第3話 第一章 ―日常崩壊― 3
四階のおもちゃ屋に入ると、何ともファンタジーな世界が広がっていた。ここのおもちゃ屋は、世界各地のマスコットキャラクターのグッズを中心に扱っている店舗であり、ひなたの大好きな東京ユニバーサルランドのマスコットでもある猫、『ミッケキャット』のグッズも大量に扱っている。もちろん、小さな子供向けのおもちゃも当たり前に置いてある。子供から大人まで広い層をカバーした店だ。
「せんぱーい!」
入って早速さとりは、レジに居た新宿先輩に飛び付く勢いで走っていた。先輩はさとりの姿を見るや、接客相手のお客の前で口をあんぐり開けてしまった。微笑ましい笑顔で両手を広げて走るさとり。気が動転した新宿。突っ込んでゆくさとり。逃げようとする新宿。
「ちょ、ちょっと待ってくれ杏条!」
レジで会計をしていた主婦も、開いた口が塞がらないようだった。何だかいきなり店に入ってきた女子高生が、レジで接客をしていた店員に向かって猛ダッシュで向かってくるのだから。しかもそのままレジの内側に入って抱き付くではないか。
新宿はレジを打ちながら非常識な女子高生に頭を両手でガクガクと揺さぶられる。まるで埴輪のような顔のまま、新宿は何とか声を絞り出す。
「よよ、四百三十円のおかえしでござますす。またおこしくだださませ」
頭をつかまれて揺さぶられ、手もぶるぶると震えながらお金を差し出す。もはやどうしていいか分からない様子で、主婦は苦笑しながらお釣りを貰うと、さっさと足早に店から出て行った。
「さとり、先輩窒息しちゃうよ」
ひなたがレジの前まで友達と一緒にやってくると、呆れた様子でミッケキャットのキーホルダーをレジに差し出す。
「先輩、コレ下さい」
「おっ、神崎じゃん。良く来たな!」
さとりをぽいっと振り払うと、早速本命のひなたの接客に移る新宿。元々、彼はさとりに好かれているが彼自身はさとりには興味が無いらしい。ひなたはお似合いだと思っているみたいだが。
彼は典型的なスポーツマンという風貌の爽やかな先輩である。学校でも夏で引退するまで野球部に所属していた。甲子園には行けなかったが。子供好きらしく、そのためにわざわざバイト先をおもちゃ屋にしたのだという。
「先輩、こんにちはー」
友達二人も新宿に挨拶した。爽やかな笑顔で返す。
「よう。みんなで買い物か?」
「違います、先輩に会いに来たのォ! どっかいきましょ、ねぇせんぱぁーい!」
さとりは何だか漫画のようなぐにゃぐにゃな幸せな顔をしながら、新宿に抱き付く。ひなたの買い物の会計をしようとしているが、やりづらくて仕方ない。
「気持ちは嬉しいけど、ちょっと離れててくれないか……」
ちょっと怒った様子で、眉を吊り上げる新宿。バーコードを読み取る機械を手に持ちながら、鬱陶しそうにしていた。さとりも仕方なく離れる。といっても、レジの中に居続けているが。
「三百五十円だよ」
爽やかな声で新宿は言った。ひなたはあくまでもお客の立場として、ごく普通に千円札を出した。
「ねぇ先輩、バイトなんかいいから遊び行きましょうよー!」
さとりは何だかぐずった子供のように、無理にこの店から引き離そうとしているようにも見えた。何度かさとりと一緒にこの店に遊びに来た事はあるが、ここまで頑固で非常識的な態度を見せた事は初めてだった。普通に考えて、仕事を放り出してどこかへ遊びに行くなどご法度だ。しかも今は、いつも気前の良い女店長さんも店の中にいない。きっと在庫を取りに行ったりでもしているのだろう。他に店員が居ない以上、放り出して店を離れるわけにはいかない。
「さとり、あんまりわがまま言わないの。先輩が困ってるよ」
ひなたは、新宿とデートした時に聞いた事がある。どうしてさとりをそんな毛嫌いするのか。どうやら彼は、お嬢様暮らしでこのような非常識さが目立つ所が嫌いらしい。確かに、生まれた時から豪邸に住んで、望めば何だって手に入った境遇の彼女は、こういう風に育ったのはある意味必然なのかもしれない。さとりには悪いが、彼女の一方的な恋はきっと実らないと思うひなたであった。
「……悪いな。六百五十円のお返しだよ」
新宿は、ひなたに気を使わせた事に負い目を感じたらしい。彼女はいつでもさとりの暴走の後始末役なのを、新宿は知っていた。
ひなたはお金を受け取ると、レジの中で駄々をこねているさとりの腕を引っ張って連れ出した。
「あーん何するのひなひなー!」
右手をつかまれ、ぐいぐいと引っ張られるさとり。
「ほら、邪魔しちゃ悪いからもう行こう」
ひなたはちょっと怒った様子で、視線は店の外に向いていた。
「またな、神崎」
「はい、また来ますね」
新宿は、ようやく厄介なのがいなくなったという風に、ため息をついていた。何だか途中から呆気に取られていた友達二人も、後を付いて出て行く。
「何で邪魔するのよー。あたしは先輩と遊びに行きたかったのに」
軽くふくれっ面をして、ひなたに抗議する。
「……仕事放り出して行けるわけないよ」
ひなたはいかにも正論を述べたが、さとりには納得いかなかったらしく、面白くなさそうな顔をしていた。
「さとり、さすがにあれは良くないと思うわ」
後から店を出てきたリョウコは言った。続けてエリカも。
「迷惑そうだったわよ」
三人に言われたら、さすがのさとりも分が悪かったらしく、渋々非を認めた。
「……悪かったわね」
と言っても、あまり反省はしてなさそうだった。いつもの事なので、三人は諦める。と、早速さとりは開き直っていた。
「なんかお腹空いちゃったわね、お昼にしない?」
「ちょっと早いけど、食べよっか」
時間はもうすぐ十一時半だった。昼時にしてはちょっと早いが、座って話しながら食べていれば関係ないだろう。四人はエレベーターで降りて、一階のハンバーガーショップまで行く事にした。
一階に到着し、食品街に出ようかという時、それは――起きた。
「動くな」
エレベーターを降りた一行を待っていたものは、テーブルで楽しそうに食事する家族連れ……ではなく、巨大な銃を両手で抱えた、大男だった。
四人は銃を突きつけられ、幅の広い一階の通路に連れてこられた。そこには既に、近くにいたのであろう買い物客や、エプロンを付けたままの店の従業員と思しき人達が大勢集められていた。
「全員、手を頭の後ろに組め」
さとりがゲームの時に武器の選択で選んでいた事がある。男の手に握られている大型の銃は、アサルトライフルと呼ばれるものだった。マシンガンだ。本物の。この平和な日本、銃などとは無縁のこの国で、異質極まりない物体が目の前に存在している。
ひなたは突然の事に心臓が早鐘のように鳴っていた。それは、恐怖だった。心の底から沸々と湧き上がって来る、不安定感。ひなたの心は震え上がり、視線が定まらなくなった。。あの悪魔のような銃口から撃ち出されるであろう、人殺しの弾丸。それが自身に打ち込まれた時を思わず想像して、冷たい汗が背中に垂れる。これはゲームじゃない。撃たれたら死ぬ。
仲間が現れた。今度は違う武器を持っている。拳銃だ。サイズは小さいが、一撃で人を殺す力がある強力な武器には違いない。
――なによ、これ……。
隣には、さとりが固唾を呑んで黙っている。同じく手は頭の後ろだ。彼女もまた、突然の事に恐怖しているのだろう。エリカもリョウコも、他の人質達も、自分に注意が向いて死期が早まるのを恐れているのだろう、誰も喋らなかった。
「一階部分は制圧完了だ」
「そうか。二階ももうすぐらしい。完全制圧までは時間の問題だろう」
男達は無線機のようなトランシーバーのような、携帯型の話の出来る機械をベルトに仕舞った。どうやら、このしーさいど桜ヶ崎が謎の集団によって占拠されたらしい。これは、恐らくテロ。そしてひなた達は皆人質。最悪だ。平日だとはいえ、この巨大なショッピングセンター内にはかなりの人が存在していたはず。おまけにクリスマスシーズンという事で、カップルや仕事が休みの家族連れなども数え切れないくらい遊びに来ている。恐らく千人はくだらないと思われた。
「リーダーがこっちに来るみたいだな」
無線機から連絡が入ったようだ。男二人が銃を持ち、警戒を解かないまま待機した。長い沈黙の時間が訪れる。
――いやだ、死にたくない……。
ひなたは目を瞑る。男の手に握られている恐ろしい銃を見ないようにした。見ていると、不安定になる。恐怖が襲ってくる。
遠くでエレベーターが開く音がした。うるさい足音を立てて、男が向かってくる。ひなたは気になって目を開いてみた。
それは他の男よりも一回り体の大きい、恐ろしげな大男だった。恐らく身長は二メートル近くあるのではないだろうか。汚らしい顎ひげを熊のように伸ばしきり、醜い下膨れの中華まんのような形の顔に、小さな鼻が梅干のようにちょこんと乗っている。目は大きく、ぎょろぎょろと動くその瞳孔が怪物のようで恐ろしい。常に口を半開きにしていて、並びの悪い黄色い歯が唾液で光って見えた。『下卑た顔』。それがひなたが抱いた第一印象だった。しかもオマケに臭った。加齢臭だか風呂に入っていないのだか知らないが、とにかく近寄ってくるにつれて臭さが漂ってくる。鼻が曲がりそうになりながらも、ひなたは変に目を付けられないように表情を変えなかった。
男はどっしりとした歩みで人質達の目の前まで来ると、背中から何かを取り出して右手に持った。木製の取っ手が見える、長い棒のような、先端に大きな穴が開いている……あれは、
――ショットガン!
やはりさとりに付き合わされたゲームで出てきたのを覚えている。間違いなくショットガンだった。別名、『散弾銃』。良く、ニュースなどで『○○市銃乱射事件』だとか何とか言われて出てくる事がある。散弾銃。それが今、目の前に。この目と鼻の先にショットガンの銃口が突き付けられている。本気で死の恐怖を感じた。
ひなたは逆に視線を離せなくなり、怯えた表情でその銃口をいつの間にか見つめ続けていた。
「品川さん、どうです上は」
「制圧だ。一人残らず捕まえた」
こいつらの仲間が何人かは分からないが、どうやら相当な大掛かりで占拠しに来たらしい。ひなたが感じた、ここに入ってきた時の違和感は当たっていた。あのゴルフバッグのような物を背負っていた連中全てが犯人で、客に紛れて時間まで潜んでいたのだ。恐らくあのバッグの中身が銃火器だったのだろう。
品川と呼ばれた、リーダーらしい汚らしい大男は、一歩踏み出すと人質達に言った。
「しーさいど桜ヶ崎は我々が占拠した。これからお前達には、明後日の二十四時まで人質になってもらう」
――明後日の二十四時まで?
「別に携帯電話を没収するような事はしない。だが、外部と連絡を取ろうとしたら……分かっているな?」
品川はショットガンを構えた。あんな物で撃たれたら間違いなく体中バラバラにされてしまう。
「そうは、させるか!」
突然、声がした。ひなたは聞き覚えのある声にはっとし、目を素早く左右に逸らした。
――上!
頭上に視線を送ると、吹き抜けの二階から掃除用のモップを持った新宿礼司が立っていた。まさか、戦うつもりなのだろうか。ひなたは声が出なかった。恐怖と不安、それとヒーローのように現れた新宿礼司に、一抹の期待を覚えていた。
「何だお前は、まだ捕まえ損ねたのが残ってたか!」
品川はショットガンを構える。引き金に手をかけた。
銃声。真上に向かって放たれた弾は中二階の床に当たった。
「食らえ!」
新宿が二階から、体を乗り出す。モップを槍のように真下に向かって投げた。豪速。野球部仕込みの肩から放たれた一撃は、品川の頭に直撃する。
「いってえ!」
骨が折れたのではないかと思わせられる音が響く。品川はショットガンを落とし、よろめいた。
ショットガンは転がった。さとりのすぐ近くに。
――さとり、それを奪って!
ひなたは言おうとした。だがすくんで声が出ない。さとりも怯えている。目の前に凶器があるのに。それを奪えば反撃にも出られるのに、さとりは動けなかった。
「うおおお!」
新宿は雄たけびのような声を上げながら、中二階から手すりを越え、残った二人の内、一人に頭上から襲い掛かった。
右手には新たなモップがある。落下しながらモップを男の頭頂部に叩き込む。
「ぐはあっ」
男は凄まじい声を上げて倒れ込んだ。アサルトライフルは手放していた。
「くそ、こいつめ!」
反応の遅い残った一人に、新宿が襲い掛かる。肩からかけたアサルトライフルに手を伸ばす。
遅い。近距離では銃よりも、新宿の武器とスピードの方が勝っていた。
手に持ったライフルをモップで叩き落す。怯んだ男の頭に、勢いを殺さずモップを全力で叩き込んだ。
気を失い、男は倒れる。後は怯んだ品川に止めを。新宿は止まらず、方向を転換する。だが、
「死ね!」
品川が吼えた。野太い声が館内に木霊する。
新宿がモップを叩き込むのより先に、品川のショットガンが新宿の体を捉えた。
時間がスローモーションになったように感じた。ひなたは声が出ないまま、その光景を拷問のように見続けるしかなかった。
「やめてええ!」
さとりの声が聞こえた。右手を伸ばし、叫んだ。だが、遅かった。
「ぐああああっ!」
耳の鼓膜が破れそうなほどの、音が響いた。新宿先輩が浮いている。目の前を。まるで一昔前のファンタスティックな展開の漫画で、悪役に人が斬り付けられて、宙に浮いている。そんなシーンを髣髴とさせた。長い長い時間、その場面がずっと続いた。目に焼きついたのか、それともただの錯覚なのか、ひなたには良く分からなかったが、とてもとても、長い時間の出来事のように思えた。
「先輩!」
親友が走った。悲痛な声を上げて。直後、五分くらい止まってたように思えた一瞬の時間が動き出した。堕ちた。人が。目の前で。この目の前で。床に叩き付けられて。床にはおびただしい量の血が吹き出し、終わってしまう命を皆に見せ付けていた。
「ひっ……」
ひなたはかろうじて、それだけを喉の奥から搾り出した。
「先輩、先輩!」
さとりは、崩れ落ちた新宿の体に擦り寄った。真っ白なハンカチを取り出して、体中に付いた血を拭き取り始める。でも、ハンカチはすぐに真っ赤に染まってしまって、拭いても拭いても、拭き切れなくて。すぐに真紅の血が、床に流れ出て。
品川は、大きな銃口のショットガンを構える。ガチャリと音を鳴らす。恐ろしげな殺人兵器を見せびらかし、皆を脅し付けた。
「抵抗すれば容赦はしない。この男の後を追いたいか」
その男の傍らで、撃たれた先輩はかろうじてまだ生きていた。子供向けの可愛らしいキャラクターのエプロンが、血で染まってしまっていた。
「ごめん、オレ、何も出来なかった、な……。お前達を守ろうとしたけど、最期まで、ヘタレだったなぁ……はは」
「いいの、いいの先輩。イヤ、お願い、死なないで……」
さとりは先輩にかじりついて、すすり泣いていた。その悲壮な泣き声は静まり返った館内に小さく響いていた。
――あたし、どうすればいいのかな。散々デートに誘ってくれた先輩が、死んじゃう……。先輩、すごく優しかったし、楽しかった。別段、先輩の事好きなわけじゃなかったけど、一緒に居て楽しかった。
――あたしも、擦り寄った方がいいのかな。
こんな自分がイヤになった。散々優しくしてくれた先輩が死にそうなのに、次は自分が撃たれるんじゃないかという恐怖が先走って、何も出来なかった。
――何で、こんな事になっちゃったんだろう。あたしの人生って、何でいつもこうなんだろう。運、無いなぁ……。こんな状況でこんな事考えてる自分が、もっとイヤになった。




