プロローグ
人間と魔族の争いは、一体いつから、どのようにして始まったのか。
人間と魔族の争いは熾烈を極め、やがて勇者と魔王の頂上決戦にまで至った。地形や天候が大きく変わる程の凄まじい魔力のぶつかり合いである。
俺は一人、荒れた地に腰を下ろしていた。
勇者と魔王の最終決戦が繰り広げられた地である。元々は広大な草原と森林が生い茂る緑豊かな大地であったが、三日間に及ぶ激闘の末、そこは荒れ地と化した。
植物の姿はなく、壊れた武器が散っている。大地にこびりついた血の跡は、戦争の虚しさを連想させる。時折転がっている魔族や人間の死体、あるいはその身体の一部分。それらを全て受け入れ、俺は腰を下ろしていた。
生暖かい風が緩やかに吹いている。遮るモノのないこの地では、風が運ぶ死の匂いがダイレクトに身体を打ち付ける。
立ち上がるべきか。
俺は、その場で頭を抱えた。
勇者と魔王の決戦の勝敗、それは、いわば引き分けに終わった。
お互いの攻撃がぶつかり合い、お互いが内側から消滅するという形で幕を閉じたのだ。それは、誰もが予想だにしていなかった結末だった。
人間は勇者の勝利を確信し、魔族は魔王の勝利を確信していた。
しかし、結末は双方の死。決着はつかぬまま、大勢の命が失われた。
俺の仲間も、みな死んだ。
勇者を筆頭に、魔剣士、賢者、錬金術師、召喚士。全員が死んだ。
唯一、勇者軍で生き残ったのは、魔導師である俺だけだった。
俺は自分が生き残ったことを絶望しなかった。また、仲間が死んだことに絶望しなかった。
勇者の死、仲間の死、魔王の死、それら全てを受け入れた。そうしてこの場所に来た。
決意をした。
失われた命は元には戻らない。しかし、失われた希望はまた取り戻せる。
俺は最後に勇者が消滅した場所へとたどり着いた。そこだけが、異様に地面がへこんでいた。その中央には、一本の剣が突き刺さっていた。
勇者デインが授かった聖剣だった。この不毛の地の中で、唯一欠けもせずに、凜として輝いていた。
俺は突き刺さっている聖剣に触れる。バチッと光の膜が俺の手を弾いた。
予想の範疇ではあったが、やはりダメか。
勇者以外の者は、聖剣を操ることは愚か、触れることすら許されない。しかし、勇者が死ねばその聖剣は次なる勇者へと受け継がれる。
俺は、僅かな可能性を信じた。デインが死んだ今、次なる勇者が自分であるという可能性だ。しかし、その自負は今ここで崩れ去った。崩れ去った…とまではいかなくとも、俺は少し驕っていたようだ。
俺は勇者の仲間だが、勇者ではない。あくまで魔導師なのだ。
しかし、手は打ってある。
俺は聖剣に触れずに、手を翳す。掌から魔力を聖剣に流し込むと、流れ込まれた魔力は聖剣をつたい、地面へと広がった。
ちょうど聖剣を中心にへこんでいる大地に、巨大な魔法陣が展開された。そして、まるで生きているかのように模様が蠢き、更に複雑に絡み合う。
俺は聖剣の傍に立ったまま、動かなかった。目を瞑る。
これから、転生を行う。俺は再び目を開いた。
「時逆転生」
そう唱えると、魔法陣が光を帯び、輝いた。
俺は光に包み込まれる。
聖剣が光の粒子となり、俺の身体へと吸い込まれていく。
時逆転生。
俺が勇者との旅の中で、いやそれ以前から数十年掛けて編み出した転生術である。
無論、ただの転生術ではない。
本来転生術とは、対象を肉体・魂ごと未来へと生まれ変わらせる術であるが、時逆転生とは、対象を”過去”へと生まれ変わらせる。
しかし当然、リスク無しで発動することは出来ない。
強大な力をもつ触媒が必要となる。
その触媒に選んだのが、聖剣であった。
この判断が正しいかどうかは分からない。聖剣を触媒として使えば、代々聖剣を受け継ぐことで続いてきた勇者の歴史はここで終わることになる。
これは大罪か?
俺は、過去に行きたかった。
人間と魔族が、争いを始める前の世界に行きたかった。
勇者も、魔王も、共に歩んでいた時代があったと信じて…。