8 FDVRMMOの闇
ヤトはガッツリと掴まれた腕を振り解こうと全力で左右に振る。
でも、マリシャの手が彼の腕を離すことはなく。
なぜここまで彼女がするのか彼には理解できなかった。
「……ね、私ってうざいかな?」
「…さっさと放せ」
ヤトができるだけ声を低くしてそう言うがマリシャは簡単には離れない。
「…メッセの件なら謝るよ。だから、もう一度だけフレンドになって」
小声で囁くように語るマリシャにヤトはもう一度強く手を振った。
「お願い、私を見捨てないで。お願い……お願い――」
呆れるを通り越して恐怖すら感じるヤト。
「…お仲間ならもういるだろ?あんたギルドに入ってるみたいだし」
一瞥して言った言葉に首を振るマリシャ。
「違うの、私、本当は仲間なんていないの、フレンドだってヤトだけだったんだよ」
彼女の思考が理解できない。しかし、それは出会ったばかりだから。
「…話を聞くだけだぞ。それから判断する」
それによって何が分かるのか、どう変わるのかはヤトにもその時はまだ分からない。
ありがとう。マリシャはそう言うと漸く掴む手を放した。
酒場の個室を貸切彼女の話を聞く。
正直ヤトは巻き込まれた時点で、"どうして俺だったのか"には興味があった。
FDVRMMORPG Underground Labyrinth (アンダーグラウンド・ラビリンス)。
そのタイトルはULとしてそれなりに栄えた。
マリシャもそのタイトルでVRの世界を過去にプレイしていた。
今よりもまともな会話スキルを持っていた彼女は、その世界で多数のフレンドがいて毎日楽しくプレイしていた。
そんなある日。
いつものように待ち合わせしてULにinした彼女は、ダンジョン内でローテアウトすることになる。
ローテアウトは知ってのとおり、本来ログアウトできない場所で1人が一時帰って休憩し、もう1人がその体を護る。
休憩した1人が再度ログインして、護っていた一人も交代して休憩することだ。
「でも、戻ってみたら周りには誰もいなくて…拘束系のアイテムで体も動かせない。周りもはっきり見えない状態だった」
手元の水入りのコップを握るマリシャの手に力が入る。視線がその水の中に吸い込まれて過去の映像がフラッシュバックする。
「視覚設定で明るさを下げられた状態…そう分かったのは後になってから」
マリシャの脳裏にはその時の恐怖が今もまだ鮮明に思い出せる。
思い出したいわけではない、忘れられないのだ。
「体の自由が利かないとログアウトってできないでしょ。右手を前で振らないとウィンドウは出ないし」
そう言って左手を前で振ってウィンドウを出す。
マリシャは開いたそれを2回振れるとフレンドを表示した。
「でも、私にはフレンドが一杯いて、初めのうちは"フレンドの誰かが助けてくれるかも"って思ってた」
今目の前のフレンドの欄には【YATO】の文字しかない。その欄に、記憶上のかつてのフレンド欄が現れる。
「けど実際は、数時間経っても誰もきてくれなかった……」
かつてのフレンドを目を閉じて消し去るマリシャ。
「家族はどうした?」
ヤトは呟くように言う。彼の前に座るマリシャは首を左右に振る。
「あたし、リアルでは1人暮らしで…誰もHMCを外す人がいなかったの」
再び過去の記憶の断片を脳裏に浮かべたマリシャは、深呼吸してから話を続けた。
「気付いたら二日経ってた。今頃体が勝手に排泄なんかしてるんじゃないかって思うと怖くて仕方なかった。本当は死ぬかもしれない事態だったのに……」
呆れた笑顔でそう言うマリシャは、一度ヤトの顔を視界に入れてまたコップに戻した。
「もしこのまま誰も来なかったらって考えると涙が止まらなくなって。でも、二日目の昼に私は帰ることができたの。理由は簡単、私を拘束していたアイテムの効果時間が切れたから」
その後、マリシャはすぐさまログアウトした。
彼女のその時の状態はあまりに生々しくてヤトは目を瞑って聞いていた。
FD環境下における身体の状態は全てHMCが脳の変わりに臓器などを動かしている。
排泄等はどうすることもできないのが現状で、今後の課題となっている。
正規のタイトルなら脱水症状を検知して強制ログアウトされたのだろうが、ULに関しては個人でのタイトルでそういったものはなかった。
それこそ百数十万する高価なHMCにならそういったサポート機能がついているものもある。
個人タイトルだからこそ、その高い自由度がその人気に繋がったが、そういう弊害もある意味あって当然なのかもしれない。
不幸中の幸いか、1人暮らしのおかげで、それらの醜態は誰にも知られずに済んだとマリシャは言う。いや、ある意味、今はヤトも知ってしまったのだけど。
「結局フレンドは誰も私を心配なんてしてなかったし、私があんな目にあってたってことも知らなかった」
ヤトはそれ自体は当然だと思っていた。
フレンドといえど、いつも目の前にそれを表示している訳ではないのだから。
「後になって、あの日ローテアウトの時にダンジョン攻略していたフレンドにリアルで連絡を取って話を聞いたの。そしたら、あの日珍しくメンバーにいた男の子が1人でやったことだって分かった」
どうして自分がそんな目にあったのかを知りたかったマリシャはその当時必死だった。
「メンバーの話では、私が1人で一番最初にログアウトした後、その男の子が"1人で3人を護もれる"って言ったから彼を残してメンバーも休憩したらしくて…、戻ってみたらホームに転送されてて"PKが原因でPTは全滅した"ってその男の子からメッセが届いたから疑いもしなかったって」
当時のことを思い出した所為か、マリシャは少し怒りのような表情を見せる。
「何故?そう思ってその男の子にメッセを送ったの。彼からはすぐに返事が来たわ。それで分かった彼の動機は、"私が彼とフレンドになってメッセージを一度も送らなかったから"――」
ヤトはギュッと拳を握って俯くマリシャに聞く。
「そいつはそれだけでそんなことをしたのか?」
ヤトはその男が本当それだけでマリシャにそんなことをしたのか、他にも何かあったんじゃないのかと彼女に聞く。
しかし、その男のメッセージには"ちょっと怖がらせてやろうとしただけ"、"すぐに家族がHMCを外しただろう? "と書いてあったそうだ。
だが、実際にはマリシャは1人暮らしで、結果的に2日もゲームに囚われてしまったのだ。
「もし、あのアイテムの効果がもう一日あったならきっと私は死んでいた。それから半年間はHMCを付けることもできなかった。でも、私ゲーマーだし、仮想世界でしか明るく振舞えないし」
そうして、心に傷を負いながらも彼女はまたHMCを頭に付けた。
もはやそれは"異世界逃避症候群"。ネット用語ならVR ESC (バーチャルリアリティー エスケープ)である。
「久しぶりにHMCを付けて来た世界がこのBCOだった。やっぱりこの世界は私を裏切らない。って思ってたのに、今度は本当にこの世界に囚われちゃった」
マリシャはそう言って俯いた。
彼女に対しての同情も愛情も持ち合わせていないヤトにはどうすることもできない。
知り合って間もない。ヤトは他人の感情に鈍感だと自身でも分かっている。
再び彼女が話し出すのを待てるほどの優しさも持ち合わせていない。
「本題をまだ聞いていない。どうして俺なんだ?」
その言葉にマリシャは顔を上げる。
「そうだったね~。なぜヤトくんなのか…それは――――"たまたま"だよ。私のリハビリにキミがピッタリだと思ったから」
……よかった。ヤトは心でそう呟いた。
マリシャにとってヤトががたまたま選んだ相手で。
彼は心から"よかった"と思っていた。
「その男が俺と同じくらいの年齢だったとかだろ」
マリシャは肯く。
「また、私の知らない所で嫌われちゃうのかもって思ったら、"メッセージを送らなきゃ"って思っちゃってて気付いたら――」
話し終えた彼女は少し何かがふっ切れたようにも見え。
この会話で吐露した彼女の醜態や実状は、おそらく今まで誰にも聞かせていないものだっただろう。
話は大体理解した。この件で彼女を責める気はない。が――――
そう思うヤトは言う。
「正直迷惑だ。今後もあんたのブロックを解除することはない」
「………だよね……うん、分かった」
マリシャは少し苦笑いを浮かべて肩を落とした。
彼女は今支えを得ようとヤトに全てを晒し、それに応えてもらえなかった結果その表情を浮かべた。
「俺はあんたのリハビリには向いていない。もっと楽な相手を選ぶべきだ」
ヤトのこの言葉にマリシャは下げた視線を彼に向けた。
「…え?」
ヤトは彼女に自身のフレンド欄の一部を見せて言う。
「こいつはBJ。社会人で常識人で楽観主義者の善人だ。こいつならあんたのリハビリに丁度いい。俺が保障する」
ヤトは分かっていた。自身が誰かの支えになれるほどの器でないことを。
自分のことしか留意できない彼が、彼女にしてあげられることは"ふさわしい相手"を紹介すること。
この時ヤトはBJとの出会い、BJの存在に感謝していた。
それはどうしてか、誰かの力を当てにするというのは彼の中では無理なことで、できることなら"そうしたい"とは日々思っていることなのだから。
ヤトにはそんな人間が今までいなかっただけ。
「…ヤトくん――」
マリシャはヤトが自分のことを少しでも考えてくれたことに感謝し、何度も「ありがとう」を繰り返していた。
その日の内にBJにメッセを飛ばす。件名は、"胸の大きな女性がいるんだが…"。
すると、10秒で件名に"喜んで!"と返って来た。思わず「早!」と声を上げてしまう。
マリシャが必要としている存在にはBJは最適な人材と言える。
後は俺の人を見る目が確かかどうかだ。
漸く肩のコリがほぐれた俺は、KJたちが第5エリアの攻略をしている間に、第4エリアのエリアボス討伐の準備をするつもりだ。
むしろ、討伐準備はすでにほぼ完了している。
マリシャが別れ際に言った、「そのキズバン、かわいいよ」の言葉に、今後"街中では装飾を外す"と心に決めたのは言うまでもない。