魔物
洞窟に足を踏み入れると、明らかに体感温度が変わったように思えた。湿度もかなり高い。出来ることなら早く出たいが、そういうわけにもいかない。
天井はかなり高く、幅もあって広々としている。暗闇が続いてはいるが、夜である以上外にいても状況は変わらないので良しとしよう。
俺は炎の玉を身体の周囲に浮かべ、辺りを照らした。メサに対しても同じように炎の玉を施した。
「便利」
「魔法ってのは本来こういう使い方をするんだぞ」
魔法というのは、最初は人々の生活を便利にするために開発されたという。しかしそれが時を経ていつからか争いのための常套手段となってしまっていた。
遙か古くの歴史だから、本当かどうかは定かでは無いが、疑いようのない歴史であるのは確かだ。
すっかり明るく照らされているため、進みやすかった。俺一人なら、暗闇の中でも進めないことはないが、メサも付いてきているとなると話は別だ。
魔物の存在は魔眼で見れば一発で分かるし、最悪気配だけでもなんとかなる。
そうこうしてるうちに、早速目の前に三体のゴブリンが現れた。意志を持たない魔物だ。
「よし、メサ。魔物と戦ったことはあるな?」
「うん」
「やってみろ」
俺は一歩二歩後退する。メサがゴブリン程度に苦戦するはずは無いが、念のためにあまり離れすぎないように考慮した。メサは短剣を抜く。
ゴブリン達が攻撃を仕掛けてくる前に、メサは飛びかかった。一体、二体、三体…間髪を入れずに次々となぎ倒していくと、一瞬にしてゴブリンは消え去った。
魔物は死ぬと黒い霧となって消滅する。その場には魔石と呼ばれる紫色の石だけが残る。これを換金して報酬を得るのが、いわゆる冒険者という職業だ。
魔石は大きさや質によって種類が様々らしく、当然強力な魔物は高価な魔石を残す。
しかし、メサは魔石には一切目もくれなかった。
「魔石はいいのか?金になるぞ」
「どうせ大した額にならない」
「ははっ、メサらしいな」
俺たちはそのままズンズン先へ進んだ。途中コボルトにも遭遇したが、コボルトはゴブリンと大差ない。メサは問題なく討伐をしていた。無論、魔石は全てスルーだ。
「ノイル」
メサに呼ばれて近寄ると、メサはしゃがみ込み、地面を指さした。メサが指さす箇所からは、赤い蒸気が僅かに噴き出していた。
「触らない方がいいぞ~」
「これなに?」
「それは魔障と呼ばれてな。いわゆる濃度の高い魔力の溜まり場だ。これがあるってことは、近くに相応の魔力を持ったなにかがいるってことだ」
よく見ると所々に魔障は見られた。例の異質な魔力を持つ魔物に近づいている証拠だろう。
魔障発見地帯から少し進むと、すぐに異変があらわになった。
「ゴアァァッ!」
突然、ゴブリンが襲いかかってきたのだ。少し距離があるものだと思っていたが、猛スピードで近寄ってきた。それは明らかにゴブリンのスピードでは無い。
「ノイル、こいつ…」
ゴブリンはメサに攻撃を仕掛ける。その攻撃速度は並のゴブリンとは比べものにならない。メサは攻撃を防いだり躱したりするのがやっとだった。
俺は周囲の炎の玉を一つ手に纏い、そのままゴブリンの頭を握った。ゴブリンは頭から身体全体に掛けて燃え上がり、黒い霧となった。
残された魔石は、真っ二つに割れていた。
「なるほど」
「今の、ただのゴブリンじゃない」
「ああ。…これは俺の時代にもあったことだ。ゴブリンは元々弱小の魔物だ。弱い魔物は強い魔力に触発されて暴走することがよくあるんだ。今みたいにな」
普通の動物の世界であれば、弱いものは強いものに喰われる。弱肉強食の世界であり、食物連鎖があって生態系が成り立つという構図がある。
しかし魔物の場合は、無論食物連鎖の関係が存在しないわけでは無いが、弱い魔物と強い魔物が共存することで弱い魔物は強力な魔力に充てられ、先ほどのゴブリンのように暴走することがある。
これは食物連鎖とは言いがたい現象だ。だから普通の動物と違って魔物の生態系は複雑かつ予測不可能な点があるのだ。
「例のヤツは近いぞ」
すると、先の方から次々とゴブリンとコボルトが襲いかかってきた。揃いも揃って魔力に充てられてやがる。
「メサ、下がってろ」
俺が言うとメサは一瞬躊躇ったが、俺の目を見て下がった。
俺は手を前に掲げる。本来であれば杖を使いたいところだが、今は杖は無い。この洞窟にいる魔物程度なら、杖など必要ないがな。
俺の手からは龍の形をした魔力の塊が次々と飛び出し、ゴブリンやコボルトを襲った。首をもいだり、腹を貫いたりと、ゴブリンやコボルト共は次々と霧と化していく。
「メサ、分かってるぞ。お前も戦いたいんだろ?」
俺は一匹だけゴブリンを残した。無論そのゴブリンも絶賛暴走中だ。
「あいつを倒してみな」
メサはゴブリンに肉薄した。先ほどはゴブリンに先手を取られていたメサだが、それを踏まえて今度は自らが先手を打ったのだ。さすがの戦闘センスだ。
弱い魔物ほど暴走すると知能を失う特徴があるため、メサの攻撃一つ一つを見切って躱したりするようなことはできない。まあ、ゴブリン程度の魔物なら大差ないが。
メサの素早い攻撃に、ゴブリンは為す術無く切り刻まれ、霧と化した。その場には割れた魔石だけが残る。
「暴走した魔物の残す魔石は砕けてることが多い。魔石は魔物の魔力の根源。暴走するってことはその根源がおかしくなることを意味するからな」
その時だった。洞窟の奥からけたたましい叫び声が聞こえた。人間の声では無い、恐らく魔物だろう。
俺の知らない魔物の可能性が高い。油断は禁物…ということで、俺は炎の玉の数を増やし、それを洞窟中に鏤めた。洞窟はすっかり明るく照らされる。
炎の玉に照らされて、魔物が姿を現した。
それは、人の形をした魔物だった。しっかりと服も着ているようだ。
「初めて見るな」
やはり初見だ。文献でも見たことが無い。
そもそも人型の魔物など初めてだ。あれは本当に魔物か?
「お前は、魔物か?」
「ギィィィィィィ!!」
聞いたことも無い奇声だ。さすがのメサもこの声に眉を動かす。耳障りだ。
「ノイル…こいつ、強そう」
「どうだかな。ゴブリンを暴走させる魔物くらい腐るほどいるからな~」
次の瞬間、その魔物は俺の背後から攻撃を仕掛けてきた。俺は間一髪でそれを躱す。距離を取ろうとするが、先ほどまで立っていた場所に、まだ魔物は立っている。
俺の視界には、二体の同じ魔物がいた。
「おかしいな、外から見たときは一体だと思ったんだが」
「ギィィィィ!」
二体が一斉に近づき、鋭い爪を振り下ろす。俺はメサを抱えたまま、攻撃を躱す。
案の定、ただの爪では無いようだ。爪に触れた洞窟の壁は、酸のようなもので溶かされていた。
「速度、意外性、酸…申し分ないな」
「大丈夫なの?ノイル」
「おいおい」
俺は抱えていたメサを下ろし、魔物に背を向けてしゃがみ込んだ。そしてメサの目を見る。
「俺を誰だと思ってんの?大魔導師様だよ?」
魔物は一斉に俺の背後から襲いかかる。
それよりも早く、俺が周囲に鏤めていた幾つもの炎の玉が一斉に魔物に襲いかかった。魔物は炎に包まれ焼かれる。その間も、あの悍ましい奇声は流れたままだった。
二体のうちの一体が、黒い霧とならずに溶けるようにして消えていった。
なるほど、分身かあるいは幻術の類いか。もう一体の方が本体だったというわけだ。
魔物の本体は、死ぬ前に炎をかき消した。相当なダメージを受けているようだが、その場に立っている。
その場から炎が消えたことで、洞窟は深い闇に覆われた。
「俺の魔法を受けて死なないとは大した魔物だな」
「ギィィィ!」
誇らしそうに声を上げる。
「でも今のは攻撃でもなんでもないぞ?」
俺は魔物の背後に回り込み、首根っこを掴んだ。魔眼を使えば暗闇でも姿は捉えられる。
「攻撃ってのは、こういうことだ」
俺が魔物の首から大量の魔力を流し込むと、魔物は為す術なく膨れあがり、弾け飛んだ。肉片が飛び散ることはなく、黒い霧となって消えた。更にその場にはゴブリンとは比べものにならないくらい大きな魔石が残った。
やはりこいつは魔物だったようだ。
「…ノイル、強い」
闇の中からメサの声が聞こえる。
「なに、ちょっと俺の魔力をあげただけだ。魔力に充てられて暴走する前に弾け飛んだけどな」
得体の知れない魔物ではあったが、俺の相手ではなかった。
「さて…」
俺は再び炎の玉を鏤め、洞窟を照らす。
先ほど魔物が立っていた更に奥に人影があった。どうやらそこは洞窟の最奥のようだ。
そこには、長い金髪の女の姿があった。