オズの蟲
リンクは一足先にオズを見つけていた。
一目散に追っていった甲斐あってか、村から出て直ぐにオズの姿をとらえることが出来たのだ。
リンクは一定の距離を保ったまま弓矢を構え、一本二本と放っていくが、矢は空を切るばかりでオズには擦りもしない。
オズは全身を真っ黒のローブで覆っており、フードも被っていたため、外見は殆ど分からなかった。
リンクに背を向けるようにして逃げていたが、追ってきているのがリンク一人だけだと気付くと、突然立ち止まった。
「か、観念したか!オズ!」
リンクは弓矢を構える。オズはゆっくりと踵を返し、フード越しの顔をリンクに向けた。その顔を見た途端、リンクの顔は青ざめた。
オズの顔は人間の顔ではなかった。
それはまるで昆虫の顔面を正面から見たかのような奇怪な顔で、一言でバケモノだった。
リンクは弓矢を足下に落した。
瞬間、オズは凄まじいスピードでリンクへと肉薄する。リンクは目に涙を浮かべ、その場で尻餅をつき、死を覚悟して目を閉じた。
しかし、リンクの身体はなにかに引っ張られるようにして動き、木の根元へ吹き飛ばされた。突然の出来事にリンクは思わず目を開ける。
目の前には、少女が立っていた。
「リンク、一人で無茶しない」
「…あ、あいつ……顔が…」
リンクの指さす方を、少女が見据える。オズが少女を見るが、少女の表情は変わらなかった。内心、オズの顔に驚いてはいるのだろうが、それを顔に出すことはない。
「オズ、ここで倒す」
少女は僅かに身構える。オズはローブで隠れた手から刃を出す。
それを見たリンクは何とか弓矢を拾い上げ、座ったままの状態でガタガタと震えながらも弓矢を構えた。少女はそれを手で制止する。
「リンクはいいから」
「で、でもあいつに一人で…!」
「大丈夫、勝てる」
「どっちも座ってろ」
俺は木の陰から姿を現す。少女とリンクは俺に気付き顔を向ける。どこかリンクの顔は安堵したような表情だった。少女は相変わらずのポーカーフェイスでリアクションの一つも見せない。
俺はオズに目をやる。やはりその顔は人間の顔ではなかった。
「オズは俺がやる。その約束だろ、リンク」
「……」
オズは俺に危険を感じてか、少女より先に俺へと肉薄してきた。振り下ろした刃を俺は後ろに躱す。踏み込みも剣筋も素人のそれだ。
「お前…蟲落ちか」
俺の一言にオズは明らかに反応を見せた。
「むし…おち…?」
リンクが困惑したように口にする。
「世の中には憑魔蟲っていう虫がいてな。ある日突然人間を襲いその身体の自由を奪ってバケモノにしちまう恐ろしい虫さ」
俺の時代にも憑魔蟲はいた。まさかこの時代にもいるとは思わなかった。相当歴史が古い虫ということだな。良い勉強になった。
「憑魔蟲に取り憑かれた奴らを世間ではオズと呼ぶ。オズには虫落ちと虫上がりがいてな。虫落ちってのはある日突然取り憑かれちまうことで、虫上がりは生まれた瞬間からオズであることを指す」
俺の説明に合点がいった様子はリンクや少女からは感じられなかったが、肝心のオズの方は明らかに動揺していた。いつの間にか構えていた刃を下ろしていた。
「助けて欲しい…とでも言いたげだな。生憎オズは口が利けないからな」
俺はゆっくりとオズに近づく。そしてグロテスクな顔面の額に指を当てた。指と額の隙間から光が漏れ出る。
憑魔蟲の対処法は旅の途中で編み出した。単純な魔法の一種だ。呪いなんかを解くときに使われる魔法を応用させれば開発できる。と言っても、そう簡単に開発できた訳では勿論ない。研究に研究を重ねたのだ。
「この魔法の名は”蟲尽”。人間と憑魔蟲に魔力による完全な境界線を発生させることで引き離し、その後も憑魔蟲を寄せ付けることは永劫なくなる」
光が増し、天から一本の光の筋が落ち、光は止んだ。
オズの顔は人間の顔に戻っていた。至って普通の男性の顔だ。顔色は良いとは言えないが、完全に憑魔蟲は姿を消していた。
「わ、私は…!」
男は自分の顔を何度も触り、確かめていた。そしてその場に泣き崩れる。余程つらかったのだろう。
「ありがとうございます…ありがとうございます…」
リンクと少女が俺の元へと駆け寄る。
「ノイル…お前、何者だよ」
「大魔導師様だ、よーく覚えておけ」
俺の偉そうな態度にリンクは顔を背けた。悔しいのか、単純に腹が立ったのか、そんなものは分からない。
「…ありがと。オズを退治してくれて」
リンクは俺と目を合わせないまま礼を言った。礼は目を見て言うというのが礼儀ではあるが、まあここは言及せずにおいておこう。
少女が俺に近づく。
「憑魔蟲は…どうなったの?」
「憑魔蟲は逃げた。生憎あいつらの姿は目視することが出来ない。俺でも退治するのは骨が折れる。だが暫くこの辺には近寄らないと思うぞ」
「…すごい」
少女は表情一つ変えずに感心していた。全然説得力がないんだがな。
すると、男はようやく涙が収まったか、立ち上がった。
「ノイルさんというのですね。本当にありがとうございました」
「いいってことよ」
「…二ヶ月前から憑魔蟲に取り憑かれていました…。意志はあったのですが口が利けず、身体の自由も奪われました。時に我を失い村を襲うようになりました…」
まあ、そんなことだろうとは思っていた。
「村の人に謝らなければなりません。ノイルさんも…一緒に来ていただけませんか?」
「謝るくらい自分でやりな。俺には関係ない」
俺は踵を返した。
「ただ村には用がある」
「用…?」
「お前らんとこの母ちゃんが、お代わり用意して待ってるんだわ」
俺たち四人はそのまま村へと戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
村へ戻ると、男は直ぐに村人の元へと駆け寄った。俺たち三人は家に戻る。
戻ると、ふわふわとした良い匂いが鼻をついた。テーブルの上には、美味そうな料理が一人分並べられていた。それも、先ほどとは若干メニューが違っている。
「この短時間でメニューを増やした…だと…!?」
この女…やるな。
「無事に連れ帰ってくれてありがとうございます。オズは…どうにかなったのですね」
「まあ、俺の手に掛かれば何というか、赤子の手を撫でるくらいのもんですわ」
赤子の手を捻るなんて大層なことはしていない。
「いっぱい食べてください」
俺はその一言に遠慮することなく飯を頬張った。実に美味い。下手すれば宮廷のシェフが作る料理よりある意味では美味いからもしれない。箸が止まらない。
数分で飯を平らげた。
その間、リンクは向かいの椅子に座り唖然とした様子で俺を見ていた。少女は相変わらず表情に変化はなかった。
「美味かった」
「よく食べるんですね」
「めちゃくちゃ美味いっすね」
いや、ほんとに。
「さて、俺はお暇しようかな」
立ち上がると、リンクが続けて立ち上がった。リンクは俺の元へ駆け寄る。一瞬言葉を詰まらせたように見えたが、すぐに言葉を発した。
「…俺を弟子にしてくれ!」
「…は?」
「俺も魔法を使えるようになりたい…!憑魔蟲からこの村を…森を守りたいんだ!」
予想だにしない展開だ。弓使いが魔法に憧れるとはな。
「悪いけど、俺にそんな気はねえ」
「どうしたら弟子にしてくれるんだ?俺なんでもする」
俺はリンクの頭に手を置いた。
「俺の弟子になりたかったら、もっと強くなれ」
「…え?」
「今のままじゃ俺の弟子になるには九千万年はええよ」
リンクはしょぼくれた。
「…じゃあ一個ヒントをやる」
「ヒント?」
「弓と相性の良い魔法にはエルフ族が詳しい。覚悟が決まったら、エルフ族に会ってみるのもいいかもな」
リンクの顔が明るくなり、笑みがこぼれた。なんだかんだ、こいつの笑った顔を見るのは初めてだ。所詮、中身は子供。笑った顔は愛くるしかった。
「じゃあ、その時はメサも一緒に…!」
「メサ…?」
メサという言葉に、俺は引っかかった。
「メサって…誰のことだ?」
「こいつのことだよ!」
リンクは少女を指さした。少女は表情を変えずに、ぺこりと軽くお辞儀をした。
「名乗ってなかった……メサです」
「メサ…」
直ぐに思い出した。
俺はメサの元へ歩み寄り、指に白い光を宿した。その指でメサの額に触れると、指先の光は白から紫に色を変えた。
確信した。
「メサ…お前…」
指の紫の光は更に輝きを増した。相当強大な魔力だ。
「ノイル…?これ、どういうことだよ」
リンクが戸惑ったように尋ねた。俺は光を消した。
「メサ。お前は人間じゃない。魔族だ」
その言葉に、今まで表情を変えなかったミサの表情に少し変化があった。
表情の変化は少し、ほんの少しだった。