲間なんでしょ? 話しちゃえばいいじゃん。私はあなたの脳内に存在しているから、あんまり目立ちたくないっていうあなたの思いも、なんとなく感じ取れるけどさ』
(まだ正式なパーティーじゃないんだよ。今はとりあえずさ)
脳内でそんな会議を繰り広げる俺である。
急に押し黙った俺を、ツイッギーが不審なものでも見るようにしていた。
(……ちょっと気になったんだけど、スネグーラチカが憑依してるってことは、もしかして、スキルを装備してなくても〈絶級複式氷雪魔法〉が使えたりする?)
『ん~ん、だめ。スキルって半分は神の加護だもの。スキルを覚えているだけじゃ使えないよ。だから、慣れてない初めてのスキルでも、スキルの名前を言っただけで発動するでしょ? 発動に慣れてきたら名前はいらなくなるけど、装備はしないとだめ』
なるほど。
スキル装備なしで使用できれば非常用にめちゃくちゃ心強いと思ったのに。
今回はブレードリードラゴがふらついていたのと、【アウゴエイデス】しか装備していなかったおかげでスキルの付け替えが間に合ったけど、戦いの最中にいちいちスキルを付け替えなんてしていられないもんな。
イメージ修行によるスキルの付け替えをしている様子もなく、いきなり別のスキルを装備したなんてことがバレたら面倒だから、やっぱりスネグーラチカには秘密を守ってもらわないと。
(というわけだから。お願い)
『もー! しょーがないなぁ~。じゃ、私はあるじ様の中で眠るとするわね。話し相手が欲しい時はいつでも呼んでね』
俺の脳内にそんな言葉を残し、現実世界に現れていた氷の美女は消えた。
ツイッギーはまだぽかんと口を開けている。
「な、なんらったんれすかねぇ? 魔物? 氷の魔物っすか?」
「それより。商人のおっさんが無事か確認しないと」
「ほわぁ~! そそそそ、そうれした!」
商人のおっさんは、パンクラツがラージャ教主国軍に襲われると言っていた。
急ぎ、詳しい状況を確認しないと。
* * * * *
ツイッギーがブレードリードラゴの遺体に向けてステータス画面を操作すると、小山のようだった竜の体は光となって消えた。
後には死神の鎌のような巨大な刃が一本残っている。
おそらくあれは、【竜の刃】というドロップアイテムだろう。
「なるほど。じゃ、ラージャ教主国軍は、パンクラツから40キリメルチあたりの場所で野営をしていたわけですね? どのぐらいの数がいたか、見えましたか?」
「そ、そんな、おっかなくてそんなに近くまで近寄れねぇよ。遠巻きに眺めただけだが、ざっと二万ぐらいはいたんじゃねぇかな?」
俺は商人のおっさんへの聞き取りを続けていた。
想定以上に、敵の動きが早い。
……というか、ラージャのやつらだって俺が作った子供みたいなもんだけどさ。
だから、『敵』と言ってしまうのも少し申し訳ない気がするんだが……、パンクラツには、エマがいる。
ラージャが侵攻すれば、エマの身に危険が及ぶ。
「大丈夫かな、エマ……」
ふと、エマとおでこをつけて話した時のことが思い出され、俺は慌てて妄想をかき消した。
「なぁ~に赤くなってんすか。にゅくしゅさん」
「え?! 赤くなってた!? い、いや。なってないよ。別に」
だって、あの子は俺にとっては娘みたいなもんだもん。
やましい気持ちなんてあるわけない。
「しかし、二万か。パンクラツの人口は三万ほどだけど、文明レベルから言って人口ピラミッドは子供が多い山型だよな。ドリューやミネルバ婆さんや農家のおっちゃんみたいな非戦闘員もいるし、町一つを虐殺するには十分すぎる兵数だ」
「おいらの住んでいた村のすぐ近くでラージャの軍を見て、丸二日馬を走らせて逃げてきたからな。もしかしたらもうおいらの村は、やつらに食料をまるまる奪われ、食いつくされているかも知れねぇ。女たちだって、兵士の慰み者に……」
「いや、おそらく、今回の侵攻はもっと高度に統率された部隊による一大作戦だと思います。戦場でのそう言った鬼畜行為は抑制されていると思いますが……確実なことは言えません。すみません」
おっさんがパンクラツから40キロの地点で二万の大軍を見たというのが二日前。
大軍だから行軍はゆっくりだろうけど、もしかしたら、もうすでに開戦しているかも知れない。
これだけ動きが早いとなると、俺たちがパンクラツを出た頃にはすでに、ラージャ軍はマダレーナ王国の領域を侵していたはずだが……、パンクラツの人たちは誰も気づいていなかった。
その辺りも気にかかるが。
「おっさん。俺たち、この先の湖に、古代遺跡を見つけたんだ。調べた限り、魔物の心配はないから、そこで休んでいくといい。俺たちはパンクラツまで、その遺跡に逃げ込むよう説得に行く」
「は、はぁ!? そんな、三万人が住める遺跡なんて……」
「大丈夫。見れば分かる。ただし、丘の上の神殿には近づかないで。まだ探索が終わっていないから、危険かもしれない」
なんつって。
丘の上にはタビーたちがいる。
今まさに戦場と化そうとしている場所に、タビーを連れて行くわけにはいかない。
かといって、おっさんと二人きりにするのも保護者としては避けたいところだ。
オフィーリアもいるから、よっぽどのことがない限りは無事だと思うが……。
「お、お、おめぇら。達者でな! 死ぬんじゃねぇぞ!」
そう言って別れた後、おっさんの目を盗み、〈空飛ぶ四畳半〉で先に遺跡に戻った。
タビーにオフィーリアと二人で留守番するように言い聞かせ、数週間分の保存食を持たせる。
「行くぞ。パンクラツへ」
俺はツイッギーとともに、パンクラツの町へと飛んだ。