勇者の存在と魔王の名
村を出て森を進んだ。
のどかで自然豊かな森だ。鹿やイノシシなんかも潜めいている。鳥のさえずりがたまに聞こえ、木漏れ日が地面をまだらに明るく染めている。ほのかな木の香りも心地良い。
ここが後に人間と魔族の争いの場に、それも頂上決戦の場になるなどと考えられなかった。時の流れというのは恐ろしいものだ。俺が今この時代にいると言うことを踏まえても。
俺は馬に跨がり操っていた。馬術の方はだいぶご無沙汰だったが、何とか乗れている。元々そんなに得意な方ではないが、普通に移動手段として利用するくらいなら出来る。
騎馬戦をしろと言われれば、まず血相変えて逃げるだろうけど。
日が暮れると馬を止め、豊富な森で狩りをして飯を食う。本当だったら俺の魔法を使えば狩りも調理も一瞬なのだが、俺は敢えてそれをしなかった。
魔族であるメサの、後に魔王の幹部にまで成り上がるミサの腕を見ておきたかったのだ。
しかし、メサは魔族らしい狩りを一切しなかった。それはむしろ人間に近い戦い方だ。腰に備え付けたナイフで切りかかり、反撃を躱しながら徐々に傷を付けて倒していく。
魔法は、人間よりも魔族の方が長けているという認識が一般的だし、それは事実だ。勿論、俺のような大魔導師様は例外となる。
しかしメサは魔法を使わなかった。
「メサは魔法が使えないのか?」
俺はメサと焚き火を囲み、肉を頬張りながら聞いた。
「使えないことはない。けど、苦手」
俺の知っているメサは、幻影魔法という魔法を使う。その特殊な魔法は、魔族の中でも群を抜いていた。大抵の敵なら、その場から一歩も動かずに仕留めることが出来たほどだ。
勿論、魔法なしでの肉弾戦も長けている。基本的に魔族は人間に総合的に勝っているということもあるが、それでもメサは特別だった。
しかしこの時代のメサは、まだその域には達していない。無論、狩りを見た感じだとかなり筋は良くセンスは抜群だ。それでもまだまだ荒削りということだ。
「…メサ。お前は気にならないのか?自分がなぜ魔王の幹部にまでなるようなことになるのか」
「気になる…。でも、ノイルが教えてくれないってことは…聞いても無駄」
分かっている。確かに、教えてと言われて簡単に教えていい話ではない。
「俺は未来から来てるからな…どうなんだろう。ここでお前に、この先のお前のことを話すことが、果たして魔族と人間の争いを未然に防ぐことに繋がるのか…」
「ノイルは…争いが嫌い?」
「嫌いさ。でも俺は勇者軍に選ばれちまった。最初は断ったが、使命だ何だと言われて半強制的に仲間入りだよ」
中には乗り気のヤツもいた。それでも、俺は勇者軍などと最初は考えたくもなかった。しかし、勇者デインを筆頭に旅をする中で、自分の使命を理解するようになっていった。
そうして、世界中に名が知れ渡るほどの大魔導師にまで成り上がった。それは俺の予てからの夢でもあったから、その時は嬉しかった。
「勇者デインには、感謝してるんだ」
「デイン…?」
「俺の時代の勇者の名前だ。後にこの森で魔族の王と死闘を繰り広げることになる」
メサの顔には困惑の表情が浮かんでいた。珍しい、メサがここまで表情を変えるとは。
「どうした?」
「…ユウシャ?」
嫌な予感がした。
「お前…勇者を知らないのか?」
「知らない。そんなものはいない」
俺はふと考え直してみた。
この時代は、まだ人間と魔族が争いを始める前の世界。人間と魔族が互いに手を取り合って共に生きていた時代だ。
勇者とはそもそも、魔族を討つために女神が選んだ聖剣の使い手だ。聖剣には魔族を討つ力がある。
よく考えれば分かる。
この時代に、勇者は必要ないのだ。
「そうか…となると、この時代は本当に争いなんて無い時代なんだ」
希望が膨らんだ。この時代にいれば、やり方次第で本当に真実が分かるかもしれない。ともすれば、未来を変えられるかもしれない。
「勇者って…何?」
「この時代には必要ない者さ。…女神のことについては何か知ってるか?」
メサは首を横に振る。
「じゃあ…聖剣のことは?」
メサは再び首を横に振った。
やはり知らないようだ。メサが知らないだけ…ということも考えられなくは無いが、勇者が知れ渡っていない以上、女神も聖剣も知られていないと考えるのが妥当だろう。
俺は肉を食べきり、大の字で空を見上げた。
丁度木々が良い感じに折り重なって、大きな隙間ができていた。そこから顔を覗かす星々がなんとも美しかった。
「…メサ、これから行きたい場所がある」
俺は大の字で寝転がり空を見上げたまま言う。
「どこ?」
「魔王のところだ」
勇者がいない今、魔王だけが頼りだ。
「魔王の名前を知ってるか?」
「…デルア・ボルデゴード」
その名に、驚かずにはいられなかった。俺は思わず起き上がる。
「デルア…!?」
「うん。魔王の名前を知らない人はいない。これは間違いない」
デルア・ボルデゴード。
この名は紛れもない。数百年後の未来に、俺たち勇者軍と争った魔族軍の頂点、魔王の名だ。
メサ同様、魔王デルアもこの時代から、あの時代まで生き残っていたのだ。
「絶対に会うぞ、デルアに」
「でも、普通の人は魔王には会えない」
「え?」
意味深な一言だった。
「どういうことだ?」
「魔王は…人間と仲が良いって言っても、魔族の王様。そう簡単には会えない」
なるほど、それもそうか。
俺の時代では魔王に会うなど自殺行為同然だったからな。考えたことも無かった。
「会う方法はないか?」
「……」
メサは考えていた。
普通に行っても会えないとなると、普通じゃダメということ。
「誕生日」
メサが口を開いてそう言った。
「誕生日?」
「もうすぐ魔王の誕生日って…ファモが言ってた」
「誕生日と言うことは…」
「毎年誕生会が開かれる。その会に参加することなら出来るはず」
それしかない。
普通の方法じゃ無理だ。だったら式典を利用するのは常套手段だ。出来るだけ争いを避けるのなら、反感を食らわない正規の手段を講じるのが当然だ。
「魔王の誕生日はいつだ?」
「そこまでは分からない。そう遠くは無いと思う」
となると、まずは情報を集める方が良い。
「メサ。この先に、アッラって都市はあるか?」
「うん」
聖域となったこの森を抜けた先には、アッラという大都市が存在する。俺の時代では、最も魔族の根城に近い人間の都市とされていた。都市の歴史は古いと聞いていたから、存在しているだろうと思ったが、思った通りだ。
「アッラに行く」
「うん、分かった」
メサは同意を示し、頷いた。
「そうだ」
メサは立ち上がり、森の奥の方へと小走りで移動した。俺も立ち上がると、メサは木の陰から手招きをしていた。俺はメサの元へ駆け寄る。
そこからまた更に進むと、目の前に大きめの洞窟が姿を現した。この洞窟は知らないな。
「狩りの途中で見つけた」
「この洞窟がどうした?」
「なんか、怪しい」
なんか怪しい、とな。
メサなりの曖昧な…いわゆる勘というやつだろう。しかし、メサは後の魔王の幹部だ。その潜在能力を信じてみよう。
俺は一度目を閉じ、再び目を開いた。
瞳が青緑色の光を僅かに帯びた。
「光ってる」
「これは魔眼だ。本来人間には使えない、魔族だけが有する魔法の一種だ。勿論俺は大魔導師だから?使える訳なんだが」
「…私も使える……?」
「そういうことだ。やり方はまた今度教えてやるよ」
俺は魔眼で洞窟の闇を見据えた。
魔眼とは、魔族が魔力の流れや大きさ、数などを知るための眼のことだ。簡単に言えば、この眼で見たものの情報を魔力を通して把握することができるということだ。
さて、洞窟の中身はなんだろな?
「……メサ、お前の言った通りかもな」
「やっぱり」
「中に魔物が何体かいる。…中でも一際危ねえのがいるな」
しかし、その一際異質な魔力は感じ取ったことのない魔力だった。そのほかの魔力は、色や形や大きさからしてゴブリン・コボルトの類で間違いないだろう。問題はその異質なヤツだ。
「もしかすると、俺のしらねえ魔物かもな」
数百年前の過去だ。そんな魔物がいても可笑しくは無い。もしくは、文献を通して歴史の一つとしての認識がある魔物の可能性もある。
「まあ俺が負けるはずもないし、とりあえず行ってみるか」
「行くの?」
「ああ。…どうも中にいるのは魔物だけじゃないようだしな」
もう一度目を凝らす。
間違いない。
「中に人がいる。助けに行こう」