01.転生させてください!
「女神でございま~す!」
俺の目の前で『豪奢』という単語がしっくりくる金髪の美人が、日曜夕方の国民的アニメのようなセリフを口にしつつ、優雅に両手を広げた。
「……女神様ですか?」
「あら? 反応鈍いですね。せっかくこんな美人が出迎えてあげましたのに」
女神と名乗った金髪美人は途端にむすっとふてくされる。
「その女神様が、何のご用です?」
ちらっと金髪美人の後ろに目をやると、雲の上のような青空が広がり、白色の光が辺りを満たしている。
少し行った先には荘厳な神殿のようなものが見えた。
(これは……あれかな?)
もしかしなくても、あれだろう。
例の。
そろそろ定番になりつつある。
流行りが終わる前に、ぎりぎり乗り遅れずに済んだか?
「絵日記さん……本名・佐々木聡さん。驚かないで聞いてくださいね。アラサー契約社員だったあなたは悪夢の40連勤を終えた翌日から、あろうことか一睡もせずフリーゲーム制作に没頭し、心不全でお亡くなりになりました」
「あ、はい。そうだろうとは思っていました」
フリーゲーム制作。
俺の唯一の趣味と言っていい。
プログラムが出来なくてもRPGが作れる……と謳っているフリーゲーム制作ツール『RPGツクレール』との付き合いは、近所に住む叔父の持っていた据え置き機バージョンから数えて、もうかれこれ20年近くなる。
ちなみに、絵日記とはいつかゲームを公開する日が来たら使おうと思っていた俺のハンドルネーム。
まだ完成してないのに『絵日記's』というロゴまである。
某有名メーカーっぽく「エニッキス」と読んで頂きたい。
「まぁ、ツクレール中に死んだなら本望です。結局、一本も完成させられなかったことだけは心残りですけど」
「ってか、あなた、結構肝が据わってますね。普通、死んだと聞かされたら、もっと慌てふためくと思うんですが」
女神が感心したように言った。
まぁ、これから起こる展開は予測がついているし。
だから、俺は落ち着き払って聞いた。
「それで……、どんなチートをもらえるんですか?」
しかし。
「は? チート?」
女神の反応は鈍い。
おや? と思った。
これはいわゆる、例のやつではないのか?
「異世界転生、させてくれるんじゃないんですか?」
「え、なんで?」
……雲行きが怪しくなってきたぞ。
「ええと、今流行ってないですか? 異世界転生。俺はてっきり、異世界転生させてもらって、チートスキルをもらえるんだと思ったんですけど」
「はぁ。何のことか良く分かりませんが……。別に、流行ってないですよ? 皆さん死んだら、その魂は天界にある魂のプールに突っこまれて、かき混ぜられて、漂白されて、それで終わりですけど。そこから私たち女神が新たな魂に必要な分を掬って、こねて、送り出しています。それを転生と言えないこともないですが」
「ええ、だって……、流行り……」
俺が呆然と呟くと、女神は何かに気づいたように手を打った。
「あ、あ、あー! もしかして、地球上のごく一部の国の、ごく一部の層に好まれている物語の傾向のことを言ってます? ……そんな、人間の細かい趣向の移り変わりを神が気にしているわけないじゃないですかぁ~。あなたたち、つい400年前までは人を多く殺した方が正義だったの覚えてます? つい30年前のバブル期と比べても、ファッションから何からだいぶ違いますよね。十年かそこらで変わるあなた方の価値観に、神がいちいち付き合っていられませんよぉ~」
女神は楽しそうにけらけら笑っている。
一方、俺の脳裏には急速に暗雲が立ちこめ始めていた。
「じゃ、じゃあ、もしかして、しないんですか? 異世界転生」
「しませんしません。そんなめんどくさいこと。異世界なんて、管轄違いますし。それに、あなたの言う転生ってあれでしょう? 今の記憶を保持したままってことでしょう? そんなの、人間のあなたに分かりやすく言うと、手にくんだ水をこぼさないように、山を越えて隣の町に行くぐらいのめんどくささですよ。女神だから、不可能じゃないですけど」
転生できない……そう言われて、急に死ぬことが恐ろしくなってきた。
「な、なら! なら、なんで、俺の前に現れたんですか?」
「それがですねぇ。なんと! あなた、私が実習で初めてこねた魂だったんですよねぇ。今や魂ちねりは伝統工芸なんで、選択科目なんですけど。ちょうど休み時間中に死んだみたいだったので、せっかくだから心残りぐらいは聞いてあげて、叶えられる望みなら叶えてあげようかと思いまして。慈悲ですよ、慈悲。……あ、異世界転生はダメですよ?」
と、俺が「いせ」というより早く、女神に先手を打たれる。
「何かないですか? 心残り」
「いせ」
「ダメです」
「か」
「諦めてください」
「い」
「次に言ったら、この話はなかったことになります」
俺はうなだれた。
「異世界転生以外で、何かあったら言ってください」
これだけ言われたら、もう諦めて死を受け入れるしかない。
となると、心残りなどただ一つ。
俺が五年の歳月をかけて作り続け、それでも完成しなかった、あのゲームだ。
『エターナル・クリエイション』
ツクレールのシステムを改造し、スキルやアイテムなどにも、デフォルトではあり得ないような多様な機能を実装している。
後はいくつかの町やダンジョンを作れば完成だったのだ。
「じゃあ……。俺が死ぬ時に作っていたゲーム。あれ、完成させることは出来ませんか。あれが世に出ることなく死んでいくなんて、死んでも死に切れません」
「ゲーム?」
「はい。いつか誰かに遊んでもらうために、金にもならん趣味に没頭して、こつこつ作り続けてきたんです。誰かに遊んでもらって、楽しんでもらう姿を見ることが出来たら、心置きなく成仏できます」
「まぁ、未練があろうがなかろうが、魂のプールで漂白されたら、その時点で強制成仏ですけどね。では、ちょっと覗いてみますか」
そう言うと、女神は俺の額におでこを当てた。
「ははぁ、なるほど。でも、これ、難しいですよね。……だって、未完成のゲームの続き、あなたの頭の中にすら無いんですもん。すでに頭の中では出来上がっているのなら、その記憶を誰か別の人に植えつけることは出来るでしょうけど。あなたが考えて作らないと、意味がないものじゃないですか?」
「そう……ですね、確かに」
女神の言う通りだ。
続きを誰か別の人に考えてもらうことも出来るが、それではもう俺の作品とは言えない。
「世界中のみんなが今よりちょっとだけ優しくなれますように、とか、そういう願いなら今すぐ叶えてあげられるんですけど」
「それって、ほぼ何もしないのと同義じゃないですか!」
異世界転生もダメ。
ゲームの続きもダメ。
そうなると、もう何も望みなんて残っていない。
趣味にかまけて大した人間関係を作ってこなかったことが、死んだ今になって悔やまれる。
普通の大人なら、こんな時、家族や友人のことを頼むのだろうか。
「あ……でも、ちょっと待ってください。世界の成り立ちとか、神話とか、結構作りこんであるんですね」
「ええ、まぁ」
と、女神がおでこをくっつけたまま、うんうん考え込みはじめた。
「なるほど……。ところで、さっき異世界転生したいって言ってましたよね」
「はい?」
「それで、ゲームの続きも完成させたいと」
「そうですけど」
「実は私、前の千年紀、創世の単位落としちゃったんですよね」
「何の話ですか?」
話が見えない。だが、女神は困惑する俺にお構いなしに続ける。
「創世の力は問題ないんですけど、コンセプトって言うんですか? 世界の成り立ちとか、そういうのを考えるセンスが壊滅的だそうでして」
女神がそう言った瞬間、俺の体(いや、魂?)は何もない空中に放り出された。
「あなたの作った神話、お借りしますね。代わりに、サービスであなたの言ってた異世界チート転生ってのを、させてあげます」
「な、な!」
「もう二度と会うことはないでしょうし、こちらから干渉することは今後一切ありませんので、ご心配なく。お望みなら、ゲームを完成させようが世界を滅ぼそうが、好きにやっちゃってください。それでは――、良き来世を!」
遠くで、女神の声が聞こえた気がする。
眼下では、海と大地が分かれ、植物が生い茂り始めた。
早回しのように何億回もの昼と夜が繰り返され、動物が生まれ、人々が生まれ、文明が築かれ、滅び、また新たな文明が生まれ――、
そして――、目が覚めた!