14.タビー・スミス
異世界生活三日目。
朝起きたら、防犯のために設置していた『恐ろしい気配がする。引き返した方がいいだろう』パネルのあたりに、タビーちゃん(猫耳少女)がうずくまっていた。
「えっ、ちょっとどうしたの!?」
俺が声をかけると、タビーちゃんは俺のほうに走ってこようとして――、急に何かに怯えたように足を止めた。
なるほど、あのパネルのおかげでこっちに来れないのか。
実際にはどういう効果があるのかと思っていたけど、すごく怖がっている様子だ。
可哀相に。
「ちょっと待って! 今解除するから」
素早く〈データベース〉を操作。
防犯用のイベントパネルを消去する。
すると、タビーちゃんは急に安心したような表情になって俺のほうに飛びついてきた。
「チィッ!?」
危険を察知したオフィーリアが反射的に飛びすさる。
「えっ、体すごい冷たいじゃん。もしかして、一晩中ここにいたの!?」
「……お、おにぃちゃんのにおいが、したから」
一般的に、鼻が利くとされている犬の影に隠れがちな猫だが、猫はネコ目ネコ科、犬はネコ目イヌ科の動物なので、祖先は同じだ。
猫だって、人間と比べれば数十万倍は鼻が利く。
リンクス公国の獣人はどの程度鼻が利くのかは設定していないが、人間よりは鼻が利くという描写をしたのは覚えている。
猫系獣人のタビーちゃんはその鼻で、俺のにおいを嗅ぎ当てたのだろう。
「とにかく中へ入って。お風呂沸かしてあげるから。あと、〈コーンスープ〉があるから、こっちおいで!」
タビーちゃんの手を引いて、来た道を引き返した。
この世界で、季節は今は春先だろうか?
パンクラツの町はワールドマップでは北半分、日本でいう北海道と同じくらいの緯度だ。もし、一晩中外にいたのだとしたら、こんな小さい子ならすぐ凍えてしまうだろう。
「緯度と言えば、エタクリの地図作るの、結構大変だったよなぁ」
変なところで変なことを思い出す。
「はっ! ……っと、いかんいかん。単純作業中は思考があらぬ方向へ進むのは創作系オタクの悪い癖だな」
思考があらぬ方向に進んでいる間にタビーちゃんの服を手際よく脱がせ、ヒートショック防止に〈白獅子の盾〉で水を足し、お湯を少しぬるくした。
足から順番にかけ湯をしてやり、少し体温が戻ってきたところで湯に入れてやる。
だが、これらの作業中に服が濡れてしまい、気持ちが悪い。
「俺も入るか」
「チィッ!」
素早く衣類を脱いで湯船につかると、俺の頭にオフィーリアが跳び乗った。
三人(二人と一匹)同じ方向を向いて湯船につかる。
や~、極楽極楽。
朝風呂もたまにはいいもんだ。
「ちゃんと温まるまで、少しの間じっとしててね。どのくらいあそこにいたのか分からないけど、ずっと外で寒かったでしょ」
「うん……。でも、これがあったから」
そう言って、タビーちゃんが手の中に握りしめていたものを見せてくれた。
「えっ、これ、〈温熱石〉じゃん。どうしたの?!」
それは、俺が昨日、風呂に入りたいがためだけに作った、本来のエタクリにはないアイテムだった。
今、この風呂の中に一つしかないはずだが……なぜかタビーちゃんが持っているものと二つ存在している。
「おうちのちかくで、ひろった」
その言葉に、ピンときた。
もしかすると、〈データベース〉で新たに作ったアイテムは、世界にくまなく分布してしまうのではないだろうか?
レアアイテムにしたい場合は、キャプションに書いておくべきだったか。
データベースを操作し、〈温熱石〉のキャプションを開く。
キャプションを書き換えようとしたら、警告が出た。
「なになに。『すでに世界に存在しているアイテム全体に効果を及ぼす変更を加える場合、大量のポイントを消費します。実行しますか』だって?」
「……おにぃちゃん?」
「あ、いや、なんでもない。こっちの話」
なるほど。
これは俺がうかつだった。
世界に新たに何かを付け加えることはたやすいが、一度世界に分布してしまったものを変更するには大量のポイントが必要になる。
考えてみれば当たり前の話だ。
値段も適当に5トネルに設定したのがいけなかった。
インテリアアイテムだし、いずれは売ることも考えて3千トネルに設定した〈白獅子の盾〉までもが、まさか道端に転がってはいないだろうと思いたい。
うーん、となると悩みどころだな。
もしかして、既に存在するモンスターを、バランス調整のために弱体化したりするのにも大量のポイントを消費するのだろうか。
そう思って再度〈データベース〉を開いたら、そもそもモンスターのステータスを変更すること自体が出来なかった。
「どういうことだ?」
いくつか考えられる可能性はあるが……。
と、ここで、あることに気づく。
「そういや、何度もマップを開いているけど、何か足りないと思ったら……NPCが表示されていないのか」
すでに、キャラクターたちは意志を持ち、一つの命として存在している。
〈データベース〉は死んだ人間だけでなく、生きた人間やモンスターにも干渉できないということなのだろう。
「こうなってくると、割とできることは限られてくるな……本気でエタクリを完成させるつもりなら、ポイントは計画的に使わないと」
もっとも、ただ好きに生きるだけならいくらでも抜け道は存在するけどね。
なんたって、女神から『世界を滅ぼそうが自由』とお墨付きももらっているし。
「あの……ね、おにいちゃん。リチャードおじちゃんが死んだってきいて、すっごくかなしかったの。でも、おにいちゃんがきてくれた」
俺が今後のことに思いをはせていると、タビーちゃんがポツリポツリと話し始めた。
「さっき、おにぃちゃんのおうちはここだってわかってたのに、入るのがすごくこわくて、入れなかったの。でも、おにぃちゃんのかおをみたら、すっごく安心したの」
村人Aはプレイヤーにわざとリチャードと誤認させるよう、似た顔だちになっているから、リチャードを失ったタビーちゃんが俺を慕うのも頷ける。
というか、俺の顔を見て安心したのは多分、俺がちょうどそのタイミングで防犯パネルを撤去したからなんだけどな(汗)
タビーちゃんが体を回し、うるんだ目で俺をあおぎ見た。
「おにぃちゃん、わたし……」
「そっか……。じゃ、これからは俺を、リチャードおじさんと思っていいよ!」
すがるような目をするタビーちゃんの頭をくしゃくしゃっと撫でた。
リチャードのやつ、この子の成長をもう少し見届けたかっただろうな。
あいつがやり残したこと、一つぐらいは引き受けてやるか。
そうしたら、なぜか、タビーちゃんは驚いたような顔をした後、急にふてくされたように頬を膨らませた。
「むぅ~」
あれ? なんか俺、マズったか?
「さ、さぁ。そろそろ出ないとのぼせるね。体をよぉ~く拭いたら、〈コーンスープ〉で温まろう。お日様がもう少し出て暖かくなったら、今日はケダルの酒場に行かないと。傭兵として依頼を受けてみたいんだ」
透明さんの低ステを補うため、なるべく低レベルのうちにスキルの習熟度を上げておかなくてはならない。
そのために、いくつか受けておきたい依頼がある。
依頼の発生条件として、まず傭兵としてのランクを上げる必要があった。
俺はタビーちゃんを抱き上げて、湯船を後にした。