私小説「お姉さんと私」
私小説と記述するからには当然、私の実体験であり私以外の人間の体験や妄想ではないことを
先に明言しておく。何故、念を押すのかといえば、私自身が今でも夢のように思えることであり、且つ今の私でなければ夢だと思ってしまうようなことだからである。
さて、まずは私について少々語ってみようと思う。
私は昭和の後期にこの世に生まれ大病を人並みに患いつつ、現在まで命を永らえている大変運の良い好青年である。もちろん私も人間であるから生まれたときから好青年だったわけではない。色々と貴重な経験を経て今の立派な好青年に成長したわけである。また、好青年であるからして私は当然のごとく、腹と股間に一物を持っているわけである。
これで、読者の諸氏にも私のことが大まかには理解していただけたとは思うが、細かい事は文中で語ろう。これは私小説であって私の就職面接用の履歴書ではないのである。
さて時代は今から遡ること数年前、私がうら若き大学生としての青春を謳歌していた時代のこと。世間では「ぐろーぶ」や「あむろなみえ」の歌が「0157」と並んで流行し、また遠い日本の裏側では日本大使公邸で物騒な事件が発生していた頃の話である。
私は運命的な出会いをした。仮にその人の呼称を仮に「お姉さん」としよう。もっとも、私はその人をお姉さん以外の呼称で呼んだことはないし呼びたいとも思わない。そのお姉さんという人物を一言で表現するのであれば古式ゆかしき日本女性という言葉が最も相応しいと思うし、また私以外にも賛同する人は決して少なく無いと断言できる。慎ましやかで所作に無駄がなく、たおやか。私が初めて女というものを強く意識した人物でもあるからだ。
では話を始めよう。私がそのお姉さんと出会ったのは町の小さな映画館でのことである。お姉さんとは偶然、いや必然だろう、席が隣り合ったことがきっかけで知り合うこととなった。映画が終了した後、お姉さんと私はお茶を飲みながら楽しく映画のことや様々な話を語り合った。お姉さんの話はとても面白いだけでなく興味深いもので、私の知らない話をよく知っており、私は夢中になってお姉さんの話に耳を傾けた。またお姉さんも私の話す他愛の無いことや悩み事を真剣に聞き、そして相談に乗ってくれたのであった。言葉を交わすうちに知った幾つかのことのうち最も重要なことは、お姉さんの趣味が映画鑑賞らしく、頻繁にその映画館に来るということであった。それを聞いた私は映画鑑賞よりもお姉さんに会えることを期待してその映画館に足を運ぶようになっていた。もちろん学生の身分であるから毎度の映画代は少なからぬ出費ではあったが、お姉さんに会えるかもしれないと思えばその程度の出費はなんとかやりくりできる範疇と言えた。
だが、私は常にお姉さんと二人きりで歓談していたかといえば決してそうではなかった。お姉さんを慕う人間は私以外にも数多く存在し、中にお姉さんを「お姉さま」と慕い、私がお姉さんに近寄ることを快く思っていなかった輩がいたことには正直辟易した。そのときの様子を簡単に書き記すと以下のようになる。
映画の終了後、テーブルを囲むように私とお姉さん、そして見知らぬ女の子の三人が座る。私は女の子とは初対面なので自分の名を名乗り、よろしくと挨拶をする。しかし女の子は私の挨拶など聞こえなかったかのように嬉々としながらお姉さんに
「あのね! あのね!こないだね、凄かったんだよ?実はね」
と、自分の近況を話し始めるのであった。お姉さんは珍しくあわてた様子を見せ、
「ちょっと待ちなさい! ちゃんと挨拶しなきゃ駄目でしょ?」
そんな風にやんわりと女の子をたしなめる。すると女の子はあからさまに不満を露にしながらも吐き捨てるように、
「……」
と聞き取れないくらい小声で呟き、そしてそれが終わると同時に、
「でね! でね? 聞いて、聞いて? それでさぁ」
再び堰を切ったようにお姉さんに話し始めるのであった。お姉さんはその女の子の話を困ったような表情を浮かべながら聞いていたのだが、すっと手で女の子の話を遮り、私の方に向き直り、
「この子は○○○ちゃんっていうの。ちょっと無愛想な子だけど仲良くしてあげてね?」
と少し苦笑しながら女の子の名前を改めて私に紹介してくれたのであった。しかし、そのお姉さんの努力の甲斐も空しく、その後も女の子が一方的にお姉さんに話しかけ、お姉さんがその話を聞き、頷いたり時折自分の意見や感想を女の子に返したりといった展開がしばしの間続くのであった。しかしお姉さんはきちんと、
「今の話、あなたはどう思う?」
と、上手に私に会話を振ってくれていたのだが、何せ「オマエニナンカ、キイテマセン!」 と拒絶のオーラを全身から漂わせている女の子。私の意見はまるで聞こえないかのようにスルーし再びお姉さんに同じ調子で話し始めるのであった。私も積極的に女の子に話しかけてみたが、全く取り合って貰えず、私の言葉をわざわざお姉さんに通訳してもらって女の子に伝えるといった実に奇妙な光景に頭を痛めつつあった。
暫くして私も流石に女の子から発せられる「アンタ、ジャマ! アッチイケ! 」というドス黒い拒絶のオーラに気圧されるようにして、
「それでは私は用事があるのでこれで」
とお姉さんと女の子に挨拶し、まるで逃げるかのように席を立ったのであった。すると、お姉さんもすっと
立ち上がり、素早く私の傍までに来ると小声で、
「今日はごめんね。また今度ゆっくりお話しましょうね」
と私の心中を察したのかのように、少し苦笑しながらそう言ってくれたのであった。
「はい。では、また今度ゆっくりと」
と私は軽く手を挙げ、お姉さんの気遣いに笑顔でその場を後にしたのであった。もちろんそこにあった女の子の不機嫌そうな顔は観なかったことにしようと思ったものだ。
後日、あらためてお姉さんから聞いた話であるが、その女の子はいわゆる百合の華…な女の子で男性嫌いの女性好きであり、お姉さんを恋愛対象や憧れの対象として慕っているとのことであった。お姉さんは女の子に恋愛対象として好かれても困るのだけれど、直接的に何かされるわけじゃないし、普通に話をしたり相談にのったりしているだけなので、邪険にするのも悪い気がすると言っていた。言い換えればあの子はお姉さんにとっては可愛い妹のような存在に思えるのだそうだ。
「決して悪い子じゃないのよ?あの子も色々あったみたいだし」
そう私に話してくれたお姉さんの少し困ったような、それでいて少し寂しそうな表情は今も忘れがたい。
さて、話を続けよう。私がお姉さんと出会って半年ほどが経過する頃になると、私とお姉さんはかなり親しい存在になっていたと自負している。尤も、残念なことに友人として…ではあったのだが。私がそう言い切るのは、正直なところ私とお姉さんの関係はプラトニックなものだけではなかったこともある。だが、最も大きな点は私がお姉さんから悩みを打ち明けてもらったことにあると考えている。誤解の無いように付け加えておくが、肉体関係に関しては二人ともそういう関係だけを望んでいたわけではない。私達は基本的に映画館を通じてしか会わず、しかもその映画の後の会話の時間をこそ大切にしていたからである。その大切な時間に私達は多くの言葉を交し、お互いの言葉に耳を傾け、共に悩み、考えたのだった。
当初は自分の悩み――それは家族や友人にさえ打ち明けがたい悩みではあるのだが――それをお姉さんに打ち明け、相談にのってもらってばかりいる私だった。しかし、私に他人に打ち明けがたい悩みがあったのと同様にお姉さんにも他人に打ち明けがたいことを持っており、お姉さんはそれを私に話してくれたのである。そのときの私の感情は正直複雑であったことを覚えている。
そのお姉さんが私に話してくれたのは昔話であった。
「私には戻る場所がないの。実家にも帰れない。家族にももう会えないの」
そう寂しそうに語った横顔は何故か少し微笑んでいた。
夢を追いかける。言葉にするとそれは綺麗だがその代償としてお姉さんが支払ったものは家族と故郷だった。お姉さんは自分の夢を追う為に周囲の反対を押し切り、親に縁を切られても尚上京し、そして自分の夢に向って走り続けたのだった。その時の心情をお姉さんは
「家族に縁を切られても自分に嘘をつくことだけは出来なかった」
と語ってくれたのだった。
そうしてお姉さんは走り続けた。走って、走って休む間も無く走り続けた。自分にはもう戻る場所はない。
そう自分を追い詰めて走り続けた。走って、走って、ただひたすらに休むことなく走り続けた。辛くはなかった。ただ、毎日があわただしくまるで光の矢のようにあっという間に過ぎていったように感じたそうだ。
そして故郷を離れて八年の年月が経過した時。お姉さんは気がついてしまった。いや、寧ろ悟ってしまった。
自分の夢は決して自分には叶える事が出来ないのだということに。自分は永遠に本当の夢に辿り着けず、小数点のようにいつまでたっても壱にはなれないのだということに。自分はどう足掻こうと代用品にしかなれないと気がついたのだ。
そしてそのころ、お姉さんはもう一つの事実に直面させられたのであった。それは自分が独りだという事実だった。親の死に目に会えない自分を知ったとき、改めて自分がもうこの世には誰も本当の意味で家族と呼べる人がいないと気がついたとお姉さんは言った。それは自分の父親の死を家族からではなく、昔の友人から聞かされるという事実がお姉さんにそれを気付かせたのだという。
夢は夢のまま叶える事も出来ず、ふと自分ががむしゃらに走ってきた道のりを振り返っても遠くに見える自分の故郷や家族の元には帰れない。しかし、お姉さんは再び歩き始めた。ゆっくりと。夢は叶えられなくても、追い続ける事は出来ると。そこまで私に語ると、お姉さんは真剣な表情で私を見つめ、
「私は幸せよ。だって毎日こうやって精一杯生きているんだから。不幸なんて無い。毎日がとても楽しく、とても幸せ。確かに失ったものや無くしたものも数多く在った。だけど、それでも私は胸を張って言える。私は今もこれからも幸せだと。だって、私は私の人生を生きている。これ以上の幸せはないんだから…」
一瞬躊躇いがちに眼を伏せ、そして再び私の目を見つめ、そのままお姉さんは真剣でありながらどこか寂しげな表情で私に言葉を続けた。
「あなたが私の傍にいることで私は満たされた。でも、あなたは此処にいるべきじゃない。あなたはこんなところに来てはいけない。あなたは此処に遊びに来ただけ、立ち寄っただけ。こんなところに留まってはいけない…あなたはちゃんとした自分の場所に戻るべきなのよ。」
私は何も言えなかった。何か言おうと…何かを言わなければ…そう思えば思うほど声が出なかった。何故ならお姉さんの言葉は私自身が気が付いていない、私自身の諦めかけていた願いであったから…
「あなたは私に束の間の夢を見せてくれた。夢を叶えてくれた。それはとても嬉しかった。涙が出そうになるほど嬉しかった。でも、これ以上あなたはここにいてはいけない。あなたはあなた自身の人生を歩みなさい。だから帰りなさい。もう、此処に二度と来てはいけない。帰ってきてもあなたと話しはしないし、あなたを迎え入れる席も無いのだから…
さぁ、お行きなさい。振り返らずに進みなさい。ちゃんとあなたが本当に愛する、あなたが本当に愛せる女性がきっと見つかるはずだから」
少し涙ぐんだ瞳で私の手を握り、その指先を愛おしそうに…本当に愛おしそうに見つめ、お姉さんは私とお姉さんにとっての決別の言葉を述べたのであった。そんなお姉さんを私は強く抱きしめ
「いままで本当にありがとう」
そう耳元で囁くと、すっと立ち上がり席を離れた。そうして最後にもう一度振り返ったその先にはお姉さんが
「じゃぁね」
と微笑みながら手を振っていた。
「さようなら」
そう、最後にそう告げると私はもう振り返らずにその場所を後にしたのであった。
その後お姉さんがどうなったのかは知らない。きっと今でも夢を追って幸せな毎日を送っていると信じている。そんな私も今では結婚したのであった。私のような変わった人間と結婚する相手だけあって、なかなかの変わり者だが私にとっては居心地のいい妻であることに変わりは無い。その妻と結婚した今でも最も女らしい人はと尋ねられれば、私はあのお姉さんの名前を挙げるだろう。それほどまでにお姉さんは女らしい人であった。いや、あの人は女以上に女であったというべきだろう。私はこの話を結婚前、妻となるべき人物にも話した。
それはお姉さんとの出会いは私の人生に於ける大きな分岐点であり、そしてお姉さんとの別れもまた大きな分岐点となったからである。お姉さんの話したとき妻は微笑んで
「その人のおかげだね。私と結婚できるのも」
と笑った。違いない。そういって私も一緒に笑った。
そして思い出す。最後にお姉さんが私に告げた決別の言葉
「貴方のこの指は女の子を悦ばせる指なの。私にはわかるの。だって、貴方がこの指で触れるたびに私は女の喜びを感じてきたの。だから解るの。貴方の指、貴方の身体はちゃんと女の子を求めていることが…だから貴方はその指、身体を愛する女性の為に使いなさいね?」
そのお姉さんのおかげで今、私はこの妻と出会い、彼女を愛することが出来るのだ。
初めまして豆腐けーきと申します。
「なんだよ…単なる惚気話かよ!」
と思われる方(思われた方)も多いと思うのですが、実際のところはたんなる自慢話です(ヲイ)。
ですが、私の人生は他の皆さんと同じく
「事実は小説より奇なり」
なことが多い普通の人生なのですが、この一件は
確かに私の人生を変えた出来事なんです。
そんな私の私小説ですのでさらりと流して読むもよし、深読みして「こうなんじゃね?」と考えるのもいいかと思います。
最後になりますが、最後までお読み頂きありがとうございました。