72 中年の愚痴とメイドの監視
2077年8月。
都内某所―――個人所有の億ション4階。
4階の造りは3階と違い電子部品やら接続パーツやら回路やらが散乱し、電力パイプ・コードが這うように伸びている。
玄関に一番近い部屋。電子パネルとホワイトボードが両隣にならんでデータの資料と紙の資料が同時に視界に入る。
ツインテールの制服姿の女の子がその前で何かをブツブツと呟いていた。
カイト-本名――小野坂凜は、「次世代型のコネクトシステムだ…ヘッドマウントからネックタイプなるのかな…」と独り言を言う。
すると、中年白衣姿の男が指を立てて説明し始める。
「従来のHMCでは小型化できてもハンドバック程度の入れ物が必要で、データ転送速度や受信速度が安定せず、タイムラグによる不快感が機器によって発生していた」
男はカイトの前で膝を折るとその足先を指さす。
「足元でもたついていては一向に進展はない。なら、いっそネック端末と一体にした物を開発すればよいのではと私は考えた。すると、一部の科学者が首に埋め込むチップタイプのコネクトシステムを開発するといい始めた」
男はカイトの足先からゆっくり首元まで指をさす。
その行動にカイトは眉を顰めている。
「しかし、身体に埋め込むことには"馬鹿げている"と言ってしまおう。チップ型というのもセキュリティー面で脆弱としか言いようがない。どうせ埋め込むならもはや電脳化すると言った方がまだ将来性に見込みがあるというものだ」
「はぁ……」
「つまり、私が言いたいのはだね!IT科学者の我々に医学者どもがチップを埋め込む作業!インプラント手術の権利欲しさに対等しようという考えが気に食わんのだよ!医療ボイドを提供した者もIT科学者にはいたのに……けしからん!」
「医療ボイドって構造物がない仮想空間のことですよね?」
「そう!患者の要望に答えられる長時間ダイブが可能な理想的な空間のことだ。見た目以上にVR空間というものは脳にストレスを与える。それらを緩和する重要な要素がいくつもその空間には備わっている。心を落ち着かせたり、楽しさを強く感じられるようにしたり、安らぎすら感じる空間が医療ボイドだ。しかし、国の補助を受けてその上で医療FD装置を設置しない病院が後をたたない。私は残念だ、いや!医療FDの初期設備を作って提供した者も残念だろうな~」
「医療FDの初期設備ってメディキュ―――」
話に入ろうとしたカイトだが神谷博はその隙を与えない。
「金欲優先の経営陣による病院経営などクソだ!個人の利益より他人の幸福を優先すべきだ~!………と言ってやったら、私はこの企画から干されてしまった」
カイトは苦笑いを浮かべて、「そうなんですか」と言う。
いつの間にか神谷博の愚痴を聞かされることになった彼女は、内心早くヤトに会いたいと思っていた。
「これだけは断言できる!半侵襲型で得をするのは病院だけだ!医師は手術の手間が増え病気でもない人へ時間を割くことになる。医師は常に、いや、今後医療が進んで行けばそれだけ人手不足になる。そして、半侵襲型はおそらく拒絶反応が出るだろう。大人なら確実にだ。おそらく順応できるのは次の世代の子どもたち。視覚補正に電波の可視化、反射神経の補助、"拡張現実"がより身近になる――などと言えば聞こえはいいが、ハッキングツールを持っている者が"そうである"と認識できない状況になるのだ……軽犯罪の増加は否めない。それ以上に、視覚情報の窃盗など重犯罪が横行する。それも子どもの手によってだ…」
神谷博はカイトに、「そんなクソッタレな世界は誰も望んでいないだろ」と悲しげな表情をする。
「しかし、抗えない。進化は人の欲求の一つで利便性は追及されるものだ。人は"便利だから"と"作れるから"とそれを行ってしまうだろう…。その中で、私のような個人研究家ができうることは、予防や問題の対策、世界への警笛を鳴らすぐらいだよ」
そして神谷博は研究資料に埋もれたベットに腰掛けて、「そんな私も科学者という"進化の探求者"なのだけれどね」とほくそ笑む。
カイトは、その姿がヤトから聞いていた通りだったために、彼が自身に浸っているのだろうと理解して、そっと部屋を出て行く。
玄関からヤトの父-神谷博のいた部屋分廊下を進むと、左右にワンフロアをぶち抜いたような廊下が広がっている。
ツインテールを揺らしながら見渡すと、左側の廊下が綺麗に掃除されていて右側は防壁のように雑誌が積み重ねられていた。
そして、その防壁のような雑誌の積み重ねられた廊下の始まりに、張り紙で"この先裕人の部屋"と書かれ壁に貼り付けられていた。
その不自然な張り紙や雑誌に警戒心を出してそっと覗きこむカイト。すると、その積み重ねられた雑誌を越えた両サイドに不可解なカメラが置かれていた。
「……どうして」
溜め息を吐きながらそう言う。本来それはカイトではなく別の人物に仕掛けられたトラップ。
カイトは両サイドのカメラに映らない様に左端を壁を背にスカートを押さえながら雑誌を跨いで行く。
しかし、彼女は雑誌の中を切り抜いて仕掛けられた隠しカメラには気がつかない。
神谷博はそのカメラの映像が直で見えるPCの前でカメラの電源を入れるために椅子に座る。
そして、PCディスプレイを触って待機中で暗くなった画面をつけようとする。が、いくら触れても反応がない。
なぜ、それが反応しないのか――なぜなら…。
「ん?箱(本体)がない……………………………日笠く~ん!!?」
PCディスプレイだけになれば、それはただの高級な板で何の用途もなくなってしまう。
男が求める箱の行方は、数分前にメイドの手によって4階から地上へと落下してコンクリートに激突し破片を散乱していた。
カイトがそうとも知らず危機を回避して雑誌の山を抜けた。
KEEP OUTと書かれた扉の前に立ち、なんとなくそこがヤト-神谷裕人の部屋であると思いドアを叩いた。
すると、中から「どうぞ」と声が聞こえる。
扉を開けると中は12畳ほどの広さで、入って左手側にメイド姿の日笠棗が、右手側に頭をすっぽりとコネクトシステムの機器に覆われた青年が寝ている。
カイトはその青年の元へゆっくりと近づき挨拶する。
「やぁ。久しぶりだね。ん?初めましてでもあるのかな――」
カイトは隠れて目元も見えないその頬を撫でて、「ヤト……」と呟いた。
しばらく現実で触れるヤトに夢中になるカイト。
BCOでのヤトは細身で骨ばった印象だったが、現実ではかなり筋肉質で、半年以上も運動していないようには見えなかった。
ついさっきまで体を拭いていたのか、ヤトの服が少しはだけて腹筋が見えている。
カイトは静かに指先で腹筋を突くと力を入れていないのに確りとした感触が指先で感じられる。
カッチカチだ~と思っているカイトに耳元で、「微電流で筋組織の運動をしていますから」と声をかけられて思わず驚く。
「わぁ!……………ごめんなさい。大声出して…」
寝ている間に微電流で運動をしているんだろうことは彼女も自身の体験から理解してはいた。
それでも、カイト自身リハビリが必要な程度には筋肉が落ちていたため、ヤトの毎日鍛えているような体付きには興味があった。
「かなり鍛えてるんですねヤト……じゃなくて裕人くん」
「ええ、毎日2時間置きに10分から20分ほど筋肉の運動をさせているので」
毎日2時間置きというセリフがカイトは少し引っかかる。
「24時間態勢で看病してるんですか?」
その問いに"ええ"と返す日笠。
「他にも誰かお手伝いさんがいるんですよね?」
カイトのその問いかけに日笠棗は首を振る。
「私1人です」
「1人?日笠さん1人でヤトの面倒を看ているんですか?!とても大変なんじゃ…」
日笠棗は、「慣れてますから」とヤトの服を正す。
「彼の面倒を看るの長いんですか?」
「もう2年になります。裕人様は基本仮想世界でお過ごしになられますので、排泄やお食事の準備、博さんからの伝言などを伝える役目を業務としております」
さらっと"排泄"という言葉を口にする彼女にカイトは少しだけ眉を顰めた。
きっとヤトの体のどこにホクロがあるのかとか知っているんだろうな…と、カイトは思いながら日笠棗がヤトの世話をしている光景を思い浮かべてフリーズする。
「あの、もうご用事はお済ですか?」
日笠棗が赤いメガネを持ち上げてそう聞いてくるので、「もう少しここにいます」と答えるカイト。
カイトはてっきり彼女が部屋から出て行くものだと思っていた。が、その部屋に置いてある机の前に行き、椅子に座ってなにやらタブレット型PCを操作し始めた。
10分、20分経っても日笠棗が監視するようにそこから動かないため、カイトはしようと思っていた頬にキスができないまま、「じゃ…ボク帰ります」と言って帰ることにする。
日笠棗はカイトを一瞥して、「お帰りの際は足元にお気をつけ下さい」と言って再びタブレット型PCに向う。
カイトは、メイドの死角になっているだろうと、それじゃまたね――と言ってさり気なくヤトの頬にキスして部屋を出た。
帰りも雑誌の山を跨いで行くカイトは、一つ一つ雑誌の中のカメラのレンズを下に向けて帰ろうとする。
そして、玄関に続く廊下に出るとちょうどその扉が開く。
開いた扉から現れたのはスーツ姿の男で、カイトはそれが総務省情報流通行政局情報流通振興課情報犯罪対策室仮想現実管理課、通称VRCDで働く小野であるとすぐに分かった。
カイトがVRCDの小野と玄関前の廊下で目を合わせた頃。
タブレット型PCの前から日笠棗の姿がいなくなっていた。
仮想現実にフルダイブ中のヤト。その現実の体の神谷裕人の隣でその頬を見つめていたからだ。
そして、徐に除菌・殺菌とパッケージにプリントされたウェットティッシュを1枚取り出してその頬を拭う。
おそらくはカイトが口を当てた部分。
日笠棗はその瞬間を目にしていたのだろう。
丁寧に拭かれた頬を撫でた彼女は、口元に笑みを浮かべて「これで綺麗になりました」と呟いた。




